オペラ座ダンサー・インタビュー:トマ・ドキール

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Thomas Docquir トマ・ドキール(コリフェ)

昨年末『白鳥の湖』でロットバルト役を踊ったトマ・ドキール。当時20歳の彼だったが、若さを感じさせない見事な役作りで主人公のエトワール2名を相手に堂々たる舞台を見せた。現在 オペラ『イオランタ』と合わせて踊られる3名の振付家による『くるみ割り人形』では、エドゥアール・ロック振付のパートに配役されている。スピーディで機械的な動きを確実に自分のものとし、同じ動きをするダンサーたちの中でも、ひときわ目を引く彼。これからの成長が楽しみなダンサーの一人だ。

2015年に入団し、最初のコンクールの結果2017年よりコリフェに昇級。現在21歳だが、クラシック作品とコンテンポラリー作品の両方で優れたダンサーであることをすでに証明済の彼は、頼もしい戦力として6月末からのシンガポール・上海ツアーに参加する。インタビュー当日は朝のクラスレッスンの後、ツアーで代役に配されているジェローム・ロビンスの『イン・ザ・ナイト』の第三パ・ド・ドゥの稽古を終えたという。ロットバルト役でみせた成果も含め、同世代のダンサーには見られない落ち着きのある風貌が彼の武器となっているようだ。バレエ団上層部の期待のほどが感じられるトマ・ドキールは、どんな青年なのだろうか。

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photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:5月24日までパリ・ガルニエの『イオランタ/ くるみ割り人形』の舞台ですね。

A:はい。この作品は3年前の創作時には踊っておらず、今回が初めてなんです。エドゥアール・ロックのパートを踊っていて、そして主人公ヴォーデモンの代役でもあります。シェルカウイ振付のパ・ド・ドゥのリハーサルもしました。ロックと初めての仕事ですけど、とっても興味深い。猛烈なスピードの動きを続ける彼の振付は、まずゆっくりとしたスピードで稽古をします。そして徐々にスピードアップしていく、というやり方なので、作業工程はとっても長いんです。最初はどうなるか心配だったけれど、この方法により出来るようになりました。プレ・ゲネプロから初舞台までは一週間あって、その間にもスピードアップしてできるようになりました。

Q:主人公ヴォーデモン役もチャンスがあれば踊ってみたいですか。

A:最初、ぜひともと思っていたのだけど、この役の稽古をする時間があまりなくって・・・。だから、もし突然ある晩舞台がある!ということになったら、すごいストレスを感じてしまうでしょうね。稽古にたくさんの時間をかけられてヴォーデモン役を舞台で踊れるのなら、それはうれしいことです。

Q:代役として準備万端だったのに舞台なしに終わって、残念に思った作品はありますか。

A:これまで何度か代役として舞台にたつことができています。コリフェに上がったときに『アゴン』のパ・ド・トロワの代役だったけど、あいにくと怪我してしまったのでこれについては踊れたか踊れずじまいだったかは、わかりませんけど。

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「白鳥の湖」photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris(フローリアン・マニュネ、アマンディンヌ・アルビッソンと)

Q :『白鳥の湖』のロットバルト役。これも最初は代役だったのですか。

A:はい。ロットバルトには4名が配役されていたのですけど、その中のフローリアン・マニュネが王子ジークフリートを踊ることになったので、僕がロットバルト役を踊ることになったんです。『白鳥の湖』ではパ・ド・トロワにも配役されていたけれど、これは踊らずじまい。踊りたかったですね。このパ・ド・トロワは肉体的にすごくきつく、たっぷりと稽古に時間をかける必要があるんです。

Q:ロットバルトはこれまでのダンサー人生初の大役ですね。

A:まさしく! 通常はエトワールの役ですから 。

Q:過去に見たロットバルト役で、印象に残っているのはどのダンサーですか。

A:その質問の答えは決まっています。カール・パケット。僕にとってロットバルトといったら、彼なんです。入団前に彼を見ていていて、そして入団後、前回2016年の『白鳥の湖』の時も見ています。彼のロットバルトは僕が演じたいロットバルトなんです。

