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オペラ座ダンサー・インタビュー:ポール・マルク

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Paul Marque ポール・マルク(エトワール)

パリ・オペラ座にデジタル・プラットフォーム L'Opéra chez soi が誕生。12月13日、その初の有料ライブ配信として『ラ・バヤデール』が無観客のオペラ・バスチーユで公演され、ブロンズ・アイドルを踊ったポール・マルクがエトワールに任命された 。

彼の入団は2014年。プルミエ・ダンスール時代からエトワールの役に配されることが多く、弱冠23歳ながらすでに豊かなキャリアの持ち主である。2020年2月末から3月上旬にかけてのパリ・オペラ座来日公演の『オネーギン』でレンスキー役を踊った彼は、正確で美しいテクニックとしっかりした役作りを披露した。敬愛するダンサーだというマチアス・エイマンと隣り合わせのポールの楽屋で、まずは12月13日の思いもかけなかった任命から話してもらおう。

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『オネーギン』 photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

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photo James Bort/ Opéra national de Paris

Q:エトワールに任命された12月13日の晩は、よく眠れましたか。

A:睡眠時間はとても短かかったですね。友達がサプライズで祝いに来てくれて、遅くまで盛り上がったので。とても嬉しかったですね、これは。両親は800キロ離れた場所にいて任命に居合わせることができなかったけれど、僕がエトワールになったことにとても満足していました。

Q:12月13日、帰宅して2匹の愛猫と任命の喜びを分かち合いましたか。

A:友達が大勢集まったので彼らは怯えてしまって、ベッドの下にずっと隠れたままでした。でもその後で彼らを何度もしっかりと抱きしめましたよ。もっとも猫の彼らには、それがなぜかはもちろん理解できませんからね。きっと、しつこいなあって思ってたんじゃないかな(笑)。

Q:舞台上では芸術監督オーレリー・デュポンがあなたを抱きしめて祝福しました。

A:きっと僕のボディペイントが彼女の服にたくさんついてしまったと思いますよ(笑)。任命は本当に魔法のような瞬間。カーテンが降りた後ダンサーたちが僕の周りに集まってくれて、とても感動的でした。みんなが抱きしめてくれて・・・オーレリーだけでなく大勢にゴールドのペイントをつけてしまったはず。女性ダンサーたちはみな白いチュチュだったから、クチュール部門の人を多いに嘆かせたでしょうね。

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『ラ・バヤデール』photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

Q:プルミエール・ダンスールとなってから、任命があるとしたらこんな感じかな、とそのシーンを想像したことはありますか。

A:任命というのは夢だったので、いつか舞台に総裁と芸術監督が一緒に登場して・・・ということを夢見たにしても、特に具体的には想像していません。というのもダンサーにとってエトワール任命という夢はとても大事なことすぎて、想像を超えていますから。それに、これは期待してはいけないことのように思っていたので、考えすぎるとその夢が逆に遠ざかるようで・・。僕たちは情熱を傾けて踊るのですから、任命を考えてばかりはよいことではありません。だから僕は毎回心をこめて舞台を務めていただけです。この日も、任命されるとは思っていませんでした。もちろんとても幸せなことだけど、僕はすでにエトワールの役を踊る機会に多く恵まれていたので、それがすでに僕には信じられないことだったんです。

Q:デジタル・プラットフォームでの配信による公演で、というのは任命としては非定型的なことですね。

A:はい。でも、例外的な任命って意外と多いんですよね。ユーゴ・マルシャンは東京文化会館での任命だったし、ドロテ・ジルベールはストライキ中のオペラ・バスチーユで。エリザベット・モーランは劇場ではなく、バレエを撮影していたスタジオでのことだったんですよ。まだ他にも非定型の例はあります。任命のタイミングがどう決められるのかわからないけれど、エトワールというのは長年の夢で、幸運なのは若くして任命されたことです。プルミエ・ダンスールに上がったのは20歳のとき、だから、そのあと定年まで22年があったわけで、つまり時間はまだたっぷりある・・・と。大きな責任を担うことになるのだし、エトワールになることにとりわけ急いでいませんでした。

Q:フィジカルな公演に比べ、あなたの任命により大勢の人が立ち会うことになりました。

A:そうですね。劇場での任命とは方法が異なりますけど、ライブで約1万人が見ていて、そのあとでも配信を購入した人がいるのですから、バスチーユの2700席に比べると人数的にはずっと多いことになります。もちろんそれは目の前に観客がいる劇場での任命にとってかわることはできないけど、この日、たとえ1度限りとはいえ公演が行えただけでも僕たちダンサーにはすごいことだったんですよ。

