オペラ座ダンサー・インタビュー:マチアス・エイマン

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Mathias Heymann マチアス・エイマン(エトワール)

新型コロナウィルス感染拡大防止のための措置として、フランスでは昨年11月から閉鎖されていた劇場、映画館、美術館。5月19日の再開決定が発表され、オペラ・ガルニエでは5月30日から『ローラン・プティへのオマージュ』、オペラ・バスチーユでは6月9日から『ロメオとジュリエット』の公演が開催される見通しである。両方の公演に配役されているマチアス・エイマンに、近況を語ってもらおう。

パリ・オペラ座が始めたデジタル・プラットフォームOpéra chez Soi(オペラ・シェ・ソワ)で第一弾のバレエ作品だった『ラ・バヤデール』は全3幕の作品が3人の配役で踊られ、マチアスのソロール役は第三幕だけ。無料配信された1月27日のガラ公演は彼が配役されていた『エチュード』がプログラムから外れたため、彼の活躍は見られず。3月上旬に無観客の劇場で踊られた『ノートル・ダム・ド・パリ』で彼はフロロ役を踊ったが、この映像がいつ放映されるのかはいまのところ未定。彼にとっても、彼のファンにとってもフラストレーションを掻き立てる状況が長く続いている中で、この劇場再開の発表はとても明るい話題なのだ。パリの舞台で踊ることだけでなく、彼はこの夏に開催予定の世界バレエフェスティバルで訪日することへも心を逸らせている。

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『牧神の午後』Photo Agathe Poupouney/ Opéra national de Paris

Q:あなたにとって世界バレエフェスティバルはどのような意味がありますか。

A:これについては、まず特別に語りたいことがあります。僕のダンサー経歴において、佐々木忠次氏の存在はとても重要なんです。まだエトワールにもなっていない時期に、東京バレエ団の公演「ニジンスキーの伝説/ニジンスキー・プロ」のゲストに彼が招いてくれました。ローラン・イレールやシャルル・ジュドも一緒で、僕は『薔薇の精』を踊ったんです。佐々木氏が僕に好感をもってくれたのでしょう。フェスティバルはそのメンバーの一人に選ばれるだけで、すでに幸運なこと。ダンサーの誰もが、フェスティバルはダンスの世界の最上層が集うというイメージで見ています。初めて参加したとき、クオリティの高い、著名なダンサーたちに自分が囲まれている状況に感嘆したことを覚えています。日本の観客の期待も大きく、それだけに要求されることは高く・・・強い感動を経験しました。今回は3度目。フェスティバルに再度参加できるのが、待ち遠しいです。

Q:今年は特別な状況下での開催です。

A:世界的に芸術が難しい時期を僕たちダンサーは過ごしています。この間まで劇場再開についての情報が全くなかったので、やっと舞台に戻れるのは8月のフェスティバルだろう!と希望を持って仲間たちと話していたんですよ。今回のフェスティバルは特別なものとなることは間違いないですね。

Q:フェスティバルの大きな思い出は何でしょうか。

A:3年前の、アンナ・ラウデールとエドウィン・レヴァツォフの『椿姫』が強く記憶に刻まれています。彼らとは舞台外でも話す機会があって・・・素晴らしいダンサーたちですね。その前の回ではマニュエル・ルグリ、アレッサンドラ・フェリの舞台も袖から見ていて、心を打たれました。他にも素晴らしい舞台をたくさん! これなんですね、フェスティバルは。参加者全員が同じ1つの目的を目指し、互いの間に数え切れない分かち合いがあって・・・素晴らしい雰囲気で、とても貴重な時間がすごせます。

Q:フェスティバルでは、舞台裏で他のダンサーが踊るのをいつも見ているのですか。

A:そうなんです。いつ自分がプログラムされているかによるけど、自分の踊りが終わった後はいつも見ています。それにリハーサルの間も。他のダンサーを見たいんですね。毎回、これはすごい特権だと感じています。もともと僕は観察好きなんです。今オペラ座では階級ごとにクラスレッスンが行われていて、コール・ド・バレエのダンサーたちと一緒にできず、彼らと話す機会もないんです。これは衛生上仕方がないのだけど、ダンスというのは夢を与えるだけでなく、ヒューマンな行為なので、このように人間同士のコンタクトが限られているのはとっても残念。

