オペラ座ダンサー・インタビュー:シルヴィア・サン=マルタン

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Silvia Saint-Martin シルヴィア・サン=マルタン(スジェ)

昨年末、オペラ・バスチーユで公演があった『シンデレラ』。エトワールのアリス・ルナヴァンの主役降板により、代役のシルヴィアはフランソワ・アリュをパートナーに舞台で3回踊るチャンスに恵まれた。その後、リドベルグの『婚礼』で彼女は第一キャストと第二キャストの2役を得て、全18公演を踊る活躍ぶり。4月16日からは、「レオン、ライトフット/ ファン・マーネン」に配役されている。

現在27歳のシルヴィア・サン=マルタンは2008年に入団した。コリフェに上がった2011年、カルポー賞をアルチュス・ラヴォー(ピエール=アルチュール・ラヴォーから改名)と共に受賞。2012年、スジェに昇級したものの、怪我で3年間の舞台から遠ざかることに。もっとも復帰以降は配役に恵まれている。クラシック、コンテンポラリーともに彼女のテクニックは評価が高い。入団当時はシルヴィア=クリステル・サン =マルタンとフルネームで配役表に載っていたが、あまりにも長すぎるということから、現在のようなシルヴィアという表記になった。

Q:代役だった『シンデレラ』は、公演開始前に本公演で踊ることが決まったのですね。

A:はい。こうした3幕の古典大作の代役に選ばれたのは初めてのことだったから、これだけでとても満足してました。大役を学べるこの機会を満喫しよう ! って。でも同時に、舞台で踊ることはない ! と頭の中で自分に言い聞かせていたんです。 フランソワと舞台で踊るということが知らされたのは、11月のコンクールの少し前のこと。舞台で踊れるというのは、驚きが大きすぎて実感するのに時間が要りました。稽古はすぐに始まりました。でも私たちの最初の公演が 12月8日のマチネだったので、ちょっと準備期間が短いなという感じがし、それに フランソワと一緒に踊ったこともなかったし・・・。

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「シンデレラ」photo Y.Kellerman/ Opéra national de Paris

Q:あいくにと''黄色いベスト運動'' のデモのせいで、12月8日の公演はキャンセルになりました。

A:そうなんです。この日を待っていたというのに・・・いろいろなことが起きるパリですからね。ファブリス(・ブルジョワ)が私たちを素晴らしく指導してくれたおかげで、8日にはちゃんと舞台に出られる準備はできていました。とはいえ、フランソワも私も気持ちのどこかで、ちょっと安心したんですよ。 おかげで次の15日の公演まで1週間稽古の時間が稼げた、って。リハーサルはとても良い雰囲気で進みました。フランソワは親切だし、とてもリラックスしていたし、ファブリスも私の言うことに耳を傾けてくれて。それにオーレリーのサポートも感じることができました。代役に配され、そして実際に代役を果たせるチャンスをもらえたことは、とっても大きな喜びです。

Q:前回のコンクールの自由曲に『ライモンダ』を選んでいます。ヌレエフ作品が好きなのですか。

A:過去にも彼の作品は舞台で踊ったことがあり・・・実は怪我で長く休むことになったのは、前回の『シンデレラ』の公演のときだったのです。だから、この作品で休むことになり、その次の公演ではその主役を踊れることになったということに、 ちょっと不思議な巡り合わせを感じました。

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「シンデレラ」photo Y.Kellerman/ Opéra national de Paris

Q:シンデレラは踊ってみたい役の1つでしたか。

A:はい。公演のたび舞台裏から、シンデレラ役のダンサーたちを見ていました。入団直後にこの作品の東京のツアーがあって、それにもコール・ド・バレエで参加しています。だからシンデレラ役には自分なりのアイディアはありました。それに、よく知られた物語なので、他の役に比べるとこの役への最初のアプローチは楽にできるものです。もちろんチャップリンのシーンや、その後するべきことはたくさんありましたけどね。12月の公演では回を進めるごとに、進化してゆけたと思っています。見た目にはどうかわかりませんけど、感じることについて・・・舞台の上で少しづつ自由を見いだしてゆくことができました。それにこうした大作では、いかに持久力を配分するのか、といったことも学ぶ事ができ 、こうした機会が得られたのはとても幸運です。

