アバニャートが"ローラン・プティへのオマージュ"公演でパリ・オペラ座にアデュー

ワールドレポート/パリ

三光 洋 Text by Hiroshi Sanko

Ballet de l'Opéra national de Paris  パリ・オペラ座バレエ団

Hommage à Roland Petit ローラン・プティへのオマージュ
« Le Rendez-vous » « Carmen » « Le Jeune Homme et la Mort » & Les Adieux d'Eleonora Abbagnato
『ランデヴー』『カルメン』『若者と死』 エレオノーラ・アバニャートのさよなら公演

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バニャート、ブリヨン、デュムーサール(指揮者)
© Opéra national de Paris/ Yonathan Kellerman

ロック・ダウンが段階的に解除される中で、パリ・オペラ座バレエ団も6月2日からガルニエ宮で行われた「ローラン・プティへのオマージュ」を皮切りに、観客を迎えて公演を再開した。同シリーズは7月7日まで行われるが、6月11日にはエレオノーラ・アバニャートが『ランデヴー』と『若者と死』のヒロインを踊ってオペラ座の舞台に別れを告げた。同じ配役の6月10日の公演を見ることができた。
なお、アバニャートのアデュー公演は当初、2019年12月23日に予定されていたが、年金改革反対のオペラ座ダンサーたちのストで延期され、さらに2020年春からの新型コロナ禍により二度先送りされていた。

6月10日に踊った『ランデヴー』と『若者と死』はアバニャートが19歳から踊り続けてきた作品だ。
第2次大戦終戦直後の1945年6月15日にパリのサラ・ベルナール劇場(現在のパリ市立劇場)で初演された『ランデヴー』(初演は青年をローラン・プティ、世界一の美女をマリナ・ド・ベルクが踊った)には古き良きパリの香りが濃厚に漂っている。それもそのはずで、この作品はパリの胃袋と呼ばれたレ・アール食品市場の近くでプティの父親が経営していたビストロ「マッシフ・サントラル」(中央山塊)で交わされた、詩人ジャック・プレヴェールとローラン・プティとの対話から生まれた。
プレヴェールはいっしょに映画を作っていた仲間をプティに紹介し、写真家ブラッサイによる装置、マヨの衣装、ジョゼフ・コスマの音楽という実にぜいたくな布陣が揃った。そしてプティがすでに『ゲルニカ』に触発されて作ったバレエ作品の衣装を依頼したことがあった、パブロ・ピカソのアトリエに出かけて、舞台幕を依頼している。

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アバニャート、ガニオ© Opéra national de Paris/ Ann Ray

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アバニャート、ガニオ© Opéra national de Paris/ Ann Ray

1992年に作品がオペラ座バレエ団のレパートリーに入った時には、カデル・ベラルビが踊った青年役(世界一の美女はマリー=クロード・ピエトラガラ)は、今回の舞台ではしばらくオペラ座の舞台に出ていなかったマチュー・ガニオだった。占いのチラシで死を予告され、一見したところくったくのなさそうで、内心の不安を隠しきれない青年の心情が目線や表情のちょっとした陰りに滲んでいた。夜遊びに興じる人々が行き交うビストロの前で、青年につきまとう怪しい男をユゴー・ヴィリオッティがいつもながら巧みに演じ、当時のパリの日常がリアルに現前していた。
第3場になって、ハイヒールに黒タイツ、ゆったりとしたスカートに身を包んだアバニャートがジョセフ・コスマ作曲のフルートとチェロの旋律に乗って、舞台右手から登場すると緊張感が舞台に漂った。この役を十八番にしてきただけに、首筋に人差し指をそれとなく当てるだけでコケティッシュな感じが周囲に放射される。シチリアに照りつける太陽の光を想起させる熱い視線には、青年ならずとも誘惑されずにはいられない。ガニオとの濃厚なパ・ド・ドゥが続くうちに、いつの間にか美女の手は若者のポケットをまさぐり、カミソリで喉を一気に切り裂かれた若者は地面に崩れ落ちた。運命から遣わされた世界一の美女にはアバニャートの妖艶さが結晶していた。

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ガニオ、ヴィリオッティ© Opéra national de Paris/ Ann Ray