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『ラ・バヤデール』photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

Q:任命の瞬間に会場からの拍手がないことを寂しく感じましたか。

A:いえ。舞台上のコール・ド・バレエも含めて大勢のダンサーたちが拍手をくれましたから。10月の『ルドルフ・ヌレエフ』はソリストだけの公演だったので、長いことコール・ド・バレエのダンサーたちに会う機会がなかく、彼らと一緒に仕事ができないことはとても寂しく感じていました。だからこの日、彼らと一緒の舞台というだけでも、僕には信じられないことでした。実のところ、たとえ劇場が開いたにしても、『ラ・バヤデール』の公演が実現できるのかという不安があったんですよ。ダンサー同士が触れ合うし、呼吸は激しいし、他のダンサーたちと距離も近く、もし誰か一人でも感染したら、これは複雑なことになるぞと・・。だから12月13日に公演を行えたことがまず信じられないことで、任命の瞬間にコール・ド・バレエに囲まれて嬉しかったですね。それに加えて、ミリアム・ウルド=ブラーム、そして、そしてマチアス・エイマンが一緒で。もしも僕がソロール役で任命されていたら、マチアスがその場にいることは絶対にありえないことなのだから。任命後にミリアムとマチアスと3人一緒に観客席に向かって挨拶をするとき、とても感激しました。

Q:アレクサンドル・ネフ総裁があなたの名前を発音した瞬間、どんな気持ちがしましたか。

A:「え、僕、聞き間違えた?彼、僕の名前を呼んだの?」って。その瞬間、信じるのは難しかったですね。彼が言ったことが理解できたかどうか、不確かでした。良い意味のショックでした。

Q:ブロンズ・アイドルでのエトワールの任命というのは、誰も想像してなかったのではないでしょうか。

A:過去に踊った『白鳥の湖』や『ドン・キホーテ』のときのほうが、確かに伝統的な条件は揃っていましたね。それだからこそ、任命の驚きはより大きなものだったのです。

Q:『ラ・バヤデール』ではブロンズ・アイドルの役に加え、ソロールの代役にも配されていました。年末公演が予定通りに行われていれば、主役を踊れる機会があったかもしれないのですね。

A:そうですね。代役だったので、もしソロール役の誰かが怪我や病気ということになれば舞台で踊れたかもしれません。ソロール役のリハーサルはしっかりとしました。ニキヤの代役セウン・パク、ガムザッティの代役オニール八菜と一緒に長時間仕事をしました。それにリハーサルで例えばニキヤ役のダンサーが踊れないときに代わりにはセウンが踊るので僕も一緒に・・・というように、けっこう多くの機会があったんです。

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『ラ・バヤデール』photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

Q:『ラ・バヤデール』は今回が初めてでしたか。

A:学校時代、僕、ブロンズ・アイドルと一緒に踊っているんですよ。『ラ・バヤデール』は2010年か2011年だったかにオペラ・ガルニエではなく、オペラ・バスチーユで踊られるようになり、僕は幸運にも2010年の最後のガルニエ宮での『ラ・バヤデール』、そして2012年のバスチーユでの初の『ラ・バヤデール』に出られました。入団後2015年にはコール・ド・バレエで、12名のダンサーの一人、そしてインディアンの一人でした。

Q:学校時代の公演ではブロンズ・アイドルをどのような視線で見ていましたか。

A:当時ブロンズ・アイドルを踊ったのはエマニュエル・ティボー、フロリモン・ロリユゥ、もしかするとガルニエ宮の公演ではマチアス(・エイマン)も踊ったように思います。あのメークだと、あまりよく知らないとダンサーを見分けるのって難しいんですよね(笑)。彼らの踊りにはすごく感動させられました。ブロンズ・アイドルだけでなく、ソロール役のダンサーにも。いつかソロールを踊りたい、って思うようになりました。ブロンズ・アイドルとは一緒に舞台で踊るので、生徒とのつながりは特殊ですね。これは素晴らしいことです。学校の生徒が出演する作品は他にもあるけれど、ダンサーとは別個ということがほとんど。でもブロンズ・アイドルではダンサーと一緒に舞台で踊るんですから最高です。ソロールと同じくらい、ブロンズ・アイドルもいつか踊りたいと思いました。ブロンズ・アイドルのボディペイントのメークもコスチュームにも惹きつけられましたね。ブロンズ・アイドルを踊るどのダンサーも生徒に優しく接してくれたことをよく覚えています。踊る前に生徒たちに会いに来て話をしてくれ、そして終わったら「ブラヴォー、素晴らしかったよ」って言ってくれて・・。僕たちは感嘆させられました。だから今回、僕も同じように子供たちと接しました。自分の生徒時代を思い出し・・・素晴らしい体験でした。