Q:観客だけでなく、ダンサーたちとの出会いもフェスティバルの楽しみなのですね。

A:そう両方です。毎回、ダンサーの誰が参加するのだろうということをすぐにチェックします。同じ世代のダニール・シムキンとは知り合ってかなりな年月がたっていますが、それほど出会える機会がない。こうしてフェスティバルで再会できるのはとても大きな喜びです。デヴィッド・ホールバーグもそう。気の合うダンサー仲間たちとの出会いは、観客との出会いと同じくらい嬉しいんです。今回の再会はいつも以上の喜びでしょう。語り合うことも多いはず。できることなら、ビッグ・ハグをしたいですね。僕は日本の観客へのリスペクトがあります。彼らを前に踊るのも、今から待ち遠しい。フランスの次に馴染みのある国が日本です。旅の時間は長いし、遊びで行くのではないけれど、毎回日本に行くのは喜びなんですよ。到着するや、すぐに快適感が得られる国。フランスを出るとき、いつも冗談で ''さあ、アジアの小さな僕の家に行ってくるよ'' と言っています。

Q:今回のパートナーはオニール 八菜。

A:はい。前回はミリアム・ウルド=ブラームと一緒でしたけど、この夏はオニール 八菜と踊ります。彼女とはオペラ座ですでに一緒に踊っていて、最初に組んだのは『パキータ』でした。実際に公演はなかったけれど、『アザー・ダンシーズ』の稽古も一緒にしたし、ガラでも何度か二人で踊っています。僕、彼女の溢れ出るエネルギーがとても好きなのです。

Q:『パキータ』であなたと一緒に踊る彼女に、かつてマチルド・フルステが放ったのと同じエネルギーを感じた記憶があります。

A:正に!僕が今いいたかったことが、それです。彼女と初めて組んだときに、そう感じました。刺激的で、元気付けてくれる視線という点でも同じなんです。僕は八菜の年齢を知らないけれど、ダンサーのキャリアにおいて成長していることが感じられます。今の彼女、大きく開いた花を想像してみるといいでしょう。彼女の母国でもある日本の観客を前に、フェスティバルを彼女と分かち合えたら楽しいだろうと思ったのです。

Q:作品については二人で何を踊りたいと思っていますか。

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『ラ・バヤデール』
Photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

A:先に話したように、稽古をしたのに公演なしで終わってしまったので、『アザー・ダンシーズ』を踊れることになったら、とても嬉しいでしょう。また、以前から再び踊る機会があればと僕が願ってるのは、『海賊』なんです。

Q:これはオペラ座のレパートリーですか。

A:僕が踊ったのはオペラ座ではなくアメリカでのこと。バンジャマン・ミルピエ芸術監督の時代に行われた芸術交換で、幸運なことにABTで『海賊』を踊る機会があったのです。このときは奴隷のアリではなくコンラッド役だったけれど、アリは随分前にマニュエル・ルグリのグループのガラで踊っています。まだとても若いときでした。とても素晴らしく、クラシックのパ・ド・ドゥとして、小さいときから僕の頭に刻み込まれています。この作品、僕たちの関係性、身体的に良いアイディアではないかって思っています。

Q:テクニックのキャパシティを含め、自分が持てるものを見せられる演目であることを選びたい。

A:そうです。踊り子に魅惑された奴隷・・・センシュアルな振付も含まれたこのパ・ド・ドゥは、まさに華麗なテクニックを披露する作品でしょう。ヌレエフが踊ったビデオを鮮明に覚えています。とても美しく、まさに彼の天賦の才能をみることができます。これに取り組んでみたい、と思うのです。

