オペラ座ダンサー・インタビュー:セリア・ドルゥーイ

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Célia Drouy セリア・ドルゥーイ(コリフェ)

12月13日、パリ・オペラ座に誕生したデジタル・プラットフォームL'Opéra chez soiでライブ配信された『ラ・バヤデール』。オペラ・バスチーユでの全公演が中止となったのは残念だが、世界中の人たちがスクリーン越しに公演を楽しめる機会となった。ガムザッティとソロールの婚約を祝う宴でインディアンのソリストに配役されたのはコール・ド・バレエのセリア。出演時間は短いものの、若さ溢れる溌剌とした踊りで強い印象を残した。

2016年に入団。2019年11月に開催されたコンクールの結果、セリアは2020年からコリフェである。『ラ・バヤデール』の三幕では、オンブル(影)の一人としてビアンカ・スクダモアとナイス・デュボスクという将来を期待されている2名のダンサーの間、最前列の中央で安定したアラベスクを披露していたセリア。彼女は、久しく公演がない間にパリ・オペラ座に登場したダークホースなのかもしれない。オペラ・ガルニエで『ル・パルク』と交互して、3月16日から4月13日に公演予定の『パリ・オペラ座の若きダンサーたち』で彼女は『パリの炎』のパ・ド・ドゥに配役されている。公演の実現に期待したい。

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photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:たった一度しかない『ラ・バヤデール』の公演でインディアンのソリストとして踊ることができたのは幸運でしたね。

A:これは最初の段階で私は代役だったんです。それが配役されていた一人が怪我をしたために私が正規に配役され、次いでもう一人が怪我をしたので私は第三キャストにあがって。ライブ配信の公演では第一キャストと第二キャストのダンサーは他の役で第二幕に出るので、それで私が踊ることになったのです。チャンスがありましたね。満足しています。

Q:生中継の舞台で踊るということでストレスを感じましたか。

A:インディアンのソリストの踊りは、音楽に合わせて踊ることは大切だけど技術的にそれほど難しいものではありません。だから、失敗するのでは?といったストレスはありませんでした。すごく気持ち良く踊れました。もし観客のいる舞台での本当の公演だったら、もっと快適だったと思います。もっとも舞台で踊っているときは、自分の最大を出し切って楽しんで踊ったので無観客ということは意識にはなくって。最後に会場に向かってお辞儀をしても拍手がなく、観客がいないことに改めて気がついた、という感じなんです。いずれにしてもカメラの向こうには観客がいて、今回は世界中への配信だったのでオペラ・バスチーユの席数よりも大勢の観客がいたことになりますね。

Q:第三幕ではオンブル(影)の一人でした。

A:はい。第二幕でドゥミ・ポワントで膝を折ってインディアンのソロを踊った後で、第三幕のオンブル(影)のクラシックなステップは身体的には厳しかったけれど、こちらも問題なく踊れました。昨年の来日公演以来何も公演がなかったので、舞台で踊れたことはとっても嬉しかったですね。ちょとばかり深呼吸ができたという感じで。一度だけの公演というのは少々フラストレーション。でも、ゼロよりずっといいことです。

Q:一回の公演のためにすごい時間をかけてリハーサルをしたことになりますね。

A:『ラ・バヤデール』で私は良い配役が得られていました。インディアンのソリストだけでなく、オンブル(影)のパ・ド・トロワ(注:ライブ配信時の配役はセ・ウン・パク、シルヴィア・サン・マルタン、オニール八菜)にも配役されていたので、たとえ公演がなくてもリハーサルはとても興味深いものでした。

Q:インディアンの踊りはパートナーがアクセル・マリアーノでした。

A:彼と踊ったのはこれが初めてだったけれど、とても上手くいきました。順調にいけば、公演「パリ・オペラ座の若きダンサーたち」では彼とパ・ド・ドゥを踊ります。演目によってはすでにリハーサルが始まっているダンサーもいるけど、私たちは来週からです。『ラ・バヤデール』では一緒に踊ったといってもデュオだったので、アクセルとこうして本格的なパ・ド・ドゥで組めるのは楽しみです。彼も私もテクニック好きなので、稽古も良い雰囲気でできるでしょう。

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「ラ・バヤデール」photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

