オペラ座ダンサー・インタビュー:マリオン・ゴチエ・ドゥ・シャルナセ

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Marion Gautier de Charnacé マリオン・ゴチエ・ドゥ・シャルナセ(カドリーユ)

フランスの外出禁止措置に伴い10月29日から劇場が閉鎖となり、11月にオペラ・ガルニエで予定されていた公演『Créer aujoud'hui(今日のクリエーション)』は中止に。そのプログラム4演目から3演目で組みなおし、公演はFacebook経由でフランス国内において有料ライブ配信された。テス・ヴォーカーによるパ・ド・ドゥ『Clouds Inside』を踊り、フレッシュなエネルギーで強い印象を残したのはマリオン・ゴチエ・ドゥ・シャルナッセである。明るい笑い声の元気で爽やかな24歳だ。

2014年にバレエ団に入団。2018年にホフェッシュ・シェクターの『The Art of not Looking Back 』を踊った彼女は彼の仕事に啓発され、今年1月から12月まで1年のサバティカル・イヤーをとってロンドンの彼のカンパニーへと。10名のダンサーが踊る『Political Mother Unplugged』の稽古に参加し、その後ツアーに出るはずだったのだが、外出禁止令が出て中止となった。そんな彼女にオーレリー・デュポン芸術監督からヴォルカーの創作に参加するように、と声がかかったのだ。コンテンポラリー作品に情熱を抱き、新しい出会い、身体のセンセーションに興奮する若きダンサーの話を聞いてみよう。

Q:『Clouds Inside』の創作はどのように行われたのですか。

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photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

A:新型コロナ禍のこんな状況なので、今年の1月から12月までとったサバティカル・イヤーも半分キャンセルとなったようなものです。だからオーレリーには''もし私が必要なことがあったら''と伝えてあったのです。そうしたら彼女から、テスの創作にアントナン・モニエ(カドリーユ)と参加して欲しいと・・。彼は私の私生活でのパートナーでもあり、この時期にパ・ド・ドゥを踊るには良い組み合わせですよね(笑)。

Q:シディ・ラルビ・シェルカウイの『Exposure』、ダミアン•ジャレの『Brise-Lames』、メディ・ケルクーシュの『Et si』についても芸術監督によるキャスティングということでしょうか。

A:今の時期、コレオグラファーがキャスティングのためにパリまで来るのは不可能。だから、11月の公演予定の4作品すべてについてオーレリーがダンサーを選びました。彼女、とても上手い選択をしたと思う。ダンサーの動きのスタイルだけでなくパーソナリティも含めて、誰がどのコレオグラファーと合うかという点で・・。例えばメディ。彼ってすごく愉快な人です。おどけた面のあるダンサーをオーレリーは選びました。ダミアン・ジャレは精神的で知的な仕事をするので、そういったダンサーが選ばれ・・。23歳の若いテスには若いダンサーを、と彼女は考えたのですね。私は24歳、アントナンは30歳。私たち、テスとはすぐに打ち解けて、仕事はとてもうまくゆきました。満足しています。

Q:創作はパリで行われたのですか。

A:いえ、オランダのハーグです。彼女はNDT(ネザーランド・ダンス・シアター)に属していて、新型コロナ云々だけでなくダンサーとしての仕事があるのでパリまで来られません。それで私たちが出向いて行ったわけですが、最初の10日間は小さなホテルの部屋で隔離。その後、毎晩17時から20時まで彼女とクリエーションを進めたのです。すごい短期間、11日でパ・ド・ドゥが創作されました。

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『Clouds Inside』photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:テス・ヴォルカーにとって、これは初の創作なようですね。

A:そうなんです。若いときに学校のために創作をしたことが一度あったらしいけれど、この『Clouds Inside』が本格的な初の創作作品なんです。テスはインスタグラムですごい数のフォロワーがいて、とてもよく知られたダンサー。私もフォローしていて、ハーグに行く前から彼女の仕事は知っていました。オーレリーもきっとインスタグラムで彼女のインプロ(即興)を見て、気に入ったのでしょう。23歳のテスにとってオペラ座のための創作という初体験はすごいことですよね。

Q:ダンサーとコレオグラファーが同世代というは、クリエーションに役立つことでしょうか。

A:テスと話していてわかったのは、ダンスの理解という点で同じ段階にあるということ、メンタルの面で彼女も私と同じ疑問を持ち、同じ経験をしているのだということです。例えば、経験を有するウイリアム・フォーサイスと仕事をするのとは、大きな違いがありますね。ああ、なんて豊富な知識の持ち主だろうという人と仕事をするほうが、よりプッシュされたかもしれません。教育されることによって、自分をプッシュすることがより簡単にできますからね。でも、私と同程度の経験の持ち主と一緒に、自分が気に入る仕事ができるという年齢に自分が至ったのだと感じられたのは面白かった。ダンサーとしてもはや生徒ではない位置に至ったと感じられる。それはアーティストとしては素晴らしいことです。リハーサル・スタジオでは、彼女と私たちが上下ではなく横の関係にあって・・テスと仕事をするのは興味深いことでした。