Q:どのようにロットバルトという人物をみていますか。

A:こうした役というのは自分に似ているように演じるものです。 僕はフランソワ・アリュのロットバルトの大ファンなんです。すごくカリスマ的でおどろくほど印象的で。でも僕の思う人物像はカール・パケットのロットバルトなんです。穏やかだけど威厳があって、ノーブルではないけどノーブル、意地悪で力強いというより陰険で悪徳・・・という人物。フランソワ・アリュのロットバルトよりこのロットバルトの方が、技術的な可能性、そして身体面から僕にはふさわしいのです。

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「白鳥の湖」photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:視線の仕事にも時間をかけたように見えました。

A:ロットバルトというのはしょっちゅうある役柄じゃないですから、朝、ハミガミしながら鏡に向かって凝視したりなど、視線の仕事をしていました。廊下を歩く時も歩き方を研究したりして。準備段階で進歩があって、演じるのが本当に快適な役でした。 シーズン末の上海ツアーでロットバルト役をまた踊れるので、すごくうれしいです。待ち遠しいですね。

Q:ロットバルト役のコーチは誰でしたか。

A:リヨネル・ドラノエです。彼もこの役を何度も踊っています。''それは良いからキープしよう'' ''それはトゥーマッチだ''というように、細かい部分までアドヴァイスをもらいました。この作品の主人公はプリンスと白鳥だということは忘れてはならないけれど、ロットバルトは物語の道しるべのような存在で彼がすべて支配しているんです。そのバランスを見つける必要がありました。その点リヨネル・ドラノエと仕事できたのは幸せなことでした。100パーセント信頼を置くことができる人です。

Q:実際に舞台で踊ることになったと知ったとき、どのように思いましたか。

A:僕はコリフェですから、まず代役に選ばれたことにすら、とっても驚いたんです。コリフェがロットバルトを踊るなんてありえないことだって。公演があると知った時は、まずはすごく大きな喜びがありました。もちろんですよ。そして同時にものすごいストレス。第二キャストだから公演日はそう先のことではないし、ああ、これはしっかりと身を入れて仕事をしないと、と。ドロテ・ジルベールと同じ舞台にたてるとわかったときは、とにかくうれしかったですね。彼女は僕が崇拝するダンサー。小さいときからのファンで、ナンテールの寮の部屋に彼女のガムゼッテイと『くるみ割り人形』のポスターを貼っていたくらいなんですよ。

Q:ドロテがプティット・メールでしょうか。

A:いえ、プティット・メールはいません。なぜ誰にも頼まなかったのだろう・・・もし誰かにお願いするとしたら、ドロテ・ジルベールだったでしょうね。でも、彼女にはすでにたくさんの子供がいたので・・・。それに僕はプティ・ペールにとても満足してたので。フロリアン・マニュネが僕のプティ・ペールで、小さいときによく面倒をみてもらいました。僕が第五ディヴィジョンのときに、彼を舞台でみて素晴らしい!ワーオ!となって、お願いしたんです。ちょうど彼がプルミエ・ダンスールにあがったときで、彼のことがよく話題になっていた時期です。

Q:プリンス役はユーゴ・マルシャンでした。

A:はい。僕より大きい彼に対して、威厳を見せることができるだろうか、などと最初は思ったのですが・・・ドロテとユーゴにはとても暖かく迎えられました。彼ら、コリフェと踊るなんて予測もしてなかっただろうけど、とても親切に僕をいろんな面で助けてくれました。ジョン=ギヨーム・バールも現場にいて、ユーゴより僕が小さくても、僕が若くても、関係が上手くゆくように彼がコーチをしてくれました。この仕事はとても快適な時間でした。

Q:プリンスがロットバルトより大きい時、仕事は厄介ですね。

A:ぼくは小柄ではないけれど、ユーゴに比べれば小さいですけれどその点に閉じ込められたくなかった。役の信憑性が薄れることのないよう、やり過ぎにならないようにと心しました。 年齢の違いは重要ではない。というのも、ユーゴが与える役柄は心に不安をかかえたプリンスなので実年齢より彼は年を下げ、その逆に僕は自分の年齢より上にみせるようにしてと、こうしてバランスを生みだすことで上手くゆきました。

Q:頬にしっかりとチークを濃く入れたメークが効果的でした。

A:ロットバルトは20歳じゃないですから、メークもぼくを老けさせるのに役立ちましたね。頬、目のまわり、額などにしっかりとメークを施し、加齢させかつシビアな印象を生み出しました。ヘアスタイルもそう。こうした仕事にはオペラ座のメークの人たちは熟練しています。プレ・ゲネプロで初めてメークをし、リヨネルにこの髪型、この化粧はどうだろうかって相談をしたんですよ。

