オペラ座ダンサー・インタビュー:ニコラ・ポール

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Nicolas Paul ニコラ・ポール(スジェ)

オペラ座350周年を記念する今年、オペラ座の外部でもさまざまな関連イベントが用意されている。オルセー美術館では9月24日から『オペラ座のドガ』展がスタート。会期中の10月11日、12日には美術館内で''ドガ・ダンス''とタイトルされた催しがある。オーレリー・デュポンがアーティスティック・ディレクターを務め、オペラ座のダンサーが踊るパートについての振付は、スジェのニコラ・ポールに任された。

1996年に入団したニコラ。コンテンポラリー作品に多く配役される彼は振付家としても活動し、オペラ座バレエ学校の生徒のためにベアトリス・マッサンとともに創作した『D'ores et déja』がレパートリー入りしている。シーズン2016〜17年では『ベルトー/ブーシェ/ポール/ヴァラストロ』と題された4名のダンサー・コレグファラーの作品による公演で、『Sept-mètres et demi au-dessus des montagnes』を発表した。来年3月で定年を迎える彼。引退後、振付家としての活躍を楽しみにしよう。

Q:オルセー美術館の '' ドガ・ダンス ''はどのような内容でしょうか。

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© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

A:オルセー美術館内の複数の場所で小品が発表され、来場者(特別料金)のグループが館内を移動しながらそれらを見て回る、という趣向です。オーレリー(・デュポン芸術監督)がアーティスティック・ディレクターとしてトータル・コーディネート。彼女からはほぼ白紙依頼で僕がそのうちの3小品を担当します。彼女自身が演出する作品もありますが、それについて僕は関与してないので内容はわかりません。彼女の提案で、ダンサーがポーズをとるデッサンのアトリエも予定されています。

Q:振付けする3小品についてダンサーはもう決まっていますか。

A:館内のオーディトリアムではステファン・ビュリオンが踊ります。そして、別の場所で見せるのはイダ・ヴィキンコスキー、ジュリエット・イレール、キャロリーヌ・オスモンの3名による小品で、どちらも15分。もう1つはヴィデオ・インスタレーションの提案です。ダンサーはシャルロット・ランソン、イヴォン・ドゥモル、タケル・コストの3名で、僕がコンセプト全体と振付を担当し、映像監督のジャン=クリストフ・ゲリが参加します。オペラ座のダンサーだった彼は引退後、映像部門の仕事に専念していて、僕のオペラ座のための創作『Sept-mètres et demi au-dessus des montagnes』でも一緒に仕事をしています。

Q:使用するのはどのような音楽でしょうか。

A:音楽については熟考を必要とする重要な仕事でした。熟考のベースには2つのことがあり、1つはまずドガですね。ドガが生きた時代の音楽を探す、ドガの好みの音楽を・・・といったことを考えました。そしてもう1つは、僕が過去に制作したものの繰り返しはしたくない、ということでした。ドガのモダーンな面が僕を今の時代の音楽に向かわせました。ポピュラー音楽です。エレクトロもあって・・・。コスチュームや照明などで世間がドガに抱くイメージに忠実でありたいと願うと同時に、そこから距離をおきたいという欲があり、文字通りの視線とは異なることを音楽が助けてくれるのです。僕が何について考えたいのか、を音楽が助けてくれるのです。

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カリギュラ
photo Laurent Philippe/ Opéra national de Paris

Q:3つの小品はそれぞれ語ることが異なる作品ですか。

A:具体的にどれが何を語る、といったことはありませんが、例えばビュリオンが踊るオーディトリアムの小作品は、ドガがなぜ劇場に通ったのか、ということについてです。人々は劇場に何を期待してるのだろうか、という。舞台に向ける視線を定義する、ということを考えると、多くの疑問が生じます。個人的なことだけど、 僕は舞台上で踊るとき大きな喜びがあります。振付への情熱があります。でも、僕自身はダンスにとって良い観客ではありません。これを一種のパラドックスとして体験。人々は何を求めてダンスをみようと思うのか・・・。ドガについては、実生活から距離をおくために来ていたとは思いません。推測だけど、彼はグラフィックな想像世界を豊かにするべくきていた・・・と。これは彼が必要としていることでした。 彼の作品にそれを感じることができます。彼は劇場、舞台裏、舞台で描いてるけれど、ダンスのジェストそのものに魅了されている、ということがいかなる瞬間も感じられません。それはなぜか、と探ったんです。ダンスによって絵画的熟考へと導かれ、考察が豊かにされるというのは、とてもモダーンな視線だと感じたのです。こう思い至ったときに、疑問が解明したと感じました。