Q:この公演で『パリの炎』のパ・ド・ドゥに配役されたことに満足ですか。

A:はい。これはチャレンジですね。挑戦しがいのある作品に取り組めるのは、たとえリハーサル止まりとなっても成長することができるので面白いことです。この作品はテクニックを要求されるので、進歩できる機会となるでしょう。ポワントで、スピードを求められる激しい仕事です。少しだけスタジオで稽古してみましたが、それほど長いパ・ド・ドゥでもないし、一ヶ月の稽古期間があるので・・・。

Q:オペラ座のディレクションがこのパ・ド・ドゥにあなたを配したことについて、どう感じましたか。

A:どちらかというと私は叙情系。でも、インディアンが踊れたのだから、この方向でもう少しプッシュしてみよう、とディレクションが思ったということでしょうか。こうした役に私を配すれば、私は活気的であらねばならず・・・結果、私は出来る!という進歩が感じられることになります。つまりこうして本来の自分に反してエネルギーのある仕事をすることは、私とって良い結果をもたらすことになるはずです。

Q:「パリ・オペラ座の若きダンサーたち」のプログラム中、踊ってみたいと思う作品が他にありますか。

A:『白鳥の湖』のオディール(黒鳥)です。すごくテクニカルで、同時にアーティスティック面も要求されるので・・。『After the Rain』、このパ・ド・ドゥも美しいですね。この公演は、とてもいいプログラム構成だと思います。

Q:ソリストとして舞台で踊った初の作品が『ラ・バヤデール』がだったのですね。

A:はい、そうです。2020年にコリフェに上がってから、ソリストではないにしても、『ジゼル』ではジゼルの友達役があり、『オネーギン』はその前のシリーズではコール・ド・バレエの代役だったのが、今回は自分の踊る位置が最初からあって。あいにくと延期となってしまったけど、『マイヤリング』のソリストの代役にも入ってたんです。このように良い機会に恵まれているのは、気持ちがいいですね。

Q:次回のコンクールはいつに予定されているのですか。

A:予定通りなら4月に行われると思います。日程がわかっていてもコンクール自体がすでにストレスとなるのに、延期、延期となって・・・こういう状況は私たちダンサーには辛いですね。それに加えて、再び外出制限となるのかもしれないといった不安もあります。私たちは毎週PCRテストをしているけれど、夜間外出制限は続いていて、仕事のためでも外部からの人が簡単には来られない状況なので、コンクールに難しさをプラスしますよね。ソリストは別として、昨年2月の『ジゼル』以降、オペラ・ガルニエの舞台で誰も踊ってないんですよ。だから、コンクールのストレスを管理するのはとても難しいことです。

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コンクール photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

Q:オペラ座ではこれまでクラシック作品とコンテンポラリーのどちらに多く配役されていますか。

A:ここのところはクラシックです。でも入団2年目はコンテンポラリーだけだったので、ディレクターと個人面談の際に、いまの段階ではどちらかというとクラシック作品に自分をより感じるというように伝えました。クラシックを踊りたくてパリ・オペラ座に入団したのですから。コンテンポラリーの経験は私に多くをもたらしたので後悔はしていませんけど。でも、1つのシーズン中オハッド・ナハリンの『デカダンス』、ピナ・バウシュの『春の祭典』・・・19歳のときで、こうして1年間クラシックのテクニックを発揮できずにいるのは辛いことでした。クラシックのテクニックにおいて自分はまだ青い、身体にたたきこめていないことがあるというのに、と。使う筋肉はクラシックとコンテンポラリーではまったく異なるので、それも怖かったですね。

Q:オペラ座のために昨秋創作されたコンテンポラリー4作品が、フランス国内ではTV放映されました。

A:これらの作品はこっそりと会場に入って、リハーサルを見ることができました。ダミアン・ジャレの『BRISE-LAMES』がとっても気に入りました。会場で見ると素晴らしい感動を生み出す作品なのに、テレビのスクリーン越しだとそれが感じられず残念に思いました。クローズアップなどによって、作品が変質してしまうのかもしれません。

Q:シーズン開幕ガラでマスクをしての「デフィレ」はどのような体験でしたか。

A:観客がいない会場でマスクをしてという「デフィレ」はちょっと奇妙で、いつものような感動は得られませんでした。でも舞台に戻れたことは嬉しかったし、これは私にとってコリフェとなって初の「デフィレ」。行進のあとサイドで並んだ時に、カドリーユ時代はステージの奥のほうだったのが今度はステージの前のほうで・・・・これにはちょっと自尊心がくすぐられました。