Q:5月19日の劇場再開について、どのように受け止めましたか。

A:ちょっと複雑な気持ちです。というのも、僕、再開は期待できないことだと思い込んでいたので。海外ではイヴェント再開の可能性を探るコンサートなどでテストなど行ってるのに対し、フランスは何もしていない。ああ、残念だなと思っていたところ、突然、再開が具体的になって。正直なところ、あっ!っと思ったんです。ちょっとしたストレスを感じました。これまで、劇場再開に備えて公演ができるようにという方針に沿って仕事をしてきました。でも、結局再開されることがなく常に失望に終わっていて・・・。僕は『ラ・バヤデール』『ノートル・ダム・ド・パリ』の映像化のための無観客公演があっただけでも幸運だ、と慰めていました。長いこと再開への期待を遠ざけていたんですね。いざこうして具体的に日程がでたら、今度は観客の前で踊ることを全うするための一種のメンテナンスが要求されるので、ああ!!といった、''節度のある''パニックという感じ。再開のニュースには興奮したものの、その一方で、さあ、もうふざけてる場合じゃないぞ、という思いの両方があります。舞台の初日は、きっとストレスを感じるでしょうね。

Q:オペラ座のサイトのビデオ「エトワールの経歴」によると、映画『ホワイトナイツ』を見てクラシック・バレエを踊りたいという気持ちが起きたそうですね。

A:そうです。小さいときに見たのだけど、これはちょっとした衝撃でした。それは映画というだけでなく出演しているバリシニコフという人物にも結びついていると思います。彼がこの映画の中で放つオーラ! とても強くて、心を掴まれたという表現以外、思い浮かびません。この映画によってクラシック・バレエへの欲をかきたてられ、ダンスの人生に自分の将来を投影するというアイディアが生まれました。

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『ラ・バヤデール』
Photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

Q:ダンサーを職業として考えたということですか。

A:そうです。8〜9歳くらいだったかな。それ以前にもクラシック・バレエについて少しは知識があったけれど・・。ミハイル・バリシニコフをこの映画で発見し、それを両親に話し、両親が彼らの友人に話して、彼がロシア人だけど亡命先のアメリカでダンサーとして仕事をしているといったことを知りました。僕だけでなく両親も、僕の未来がこの仕事にあるとそこで気づいたんです。

Q:劇場再開後、この映画の中で踊られるローラン・プティの『若者と死』を初役で踊るのですね。

A:はい。例えば『ボレロ』とか、踊ってみたいと夢見ても特殊な作品だから、自分が踊ることはないだろうと思う作品があります。『若者と死』もそうした作品の1つでした。あらゆる男性ダンサーが踊ってみたいと夢見る作品だと思うけれど、僕はこの役に自分を見出してはいなかったんです。オーディションがあり、その後でこう思いました。独特で、これまで自分ができたことと全く正反対。だけど、試してごらん、できるようになる方法を考えてみたらどうだ、って。

Q:どういったダンサーをこの作品に結びつけますか。

A:『若者と死』といったら、すぐにジェレミー・ベランガールを思います。どちらかというとドゥミ・キャラクター的ダンサーです。人々が僕に抱くイメージはダンスール・ノーブルです。だから、これにはちょっとばかりぶつかり合うものがある。
踊りたいと夢見ていなかった、というのではないですよ。その反対。到達が難しいゆえに、好奇心を掻き立てられます。クラシックのテクニックを超えたものを探しに行く努力をする必要がある。いま33歳。一人の人間として、ダンスのキャリアにおいて、とても良い時期にこの役を踊れることになったといえます。僕はクラシック・ダンスの大ファンで、ヌレエフ作品を始めオペラ座のレパートリーが好きです。でも、時々この『若者と死』のような作品を踊ることは、僕には役立つことだと考えます。すでに自分が取得していることが乱されるかもしれないけれど、コンフォート・ゾーンから抜け出すのはよいことだと考えています。