Q:展覧会『オペラ座のドガ』のプレス発表時に、あなたはドガがダンサーの痛みや疲労を描いていることに言及しました。

A:彼のデッサンですね。あいにくとオルセー美術館に彼の没後100周年の記念に開催された『ドガ、ダンス、デッサン』展は見ていないのです。でも、今の時代はいろいろな方法で情報を集めることができますから。

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ニコラ・ポールによる創作『Réplique』
ダンサーはステファン・ビュリオンとリュドミラ・パリエロ
photo Opéra national de Paris

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アンヌテレサ・ドゥ・ケースマイケルの『Rain』
photo Benoite Fonton/ Opéra national de Paris

Q:ステファン・ビュリオンを選んだ理由は何でしょうか。

A:彼との関係については定義が難しいですが、お互いに相手の語ることにごく自然に耳を傾け、二人の間には信頼があります。言葉なしに行動を共にできる・・・こうした関係によって仕事は簡単になり、とてもスピーディに進みます。より先へと進むことができます。これは、まず相手の信頼を得るところから始める仕事とは、別物です。ステファンと仕事をするたびに、彼のおかげで限界を超えることができるんです。なんといっても例外的レヴェルのダンサーです。オペラ座というメゾンのダンサーと仕事ができるのは彼に限らず、コレグラファーとして大きな幸運なのですが、彼の慎み深さ、力強さの裏に隠された脆さがとりわけ僕の琴線に触れるんですね。心の脆さを語るとき、彼は恐ろしいほどの力強い身振りで語ります。同じ瞬間に別のことを語るという、もともと僕は物事の曖昧な面が好きなんです。 彼の暴力的な体の動きが脆さを語る・・・ これは誰にでも与えられているものではありません。

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「椿姫」
photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

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『オルフェとユリディーチェ』
photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

Q:若手ダンサーの選択はどのようにしたのでしょうか。

A:オペラ座で公演があり、クリスタル・パイトの創作もある時期の催しです。誰が可能なのかということをオーレリーと話し合いをした結果に決めました。オルセー美術館での催しは予定されていた以上に規模が大きくなって、最初に予想していたより多数のダンサーが必要になったのです。もちろん同僚なので、カンパニーのダンサーは誰でも知っています。だから、この催しのために特別なオーディションはしていません。今回一緒に仕事をする7名はよく知ったダンサーばかり。ステファンなどは20年以上もの知り合いです。彼の舞台はすべて見ているし、同じ舞台にも立っているし・・・。外部の目には、僕はいつも同じダンサーとばかり仕事をしているという印象がもたれるかもしれません。確かに僕には忠実な面があり、結びつきを重んじ、共に成長してゆくのがすきなので・・でも、新たなダンサーを発見することも大いなる喜びですよ。

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ニコラ・ポールによる創作『Répliques』photo Agathe Poupeney

Q:初の創作作品の発表は2001年ですか。

A:振付はオペラ座のバレエ学校に入ったときからやってみたい、と思っていました。僕の学校時代、ディレクターはマダム・ベッシーで、毎年学校でのお祭りが催され、これは生徒たちが自分のしたいことを発表する機会だったんです。僕はこれをとっても重要な企画とみなしていて、よりよいものを見せたいと思うあまり、毎年、''初創作を発表するぞ ! '' と言うものの、せず仕舞いとなりました。作りたい気持ちはあっても、自分が準備できている、と感じられなかったんですね。最初に小作品を発表したのが2001年です。ブリューノ・ブーシェ(元オペラ座スジェ、現ストラスブール・オペラ座芸術監督)が組織していたグループのために彼からオーダーがあったのです。まだグループがアンシダン・コレグラフィックと名乗る以前のことですが、それ以降、毎年創作をこのグループのためにするようになり、その後、ジョゼ・マルティネーズからも彼のグループのためにと依頼され、そしてブリジット・ルフェーブル(前前オペラ座バレエ団芸術監督)からオペラ座の公演のためにという依頼があって・・・。オペラ座のバレエ学校のために創作した『D'ores et déja』はレパートリー入りし、何度も踊られています。海外での創作も経験しています。

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ベアトリス・マッサンとニコラ・ポールによる学校のための創作『D'Ores et déjà』
photo Svetlana Loboff / Opéra national de Paris

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ベアトリス・マッサンとニコラ・ポールによる学校のための創作『D'Ores et déjà』
photo Svetlana Loboff / Opéra national de Paris

Q:振付の出発点は音楽ですか。

A:確かに最初の頃はこの作曲家で振付けようとか・・・例えば『Sept mètres et demie au-dessus des montagnes』のときは、中世かルネッサンス初期の音楽でというように始めました。でも経験ゆえかどうかはわかりませんが、徐々に作品全体の構成から出発するようになっています。音楽は自分が望む舞台装置によって決定され、照明は実際は照明さんがするにしても雰囲気は僕の頭にあり、僕なりの意図があり、それら複数の要素がルービックキューブのように1つ動かすと、他も動いて、というようにカチャカチャと作動して、最終的におさまるんです。出発点に何か1つがあって、という進め方は今ではできなくなっています。この ''ドガ・ダンス'' についても同様です。創作において常に心がけているのはシンプルであることです。僕のやり方は可能な限りエッセンシャルだと自分に思えることに集中します。アクセサリー的にディテールをプラスするのは好きじゃないですね。