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ルナヴァン、ガニオ© Opéra national de Paris/ Ann Ray

2作品目の『カルメン』は、ジジ・ジャンメールがプティにせがんで主役を踊った作品。初演のドン・ホセはプティ自身。オペラなら休憩を入れて3時間半かかるのだが、ローラン・プティは40分の身体によるドラマにすべてを凝縮している。ビゼーの音楽のエネルギーを上手く使って、身体によるドラマが形作られている。
今回のカルメン役は、アルゼンチン出身のリュドミラ・パリエロが演じた。コール・ド・バレエが踊るシーンにも熱気が感じられたが、何と言ってもハイライトはカルメンとホセの二つのパ・ド・ドゥだろう。
まず第3場の寝室のパ・ド・ドゥは、第2場のリリャス・パスティアの居酒屋の群衆シーンと対照的に、ドン・ホセとカルメンの二人のインティメートな場面だ。陰りのある視線を漂わす表情のオードリック・ブザールのドン・ホセを前に、パリエロは決然とした野性的なカルメンをドラマティックに演じた。
そして第5場、闘牛場裏での二人の最後の対決は、カルメンの黒いヴェールを剥ぎ取った後、ビゼーの音楽がストップして、ドラムがリズムを刻むだけになる。二人の身体だけが向き合い、視線がぶつかり合うパ・ド・ドゥの迫力は、ドラマの感覚に長けたパリエロとブザールの組み合わせによって頂点に達した。アバニャートが去った後、オペラ座の女性ダンサーでは緻密な演技、テクニックとドラマティックな感覚が一体となった表現を作れるパリエロが、その最右翼にいるように思えた。

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パリエロ © Opéra national de Paris/ Ann Ray

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パリエロ、ブザール © Opéra national de Paris/ Ann Ray

最後の演目は、1946年6月25日にシャンゼリゼ歌劇場でプティが主宰していたシャンゼリゼ・バレエ団によって初演された『若者と死』だった。初演の若者はジャン・バビレ、死はナタリー・フィリッパールだった。オペラ座には1990年4月5日にカデル・ベラルビの若者、マリー=クロード・ピエトラガラの死でレパートリー入りしている。
バッハの『パッサカリア』が流れるわずか17分の間に、「愛と死」という永遠のテーマが秒刻みで展開する。
黄色のワンピースに黒手袋の衣装をまとったアバニャートは残酷そのものの冷ややかな視線で、ステファン・ブリヨンが演じた画家の若者がどんなに懇願し、秘められた怒りを爆発させようが、平然と嘲弄し、翻弄して自殺へと追いやった。天井が引き上げられて、二人が屋根を超えて夜の闇に駆け去って幕が下りた。

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アバニャート、ブリヨン © Opéra national de Paris/ Ann Ray

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エイマン © Opéra national de Paris/ Ann Ray

ガルニエ宮で14歳から42歳まで30年近い年月を過ごしたアバニャートは、11歳で自分の才能を見抜き、オペラ座の頂点まで導いたローラン・プティの作品を踊って、エトワールとしてのキャリアに幕を下ろした。今後は2015年から務めているローマ歌劇場バレエ団の芸術監督の仕事をバンジャマン・ペッシュの助けを借りて継続し、イタリアの若手ダンサーの育成に専心することになる。
6月11日のアデュー公演には共演者に加えて、エルヴェ・モロー、イザベル・ゲラン、バンジャマン・ペッシュ、カール・パケットらのかつてのパートナーたち、長年の師クロード・ベッシー、振付家のピエール・ラコット、ギレーヌ・テスマー、さらにイタリアからの両親(父のエリオと母のピエラ)、元プロ・サッカー選手の夫フェデリコ・バルザレッティと四人の子供(ルクレツィア、ジネヴラ、ジュ―リア、ガブリエル)も登壇した。(「ダンス・アヴェック・ラ・プリュム誌」クロ―ディーヌ・コロッツィ)

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アバニャート © Opéra national de Paris/ Ann Ray

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ジルベール © Opéra national de Paris/ Ann Ray