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「白鳥の湖」photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

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「白鳥の湖」photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:上海ツアーでは誰と踊りますか。

A :『白鳥の湖』は4公演があり、配役は2つ。僕はロットパルトを2回踊ることになるのでしょうね。ドロテ・ジルベールとポール・マルクと踊ります。パリではドロテとユーゴだでけなく、最終的に3カップルと踊ったんですよ。アリュの代わりにアマンディーヌとフローリアンと二回。プティ・ペールのフロリアンがジークフリートで僕がロットバルトというのは、最高の経験でした。シリーズの最後にユーゴがヴァランティーヌと踊ったときにも僕がロットバルトでした。パリではポール・マルクとは踊らなかったので、上海が初めてになります。ドロテ、そして信じられないほど素晴らしいダンサーのマルクと一緒という配役にはすごく満足しています。

Q:ロットバルトのケープの扱いには苦労しましたか。

A:簡単ではなかったですね。とりわけ黒鳥の場が。これはトレーニングあるのみ。稽古の初日からケープをつけていました。ぼくだけでなく他のダンサーが足をとられることになったら危険ですからね。それにタイミングを体得する必要もありました。腕にケープをまきつけるシーンでは、そのままアダージヨがあるのでそれが可能なようにまきつける必要があり、ソリストとのリハーサルでケープをつけて稽古をするのはもちろんのこと、さらにコーチと二人でケープをつけて稽古を繰り返したんです。この役に精通しているリヨネルに教わることで、とても安心できました。どちらの腕に巻きつけるのか、どこでケープをはらうのか、といった細かいポイントをすべて指導してくれたんです。

Q:ベルギー出身ですね。

A:はい、ベルギーの南部の田舎町で育ちました。一番近い街はナミュールといって、ブリュッセルから1時間くらい南方に位置しています。フランスの国境からもそう遠くありません。

Q:そこでダンスをはじめたのですか。

A:はい、8歳のときに始めました。でもなぜダンスかと聞かれるたびに、考えてしまうのです。家庭環境かもしれません。父はバイオリニストなので自宅では音楽が流れ、母はクラシック・ダンスを10年習っていたのでダンスの写真があって・・・。ダンスを習いたいって、7歳のときに両親に頼み、4年間、ベルギーの教師から学びました。彼とは今でもよい関係です。フランスのショソン・ドールやグラスなどでさまざまなコンクールに参加し、その間に審査員だったダンス界の人々と知り合って、12歳のときにオペラ座のバレエ学校の試験をうけるようにと勧められたんです。オペラ座のことは知っていましたけど、どんな風なオーディションなのかと試験を受けるだけでも興味深々で臨みました。結果入学することになり、研修後第五ディヴィジョンからスタート。クラスでも上位の方で、そのままプルミエール・ディヴィジョンまで毎年順調に上がってゆき、17歳で入団しました。

Q:学校で寮生活することに不安がありましたか。

A:はい。でも入る前だけのことで実際に寮生活が始まったら、すごく快適でなにも問題なかったですね。両親が少し恋しいというのはあったにしても、それは小さい子供には誰にでもあること。ダンスへの情熱を共有してる子供ばかりなのですぐに仲良くなって、寮生活に簡単に馴染むことができました。それにベルギーの自宅には毎週末帰っていたし・・・とても良い寮生活を送ったといえます。

Q:寮では自分が慣れ親しんだジャムなどを朝食用に持ち込めるのでしたね。

A:そう。僕はニュテラ(チョコレート味のヘーゼルナッツ・ペースト)でした。食堂のガラス棚にニュテラのボトルがずらりと並んでいる光景はおかしかった。それぞれ名前がふたに書いてあって、毎朝、各人が自分のニュテラをとりに行って・・・。

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「グラス・ピーシーズ」(左から二人目)photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris