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『Clouds Inside』photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:創作過程でテスにダンサー側からも提案をしましたか。

A:はい。でも、私はそうした訓練からしばらく離れていたので、アントナンのほうが多くの提案をテスにしましたね。私は私のエネルギーを提供し続けました(笑)。この経験を語るのにふさわしいのは、共有ということばです。『Clouds Inside』は、100パーセント私たちの作品だといえます。テスと一緒にクリエートし、仕事の後は一緒に飲みにいって・・こうした経験は同世代ゆえであり、他のコレオグラファーとはありえないことです。テスとは、今後も連絡をとりあって別の作品も一緒に作りましょうって・・。このようにオペラ座外部で準備した作品なので、オペラ・ガルニエで踊った時に、オペラ座で開催されるガラに参加しに来た、って感じがしてしまいました(笑)。私たちの糧にもなったこの作品が、どのようにジャッジされるのだろうか、というストレスも大きかったですね。私たちに帰属する作品ゆえ、責任も大きいのです。

Q:稽古を始めたとき、テスはしっかりとした作品のアイディアを持っていましたか。

A:私は毎回オペラ座に、誰かコレオグラファーと仕事だというときには、その人の過去の作品を事前にチェックします。そうするとリハーサル・スタジオで待っていることがなんとなく予測できるのだけど、彼女についてはインスタのインプロ以外、何も情報がなかった。私もインプロはするので、彼女が創作にどのようなアイディアを使うか少しは想像できたにしても、いったい彼女が何をとりだすのだろうかって心が落ち着かないものがありましたね。
彼女、完璧なアイディアを持って、初日を始めました。音楽からクリエーションはインスパイアーされています。2パートに分かれたパ・ド・ドゥで、最初はニック・ドレイクの『チェロ・ソング』のオリジナル、2つめのパートではそのカバーを使うというアイディが彼女はとても気に入っていて・・・。カバーはオリジナルから出発する別物で、テスはその二重性をパ・ド・ドゥにも生かしたいと。歌詞にインスパイアーされている部分もあります。アントナンがメトロノームのようにリズムを刻み、私はチェロのメロディーにのせて踊ります。後半の振付はすでに用意されていて、少し変更を加えたくらいです。
前半については、二人の人物について具体的なアイディアが彼女にあったにしても、私たちにアイディアを求め、動きを一緒に作りました。創作過程で私たちはずっと彼女の熟考をライブでフォローしていたわけですが、彼女って確信があっても、とても謙虚なので驚きました。ストレスも見せず。どうなるかわからないけど、やってみましょう、という感じに。これはよかったですね。

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『Clouds Inside』photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:作品はカップルの物語であるという説明があったのですか。

A:ありました。アバウトなコンセプトとしては、男性がメトロノームで終始リズムを刻んでいて、女性のほうはぼんやりしていて・・。この二人に何がおきるのだろうか、といった。最初のパートでは、私は決して彼を見ず、自分の考えに没頭してしまっていて、存在すら意識していず・・・これ踊るのが楽しかった。実際のアントナンは、あの役のメトロノームほどではないですが作品の中に彼のいくつかの面が感じられます。

Q:あなたとアントナンにとって、この作品は素晴らしいギフトのようですね。

A:はい、これは間違いなく私たちのパ・ド・ドゥです。実は、もし11月に予定されていた公演に私が踊れないことになった場合に備えて、クレマンス・グロ(コリフェ)に私のパートを教えたんですけど、私とアントナンが踊るのとは違うんですね。彼女、素晴らしいダンサーですよ。でも、これは私たちのために、私たちの身体にクリエートされた作品だと、つくづく感じました。私たちの動きのクオリティ、二人の世界、二人の関係が生かされて、私たちそのもののパ・ド・ドゥなんです。

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『Clouds Inside』photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:サバティカル・イヤーについて話してください。

A:今年の1月から12月までとりました。9月から7月というシーズンに合わせる必要はなく、このようにもサバティカル・イヤーはとれるんですよ。ロンドンのホヘッシュ・シェクターのカンパニーに行くためで、1、2月と彼と仕事をしたところで、3月は外出禁止令が出てツアーの予定が流れてしまったのです。外出禁止期間、ロンドンに残ってシェクターのクラスレッスンをズームで続けていましたが、これはインプロでガガ・スタイル風のものです。