アバニャートは1978年6月30日に地中海のシチリア島の中心都市パレルモで生を受けた。モード会社の経営とサッカー業界で活躍していた父親のエリオは、家族を連れて週末ごとにサッカーの試合に出かけていた。そしてたまたま母親が経営していた衣料品店の入った建物に、母の友人が教える小さなバレエ学校があり、アバニャートは二歳半からそこに預けられ、レッスンを見ながら時間を過ごしていた。このことが少女エレオノーラのダンスへの出発点となった。
自分も踊りたくなって四歳からレッスンを受け始めた。ここの教師は、それまでにパレルモ歌劇場バレエ団に入団したダンサーを何人も育てていたが、アバニャートにはエカテリーナ・マクシーモワを始めとする国際的なダンサーによる研修に参加することを薦めた。また、彼女がイタリアのバレエコンクールで入賞するようになると、先生と母親が話し合って、マルセイユ・バレエ団のバレエ学校に出かけ、そこでローラン・プティと知り合った。
そしてモンテカルロのグレース王妃アカデミーでマリカ・べソブラソワに師事し、1991年から一年間カンヌの高等バレエ学校でロゼラ・ハイタワーの指導を受けた。さらにヴェネツィアで開かれた研修でクロード・ベッシーとセルジュ・ゴロビンに出会い、13歳半でパリ・オペラ座バレエ学校へと導かれた。クロード・ベッシーは母親のように、当時はただ一人のイタリア人だったアバニャートを目にかけてくれた。外国人でありオペラ座生え抜きでもあるダンサーは、例外的な存在で異彩を放っていたことだろう。1996年のオペラ座バレエ学校公演でセルジュ・リファール振付『騎士と令嬢』のヒロインを踊った映像が残っているが、柔軟な肢体を活かした華やぎのある踊りからは、すでに後年の輝きの片鱗が感じられる。

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アデュー © Opéra national de Paris/ Yonathan Kellerman

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アデュー © Opéra national de Paris/ Yonathan Kellerman

1996年にパリ・オペラ座バレ団に入団し、コール・ド・バレエとしての期間は短く、2001年にはプルミエール・ダンスーズに昇進している。早くからソリストとして起用されたおかげで、ヴェロニック・ドワノー、ルドルフ・ヌレエフといった上の世代からも多くを学んだ。その後、一年間サバティカル・イヤーを取って、演劇と映画を学んだが、バレエの舞台への想いは強く、すぐ復帰している。しかし、短かい期間だったものの別の芸術分野に触れたことによって、視野が広がったのみならず、以前ほどプレッシャーを感じないでソロの役に取り組めるようになった。ローラン・プティから紹介されたレイモン・フランケッティという人間的にもバレエ教師としても優れた人物から指導を受けたことによって、演技に幅ができた。またアバニャートから目を離すことのなかったクロード・ベッシーはフランス流のテクニックだけでなく、ダンサーに欠かせない強靭さ、演技における自由を徹底的に教え込み、自分に対する自信を植え付けてくれた。ベッシーは今日でも彼女の身近な存在で、新たなバレエ・プロジェクトへの助言を惜しまないという。
オペラ座で出会った振付家で最も印象に残っているのはピナ・バウシュだ。初めてピナがやって来ると、パトリック・デュポン、マリー=クロード・ピエトラガラ、イザベル・ゲランといった人気ダンサーたちがこぞって指導を受けようと集まってきた。ピナが教えたのは、ダンサーの一人一人がグループの一員だと感じ、パートナーたちの個性とエネルギーを受け入れることだった。そしてオペラ座のダンサーたちが忘れていた呼吸、ムーブメントというダンスの基本に立ち返ることで新しい視線からダンスを見る目を開いてくれた。現在、アバニャートが芸術監督を務めているローマ歌劇場バレエ団のレパートリーには、すでにローラン・プティとウイリアム・フォーサイスを取り入れているが、ピナ・バウシュの作品はどうしても上演したいと考えている。今までに踊った役の中で最も印象に残っているのがピナの『春の祭典』だからだ。
2017年に『春の祭典』の生贄役を踊った時、「もうこれを最後に舞台に立たなくてもいい」と思った。生贄役だけでなく、この作品の持つ破格のエネルギーは踊っていてダンサー冥利に尽きるという。ピナ・バウシュと言えば、古代から現代まで、フェニキア、ギリシャ、ローマ、オスマントルコ、ノルマン、スペイン、イタリア、フランスという欧州と地中海圏の異なる文明が足跡を残したアバニャートの故郷パレルモの街に惹かれ『パレルモ、パレルモ』という作品を残していることも思い出される。

