オペラ座ダンサー・インタビュー:ブルーエン・バティストーニ

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Bleuenn Battistoni ブルーエン・バティストーニ(スジェ)

2017年に入団したブルーエン・バティストーニ。昨年の秋から今年の春に延期されたコール・ド・バレエ昇級コンクールで、彼女はカドリーユからコリフェに上がった。そして11月末に行われたコンクールでは、コリフェからスジェへと昇級し、さらに2021年度のカルボー・ダンス賞もギヨーム・ディオップとともに受賞。年末公演『ドン・キホーテ』では第一配役でブライズメイドを踊る。

パリ・オペラ座バレエ団において、これからの成長が楽しみな美しい女性ダンサーの新たな登場である。珍しいブルーエンという名前は母親の出身地ブルターニュ地方のものだという。機会あるごとにクラシックの確かなテクニック、豊かな表現力をステージで披露し、きりっとした視線からは精神的な強さが感じられる。すらりとバランス良い体型で、身長は168cmというから、男性パートナーにとって大きすぎず小さすぎずの理想的なサイズだ。次のコンクールでは以前から未来のエトワールとの下馬評の高いビアンカ・スクダモアやナイス・デュボスクと、空席があればプルミエール・ダンスーズのポストを熱く競うことになるだろう。

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Photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:スジェへの昇級、おめでとうございます。

A:春にコリフェにあがったばかりだったので、今回のコンクールではたとえ上がらなくっても、という気持ちだったのでストレスもプレッシャーもなく踊ることができました。ヴァリエーションを美しく踊って、自分が満足できればよいと思っていたんです。だから、踊り終わった時には満足感が得られ、目標は果たせた!と思っていたら、その結果昇級できて・・。大きな驚き、大きな喜びでした。

Q:多くのダンサーが入団当時、せめてスジェまでは上がりたいと願うと聞いたことがあります。

A:私が常に願ってることは、キャリアにおいて自分が踊りたい役を踊れたら、ということです。だから、特に階級というのは意識していません。でも、確かにスジェにあがることによって、ドゥミ・ソリスト、ソリストを経験できるようになりますね。

Q:オペラ座でいつか踊れたら、と願っているのはどのような作品ですか。

A:『ロメオとジュリエット』『ジゼル』『眠れる森の美女』『椿姫』です。

Q:今回に限らず、過去のコンクールでも、何かを物語るようにヴァリエーションを踊るあなたの姿が印象に残っています。

A:テクニック面で苦労することはあまりなくて、私にとって難しいのは役をいかに解釈して踊るか、ということです。スタジオでの稽古では視線、音楽性、オリジナリティといったことについて仕事をします。それをしないことにはステージで表現できないので。例えばこの間のコンクールで踊った『白の組曲』のヴァリエーションでも、特にストーリーのある振付ではないけれど、私はオリエンタルな世界からインスピレーションを得たんです。そして片手を目の前にかざすようにするときは太陽を避けるというイメージ、腕を下方に動かすときはタバコの煙がしていて、というような・・。エリザベット・モランが私をコーチしてくれています。

Q:エリザベット・モランとはどのように出会ったのですか。

A:今はもうないかもしれませんが、学校のプルミエール・ディヴィジョンのときに北フランスで開催されたアンドレイ・クレムのスタージュに参加し、そこで彼女と知り合ったのです。その後、私からコーチをしてもらえれば、というようにお願いしたんです。私にとってとても大切な存在で、とりわけレパートリーについて、すごく私を支えてくれています。私のダンスの芸術面は彼女に鍛えられた、といえます。

Q:4年間のカドリーユ時代は長いと感じましたか。

A:難しい時期を過ごしたといえます。なぜって、コンセルヴァトワール時代、そしてバレエ学校時代、公演では役をもらえていて後ろ盾があると感じていたんです。準備の仕事が評価され、それゆえにステージというご褒美があるのだ、というように。ところがバレエ団に入ると、最初はカンパニーの暮らし、一人の大人としての生活に慣れる必要があり、ダンスの面ではカドリーユなので常に代役なので舞台で踊る機会がなくて裏で待機。フラストレーションがたまる日々でした。それで、その間クラスレッスンや技術の改善といったことに時間をかけるようにしていました。階級が上がると午後にリハーサルがあるので、疲労は増して、自分のための仕事をする時間も減って・・・。今、振り返ってみると、舞台に上がらない時間があるということは、テクニックを確かなものにするために大切なことだったのです。

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Photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