Q:技術的に難しい作品ということでしょうか。

A:すごく難しいです。今、こうして椅子に座って普通に話しているように見えるでしょうけど、体の中はもうヘトヘトなんです。これと並行して『ロメオとジュリエット』の稽古も進んでいますからね。こちらはクラシックのマラソンのような作品で、稽古の時間も多く必要でアスリートのような仕事です。『若者と死』は短い中に凝縮され、テーマ的にもとても暴力的な作品です。今日のリハーサルで気づいたのは、単に動きのつながりとしか思っていず、そこに何を込めるのか僕は理解しないままでいたんです。ルイジ・ボニノと仕事をしていて、彼が動きの意図を説明してくれて・・・。この作品が難しいのは、まるで演劇作品のようなので。興味深い仕事だけど、同時に動揺させられます。テーマも難しい。踊るときに正直でありたい、誠実でありたいと努めていますが、この若者の状態に自分を置くのは簡単なことではない。パートナーはドロテ・ジルベールです。視線など、彼女の演技面の仕事には刺激を受けますね。オペラ座には大勢の美しい ''死'' がいるけれど、彼女以上の ''死'' はいません。6月1日が僕たちの初日です。インシャラー!

Q:3月に『ノートル・ダム・ド・パリ』を無観客の劇場で踊っていますね。

A:この作品がぼくの初のローラン・プティ作品だったんですよ。僕がプルミエ・ダンスールかエトワールになりたての頃は、オペラ座では『プルースト、失われた時を求めて』『アルルの女』『カルメン』など彼の作品が定期的に開催されていました。僕は『カルメン』で代役だったことがありますが、当時、プティが選んだダンサーたちが大勢いる時代でした。だから若いダンサーに配役がまわってくることがなかったのかもしれませんね。この『ノートル・ダム・ド・パリ』のフロロ役で、ローラン・プティ・スタイルに初めて出会ったのです。

Q:フロロというダークな役どころも初めてですね 。

A:そう。この配役を知った時、とっても驚きました。昨年オーレリー(・デュポン芸術監督)との面談では、彼女は僕をカジモドに配役していたという記憶があります。彼女、状況をみなおしたのでしょう。フロロという人物に興味を抱いて、過去に誰が踊ったのだろうかと調べたら、マニュやジョゼといった僕と同じようなレパートリーを持つダンサーたちが配役されていました。カジモドも素晴らしい役なのでいつか、と思わないでもないですが、いずれにせよ、このフロロ役は1つの出逢いとなりました。自分を投影したことがなかったこうした悪意に満ちた人物を踊り、喜びが得られるとは思ってもいませんでした。

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『ノートル・ダム・ド・パリ』
Photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:この役に取り組むにあたり、ヴィクトール・ユゴーの原作を読みましたか。

A:はい、本はずっと前に読んだことがあって、このオペラ座の公演のためにカジモドの役のつもりで先に読み始めていたんですよ。以前はしなかったことなのだけど、ある時期から、インスピレーションを得るために掘り下げることをするようになっています。たまたまジョルジオ・フーレス(カドリーユ)とすれ違ったときに、どんな話しの流れだったかは覚えてないけれど、彼のパパがローラン・プティのカンパニーのダンサーだったそうで、ジョルジョからゴシック小説の『マンク』という本について教わったんです。まさにフロロの物語なんだと。早速読んでみました。この本は役作りの上で大きな助けになりましたね。ステップ、振付に頭の中でことばを重ねることができ、おかげでとても仕事が楽になった。正直なところ、役になかなか入り込めず稽古の初期の段階で僕は懐疑的だったんです。それに指導するルイジ・ボニノは彼自身がこの役を踊っていることもあって、とても要求が高い。僕はそれを吸収できずにいて・・・時間がかかっていました。この本は僕にはとても重要な1冊で、おかげでこの人物を踊って喜びが得られるところまで最終的に至りました。僕をずっとコーチしてくれているフローランス・クレールとのやりとりも、助けになりましたね。どのようにと具体的な説明は難しいけれど、こうした新しい役に取り組む過程においては、いろいろと試します。身体的に快適ではないのはよくありません。いろいろ試す中で、あるところで体の緊張が緩むんです。そのときに、あ、この道を進めてみるのがいいのだろう、と思うのです。僕たちには自己批判する面がありがちで、それは非生産的ですね。見ている人を信頼する必要があります。それがいい、と言われたら受け入れるようにしないと・・・フローランスの仕事がこれなんですね。僕の体がこれだ、と感じるときに、彼女もそれをコンファームしてくれて、ではこの方向へ仕事を進めて行きましょう、となるんです。