Q:1年前の年末はアレクサンダー・エクマンの『プレイ』に配役されていました。

A:この創作では素晴らしい経験ができました。アレクサンダーが方向性を示し、それに対して私とヴァンサン(・シャイエ)が提案をする、といったやり方で、3人でパ・ド・ドゥをクリエートしたんです。楽しい仕事でした。パ・ド・ドゥが出来上がったのは舞台稽古の直前のことで、それまで私が舞台で踊るのかどうかはわかっていなかったのだけど、最終的にはヴァンサンと二人で毎晩舞台を楽しむことになりました。

Q:この作品に対して批判的なダンサーもいると聞きました。

A:舞台演出を見せる作品だったので、ダンサーにとっては踊りが少ないし、そして繰り返し的な面もあったので・・・。この創作にすごく長い時間がかけられています。私たちは1か月半だったけど、9月から創作に参加していたダンサーもいました。でも、だからといってその全員に舞台でするべきことがたっぷりあったという結果にはならなかったので・・・。でも『プレイ』はヴィジュアル効果の高い素晴らしい作品で、観客もオペラ座で良い時間を過ごせたと気に入ってもらえました。

Q:クラシック作品より、最近はコンテンポラリーに配役されることが多いですか。

A:半々ですね。前のシーズンはとてもコンテンポラリーが多かったです。6〜8か月間コンテンポラリー作品が続いて、クラシック作品はコンクールという感じで(笑)。そして『シンデレラ』があり、それからポンチュス・リドベルグの『婚礼』、次がレオン/ライトフットなのでまたコンテンポラリーですね。シーズンの終わりは、オペラ座のアジア・ツアーに参加します。何を踊るかはまだ知りません。公演内容は『白鳥の湖』、それからミックス・プロで『Blake works 1』と『Seasons's Canon』。この2つのクリエーションに参加しているので、ミックス・プロはきっと踊ることになるでしょうね。『白鳥の湖』はわかりません。

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photo Julien Benhamou/Opéra national de Paris

Q:『婚礼』に配役されていたので、今年の『白鳥の湖』は踊っていません。それは残念に思いますか。

A:いいえ。この作品はオペラ座では繰り返し踊られるものだから、またいつか・・・。それに次のシーズン2019〜20はクラシック作品が多いということだし。振付家と直接仕事をする経験が出来るので、コンテンポラリーに配役されるのは 嬉しいことなんです。でも、リドベルグとは最初に彼と会うことになったのが、『シンデレラ』の真っ最中。これは複雑な状況でしたね。シンデレラ役に集中したい時に、他のことを考えるのは難しい。『婚礼』のためには公式なオーディションがなく、ダンサーが個人的に彼とリサーチを始めるという形式でした。彼がダンサーの特性を知り、誰を選ぶか・・・という大切な機会が、シンデレラ役に没頭したいときに重なってしまって。別の世界に入り込んで、振付家に素材を与える、というのは、なかなか大変でした。辛かった。『シンデレラ』が終わってリドベルグとの仕事が再開するまでの間に、彼が過去に創った作品を探して見ることができたのだけど、抜粋程度しかなくって・・・。

Q:今シーズンの開幕作品の『デカダンス』を振付けたオハド・ナハリンについては事前リサーチは楽だったのではないでしょうか。

A:(笑)彼についてはたくさんありますからね。彼の映画(注『ミスター・ガガ 心と身体を解き放つダンス』)も見たし・・・。彼がオペラ座で稽古を始めるより前に、ダンサーたちは彼の仕事がどんなものかは知っていましたね。次のレオン/ライトフットについても同じです。