Q:どのようにダンスを始めたのですか。

A:ダンスを始めたのは3歳のときです。ダンスといっても身体の目覚め的なクラスでしたけど。その後、学校外の活動も大切だと両親が考えていたので、体操やテニスも習い始めて。テニスはすぐにやめ、8〜9歳のときに体操もやめてダンスだけに集中することにしました。私の家庭は両親はエンジニアで、祖父は会計士と研究員というように、ダンスとは無縁の環境です。私のダンスの興味がどこからか、というと、母がダンスが好きなので私も小さいときからDVDで『白鳥の湖』『ラ・バヤデール』などの映像を見ていました。もともと音楽がかかると体を動かす子供だったので、こうしたバレエの映像を見ながら踊りの真似事をしたり。恥ずかしがり屋なので、音楽に合わせて踊る方が喋ることよりごく自然に、楽にできたんです。

Q:いつオペラ座のバレエ学校に入学したのですか。

A:私はリヨンで生まれた後、6歳までパリに住んでいて、それからボルドーの近くに引っ越しました。そこのバレエ学校の先生の勧めでパリ・オペラ座バレエ学校を目指すことになったんです。先生が私の両親に'' 彼女は可能性があるからダンサーになるつもりなら・・・''とオペラ座の学校のことを話し、それで両親から、仕事としてやる気があるか?と聞かれた私は、ウイ!と答えました。

Q:9歳のときに、すでにダンスを仕事にという意識があったのですね。

A:一生踊っていられるならといった程度の気持ちで、9歳なのであまりよくはわかってなかったかもしれないけど、少しはそうした意識はありました。というのも、フランスでパリ・オペラ座といったら、それはダンサーの仕事と結びつくことだったので・・・。入学するのに4年かかったんですよ。4回目のコンクールで入学できました。13歳だったので、これが最後の可能性という年ですね。4エム・ディヴィジョンから始めました。

Q:学校に途中から入るのは、難しくなかったですか。

A:その前の1年間研修生だった3名が私の入学した時に一緒だったので、一人で途中から、という感じはなかったですね。それに寮ではその中の2名が一緒の部屋だったし・・・。週末実家に帰らないときは祖父母のパリの家に行き、と、学校生活は問題なく過ごせました。友だち、先生にも恵まれて順調でした。私はプルミエール・ディヴィジョンの後すぐに入団できず、プルミエール・ディヴィジョンを2回やっています。そのおかげで学ぶことがたくさんできたし、外部のカンパニーのオーディションにチャレンジしたり、と多くが自分にもたらされたので、今振り返るとプルミエール・ディヴィジョンを2回というのは悪くなかったな、と思っています。

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学校公演『祭りの夜』(2015)photo David Elofer/ Opéra national de Paris

Q:これまでオペラ座をやめよう、ダンスをやめようと思ったことがありますか。

A:ダンスをやめたいと思ったことは一度もありません。オペラ座をやめる・・・真剣にではないけれど、そうした考えが頭をよぎったことはあります。最初の2回のコンクールで上がれず、カドリーユだから舞台で踊れずにいてリハーサルスタジオで座って過ごす毎日。オペラ座ほどプレスティージュがないカンパニーでも、もっと踊れる機会があるほうがいいのだろうか、カンパニーを変えようか、などと頭の中でもやもやと。でも、そのまま時間がたって、2019年の昇級コンクールでコリフェに上がれたので。オペラ座の最初の入団試験で落ちたときに他のカンパニーを目指すのがいいだろうかな、というように考えたこともありました。私にとって大切なことはパリ・オペラ座でということではなく、踊る、ということなんです。

Q:入団は2016年ですね。

A:はい。同期の入団はアンドレア(・サーリ)、ジョルジオ(・フーレス)、レオ(・ドゥ・ブースロル)、シモン(・ル・ボルニュ)です。外部入団も含め、この年の女性枠は1席だけ。幸いにも入団試験で私が一位だったので・・・。DVDになっている『未来のエトワールたち パリ・オペラ座バレエ学校の1年間』は、私が入団した年の撮影で、メインキャラクターではないけれど、私もちょっぴり映ってるんですよ。