Q:ブロンズ・アイドルを踊るのは技術的にとても難しいもののはずなのに、あなたが踊るのを見ているとそれが全く感じられませんでした。

A:それこそが目標ですよね、自然にみせることが! だけどそれは外側のことで、内側は全然!(笑)。ポール・ド・ブラとソーの脚のシンクロとか技術的にとても難しいけど、これは学ぶのも踊るのも素晴らしい。一緒に稽古したフランチェスコ(・ムーラ)、アクセル(・マリアーノ)と一緒にリハーサルでは、とにかく弾けました。

Q:ブロンズ・アイドルは舞台に登場してから3分程度。とても短いダンスなのですね。

A:そう、舞台にでていって踊ったらすぐに引っ込むという感じ。でも舞台にでるや、すぐに200パーセント出して踊るのですから、凄くハード。舞台は短くても、その前の準備は2時間半もかかります。その間に徐々にブロンズ・アイドルに変身して行く感じでしょうか。まずはゴールドのメーク。人体用の特製の水溶性のペイントで、薄付でもカバー力があるものです。もちろんメタルは含まれていず、化粧用の安全なものです。そしてウォーミングアップ。舞台で踊るときに危険のないよう、踊る直前に筋肉が沸騰するくらい温まっている必要があります。だから舞台裏ではずっと動きっぱなし。

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『真夏の夜の夢』 photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

Q:エトワールになった、と、どんなときに実感しますか。

A:わかりませんよ、いまだに実感できてないのだから(笑)。長い期間をかけて変化のあることで、任命の翌日に何かがということはありません。それにまだエトワールとして舞台にも立っていないのだし・・・。少しずつ実感してゆくのだと思います。コリフェからスジェに上がったときも、そうでした。徐々に変わってゆくものです。

Q:デフィレのときに実感する、と語るエトワールが少なくありません。

A:確かに。「ポール、今度のデフィレでは一人で行進するんだよ!」って友達からも言われました。もうじきデフィレのリハーサルがあるはずです。

Q:1月27日に予定されていた2020〜21年シーズン開幕ガラは劇場の閉鎖ゆえに、AROP会員向けに有料配信されることになったのですね。

A:はい。それでデフィレがビデオ撮影されるようなので、もしリハーサルがあったら、少し実感できる機会になるかもしれない。デフィレっていつだって大きな瞬間ですよね。学校時代は'' デフィレだ、信じられない!'' だったし、コール・ド・バレエ時代でも徐々に並びが後へと上がって行って。コリフェだってかなり後の並びになるので、それだけでも満足だったし、ましてやスジェではもっと後の並びになって!
プルミエ・ダンスールのときは横並びは2人だし、それに黒いチョッキがなくなってコスチュームも変わりました。

Q:現在リハーサルしているのは2月に公演予定の『イン・ザ・ナイト』『エチュード』『The Vertiginous Thrill of Exactitude 』ですね。それぞれスタイルが異なります。

A:はい。それだけに稽古するのはとても面白いわけですよ。とても満足しています。『イン・ザ・ナイト』で僕が踊るのは最初のパ・ド・ドゥで、これはシンガポール・上海ツアーで踊っていますからわりと最近のことですね。『エチュード』は2014年9月にバレエ団に入団して、最初に代役に配された作品です。『The Vertiginous・・・』はかなり前、結局は踊らずじまいだったけど、ガラのために稽古をしたのでなんとなく覚えてました。

Q:『ファンシー・フリー』『ダンス組曲』『Les Variations Goldberg』など、ジェローム・ロビンズの作品によく配役されていますね。

A:そうですね。ロビンズ、それにバランシンも。どちらも大好きです。僕はピュアなクラシック・ダンサーではなく、どちらかというとドゥミ・キャラクター。それでロビンズ、バランシンの作品とうまく行くのですね。僕がソリストとして踊った最初のバレエもロビンズの『Les Variations Goldberg』でした。コリフェに上がってすぐのことだったと思います。