Q:『婚礼』では2つの役に配され、全公演を踊ったのですね。

A:はい。第二配役でソリストのカップルを4公演踊りました。この作品、創作にたった2週間しかなかったんですよ。とても短かくて、ポンチュス(・リドベルグ)は第一配役に集中して仕事をすることになり・・・。だから第二配役についてはあまりリハーサルの時間がなかったのだけど、みんなで助け合ってとても上手く行きました。この作品では2つの異なる役でも、同じコスチューム。だから、配役が変わることで別の物語が舞台上に生まれる結果になったと思います。長いブルーのドレスを着てオーレリア(・ブレ)が踊る役を、振付は同じだけど私はミニドレスで踊ったのですから。彼の仕事は振付より、彼が語りたいことのリサーチというのがメインでした。このバレエはテクニックはそれほど複雑ではなく、語りたいムーヴメントによって情動を語るというものです。ダンサーは動作に集中しました。走る、転ぶといったシンプルに見える動きは感情を舞台上に旋回させるためです。それのリサーチでした。私にはスピーディな進行が必要なので、一旦、振付が出来上がったら感情面に時間をかけたいのです。でも稽古では繰り返しが続くことがあって、集中を保つのが難しくなるとリサーチが簡単ではなくなってしまう、ということもありました。

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「 Play」
photo Ann Ray/ Opéra national de Paris

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「Bella Figura」
photo Ann Ray/ Opéra national de Paris

Q:コレグラファーは各人各様のスタイルがあります。誰のスタイルにもすぐに身体は対応できますか。

A:わかりません。でもより簡単に作品に入り込めるコレグラファーというのは、確かにいますね。オペラ座でクリスタル・パイトと仕事ができたことは、本当に喜びそのものでした。『Seasons' Canon』の公演中、エトワールのリュドミラ・パリエロに代わってパ・ド・ドゥを踊ることもできて・・・でも、何よりもクリエーションそのものが、素晴らしかったですね。彼女はとても寛容な女性。仕事を始めるや、すぐに目の前の50名のダンサーに集中し、それぞれのダンサーについて把握をし、各自に可能な限りのものを与えてくれました。ダンサーにたいするリスペクトがあり、惜しみなく与えてくれて。だから創作に参加したダンサー全員がそれに対して無関心ではいられませんでした。『Season's Canon』の初日にみんなで''さあ、行くぞ ! 超えるものは出来ないというくらい上手に 、彼女のためにこの作品をやり遂げよう ''というヴァイブレーション、力強さが感じられて。こんな風にダンサーが一丸となるなんて・・・すごい経験ができました。フォーサイスの『Blake Works 1』も、クリエーションに参加したダンサーたちは意欲的でした。私は仕事の再開から間もなくの事だったので、この作品にみんなと同じように向かい合えるほどのテクニックを持っていなかったので大変でしたけど。でもトータルで言えることは、初めての振付家と仕事をするのはいつも興味深いということですね。

Q:怪我では、オペラ座を長く不在にしたそうですね。

A:はい。くるぶしの怪我で3年間踊りませんでした。1年どころか、たとえ2週間踊らないというだけでも厄介だというのに。当然、復帰は筋肉、テクニック・・・すべての面で大変でした。それに手術の後に感覚を取り戻すことも。3年してオペラ座に戻り、外観はダンサーに見えても、自分がダンサーだと感じることができなかった。 休んでいる3年間、もし復帰できなかったらという思いに不安になり、それに、たとえ復帰できても自分の思うようには踊れないという限界があるのでは、など、こうしたフラストレーションに脅かされていました。

Q:復帰後はしばらくは様子をみて舞台へ、という状況でしたか。

A:いえ。クラスレッスンではつま先立ちがやっとできるという程度の状態だったのに、『ラ・バヤデール』のパ・ド・トロワをすぐに踊ることになったのです。それは私をプッシュするためだったのですね。3年間留守している間に芸術監督が代わっていて、戻ったのはミルピエ芸術監督の時代でした。パ・ド・トロワは彼の補佐をしていたバンジャマン・ペッシュがコーチをしてくれ、「痛いのかもしれないけれど、調子良さそうに見えるよ」と。彼がそういってくれても、舞台の上で自分本来の踊りではないものを見せることを受け入れるということは、私には恐ろしいことだった。辛いことだった。でも自分は弱みを抱えていると思い込んでいたのだけど、それは頭の中のことで、この仕事によって進歩ができたのです。体験としては辛いことでも、次に進む段階として必要なことだったのですね。もともと完全主義的な面が極めて強いのですが、受け入れなければならないことがあることを学びました。

