オペラ座ダンサー・インタビュー:ニコラウス・チュドラン

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Nikolaus Tudorin ニコラウス・チュドラン(スジェ)

2018年に外部入団試験を経て正式団員となったニコラウス・チュドラン。オーストラリア出身で、チューリヒ、ライプツィヒを経由してパリへ、というダンサーだ。2021年4月に開催された昇級コンクールでは課題曲『海賊』と自由曲『ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ』を踊り、スジェに上がった。正しいフォーム、確かなテクニック、丁寧さという点が評価されたのだろう。オペラ座の年金制度改革反対スト、そしてパンデミックのおかげで有観客の公演が少ない時期なので、彼の名前と顔を一致させるのは難しいかもしれない。入団3年でスジェに上がった有望株なので、ここに紹介しよう。

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Photo Julien Benhamou/Opéra national de Paris

Q:今年の4月にスジェに昇級し、今日に至るまでどんな時にスジェに上がったという実感がありましたか。

A:まだ心底実感していないというのが本当のところなんです。というのも、コンクールの後、『ロメオとジュリエット』の公演が何回かあって、その間に怪我をしてしまったのでスジェに上がったということが実感できていません。怪我をしてから2ヶ月めで、今はリハビリの毎日なんです。

Q:『ロメオとジュリエット』ではマキューシオの4人の仲間の一人でした。

A:そうなんです。これは良いタイミングで来た役だって思っています。こうしたクラシック作品ではこれが初めての役で、舞台上で多くの喜びが得られました。

Q:「若いダンサーたち」の公演が3月に無観客で行われたときには、『パリの炎』に配役されていました。

A:はい。この公演には、もともとは配役されていませんでした。それがジョルジオ(・フーレス)が怪我をしたということで、本番の前日に僕が踊ることが決まったんです。それまでに踊ったことがない作品で、''これを踊るの?? OK、やってみるよっ!''って感じで稽古をしました(笑)。良いチャレンジでしたね。すごい驚きだったけど、楽しく踊れたし、うまくいったと思っています。このパ・ド・ドゥで多くを学ぶこともできました。

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「パリの炎」
Photo Svetlana Loboff / Opéra national de Paris
(この写真のパートナーはイネス・マッキントッシュ)

Q:7月に観客を入れての「若きダンサーたち」は怪我で降板することになったのですね。

A:初日の前日に『パリの炎』のリハーサル中に怪我をしてしまったんです。それで今度はジェレミー=ルー・ケールが僕のかわりに前日に踊ることになって・・・3月の僕の立場に彼がなったわけでけど、彼、素晴らしかったですね。怪我をした当日は、ああなんてことだ!と思い、またパートナーのセリア(・ドゥルーイ)のことを思いました。3月はジョルジオから僕、そして今度は僕からジェレミー=ルーと、初日の前に新たなパートナーと最初からやり直す、というのは彼女はさぞ大変だったでしょう。

Q:コンテンポラリー作品よりクラシックが好みですか。

A:両方好きですよ。というのもパリ・オペラ座に来る前にいたライプツィヒ・バレエ団は、どちらかというとコンテンポラリーのカンパニーだったんです。だから、どちらも好き。パリ・オペラ座の良い点は、クリスタル・パイト、イリ・キリアンなども踊れば、『ライモンダ』や『ジゼル』といったクラシックもあってと両方が踊れることです。これって信じられないほど素晴らしいことです。

Q:ローザンヌ国際バレエコンクールで2012年に入賞していますね。ハンブルク・バレエ団のプリンシパルになった菅井円加さんと同じ参加年ですか。

A:そうです。よく覚えています。とりわけ彼女のジャンプ! ワァオーでしたね。まるで男性ダンサーなみで・・・。それに『ライモンダ』のスロー・ヴァリエーションも彼女、見事でした。とっても綺麗でした。

Q:ローザンヌのコンクールにはオーストラリアから参加したのですか。

A:いいえ。チューリッヒにあるスイス国立Tanz Akademie(ダンス・アカデミー)で学んでいる時でした。この学校を選んだのは、学校の授業だけでなく、チューリッヒでの住まいも含めて総てのスカラーシップを得たからなんです。それに校長のオリヴァー・マッツの評判がとってもよかったので。彼の指導はすごく厳しいので知られていて、でも、だからいいのだ!と薦められたんですね。とても多くを学べます。毎朝、3時間のクラシック・バレエの指導がありました。

Q:クラシックのダンサーを目指していたのに、なぜコンテンポラリーのライプツィヒ・バレエ団に行くことになったのでしょうか。

A:プロになるために、ヨーロッパのあちこちの都市にオーディションを受けにゆく余裕がない、という経済的な理由からなんです。ライプツィヒが最初に受けたオーディションで、すぐに契約がもらえました。
チューリッヒ・バレエ団のオーディションは受けたものの、来年なら君には何か提案できると思うという返答だったので。それでライプツィヒ・バレエ団との契約にサインしたんです。でも、これはよい決定をしたと思っています。なぜって多くのことを学べましたから。とても小さなカンパニーなので、入団してすぐにステージで踊る機会がたくさんあって、経験を積むことができました。といっても長くここに残ってるつもりはなく、あちらこちらのカンパニーのオーディションを受け続けていたんです。