Q:学校時代のもっとも良い思い出は何でしょうか。

A:学校公演の『ドーレ・デジャ』ですね。2013年のクリエーションに参加し、そして2015年に再び踊りました。この作品は学校の生徒をコンテンポラリー・ダンスへと導く、とても良い作品だと思います。 これはぼくにとって創作参加の初体験。完成するまでの工程は特殊で、とても難しかったけれど良い思い出として残っています。素晴らしい経験ができました。そしてプルミエール・ディヴィジョンで踊った『祭りの夜』ですね。良い役に配されました。

Q:悪い思い出はありますか。

A :・・・・ないですね。でも、辛かったのは第四ディヴィジョンのときの怪我ですね。7か月休むことになりました。この年に急に背が伸びてたんです。膝の成長病ゆえに10月から5月まで、まったく踊れなかったんです。これはとても辛い時期でした。他の生徒に遅れをとってしまうのでは、とか頭の中でいろいろ考えてしまって。寮生だったので午前の学校の授業には普通に出て、午後のダンスの授業は教室に座って見学していました。 見学することによって、最終的にはとても多くのことを学べたんですよ。学年末試験の前にダンスに戻れて、さほど大きな遅れをとらずにすみました。というのも休んでいる間他の生徒がすることを見て、教師と話しをして、実にたくさんのことが理解できたんですね。見て学ぶことがどれほど大切なことか。 ただひたすら繰り返すのではなく、距離をおいてみること。何度も繰り返す前に理解する時間が 必要だと知りました。その年は学年の一番で終えることができましたから、 悪い年ではなく上手くいった年といえます。

Q:同時に入団したのは誰でしょう。

A:フランチェスコ・ムーラ、チェン・ウィン・ラム。そして女性はヴィクトワール・アンクティルとカミーユ・ボンです。

Q:男性3人ともフランス人ではないですね。

A:そういわれてみると・・・。ぼくは外国人といっても隣りのベルギーのフランス語圏出身だし、学校もずっとナンテールなのでフランス人とあまりかわりないですけど。確かにこの数年、外国人がカンパニーに増えていますね。これは良いことだと思います。外部から入団試験をうける人も外国人が増えてるようです。僕はベルギー人であることを誇りに思っているけど、フランス語にベルギーのアクセントも全くありませんよ(笑)。ベルギーのフラマン語地域出身だったら、フランス語を学ぶのに苦労したでしょうね。これも幸いなことでした。

Q:いつダンスを職業にしようという意識を持ちましたか。

A:とても遅いんです。学校に入った時点では、仕事としてダンスをしたいかどうかはわかっていませんでした。第二ディヴィジョンでカミヨー先生に出会い、ダンスこそぼくがしたいことなんだ、と理解したんです。僕にはダンスの能力があり、クラスでも良いメンバーの一人でした。学校公演で『ナポリ』のパ・ド・シス、代役でブルメイステル版『白鳥の湖』のパ・ド・キャトルなどを踊るようになっていて、こうしたチャレンジによって願望が生まれました。カミヨー先生は今でも僕のコーチなんです。

Q:ダンスの何が気に入ってる点ですか。

A:ロットバルトを踊ってから、ダンスにおけるアクティングには興味が湧いています。チャレンジも好き。すごく難易度の高いテクニックに挑戦するとか。何よりも舞台の上にたって、観客と分かち合うことが好きですね。観客はぼくたちが感じることを感じますからね。踊る目的はこれです。

Q:好みはクラシックかコンテンポラリーと聞かれたら。

A:今はまだ若いので、クラシック作品を踊りたいと思っています。苦難を乗り越え進歩をしたいと思うのはクラシック作品においてです。もちろんコンテンポラリー作品も好きですけど、クラシックに比べるとあまりしっくり感じないんです。でもクリスタル・パイトの『シーズンズ・カノン』の創作に参加したときは、信じられない経験をしました。前シーズンではケースマイケルの『大フーガ』も踊ってます。これは最初、絶対に踊れるようになれない、って感じました。地面に自分をたたきつけ続ける、という作品。3日リハーサルが続いたら、青あざだらけとなり、体中あちこち痛くって、きちんと座ることすらできず。でも最終的には良い経験となりました。そして今が『くるみ割り人形』ですね。コンテンポラリー作品はそれほど踊ってないけれど、毎回が良い経験として終わっていて、進歩もしてるので初期に比べると快適感があります。 と言っても、今の願いはクラシック作品で役を踊れることです。