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「Bella Figura」
photo Ann Ray/ Opéra national de Paris

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「シンデレラ」
photo Y.Kellerman/ Opéra national de Paris

Q:どのようにダンスを始めたのか話してください。

A:小さいときから家でいつも何かしら踊っていたけれど、習い始めたのは9歳のときなので早くはないですね。きっかけは小学校の学年末にクラスメートと一緒に踊る公演があって、私が先導するような形で作品を作ったんです。見に来ていた同級生の親の誰もが、私の両親のところに来て「シルヴィアはダンスに向いている ! 」って・・・。私の両親も驚いて、すぐにバレエ教室に行ったのだけど、学期半ばですでに生徒の登録は終わっていて、「次の学期初めにいらっしゃい」と。次の学期初めには行かなかったけれど、その間に私の意思としてバレエをやってみたいという気持ちが強く芽生えて、教室に通い始めるようになったのです。

Q:オペラ座のバレエ学校は誰かに勧められたのですか。

A:私はニース生まれで、そこで私に基礎をしっかりと教えてくれたバレエ教室の先生が両親に提案したのです。私も両親もオペラ座のことなんて知りもせず、そもそも私が学校の公演で踊ったときも、その前にバレエを見たこともなかったし、ダンサーという仕事があることも知らなかったくらいで。オペラ座の学校にはいれるように、とその先生から1年半習い、試験を受け、合格したのです。学校は6年在籍しました。カンパニーに入団するまで、すべてが順調。寮生活は誰も同じだと思うのだけど、全然好きになれなかった。ニースでは夜も遅くまで起きていてという暮らしをしていたので・・・。でもバレエ学校で学べるのはすごいチャンス、幸運なことだとわかっていたので、とても満足でした。私をパリに出すことは両親には難しいことだったと思うので、幼くてもこれは大きな賭けなのだということが私の意識にありました。自分がなぜオペラ座の学校に行くのかがわかっていたので、家に帰りたいといって泣くこともありませんでした。私のために両親は大きな犠牲を払ってくれたのですから、私の気持ちはしっかりと決まっていました。

Q:学校に入ったとき、プロのダンサーになるという気持ちがすでにあったのですか。

A:それは全然。ただ踊るのが好きだっただけで、プロになるという意識はありませんでした。学校に入ってからヌレエフとマーゴの『白鳥の湖』をはじめ多数のバレエ作品をみて、理解したのです。これは仕事になることなのだ、バレエ団というものがあるのだと。

Q:2008年に17歳で入団したのですね。

A:そうです。そして2011年のコンクールの結果、スジェへの昇進が決まりました。ソリストへのアクセスのあるスジェになれば舞台で踊る機会がより増えて、素晴らしいと喜んだところ、その2011年の年末公演の『シンデレラ』で休むことになってしまったのです。『シンデレラ』では四季に配役されていたので、とても嬉しかっただけに、休まねばならないとなり、余計に悲しかった。ニースのバレエ教室時代のプティット・メールはいるのだけど、オペラ座ではプティット・メールでなくても、私をすごく助けてくれている人たちがいます。怪我から復帰して、私が自分のレヴェルを取り戻せるまでの多くの試練を乗り越えることができたのも、こうした人々のおかげ。今もずっと面倒をみてくれ、アドヴァイスをいろいろくれるんです。ミュリエル・ジュスペルギー、リュドミラ・パリエロ、ローラン・ノヴィス・・・特に彼は復帰の初期から私が自信回復できるようにと、仕事をみてくれました。それから、マリオン(・バルボー)を始めとする友達も。