Q:2018年5月にオペラ座でホヘッシュ・シェクターの作品『The Art of not Looking Back』を踊ったのですね。

A:はい。これを踊って・・そう、ひらめきを感じたんです。彼とは特別な経験をしました。ホフェッシュはとても強い個性の持ち主です。あの公演について「自分だけの9名の女性ダンサーが欲しい。常に僕と一緒で他は何もしない、僕だけのダンサーを」と希望したんです。
オペラ座では普通ダンサーたちは、同時に複数の作品に関わってますけど、彼は自分の作品だけに集中して欲しいと・・で、この作品のための9名の女性ダンサーたちのグループが作られ、一緒にこの体験をしたという絆が私たちの間にできました。ミニ・カンパニーといった感じ。公演期間中は、25分間エネルギーを噴出し続ける毎日でした。
彼との出会いで、私は変わりました。彼の作品を初めて見たのは、2014年にパリ・ヴィレット劇場で。心が強くゆさぶられて、作品を見ている間、私の人生はこれであるべきだ、ってずっと言い続けていたんです。彼の仕事のファンとなり、あらゆる作品をビデオでみて・・彼と仕事をするとき、私はとっても幸せなんです。仕事でこれほどの幸福感を味わったことはないですね。12月下旬から1月上旬、上手くするとパリのアベス劇場でホフェッシュの『Political Mother Unplugged』の公演で踊れるんですよ。(注:フランスにおける劇場再開は12月15日の予定が1月7日へと延期され、その間の公演は中止された)

Q:オペラ座ではコンテンポラリー作品に配されることが多いのですか。

A:ここのところ、そうですね。それが私の目指すことですし。でもクラシック作品を見るのは大好きですよ。動きがピュアで、とりわけパリ・オペラ座のクラシックでは深いところから真実が引き出されます。でも、私はコンテンポラリーで感じるようには、クラシックに自分をコネクションできないのです。まったく私個人についてのことですよ、これは。ホフェッシュの仕事をするときに感じられるピュアな衝撃、生への執着、むき出しの感動・・・こういったものがクラシックでは感じられないのです。コンテンポラリーの仕事をするとき、動きの完璧さについてのプレッシャーが私にはありません。何を感じるのか、何を語りたいのか・・・私にはそのほうが誠実で論理的に思えるのです。でも、もし誰かが『眠れる森の美女』を踊って私の心が揺さぶられることがあったら、私は道を変えるかもしれませんが・・。

Q:バレエはいつから習い始めたのですか。

A:5歳のときです。私の両親は医師と情報処理関係なので、ダンスとは全然関係がなくって、だから、ダンスというのは仕事ではなく趣味というのが彼らの考えでした。8歳でパリ音楽院に入ったら、''彼女はオペラ座に行かなければ!'って、教師が両親をほぼ叱りつけるように言ったんです。それで、13歳のときにオペラ座バレエ学校へ。第四ディヴィジョンから始めました。パリ・オペラ座の近くに家があったので、寮には入らず通学していました。毎年、ダンスがますます好きになっていって・・私がダンスを職業に選ぶのは自然なこととなってゆきました。でも、17歳のとき、バレエ団の入団試験の時に不思議に思ったことがあります。それは周囲の生徒たちの誰もがまるでこの世にはパリ・オペラ座にしかないように考えていることでした。私はアムステルダムや他にも行ってみたいな、と思っていて・・・。この気持ちはいつも持っています。オペラ座は好きです。でも、ダンサーとしての私の人生はここにいなければならないものではありません。

Q:習い始めた頃、クラシック・バレエの何が気に入ったのですか。

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「Blake Works 1」photo Ann Ray/ Opéra national de Paris

A:身体的に私は向いていました。19歳までコンテンポラリー作品を踊ったこともなく、クラシック・バレエは私にとってパーフェクトなものだったのです。クラシックしか知らなかったから。それがウィリアム・フォーサイスと仕事をして、変わりました。即興がベースにあるコンテンポラリーを彼の『Blake Works 1』で初体験して・・。彼はクラシックベースのコレオグラファーだけど、仕事の仕方はインプロ系です。稽古にあてられた3か月間、毎日幸せでした。素晴らしい思い出!一緒に踊ったパブロ(・ルガザ)やキャロリーヌ(・オスモン)たちと、これって現実?って言い合っていたくらいです。

Q:フォーサイス以前は、『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』をいつか踊りたいと夢見ていましたか。

A:そうした具体的な古典大作より、ダンスが身体にもたらすセンセーションを夢見ていたように思います。いつかどれそれの役を踊りたい、というよりも、いつかこれをしたい、あれをしてみたい、といった身体的なことを夢見ていたように思います。