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『ファンシー・フリー』 photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris

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『ダンス組曲』photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris

Q:ロビンズの振付が、あなたの身体にフィットするのですね。

A:はい。それは習慣の問題でもあります。例えばイギリスのダンサーにとってヌレエフの振付を踊るのがとても難しい。僕たちがマクミランの作品を踊るのはすごく大変なんだけど、イギリス人たちはとてもオーガニックだといってマクミランに難しさを感じません。踊り慣れていますから、ヌレエフを踊るより簡単なんですね。これは習慣の問題、そして素養の問題です。バランシン、ロビンズの作品はほとんどがアメリカ人ダンサーのためにクリエートされています。アメリカ・スタイルもまた、僕たちとも英国のスタイルとも異なって、ずっと筋肉を使います。だから、僕たちが彼らと同様の結果を得るためには、フレンチ・スタイルのバレエでは使わない筋肉を働かせるべく、すごい量の仕事が必要となるわけです。

Q:ロビンズの『En sol』を踊るあなたを見てみたいです。

A:ああ、このアダージオ!! ぜひとも踊りたいです! 2017年5月、『バランシン/ロビンズ/シェルカウィ/ジャレ』のときにコール・ド・バレエで踊っています。最初の部分で女性ダンサーが4人の男性ダンサーとちょっとしたパ・ド・ドゥを踊りますが、これにはちょっとしたエピソードがあるんです。僕はスジェにあがったばかりで、まだ19歳。一緒に踊るのはシリル(・ミティリアン)、フロリモン(・ロリユゥ)といった経験豊富なスジェのダンサーばかり。それで、誰も踊りたがらない左回りのダブル・ピルエットが必然的に僕にふりあてられて・・。これを踊らずにすんだ彼らは「よかった、僕じゃない。やった!」と大満足でした。毎回、これを踊った後は、舞台裏に座ってステージを見るのが楽しみでしたね。マチアスとミリアム、ジェルマンとレオノール、それからフロリアンとアマンディーヌだったかな・・・信じられないほど美しいパ・ド・ドゥで、これはいつか踊りたいです。機会あるごとに、今でも舞台裏からステージをみてます。『ラ・バヤデール』だって、ブロンズ・アイドルを踊った後は舞台裏でインディアンの踊りや、主役のパ・ド・ドゥとか最後まで見ていたんですよ。

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『リーズの結婚』photo Francette Levieux/ Opéra national de Paris

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『リーズの結婚』photo Francette Levieux/ Opéra national de Paris

Q:クラシック作品に配役されることが多いようですが、もっとコンテンポラリー作品に配役されたいと思いますか。

A:正直なところ、コンテンポラリーを踊るのは今ではなく、もう少し後になってと思っています。まだ若いのだし、それに早くにエトワールに上がれたので、この時期を『眠れる森の美女』『白鳥の湖』などハードな古典大作を踊るために活用したいんです。35歳や40歳で果たしてソロールを踊れるかどうか、確かじゃないですから。ステファン・ブリヨン、ニコラ・ル・リッシュ、マニュエル・ルグリといった例外はありますけど・・・ルグリのように『オネーギン』をアデュー公演で踊るなんて、誰もができることじゃないですよ。35歳とかそういった年齢になったら、クラシックより体を傷めずに踊れるコンテンポラリーを踊りたいと思います。

Q:11月にFacebookで配信されたコンテンポラリーの3創作の公演は見る機会がありましたか。

A:もちろん。幸運なことに映像ではなく、リハーサルを見ることができました。どれも素晴らしい作品です。メディ・ケルクーシュの『Et si』の創作に親しいダンサーが参加していて、メディはとても人間的で優しくて、愛すべき人なのだと聞きました。だから彼と仕事をする機会があったら嬉しいです。コンテンポラリーでも、ホワイ・ノット!