Q:いつ、どのようにダンスを習い始めたのでしょうか。

A:サン・ジェニ・ラヴァルというリヨンの郊外で習い始めました。ギユメット・メリユーが教師の小さなプライヴェートの学校です。授業のない水曜日の活動として何か、ということから母がみつけてきたんです。こうして偶然にダンスを始めることになって、その後何年かは余暇という程度の気持ちで習っていました。毎年最後にガラがあって、生徒たちは舞台で踊ります。そのたびに、ああ次の年も登録してレッスンを続けたいわ!って・・・こうプッシュされて続けていったんですね。で、11歳ごろにポワントを始めたとき、一緒に習っている他の生徒に比べて自分は身体的にダンスが容易にできることがわかったのです。

Q:その後、2013年にパリのコンセルヴァトワールで学んだのですね。

A:12歳のときに、パリ・オペラ座のバレエ学校に興味が湧いて、この学校で学ぶということが私の目標でした。でも、私が望むようにことは進まず。何度かオーディションを試したものの、うまくいかなくって。それで、仕方なくコンセルヴァトワールに行くことにしたんです。ここで最後に得られる証書で、オペラ座のバレエ学校へのアクセスが得られるのではないかと思って。クレールマリ・オスタがディレクターの時代でした。1年間コンセルヴァトワールで学び、それからパリ・オペラ座バレエ団の学校に入りました。

Q:パリ・オペラ座バレエ学校に興味をもったのはなぜでしょうか。

A:小さい時にバレエのビデオをたくさん見た中に、クロード・ベッシー時代の学校のビデオがありました。すぐに学校が気に入ったんです。祖母は私が休暇で遊びに行くとピアノを弾いてくれて、というように芸術的センスがあって、テレビでバレエが放映されるたびに録画をしてくれていました。それらの多くがオペラ座のビデオ。『ジゼル』『椿姫』もありました。ジゼルはレティシア・プジョル、椿姫はアニエス・ルテステュだったと思います。こうしてパリ・オペラ座バレエ団というのが私の頭の中に、しっかりと場を占めることになったわけです。

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Photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

Q:オペラ座のバレエ学校では3年学んだのですか。

A:そうです。2014年にセカンド・ディヴィジョンに入りました。プティット・メールはエロイーズ・ブルドンにお願いしました。コンセルヴァトワール時代に寮生活は経験ずみだったので、ナンテールでもすぐに慣れることができ、学校時代は順調に進みました。家族から離れて暮らすのは容易なことではないけれど、それゆえに精神的な成長があります。私はセカンド・ディヴィジョンに研修生ではなく生徒として入ったので、同級生たちと分かち合うことも多く、舞台も一緒に経験して、途中編入でもすぐに仲良くなりました。プルミエール・ディヴィジョンは多くの生徒同様に2回やっています。

Q:ダンスを職業にしようと考えたのはいつ頃ですか。

A:ダンスを習う目的はプロになることではありませんでした。パリ・オペラ座のバレエ学校に入りたい!というだけのことだったのです。2017年にカンパニーに入団してプロのダンサーになったところで、果たしてこれが自分のしたかったことだろうか、と改めて考えた次第なんです。本当にしたいことだと確信できるまで、2〜3年かかったでしょうか。で、確信したところで、上にあがってソリストになりたい、と思うようになったのです。

Q:模範とするダンサーは誰ですか。

A:小さいとき、彼女のように踊れたら、彼女のようになりたいと憧れたのはアニエス・ルテステュです。その後、ダンスについていろいろ知識を広げ、オーレリー・デュポンやエリザベット・モラン、ドロテ・ジルベール・・・。

Q:これまでに一番楽しめたステージはどの作品ですか。

A:『白鳥の湖』ですね。これは肉体的にとってもハードな作品ですけど、コール・ド・バレエの真のセンセーションがあるんです。信じがたい体験なんですよ、このコール・ド・バレエって。私はまだ学校時代に、稽古を含めて2ヶ月間、オペラ・バスチーユの『白鳥の湖』の公演に雇われたんです。毎晩、白鳥のコール・ド・バレエの代理として舞台に立つことができ、これが私の初経験となりました。とにかくハードなので、一緒に踊るダンサー同士で支え合わなければやってゆけないんですね。互いの呼吸を感じ、共に踊っている、みんなしてこの瞬間を生きてる・・・と。とても特別な体験なんです。もう1つ、舞台で踊って気に入ったのはバランシンの『ジュエルズ』のダイヤモンド。団員となって初めて配役されたバレエで、突然代理で舞台にたつことになったのですが、すごく気に入りました。衣装によって自分が美しいと感じることもできて・・・好きな作品です。クラシック・ダンスへのオードで、ダンスの祝祭。コール・ド・バレエでも誰もがソリストだと感じさせられて、とても快適に踊れる作品です。