Q:学校時代、コンテンポラリー・ダンスの授業はなかったのですか。

A:ありました。でもクラシックなコンテンポラリーです。マーサ・グラハムとか・・奇妙で好きになれず。私は出来の悪い生徒でした。今オペラ座で踊られているのはインプロがベースのコンテンポラリーが多いけれど、以前のオペラ座ではマッツ・エク、ピナ・バウシュ、イリ・キリアンといったクラシックの仕事がベースにあるコンテンポラリーでしたね。これらのカンパニーは毎日クラシックをクラスレッスンにしています。オハッド・ナリン、ホフェッシュ・シェクター、シャロン・エイアルといったコレオグラファーは、クラシックがベースにはなく、身体を緩めるという別のタイプのセンセーションを生み出す仕事をします。これまでオペラ座で踊って楽しめたコンテンポラリー作品は、すでにお話した『The Art of not Looking Back』『Blake Works 1』、それからクリスタル・パイトの『Body and Soul』、オハッド・ナハリンの『Decadance』も最高でしたね。

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photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:オーレリー・デュポンが芸術監督になってから、プログラムされるコンテンポラリー作品のタイプが変わりました。

A:ああ、これは私個人にはとても嬉しいことです。こうしたコンテ作品のパリ・オペラ座での位置ということについてはわからないけれど、今日のコンテンポラリーをプログラムに組み入れることは良いことだと思います。オペラ座のダンサーがナハリンやシェクターの作品を彼らのカンパニーのダンサーのように踊れるのか、と疑問視する声がありますよね。でも、回を重ねることで可能だと私は思っています。
踊るからにはそうありたいです。コンテンポラリー作品はクラシックに比べて、要求のレヴェルが低いように思われがちだけど、そんなことはありません。例えば『The Art of not Looking Back』では、クラシック作品のコール・ド・バレエ同様に、常にアンサンブルを意識して集中する必要がありました。表現法、使う筋肉は確かに違います。また、コンテンポラリーを踊るときはグルーヴを探すけれど、これはクラシックでは絶対にないことです。ホフェッシュの作品ではテクスチャーの追求もし、これによってクラシック作品では感じたことのなかった感覚を身体が感じました。

Q:バンジャマン・ミルピエ元芸術監督時代には、ヴォーギングも体験していますね。

A:入団した翌年、2015年のボリス・シャルマーズの『21世紀のための20名のダンサー』でのことでした。彼も私の考えを変えた人ですね。踊るからにはパーフェクトであることが求められるオペラ座ですが、彼はたとえ上手くできなくても何かを見せること、自分が何者であるかを見せることを求めたんです。自分が望むのであれば、上手くできなくても問題ではないのだと学びました。ヴォーギングは私とキャロリーヌ(・オスモン)が配役されたのだけど、未知のことをするのでストレスがありましたね。ヨーロッパにヴォーギングを伝えたスターであるLasseindraが、ボリスの要請でオペラ座に私たちの指導に来て、最初の稽古からキャロリーヌと楽しめました。ヴォーギングではほぼエロティクなほどにセクシュアリティを遊ぶ面もあって・・・でも、私たち、Lasseindraからは「あなたたち、そんなんじゃ誰も全然そそわれないわよ!」って(笑)。当時19歳だった私にしてみると、なんて奇妙なんだろうって思いました。
この『21世紀のための20名のダンサー』はガルニエ宮の複数の公共スペースを使って、複数の演目が同時に踊られるというもので、バルコニーで踊るヴォーギングには毎回たくさん人が集まって、すごく好評でしたね。キャロリーヌともこれ以来、すごい仲良しです。ボリスとはオペラ座の外でも何度もこれをやって、踊りながら人生を語るなど少しずつ進化させていきました。こうしてダイレクトに人々と関係を保てるというのは、素晴らしい経験ですね。

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『21世紀のための20名のダンサー』(ヴォーギング)photo Agathe Poupeney /Opéra national de Paris

Q:創作をすることに興味はありますか。

A:はい。過去にいくつか作っています。キャロリーヌ(・オスモン)とのデュオとか、ユーモラスなタイプで観客を毎回笑わせる作品です。私たちイタリア人じゃないけれど、アレッシオ(・カルボーネ)の「オペラ座のイタリア人ダンサー」ガラなどで踊りました。またジュリアン(・ギユマール)とも一緒に創作したものもあります。彼も今デンマークでサバティカル・イヤー中なんですよ。彼は2019年にポンチュス・リドベルグの『Les Noces』を踊り、今、そのリドベルグのところにいるのです。このようにインスピレーションを与えてくれる人に出会えるのは素晴らしいことです。そこには欲求がうまれるものですね。

Q:ダンス以外にどういった職業が考えられますか。

A:母が医者なので、子供の頃思ったのは医学関連の仕事。例えば医学研究所の研究員だったり、看護師だったり。天文学にも興味がありました。最近思うのは、アートセラピーです。ダンスをセラピーに活用するというもので、これは私がダンスを続けて行く1つの方法かもしれません。

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