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Photo Julien Benhamou/Opéra national de Paris

Q:いつ、どこでダンスを習い始めたのですか。

A:故郷のオーストラリアで4〜5歳のときに、姉が習っていたので、僕も同じことをしたいって始めました。小さかったから本格的にというのではなかったけれど。それに母がクラシック・バレエのプロのダンサーだったんですよ。ギリシャのアテネのカンパニーで踊っていました。だから家の中にはいつもダンスの雰囲気があったんです。僕はエネルギーがあふれている子供だったので、ダンスを僕が習うのは良いことでした。それに、両親にとっても(笑)。父は建築家でダンスには無縁です。でも、よくサポートしてくれています。僕も建築には興味があって、パリはその点素晴らしいですよね。

Q:ダンスを職業にしたいと思ったのはいつ頃ですか。

A:ぼくはオーストラリア国立バレエ学校で学んでいて、オニール 八菜と同じクラスだったんですよ。この学校で16歳まで4年間学んでいて、その間にプロのダンサーになろうという気持ちが強くなっていきました。2009年のパリ・オペラ座のオーストラリア・ツアーはブリスベンで、僕はメルボルンにいたので公演は見る機会がなかったけれど、パリ・オペラ座のバレエはもっぱらyoutubeで見ていました。マニュエル・ルグリの『眠れる森の美女』やジョゼ・マルチネーズの『エスメラルダ』のヴァリエーション、そしてマチュー・ガニオ、マチアス・エイマンたちの映像をたくさん見ていて、その美しさに心を奪われていました。でも、自分がパリ・オペラ座に入る、というのは不可能なことだと思っていたんです。それに周囲でも、君はフランス人じゃないから無理だよ、みたいに言うので・・・。ライプツィヒで踊っているときに、パリ・オペラ座の外部入団コンクールのアナウンスを知ったのです。

Q:2015年に初めてパリ・オペラ座の外部入団コンクールを試していますね。

A:そう、これはダメでした。2度目の2016年のコンクールで、年末公演の『白鳥の湖』のために2ヶ月の契約がパリ・オペラ座から提案されました。コール・ド・バレエの代理だったけれど、最終的に舞台で踊る機会に恵まれました。ストレスはすごかったけれど、このチャンスを活かさなければって。この契約のおかげて朝のクラスレッスンに参加でき、他のダンサーを見ることができて、ダンサーとして大きく成長できる期間となりました。2017年の時は結果が3位。1年の契約がもらえて、このシーズン中、『ドン・キホーテ』、サシャ•ヴァルツの『ロメオとジュリエット』など代理だったけれど舞台で踊る幸運に恵まれました。

Q:2018年、外部入団コンクールの4度目の挑戦で正式に入団します。

A:そうなんです。そのとき僕は25歳になっていて、年齢的に入団コンクールを受けられる最後のチャンスだったんです。だから、ひどいストレスがありました。結果を知ったときは涙が溢れてしまって・・・というのは、もしここで受からなければオーストラリアに戻って、ダンスは続けるにしても、どこで、どのように・・・と、その先どうしてゆくかわからないという状態だったので。

Q:2017年に臨時団員だったので、2018年9月から正式団員となり、11月のコンクールに参加できたのですね。

A:はい。課題曲が『パキータ』で、自由曲には『ナポリ』を選びました。自分ではけっこう良いパフォーマンスができたとは思ったけれど昇級できなくって、当然ながらちょっとがっかりしました。でも入団したてだし、コンクールの審査はその当日の結果だけではないので、そういうものだろうって・・・。コンクールというのは誰にとっても大変な瞬間です。ダンサーとして成長するための自分自身のチャレンジというつもりで踊りました。それにソロを見せる機会でもあるので、テクニックだけではなく人物像もつくりあげて、と準備万端で臨みました。コリフェは2席あって、この時コリフェに上がったのはルイ・ドゥ・ブスロール(コリフェ)とアンドレア・サーリ(注:今年ニコラウスとともにスジェに昇級)です。

Q:『ナポリ』を選んだのはなぜですか。

A:クラシックな作品を選ぶといい、って周囲からアドヴァイスされて探し始めたんですが、あ、これはしたくない、これもしたくない、あ、これも・・・というように消去法で『ナポリ』に。過去に踊ったことのない作品を踊りたいと思って探す中で、ヨハン・コボーのビデオをみてとても心を打たれて。コンクールに向けて1ヶ月この作品に向かい合えるのだから、ぜひ、これを踊ってみようという気にさせられたんです。

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2021年コンクール
Photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

Q:では昇級できなくてもそれだけで満足できたのですね。

A:そうです。そして翌年2019年11月のコンクールでカドリーユからコリフェに上がりました。自由曲は『Dances at a Gathering 』のブラウンボーイで、これは一度は踊ってみたいと夢見ていたものなんです。マチュー・ガニオのビデオをみて稽古したんですが、この時のコンクールでは他にもこれを自由曲に選んだ3人が昇級したんですよ。おかしいですよね。トマ・ドキールがコリフェからスジェに、パブロ・ルガザがスジェからプルミエに上がっています。