Q:『ラ・バヤデール』では32名のオンブル(影)の一人として踊っていますね。

A:はい。この作品では扇の踊り、そして影の王国で踊っています。オンブルの稽古ではとても良い時間を過ごせたけれど、2ヶ月稽古をしたのに公演がなかったのは大変なことでした。ライブ配信のための撮影が行われたのは、無観客の劇場で。長いこと舞台に戻りたいと願っていたのに、観客を前に踊ることができず、これは辛いことでした。オンブルの準備の仕事の美しい経験が、空っぽの観客席を前に踊るという悲しい結果で終わってしまったのですから。

Q:コンテンポラリーよりクラシック作品が好みですか。

A:私がより気楽に踊れるのがクラシック作品なのです。今のこの体調の良さをドゥミ・ソリストなどで可能な限り活用していきたいと思うので。でもネオクラシックやコンテンポラリーが嫌いというのではありません。クリスタル・パイトの『Seasons' Canon』を過去に踊って、とても素晴らしい経験ができました。彼女は本当に素晴らしい人。再演そしてアジア・ツアーがあったときに彼女がオペラ座に来て指導してくれたんです。私は踊っていませんが、『ボディ&ソウル』の3幕で彼女が展開した内容もとても好きでした。ホフェッシュ・シェクターやオハッド・ナハリンといった振付家の作品を踊ることになったら、きっと体が快適さを感じないでしょうね。でも、いつかはコンフォート・ゾーンから抜け出すように自分をプッシュする必要があるとはわかっています。コンテンポラリーについては、まずはキリアンのようなコレオグラファーと始めるのが私にはテクニック的にアクセスしやすいように思います。

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『ドン・キホーテ』Photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:公演「若きダンサー」でもあなたはクラシック作品に配役されていました。

A:はい。この公演は3月のリハーサル公演では、『ゼンツァーノの花祭り』を踊りました。7月の本公演ではほとんどのダンサーが同じ演目でしたけれど、『眠れる森の美女』を踊るダンサーが不足しているということで私はこちらに変わったんです。おかげで、より難しいパ・ド・ドゥを踊れるという、私にはより良い結果となりました。『ゼンツァーノの花祭り』はテクニック的には難しくても、コンセルヴァトワール時代にブルノンヴィルはすでに踊っていて・・。この作品を踊るのは好きだったけれど、一旦踊ってしまったら、次には別のものにトライしてアップグレードしたいという気持ちがあったのです。それゆえにこの変更は私にはとってもタイミングがよかったのです。『眠れる森の美女』もテクニック的にとても難しいものでした。チュチュで踊るピュアでアカデミックな振付。パーフェクションが必要なので、このパ・ド・ドゥを準備する時間を十分に楽しみました。

Q:ヌレエフの振付は複雑だとよく言われます。

A:私たちはヌレエフ作品を踊るように育成されています。ヌレエフは私たちの歴史であり、レパートリーです。オペラ座の守るべき宝石です。といっても、そればかりに固執する必要はないでしょう。彼の振付は難しいですが、きちんと踊られたら、それはそれは信じられないほど素晴らしいものなのです。

Q:年末公演のヌレエフの『ドン・キホーテ』ではブライズメイドを踊るのですね。

A:はい、ブライズメイドはキトリの友達で、第3幕の結婚のセレモニーで踊ります。このヴァリエーションはもちろんダンスを見せるものですが、同時にソリストがその間に休めるようにというものなのです。とても美しいヴァリエーション。踊りも音楽もとても陽気で・・たくさんのソーがあります。私、テクニックが要求されるヴァリエーションが好きなんです。

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カルポー・ダンス賞受賞セレモニー photo Mariko Omura

Q:スジェに昇級後、カルポー・ダンス賞の受賞セレモニーがありました。

A:この賞はとてもプレスティージュの高いものです。過去の受賞者の名前をみても、ほとんどが素晴らしいキャリアを積んでいますし、大勢がエトワールなっていて・・・自信につながりますね。でもまだ自分の受賞が信じられなくって。母はとっても誇らしく思ってますけど、私はまだ受賞の実感がわかないんです。セレモニーに文化大臣が出席していたのは、思いもかけないことでした。でも彼女がこうしたイヴェントに参加して、ダンスという芸術をサポートしてくれるのはとてもありがたいことだと思います。