Q:この作品、かなり身体言語が特殊です。

A:そう、すごく独特です。僕が役に入り込むのに時間がかかったのも、それゆえです。最初、本当にできなかったんですよ。動きのコーディネーションに気持ちが不安定にさせられてしまって・・・。僕たちの仕事はよりパーソナルにすることなのだけど、それは振付を消化してからのことなので、そこに行くまでが簡単ではなかったですね。

Q:両手の5本の指を大きく開いて、踊ります。これは何か意味があるのですか。

A:こうしたことの説明はないんです。それゆえに少し動揺してしまうのですが・・・。これについていえば、手には緊張がありますね。この5本の指を大きく開くのは、人物のフラストレーションだと解しました。イラついたとき、怒りをこらえる大きく開いた手、というように。手の表現については、最後の最後までルイジがとてもこだわったことです。手が表現豊かであることが大切なのだと。エスメラルダも同じように5本の指を大きく開きますね。手はこの作品では、感動や怒りなどを伝える一つのエレメントとなってるのです。登場人物が内側で感じることの外部の表れ、というように理解しました。この作品の稽古では、カジモド、エスメラルダ、フェビュス、フロロの4人がいつも一緒に仕事をしたんです。オペラ座では別個のことが多く、これは珍しい方法でした。リハーサル・コーチに加えて、エスメラルダ役のアマンディーヌ(・アルビッソン)のプティ作品での経験、カジモド役のステファン(・ビュリオン)のプティ本人との体験、といった補足の要素もあって、刺激的な稽古ができました。33歳でオペラ座の幅広いレパートリーのかなりを踊ってる僕が、さらに発見することがあるのは素晴らしいことだと思いました。とりわけ今のような快適とはいえない時期にこうしたことがあるのは嬉しいです。

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『ノートル・ダム・ド・パリ』Photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:スタッフを始め劇場内で舞台を見ていたのは少数の人ですが、彼らが息を飲むほどフロロ役でのソーは、とても高かったと聞きました。外出制限もあり、また舞台もないという期間が長く続く間、いかに自分のレヴェルをキープするように努めたのですか。

A:とても難しい時期でした。でも、正直なところ、オペラ座のスタジオでの仕事の再開のほうが僕にはずっと難しかったんですよ。外出制限期間中、みな、それなりに成功したと思います。なぜって、体を動かすことは僕たちにとって歯磨きと同じように毎朝することなので。外出制限期間中、オペラ座のクラスレッスンもあったし、また、トレーニングする必要があるのだったら、世界のダンサーの誰もが同じ状況にあるこの際に、アメリカのカンパニーのビデオレッスンを試してみようとか・・・。ミラノ・スカラ座のフェリのレッスンも試しました。なんだか奇妙な時期でしたね。最初の外出制限期間中、いつまで続くかわからず、パリにいるのも面倒だから、と僕はマルセイユの両親の家で過ごすことにしたんです。僕の避難所なんですね、マルセイユは。姉、姉の子供、両親とこの時期を一緒に過ごせて、とても幸運でした。こんな風に家族が揃ったなんて10年ぶりのことです。素晴らしいこと。両親はいつも僕を精神的にサポートしてくれていて、とりわけ父は 僕のダンサーとしての経歴に最初から関与してくれていいます。この期間中、テラスでレッスンしていて、ああ厳しいなあというときも父が支えてくれ、彼にはとても感謝しています。といっても職業的には多くの疑問があって・・・たとえ体調を維持できていたにしても、仕事の再開は難しかった。なぜなら、ぼくは脚の手術のせいで筋肉が落ちています。両親の家のテラスはコンクリートなので筋トレはできても、ショッソンをはいてソーは出来ません。なので、仕事が再開してから体が快調だと感じられ、テクニックに楽にとりくめるようになるまで2〜3か月もかかってしまったのです。ソー、これは男性ダンサーにとって重要なことですから、正直、辛かった。『ノートル・ダム・ド・パリ』のリハーサルの頃には自信を感じられる、ある段階まで到れていました。でも、映像化のためのステージで自分が思っている以上に高いソーができたのは、舞台の魔法ということも言えます。リハーサルの時よりも高く飛べるとは全く思っていませんでした。舞台に立つことで解き放たれるというか、湧き上がるものがあり、さらにアドレナリンにプッシュされて・・・。フロロはこのドラマの筋の導線のような役割があり、後方に下がっていることはあってもほとんどステージ上にいますね。ずっと役柄に集中している必要がありました。