Q:マリオンとは二人で映画にも出ていますね。

A:はい。随分と前になるけれどアニッサ・ボンヌフォンのプロジェクトで、ジェレミー・べランガールも出演した短編です。 マリオンのところにはいつもいろいろな話が持ち込まれ、私たちはとても仲良しなので彼女が私を誘ってくれるのです。マリオンと一緒に、もうじきレペットの撮影もあるんですよ。時々このように他所の世界を見るのはいいことですね。

Q:オペラ座で踊りたいと願っているのはどのような作品でしょうか。

A:たくさんありすぎるので答えるのが難しい。もっとも、この作品好き ! と思っていたのに、実際に踊ってみるとそれほど好きでもなかった、ということも時にあるし、その逆もあるし。入団した年に『ジュエルズ』を見て、ルビーを踊ることがそれ以来夢だったの。そして配役されて、しかも最初にもらった役で・・・ルビーはまた踊る機会が欲しいですね。古典の大作にも向き合ってみたい。『白鳥の湖』、これは夢。そして『ドン・キホーテ』。『ジゼル』も。これは来シーズンのプログラムに入っていますね。それに『ライモンダ』も。技術的にはすごく難しいでしょうけどこの作品のヴァリエーションはすべて美しい。コンテンポラリー作品だって、もっと踊りたいと思っています。

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photo Julien Benhamou/Opéra national de Paris

Q:ガラ公演に参加することもありますか。

A:はい。最近はオペラ座のイタリア人グループのサルデニアの公演に参加しました。私はイタリア人ではないけれど、グループのメンバーがオペラ座のツアーにでてしまっていたので、アレッシオ(・カルボーネ)が私に声をかけてくれたのです。それからイヴォン(・ドゥモル)が開催しているガラのIncidence chorégraphiqueにも参加しています。サルデニアではシモネ(・バラストロ)が創作したコンテンポラリー作品を踊りました。パートナーはアンドレア・サリ。踊るのがとても身体に快適な作品で、楽しめました。入団当時はピルエットだとかテクニックを見せられる作品が大好きだったけど、復帰以降は別の世界を開拓しています。

Q:時間が出来たときは何をしますか。

A:音楽が好きで少しだけどクラシック・ギターをたしなみ、それから少し歌も歌って・・・作曲をちょっと試してみたことがあるけれど、パッとしなかった(笑)。映画や展覧会にも行くけれど、日光浴しながらピクニックをするというように何もしないでいるのも好きです。

Q:パリではどのような場所が好きですか。

A:左岸に行くことは全然なく、いつもセーヌ河の上、右岸が行動半径です。私、今はパリではなく静かな郊外に住んでいて、とっても満足しています。ラ・ヴィレット公園まで徒歩5分の場所なので、晴れた日はヴィレットでピクニックです。

Q:舞台に出る直前に必ずすることがありますか。

A:それって、ダンサーの誰もにあることですよね。一旦舞台に出てしまえば大丈夫なのだけど、直前はいつもすごくストレスがあるんです。それで、すごく集中しているので、あまり楽しい人間じゃないの(笑)。冗談も出ないし、自分の中に閉じこもってしまうんです。そんな固まった表情で舞台には出てゆきたくないので、さあ舞台だ、となると、口が裂けるほど大きく開いて、表情をほぐすようにしています。舞台では観客がいて、音楽が流れ、照明が輝いて・・・毎回ではないにしても、 自分がそこで体験していることに大きな感動を覚えます。作品によっては疲労があって、それによってエモーションをさらにかきたてられるんですよ。

Q:ダンスをしてなければ、どんな職業についていたと思いますか。

A:それっていつも考えることです。 さっきもお話したように私は音楽が大好き。それに演劇にも興味があって・・。芸術に関係することだと思います。定年後についても、今のところ具体的な答えはみつかっていないけれど、オフィスでデスクに座って、という仕事ではないのは確かですね。

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