Q:ガラ公演に参加することがありますか。

A:アレッシオ・カルボーネがオーガナイズするガラに参加したこともあるけれど、一番多いのはグループIncidence Chorégraphique のガラですね。参加し始めた頃はパ・ド・ドゥをアンドレアと踊ることが多かったですね。彼とは学校公演の『Piège de Lumière』で一緒に踊っています。

Q:もし自由に選べるなら、ガラでは何を踊りたいですか。

A:『白鳥の湖』の4幕目のパ・ド・ドゥを踊るのが好きです。『ドン・キホーテ』も。これはテクニック的に難しくても、人物像がはっきりしてるのでプレッシャーなく踊れるんです。それに対して『眠れる森の美女』はガラだと舞台背景もなく、物語を追うのでもなく、こうした状況だとクラシックのステップはちょっとした失敗も目立つのでプレッシャーが大きいですね。何度も踊っているのは『ドリーブ組曲』。軽快な作品でガラ向きですね。繰り返し踊ってるので、最近ではちょっとしたニュアンスを踊るたびに探せるようになって・・・こうしたことは面白いです。コンテンポラリー作品では過去にパンジャマン・ミルピエの『トリアード』をアンドレアと踊ったことがあって、けっこう楽しめました。フォーサイスの作品も・・・とてもダイナミックでいいですね。このようにたまにコンテンポラリーを試すのも悪くありません。

Q:オペラ座で踊りたいのはどんな作品でしょうか。

A:絶対に踊りたいのは、『オネーギン』のタチアナ役。この3幕目のパ・ド・ドゥは、舞台裏で見るたびに涙がでてしまいます。とても演劇性の高い作品だけど、演技が過剰ではなく、それに音楽も美しい。『白鳥の湖』も踊りたい。ロマンチックな白鳥、力強い黒鳥というように、1つの作品に2つの相反するタイプの女性が含まれています。こうした作品はバレエでは珍しいですね。そして『ドン・キホーテ』。キトリ役に自分を見出すことができます。あとは、ロビンズの作品ですね。『Dances at a Gathering』とか、ショパンの音楽も素敵だし。

Q:仕事をしてみたい振付家はいますか。

A:昨年12月に予定されていたキリアン作品の公演のためのオーディションに参加したとき、とってもエキサイトしました。これも中止となってしまったけれど、いつか実現されるとうれしいです。マッツ・エクとの1時間半のオーディションも印象に残るものでした。リハーサルスタジオに彼、アナ・ラグーナ、オーレリー(・デュポン芸術監督)、クロチルド(・ヴァイエ、バレエマスター)。私たちダンサーは8名くらいでした。バレエの創作の工程を体験するというのは、コレオグラファーが誰でも興味深い仕事だと思うのです。これまでチャンスがないので、ぜひ一度は、と願っています。フォーサイスと仕事してみたいですね。シンガポール・香港のツアーで彼の『Blake Works 1』に配役されたけど、このときのリハーサルに彼は来ず・・・。2019〜20年シーズンでこの作品が再演されたときは彼がオペラ座に来たけれど、私は配役されず、でいささか残念な思いをしました。でも、まだ22歳なので次のチャンスを待ちましょう!

Q:昨春の『ジゼル』『オネーギン』で来日していますね。

A:はい。これが2回めの日本でした。最初に日本に行ったのは入団した最初の年でで、『ラ・シルフィード』とミックス・プロの『グラン・ガラ』の来日ツアーでした。代役で一度も舞台では踊っていません。もし私が踊ることになったとしたら、それは全員が怪我した場合です(笑)。だから去年日本の観客を前に踊れたのは、とても大きな喜びとなりました。

Q:その分、あまり東京を歩く時間はなかったのではないでしょうか。

A:そうですね。でも最初に訪日したとき、代役だから劇場で控えているといっても自由時間がかなりあって、東京のあちこちを観光できました。それに公演後の一週間のオフは日本に残って、お寺巡りや箱根で温泉に入ったりと、地方を旅したんですよ。だから二度目のときに自由時間があまりなくてもフラストレーションはありませんでした。

Q:新たに東京で発見したことがありますか。

A:特にはありません。私、渋谷とか雰囲気は好きですけど、いささか情報量が多すぎて・・・。日本の観客は愛情をもって私たちの舞台を見てくれるのがうれしいですね。あいにくこの間の公演後は劇場の出口でダンサーの出を待つことは禁じられていて。でも劇場の外で遠くから手を振ってくれたり、彼らのダンスへの情熱を感じることはできました。

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