Q:今年4月に開催されたコンクールで、コリフェからスジェに上がりました。

A:はい。課題曲が『海賊』で、これにはビックリしました。オペラ座のレパートリーといっても、長いこと踊られていないものだったので。僕、それまでに一度もこれは踊ったことがなく、すごく男性的な踊りなので良いチャレンジとなりました。どんな人物を作ろうかと自分なりに考えました。自由曲にはルグリの『ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ』を選びました。これ、あまり長くないけれどソーやピルエットなどテクニックがふんだんに盛り込まれていて、強烈なものでしたけど楽しめました。次のコンクールはもし11月だとすると、果たして僕は足の怪我から回復してるかどうか・・・でも、期待しています。

Q:2015年からオペラ座を目指し、正式入団が2018年。2021年にスジェに昇級するまで、長くかかったと感じてますか。

A:いえ、スピーディーに進んだと感じます。というのも、ある時、ああ僕はずっとカドリーユのままに違いないって思ってしまったことがあって。だったら、僕は自分ができる最善を尽くして踊ってゆこう、と・・・そんな時期もありました。

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2021年コンクール
Photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

Q:フレンチ・スタイルの体得に努力をしましたか。

A:オーストラリアではワガノワ・メソッドなのでロシアですね。チューリッヒの学校はロシアとドイツのスタイルのミックスだったんです。習ったのは違うけれどフレンチ・スタイルは好きで、自分に合うと思っています。朝のクラスレッスンなどで、ダンサーや教師のすることをすごく観察しました。吸収できるすべてを吸収しようと努めました。

Q:いずれはエトワールになりたいという夢も持って、オペラ座の入団試験を受けましたか。

A:時には思います、いつかなれたらって。でも夢と現実には大きな違いがあります。僕の一番の願いはステージで踊れること。上に上がらなければソリストとして踊る機会に恵まれないのだから、確かにランクも大切だけれど、エトワールというのは目標ではないです。カドリーユとして踊るのも良いパートナーに恵まれ、雰囲気がよければうれしいです。喜びがある。またソリストとして踊るのは自分自身をこめることができて、カドリーユとは違う仕事なのでこれも興味あることです。

Q:オペラ座でいつか絶対に踊りたいと思う作品は何でしょうか。

A:たくさんあって難しいですね。若いときは絶対にジークフリードを踊りたいって思っていたし、今は『白鳥の湖』のロットバルトに興味が湧いていて・・・。ドラマチックな『オネーギン』も踊ってみたいし、『Dances at a Gathering』のブラウンボーイなどもといろいろです。

Q:怪我がなければ、シーズン2021-22の開幕作品『プレイ』でステージに立てたのですね。

A:そうです。この作品が初めて踊られた2017年の12月、僕は臨時団員でガルニエの『プレイ』ではなく、バスチーユの『ドン・キホーテ』に代理で入っていました。当時『プレイ』についてはダンサーたちが話すことをいろいろと耳にしたけれど、クラシックのイメージの強いオペラ座でこうした新しいタイプの作品が踊られるのはいいことだと思います。

Q:今シーズンのプログラムではどんな作品に興味がありますか。

A:シャロン・エイアルの創作する『牧神の午後』が楽しみですね。彼女の作品、好きです。12月の公演に向けて、創作が始まっています。この作品、それにアシュトンの『ラプソディー』とニジンスキーの『春の祭典』で構成された『ロシアの夕べ』、『ラ・バヤデール』、『ドン・キホーテ』、『ジゼル』・・。『ジゼル』では収穫のパ・ド・ドゥが踊れたらうれしいです。7月7日に怪我をしてから週に二回リハビリを続けていて、9月21日まで仕事は再開できないんです。夏のバカンス中もパリに残って・・・。でも、僕はパリが好きですから悲しいことではなかった。こんなポジティブでいようと心がけています。

Q:では長いことオーストラリアに帰ってないのですね。

A:最後に帰ったのは、昨年の最初の外出制限期間中でした。今もし行くと、2週間の自主隔離あるので、怪我もあるし、それでこの夏はパリに残ることにしたわけです。

Q:以前ビアンカ・スクダモアがオーストラリアの懐かしい味としてVEGEMITE(ヴェジマイト)を挙げましたが、これが恋しいということはありますか。

A:はい(笑)。でも、オペラ座の斜め向かいのギャラリー・ラファイエット・グルメでみつけたんです。オーストラリアの品を扱うコーナーがあって、少し高いけれどここで買います。子供時代から親しんでいる味なので僕は美味しいと思うのだけど、周囲に勧めると誰にも受けないんです。ペーストだけど甘くなくて塩味だから特殊な味なんでしょうね。

Q:日本に行ったことはありますか。

A:去年の日本ツアーには参加していないんです。友だちがいるので行きたいですね。K バレエカンパニーの高橋裕哉、それからHARU!!二山治雄も確か日本にいるはずです。彼のダンス、信じられない素晴らしさです。彼ほどのダンサー、他には知りません!

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