Q:どういった役を踊りたいと夢みますか。

A:たくさんあります。もちろん『白鳥の湖』の王子役です。『オネーギン』のレンスキー役も好き。コンクールで課題曲でレンスキーのソロがあったけど、この時は空きが二席で僕は3位だったので昇級できませんでした。それから『マノン』のデ・グリユーも踊りたいですね。ロメオも。これらがぼくが好きな役です。

Q:上海ツアーでは『白鳥の湖』の王子の代役には選ばれていないのですか。

A:いえ。僕が踊るのはロットバルトです。パ・ド・トロワは代役で、そして第一幕のワルツと第三幕のスパニッシュ・ダンスを踊ります。そして『イン・ザ・ナイト』は第三パ・ド・ドゥの代役。ツアーでは『シーズンズ・カノン』もあって、これも踊ります。『白鳥の湖』は上海だけで、ミックス・プロはシンガポールが4回、上海が2回。ツアー参加者にはなかなか濃い内容なんです。

Q:来シーズンはクリスタル・パイトの新作があります。そのオーディションは始まったのですか。

A:今まさにリハーサル・スタジオでその最中なんですけど、僕はオーディションに参加していません。 この作品を踊るダンサーは『ライモンダ』は踊れないので、それゆえに普段のように全員がオーディションに参加する形式ではないんです。僕はクラシック作品が踊りたいので、『ライモンダ』組でうれしいです。といっても、まだ配役も何もでていないので、確定ではないですけど・・。確かなことは、クリスタル・パイトの新作は参加しないということです。

Q:来シーズンのプログラムで、何か気になる作品がありますか。

A:繰り返しになるけれど、クラシック作品です。『マイヤリング』がレパートリー入りしますね。たとえ自分が配役されなくても、大好きなこの作品がオペラ座で踊られることがうれしいです。観客として見るだけになっても構いません。来年は どの国だかわからないけど、『オネーギン』のツアーがあるというように耳にしました。『ジゼル』という噂も聞いたので、正確なことは何もわかりません。

Q:来シーズンは来日ツアーがあり、プログラムの1つは『ライモンダ』であると招聘元のNBSがすでに公表しています。

A:『オネーギン』でも『ジゼル』でも、日本でツアーがあるのならとてもうれしいです。ツアーに参加をしたい、それにまだ東京に行ったことがないので・・・。

Q:学校時代に訪日ツアーはなかったのですね。

A:僕の時代、ツアーが全然なかった。1つあったけど、国内のエクサン・プロヴァンスで、これはもちろん楽しかったけれど・・・。今年、初めてアブ・ダビへの大きなツアーに参加したんですよ。『ジュエルズ』のダイヤモンドのコール・ド・バレエを踊りました。これはパリでも踊っていて、好きな作品です。ソリストのパ・ド・ドゥは素晴らしく、美しい作品ですね。音楽もコスチュームも素晴らしい。この衣装をつけると、舞台の上で自分が綺麗だと感じられるんです。アブ・ダビではエメラルドの代役も。これはしっかりと稽古をしたので、踊れといわれたら踊れましたけど出番なしで終わりました。

Q:オペラ座の外の活動として、ガラには参加しますか。

A:はい、イヴォン・ドゥモルとジェニファー・ヴィゾッキのグループ''アンシダン・コレグラフィック''に参加します。雰囲気の良いグループですよ。メンバーはみな仲良しで、彼らとフランス国内あちこちゆくのはとても楽しい。それにガラではクラシックのパ・ド・ドゥを踊れます。ソリストの役を踊って経験を積む良い機会なんです。

Q:演目は選べるのですか。

A:僕たちが踊る劇場からリクエストされることが多いですね。クラシックでとかコンテでとか、あるいはこの作品でというように。劇場の希望にあわせてジェニファーとイヴォンが僕たちに作品を選びます。『グラン・パ・クラシック』があると、過去に何度も踊ってる僕が踊ることになっています。 イヴォンの創作を踊ることもあります。僕に創作されたのではないけれど、『ロメオとジュリエット』。それから『1827』『ブルー・サンデー』のパ・ド・ドゥ・・・踊るのが快適な作品です。