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『ノートル・ダム・ド・パリ』Photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:オペラ座のレパートリーにおいてダークな役というと『白鳥の湖』のロットバルトがあります。踊ってみたいですか。

A:彼はフロロほどダークでなく、どちらかというと人心を操るというタイプですね。
人物の心理というのに興味があるので、役柄を理解し、その人に入り込むという仕事ゆえにこの役を踊ってみるのも悪くないでしょう。といっても、すぐにということではないですけど。

Q:これまで踊った作品にはコンテンポラリーがとても少ないようです。これは希望したからですか。

A:偶然からですね。この数年来、女性エトワールに比べ男性エトワールはバランス的に少ない状況にあります。僕はクラシック作品をこなせるダンサーの一人とされているので、それゆえでしょう。こうした今の状況、そして、僕よりもはるかにコンテンポラリー作品の経験が豊富ゆえにディレクターがまず最初に思うダンサーがいるということもあって・・・。いつかコンテンポラリーへの移行のときがくるかもしれないけれど、今は満足しています。周囲の話ではコンテンポラリーの体験はクラシックを踊る際に役に立つことだと聞くので、好奇心が掻き立てられます。

Q:踊ってみたいコンテンポラリー作品はありますか。

A:ピナ・バウシュの作品は踊ってみたいですね。『春の祭典』『オルフェとユリディス』『カフェ・ミュラー』など。以前、「ピナ・バウシュの宵」的なプログラムが予定されてたように思うのだけど、こんな状況なのでたち消えとなってしまったようで・・・でも、期待します。マッツ・エクの『カルメン』は稽古をしたものの怪我をしてしまって、舞台では踊らぬ終いとなりました。スタジオの稽古では彼に追い詰められるようにして極限までプッシュされたんですよ。使う筋肉がクラシック作品とは同じではないので、体が適合するまでには時間がかかったけれど、結果は自分でも驚くものがあり稽古はとても楽しめました。僕は手術をして以来、体の痛みを思って少しばかり怯えてしまうんです。でも、一旦その段階を超えられると、素晴らしいことが待ってるんですね。

Q:オハッド・ナハリンに代表されるタイプのコンテンポラリー作品についてはどう見ていますか。

A:それも興味ありますよ。今、ガガのクラスがあって、それを取っているダンサーたちがいます。もしロメオもローラン・プティもなかったら、僕も興味をもって参加しただろうと思います。繰り返しますけど、ぼくは踊りが好きで、この好奇心は保ちたいと思っていますから。可能性があるなら、試したいです。でも、彼やホフェッシュ・シェクターの作品をみると、最初に頭に浮かぶのは、「あ、これは僕はできるようにならない!」ってことです。試す前にできないと思ってしまうのは、残念ですよね。だから、もう少しアカデミックなコンテンポラリーのソフトなタイプから始め、段階を経ていって、こうした新しいダンスを試すのがいいでしょう。