Q:パリ・オペラ座のレパートリーからヌレエフ作品が消える云々が、フランスでは最近話題にあがっています。

A:それについて詳しいことは知りません。でも、オペラ座のレパートリーから『白鳥の湖』が消えるというのは不可能です。ルーヴル美術館から『モナ・リザ』を外して、ズタズタにするなんてことが考えられないように・・。もしそうしたことが話題になるとしたら、これはあくまでも僕の視点だけど、例えばヌレエフがマリウス・プティパの創作を時代に合わせて改定したように、50年とか後に、誰か振付家がヌレエフ版を時代に合わせて改定するということは考えられるかもしれません。時代を問わない作品とはいえ、テクニックや舞台装置などの進化があるので、作品の永続のためのメンテナンスは必要でしょう。でも、レパートリーから消えるなんてことはないと思います。ぼくは定年の42歳までまだ19年のキャリアが待っているので、ヌレエフ作品は全部踊りたい! まだ踊っていない『眠れる森の美女』『ロメオとジュリエット』、『マンフレッド』、それに『ラ・バヤデール』のソロール役。『白鳥の湖』だってまた踊りたいし、『くるみ割り人形』は10月の公演『ルドルフ・ヌレエフ』で抜粋だけだったので全幕で踊りたいし・・・。

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『白鳥の湖』 photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:エトワールのタイトルをどのように社会的活動に利用したいですか。

A:以前からさまざまなアソシエーションのための無料ガラを行っています。特にここのところ、僕の出身地ダックスの病院の子供のガン患者病棟のために。というのも、すでに病院は運営が楽ではないところに加え、国からの援助がカットされてしまったんです。より快適にといったレヴェルどころか、治療のための予算すら危うい状況となっていて・・病気の子供が治療を受けられないなんて酷いことです。だから、ガラを含め複数の方法で基金を集める努力をしています。エトワールということで知名度が上がるのであれば、こうしたことにより大勢の関心を向けることができるので嬉しいですね。昨年の4月にダックスでガラを予定していたのだけどコロナ禍で、今年の春の延期になりました。これにはフランソワ・アリュも無料参加してくれるんです。彼はとても気が合う友達で、フランス赤十字のためにも一緒に行動しています。

Q:自宅ではどのようにリラックスした時間を過ごしますか。

A:テレビでシリーズを見たり、料理をしたり。読書もよくします。小説、推理ものなどタイプはいろいろでiPadにも本がたくさんだし、この楽屋の戸棚の中も本がぎっしりです。この楽屋はジョジュア・オファルトから引き継ぎ、彼の前はドロテ(・ジルベール)が短期間。そのときにこの戸棚と下に収納を備えたベンチが設置されたようです。彼女の前はウィルフレッド・ロモリの楽屋でした。『椿姫』の公演があった時期なので、ぼくがここに入ったのは2018年の12月です。戸棚のほかに収納場所があり、シャワールームもあって、ちょっとしたパリのアパルトマンみたいですよね。

Q:昨年の来日公演では、自由時間をどのように過ごしましたか。

A:何か目標を決めてある地区に行き、界隈を歩きながら迷ってしまうことで何かを発見するというのが好きなんです。たくさんの思い出があって、携帯には東京でとった写真が2700点! お台場にいったとき、ショッピングセンターを歩いていて信じられない美術館を発見しました。うんこミュージアムです。こんな発想のミュージアムは日本以外考えられませんね。ソフトクリームみたいな形をしたゴールドのミニチュアをお土産に買いました。レオノール・ボラックと一緒だったときは二人とも文房具が好きなので、銀座の伊東屋に行きました。全フロアーが文具だなんて、建物の前に着いた時点で二人とも興奮してしまって・・・ノートやペンなどたくさん買い物をしました。お腹に福と書かれた招き猫のミニチュアも。これ、うんこミュージアムで買ったものと一緒に自宅の棚に飾っています。

Q:今の時期、どのようにモチヴェーションを保つ努力をしていますか。

A:街を歩けばレストランも劇場もクローズしています。外部のアーティストの友達はみな仕事がなく、それは彼らにとって収入がないということ。こうして周囲をちょっと見回しただけでも、大変な時期にもかかわらず僕たちは恵まれていると感じます。春の最初の外出制限のときはオペラ座に来られず、自宅でレッスンでしたが、二回めの外出制限ではオペラ座でクラス・レッスンが受けられました。公演の有無にかかわらず少なくともトレーニングできるなら、これだけでも幸運ですよね。もし劇場が明日開くのであれば、その翌日にあるかもしれない公演に僕たちは準備ができてなければなりません。ダンサーは誰もがこのように考えて行動していて、これがモチヴェーションのキープに役立ってるのです。

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