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『Sept mètres et demi au-dessus de montagnes 』
photo Julien Benhapou/ Opéra national de Paris

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『Sept mètres et demi au-dessus de montagnes 』
photo Julien Benhapou/ Opéra national de Paris

Q:ブリューノ・ブーシェ、ヴァンサン・シャイエ、シモーネ・ヴァラストロなどオペラ座で振付をするダンサーはあなたと同世代なのは偶然でしょうか。

A:ブリジット・ルフェーヴルが用意したプログラムのおかげで、僕たちは多くのことにアクセスがありました。気に入る、気に入らないは別にしても、考え直させられたり、疑問を感じさせられたり・・・こうしたことによって僕たちは豊かになったせいでしょうか。それに時代もありますね。オープンな精神をダンサーが得ることができて、だから同僚が創作することには驚きません。むしろ振付をしないダンサーに驚きます(笑)。オペラ座以外のバレエ団のダンサーと話す機会があったのですが、素晴らしいダンサーなのだけど、彼らが仕事をするのは4〜5名のコレグラファーとだけです。僕はいったい何名のコレグラファーと仕事をするチャンスに恵まれたのだろうと思いました。創作を始める前は、自分の気に入らない作品を踊るのが難しかったんですよ。でも、成熟したせいもあるかもしれないけど、自分で創作するようになったら寛大になりました(笑)。 特に評価しない作品でも踊る喜びはあるのだ、と理解したんです。好きじゃないから、という言い訳で自分からそれを取り上げるのは馬鹿げている、と。

Q:これまでの舞台で踊って最大の喜びが得られた作品は誰が振付けたものですか。

A:ちょっと当たり前かもしれませんが、ピナ・バウシュです。彼女の作品は何度も踊り、もっと踊りたいと思います。『春の祭典』は高尚な作品に感じ、ここに自分の居場所があるのか、と思った唯一の作品です。『オルフェとユリディーチェ』も踊っていて幸せを感じました。アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの作品もよく踊っていて、彼女の作品を踊るとき舞台上で大きな自由を感じることができましたね。

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ピナ・バウシュの『オルフェとユリディーチェ』photo Agathe Poupeney/ Opéra national de

Q:ダンスを学びはじめたきっかけは何でしょうか。

A:フィギュアスケートをやっていた姉が、そのためにダンスも習い始めたということがあります。僕は家の中でいつも踊ってる、という子供でした。父がよくバッハを聴いていて、僕はバッハで踊るのが好きでした。 ストラスブルグで僕は習い始め、徐々にレッスンの時間が増えていき、いろいろなバレエ教師に会い、僕にはダンスの才能がある、となって・・・。僕は踊るのは好きだったけど、舞台に出ることにはちょっと疑問があった。僕たちは舞台上で恐怖や怯えを克服するというのに対し、いったいなぜ人々は劇場に来るのだろうかって。バレエ学校に入ることについては、11歳で自分で決めました。その決心は今でもよく覚えています。でもそれはキャリアの決定ではなく、ダンスを学びたい、よりよく踊りたい、よい教師と仕事をしたいということからです。ダンスは僕にとって欲望ではなく必要なものでした。もっと静かな気性だったら、おそらく音楽家になっていたでしょうね。子供の頃は、ピアノとヴァイオリンを習っていました。

Q:現在すでに定年後のための準備中だそうですね。

A:今、41歳で来年3月にオペラ座を去ります。その後にしたいのは振付ですが、 いかに舞台照明を構想するか、実現するかを学びたいので、照明技師の仕事の研修中なんです。これは最初の創作をしたときから、ずっと願っていたことです。やっと叶ったといえます。照明は公演をつくりもすれば、台無しにもする。バレエは照明がよくなければ、時代に痕跡を残すことができません。

Q:自分をダンサーと感じていますか、コレグラファーと感じていますか。

A:今の時点では照明技師って感じています。目的に向けて、今は一時的な段階ですが、10ヶ月続く研修で、この半年、完全にその世界に浸っていますからね。 プロジェクターの修理とか手が汚れて・・・照明技師というのは冗談で。自分はコレグラファーだと感じています。ダンサーのキャリアはすでに自分の後ろにあります。過去を振り返るより、先に見えるプロフィールに自分を感じることが大切だと思います。

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創作『Répliques』のリハーサル、リュドミラ・パリエロと

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