Q:『ロメオとジュリエット』の再演は5年ぶりでしょうか。

A:そう、結構長かったですね。でも、リハーサルが始まってすぐに音楽や、いくつかのディテールも戻ってきました。5年前はフローランス・クレールでしたけど、今回はエリザベット・モーランと僕たちは稽古を進めています。誰とリハーサルを進めるかによって、作品のヴィジョンは別のものとなります。彼女たちそれぞれのヴィジョンがあり、何を伝承したいかはそれに影響されます。エリザベットがポイントを置くのは音楽性、身振りの意図です。彼女は言葉でも説明をしてくれて、新たに学び直すこともあって、再発見もあって、過去に踊ったという経験、知識がリニューアルされるんです。僕は5年前の僕ではないし、5年前とは仕事の仕方も違う。パートナーとの関係も変わっています。今回、ミリアム・ウルド=ブラームと踊ります。前回も彼女のはずだったのだけど、彼女が脚を怪我したので、レオノール・ボラックと踊りました。本番までレオノールとの稽古は3日あったかないかな。とっても濃厚な瞬間でした。でも上手く行って、観客に見せて恥ずかしくない舞台ができたと思っています。二人とも舞台で喜びを得ることもできました。ミリアムは僕が一番多く組んでいるダンサーで、気持ちのつながりもあって友達のような存在。理解し合えるし、身体的にも良い組み合わせです。

Q:初日まで1ヶ月を切っていますね。

A:そう、カウントダウンが始まってます。これまでは再開に備えて稽古したものの舞台で踊ることなく終わっていたのが、今、やっとトンネルの先に光がみえてきて・・・。長かったですね。パリに住んでいる母の友達がそうですけど、オペラ座に来ることを楽しみにしている人たちがいます。劇場、映画館に行くことで日常から脱出する・・それが出来なかったのですから、観客の期待はいつも以上でしょう。
僕たちは人々が劇場に来る日に備え、体調を整え、心の平静を保ち、単なるテクニックのデモンステーションではなく物語を見せるようにと努めます。劇場閉鎖中、オペラ座はビデオなどいろいろと用意したけれど、実際の舞台以上のものはありません。僕だって、アーティストである僕たちを豊かにしてくれる映画館、美術館に再開後すぐに足を運びますよ。

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『マンフレッド』
Photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

Q:劇場は5月19日の再開でも、夜間外出禁止令はまだ続きます。夜の外出ができないことを不自由に感じますか。

A:ぼくはどちらかというとカザニエ(自宅派)なんです。父は僕を''僧侶''って呼ぶくらい。もちろん、よく外出した時期もあったし、今も友達と外出しないわけではないけれど、家で過ごすのが好きなんです。自宅では料理をしたり、庭仕事をするのが好き。今はバルコニーなんだけど、もうじき引っ越す新しい家にはテラスがあるので、単に植木鉢を並べるというのではなく、人生で初めて庭を設計できるんです。庭づくりにはすごく興味を持っています。その他には読書やデッサン・・・去年の外出制限期間中に、長いことしてなかったデッサンを再び始めました。僕が描くのは主に肖像画ですが、より多く学ぶためにレッスンを受けたいと思っています。

Q:前回の世界バレエフェスティバルのファニーガラではシャルル・アズナブールの『For Me Formidable』を歌って、素晴らしい歌い手であることも証明しました。歌を習ったことはありますか。

A:ああ、あれはすごく恥ずかしかった。大勢の人を前に歌ったのは、あれが初めてだったんです。フェスティバルのハードな2週間を過ごした後、ファニーガラで遊び心いっぱいに終えられるのは最高ですね。あのときは事前に猛練習しましたよ。ビデオを見返す勇気はないけれど、ひどい出来だっただろうな。でも、楽しかった。僕、ダンスと歌を結びつけているので、しょっちゅう歌っているんですよ。親しくしているジャン・マリ・ディディエール(元パリ・オペラ座スジェ、コーチ)と同じ情熱を持っていて、彼が僕を教育してくれました。レッスンを受けたのは、数年前。ブルーなときとか歌うことで気分を晴らします。ドニー・ハザウェイ、レディ・ガガ、マライア・キャリー・・・タイプはいろいろ。幸いなことに楽屋はけっこう防音装置がよいので、ステージに出る前、緊張がほぐれるので声を出して叫ぶように歌います。こうしてエネルギーを放出するんですね。横隔膜はストレス、緊張のゾーン。歌うことで呼吸に役立ち、横隔膜が解放されるんです。

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