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© Opéra national de Paris/ Yonathan Kellerman

アデュー公演が「ローラン・プティへのオマージュ」となったが、2013年3月27日のエトワール昇級もプティの『カルメン』だった。娘が42度の高熱を出し、ベビーシッターに任せてきたので、一刻も早く家に戻りたいと思っていたら、ブリジット・ルフェーブル・バレエ監督(当時)が舞台に出て来た。意味が分からずにドン・ホセ役のニコラ・ル・リッシュに「一体何が起こったの」と聞いた。そして故ニコラ・ジョエル総監督から昇級が告げられた時、脳裏に浮かんだのはすでにこの世の人ではなかったローラン・プティのことだった(2011年7月11日逝去)。生前、アバニャートのカルメンを袖から見ていたプティは「彼女をエトワールに任命しなきゃだめだ」と繰り返していたのだった。プルミエール・ダンスーズの期間が2001年から2013年と極端に長かったため、一時はエトワール昇級を諦め、イタリアで映画に出演していたこともあった。
アバニャートは未だ11歳でモンテカルロのマリカ・べソブラソワの下で学んでいた時に、プティがジジ・ジャンメールのために振付けた『眠れる森の美女』の子役としてバレエ団といっしょに一年間巡業している。グレース王妃アカデミーの教師マリカ・べソブラソワから引き止められたが、「一番大事なのは、もう舞台に出ることなの」という言葉を残して、彼女はプロのダンサーへの道を歩み出して行ったのである。
(2021年6月10日 ガルニエ宮)

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『カルメン』パリエロ、ブザール
© Opéra national de Paris/ Ann Ray

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『カルメン』アルビッソン、ブリヨン
© Opéra national de Paris/ Ann Ray

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『若者と死』ジルベール、エイマン
© Opéra national de Paris/ Ann Ray

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『若者と死』エケ、マルシャン
© Opéra national de Paris/ Ann Ray

『ランデヴー』(1992年3月11日 レパートリー入り)
振付 ローラン・プティ
台本 ジャック・プレヴェール
オリジナル音楽 ジョセフ・コスマ
舞台幕 パブロ・ピカソ
装置 ブラッサイ
衣装 マヨ
照明 ジャン=ミッシェル・デジレ
配役
世界一の美女 エレオノーラ・アバニャート
若者 マチュー・ガニオ
運命 オーレリアン・ウエット
背が曲がった男 ユゴー・ヴィリオッティ
花売り娘 エロイーズ・ジョックヴィル
娘 ブルーエン・バッティストーニ、ニーヌ・セロピアン
歌手 ウラディミール・カプシュック
アコーデオン奏者 アントニー・ミレ


『カルメン』(1990年4月5日 レパートリー入り)
振付 ローラン・プティ
原作 プロスペル・メリメ
音楽 ジョルジュ・ビゼー
編曲 トミー・ドゥセール
装置・衣装 アントニー・クラヴェ
照明 ジャン=ミッシェル・デジレ
配役 
カルメン リュドミラ・パリエロ
ドン・ジョゼ(ドン・ホセ) オードリック・ブザール
エスカミーリョ フロラン・メラック
山賊の頭目 カロリーヌ・ロベール、ジョルジオ・フーレス
副頭目 チュン=ウイン・ラム
喧嘩屋 ポーリーヌ・ヴェルデュゼン 他

『若者と死』(1990年4月5日 レパートリー入り)
振付 ローラン・プティ
音楽 ヨハン=セバスチャン・バッハ「パッサカリア BWV 582」
台本 ジャン・コクトー
装置 ジョルジュ・ヴァケヴィッチ
衣装 バーバラ・カリンカ
照明 ジャン=ミッシェル・デジレ
配役
若者 ステファン・ブリヨン
死 エレオノーラ・アバニャート
演奏 ピエール・デュムサール指揮 パドルー管弦楽団

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