Q:授賞式でのあなたのスピーチは内容も話し方も素晴らしいものでした。スピーチはし慣れてるのですか。

A:いいえ、全然。私、すっかり気後れしてしまって、話し始めたときはいったいどうなることかと思ったんですよ。私は小さいときから読書が好きで、ダンスを始める前から自分なりに物語を作って書いていました。だから、スピーチをすることを知ったのは10日前くらいのことだったのだけど、ごく自然に準備することができました。

Q:では子供時代に夢見た仕事は作家だったのでしょうか。

A:そうなんです。子供時代、物語を作って楽しんでいました。この2〜3年、私は文学を学んでいます。そのことがスピーチの準備に役立ったといえますね。

Q:どのような本を主に読みますか。

A:エミール・ゾラやバルザックといった古典文学が好きなんです。でもカミュやサルトルなどの20世紀の作家も読むし、もう少し軽めの作品も。哲学書を読むのも好きです。

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カルポー・ダンス賞受賞セレモニー photo Mariko Omura

Q:ピエール・ラコット創作の『赤と黒』も踊る前に原作を読みましたか。

A:この作品にはコール・ド・バレエで参加しましたが、公演の前に作品について少し資料を読んだものの、スタンダールの原作は読んでません。というのも、2年前に、とても分厚い『パルムの僧院』を読んでいて、スタンダールという作家についてはすでに知識があったので。

Q:日頃、ストレスの管理はどのようにしていますか。

A:公演前に、これから自分が踊ることの準備ができているというとき、私はストレスを感じません。舞台で踊るのだということから生まれるアドレナリン、興奮があります。でも、私は毎回、コンクールのゲネプロですごいストレスがあって、メチャクチャに踊ってしまうんです。パニックを起こしてはいけないって、わかってはいるのですけど。それを管理できるテクニックを持っているかどうかわからないけれど、一種の儀式を守るようにしています。コンクールというのは特殊な場なので、このストレスを呼吸で管理。そして踊るヴァリエーションの音楽を聴き、振付を視覚化して・・・こうすることで顔の表情も準備できます。先ほど物語を語る、ということを話しましたが、ヴァリエーションの中でそうした目印となる部分や腕について以外は、自分のすることの自由に任せます。そして、もし踊り始めで失敗しても、それはたいしたことではなく、残りの3分に集中して続きを踊ろう、って考えるようにしています。

Q:食事など健康管理についてはどのようにしていますか。

A:運動家として健康管理はとても大切だと思っています。正しく、そして十分な量を食べるよう心がけています。日中は時間もあまりなく、エネルギーの消費も大きい。朝食にはパンにドゥミセルのバター。無塩バターは好みません。これって母がブルターニュ人ゆえでしょう(笑)。そしてカフェです。公演の前はバナナやリンゴを食べます。それからPom' Potes(ポムポット)というチューブ入りのりんごの砂糖煮ピューレも。これは食べやすいし、それに少しばかり甘味も楽しめますから。

Q:なぜ踊るのかと聞かれたら、どう答えますか。

A:一言でまとめて語るには難しい、罠のような質問ですね。まず音楽にインスパイアーされて踊ります。役にインスパイアーされ、その役が踊りたくて踊りたくて。ステージ上で観客のために私は踊ります。劇場の裏手での仕事、スタジオの仕事、リハーサルも好きですが、舞台に立つと、ガラの舞台が気に入っていた4〜5歳頃の自分に戻って・・・私はとても内気なのですが、舞台では衣装やメイクに助けられて別人になるいことができます。エネルギーが湧いて、元気になって、全然内気ではなくなる。この変身、好きですね。

Q:好きな作曲家は誰でしょうか。

A:私、ショパン愛好家なんです。8歳の頃でしょうか。少しダンスをやっていた叔母がはいていたポワントを屋根裏でみつけ、祖母のひくショパンに合わせてポワントの真似事をして踊って・・・といった思い出があります。特別なひと時でした。ショパンのほかにはモーツァルトやチャイコフスキーといったクラシックの作曲家が好みです。

Q:あなたの夢は? と聞かれたら、どう答えますか。

A:仕事面については踊りたい役にアクセスがあることです。そして職業人のしての暮らしと私生活がバランスがとれていること。自分が踊りたい役は全て踊れた、と後悔なしにキャリアを終えたいと願います。そしてその後は文化的な仕事に就いて・・・。今学んでいる文学は一般教養をもたらしてくれて、ダンス以外の世界へと開いてくれるんですよ。私生活についていえば、いつか家庭を築きたいというのが大きな夢ですね。

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