Q:パートナーは決まっていますか。

A:はい。カミーユ・ボンと踊ることがとても多いですね。学校で一緒だったし、入団も一緒だし・・コリフェにあがったのも同時。気があうし、彼女は大柄なのでぼくとの身体的なバランスもとても良い。彼女と踊れるのはうれしいです。それから最近はナイス・デュボスクと踊ることも増えています。彼女と踊るのも好き。大変美しいダンサーです。

Q :『グラン・パ・クラシック』は2017年に京都で踊っていますね。

A:この年、アルチュス・ラヴォーとオーバンヌ・フィルベールが京都の公演に参加することになっていたのだけど、二人とも怪我をしてしまって。2週間前に急遽、僕とユージェーヌ・ドゥリヨンが行くことになりました。 『グラン・パ・クラシック』を2週間で踊れるように、というのは大チャレンジでしたね。この時エリック・カミヨーも京都にいて、彼と仕事をしました。僕は有馬バレエ団のダンサーとも踊る作品があったので、その稽古のために早い時期から京都に着いていました。時差を回復し、良い環境で稽古ができて・・・それに京都観光もしました。人は親切だし、街は清潔で、食べ物は美味しい。とりわけ気に入ったのは祇園です。

Q:その後『グラン・パ・クラシック』をコンクールの自由曲に選んでいます。

A:はい。2018年3月のコンクールで課題曲がレンスキーのソロの時、自由曲にこれを選びました。コリフェにあがったのは、2016年11月のコンクール。初めて参加したコンクールです。このときの自由曲は『白の組曲』のマズルカ。毎年これを踊れたらって思うくらい、大好きなんです。 コンクールに参加するときは、これを選ぶ、ってずっと以前から決めていました。最初のコンクールでこれを選び、コリフェにあがったのですが、その後参加した2回のコンクールでは空席2席で僕は毎回3位。この結果 は励みになることです。スジェにあがりたいですけど、まだ若いのでさほど急いでいません。その間に、テクニック面を確固たるものにする時間がとれますから。

Q:舞台にあがる直前に必ずするクセはありますか。

A:なぜかはわからないし、何の役にたつかもわからないけれど、舞台裏でこぶしで足の先から腿の上までとんとんとんとんと、あちこち叩くんです。活気を与えるためにしてるのかな。そして小さいソー。大きな深呼吸をして、舞台へ出て行きます。踊る作品にもよるけれど、ロットバルトのときは毎回これでした。

Q:毎朝の食事はきまっていますか。

A:ごく普通の朝食です。朝、目覚めのカフェが必要でカフェから始まります。そしてシリアルとフルーツをミックスしたフロマージュ・ブロン、ジャムをぬったタルチーヌ。オペラ座についたら2杯目のカフェを飲んで、しっかりと目を覚まします。リハーサルの都合で日中は食事時間が取れないことが多いので、朝はしっかりと食べるようにしています。自炊していて夕食には肉も魚も食べます。

Q:パリで自由時間があるときは何をしますか。

A:晴れた日にチュイルリー公園やセーヌ河岸などに、友だちとピクニックにゆくのが楽しみなんです。それからショッピングも 。ブランドがどうこうではく、新しい服を買うのが喜びなので。今は運転免許を取ってる最中で、来週からいよいよ街中での教習が始まります。

Q:私生活での夢は何でしょうか。

A:夢といったら旅ですね。旅が好き。時間があったら、都会暮らしから身を離すよう心がけています。オペラ座にいると自分自身のための時間をとれないので、しっかりと休息をとることも大切ですし。それに田舎出身の僕は、ダイナミックなパリから時々出る必要があります。1月の休暇では人生初の一人旅をしたんですよ。10日間、リュックを背負って、事前予約は何もせずにインド南端のケララ周辺を旅してきました。飛行機で向かうときは予約もしてないしといった不安は少しあったけれど、現地でいろいろな人と知りあって、順調に進みました。一人旅とはいえ、一人でいる時間はなかったですね。宿も簡単にみつかり、全然高くないし・・。食べ物はちょっと香辛料が強くって、最初の晩はお腹をこわしたけれど、これはインドを旅する人ならみな通過すること。もしまた機会があれば、ぜひ一人旅にでたいです。次はベトナムかな・・・・。僕は旅先からなんでも持ち帰る癖があるんです。エアチケット、地下鉄のチケット、地図・・・自宅には箱があってそこに全部まとめています。いつか旅のアルバムをこれで作るかもしれません。

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