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オペラ座ダンサー・インタビュー:アントワーヌ・キルシェール

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Antoine Kirscher アントワーヌ・キルシェール(スジェ)

昨年11月に開催されたコール・ド・バレエ昇級コンクールの結果、今年1月1日からスジェとなったアントワーヌ。2月半ばから3月にかけて、トリプル・ビル「シェルカウイ、ゲッケ、リドベルグ」でポンチュス・リドベルグの『 婚礼』の第一キャストに役され、丸刈りにパーカ姿でエネルギッシュに現代の若者の一人を好演した。

シーズン2018〜19はアントワーヌにとって、コンテンポラリー作品続きである。開幕公演の『デカダンス』では、華奢で繊細なイメージの彼がどこにこれほどのパワーを秘めていたのかと驚くほどの力強さを見せた。もうじき24歳になるというアントワーヌ。コンクールで自由曲に選んだロビンズの『ダンシーズ・アット・ア・ギャザリング』では、素晴らしい叙情性で見る者を圧した彼である。オペラ座のコンテンポラリー作品に不可欠なダンサーの一人ではあるが、たまにはクラシック作品、ネオ・クラシック作品での活躍もみてみたいものだ。


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photo Julien Benhamou/ Opéra natinal de Paris

Q:1月1日にスジェに昇級。おめでとうございます。何か大きく変わったことはありますか。

A:もしも昇級後に踊る作品が『白鳥の湖』だったら、配役が変わったかもしれない。でも、僕はリドベルグの創作に参加。だからコンテンポラリー作品なので配役において特に変わったことはないですね。楽屋は僕より先に新しい楽屋に移るのを待っている人がたくさんいるので、以前のままです。でも、今の楽屋は気持ちのよいダンサーたちと一緒で快適に過ごしてるので・・・もちろん、もし万が一誰かとても気の合うダンサーと一緒になれるなら、2人の楽屋も悪くないでしょうね。

Q:小さい時、サーカスを学んでいたと聞きました。

A:はい。ダンスを始めるより前、故郷のリルのロムという町にとても良いサーカス学校があり、そこで。一番好きだったのは、上から下がる2枚の布をよじ登って、そこでアクロバットをする、といったことですね。

Q:なぜサーカスに興味をもったのですか。

A:僕の母がバレエを教えていて、彼女のレッスンにサーカスの芸人たちも来ていました。それを見ていて、僕もやってみたいな、と。それで始めてみたら僕はサーカス芸の天分に恵まれることがわかって、学ぶ時間もどんどんと増えていったんです。それでもっと本格的にと思ったのだけど、希望する時間数で学ぶにはまだ小さすぎたので無理だったのです。それで母のところでクラシック・バレエを始めました。7歳のころですね。1年ぐらいしてから、真剣にダンスに取り組むようになりました。サーカスと同様にダンスも身体を使うということ、芸術的な面があること、美しい音楽との関係、そういったことがあって気に入ったんだと思います。

Q:バー・レッスンも楽しめましたか。

A:確かに最初は難しかったですね。たくさんの規律が要求されるし・・・。僕は活動的でエネルギー溢れる子供だったので、あるところで母の手に余ってしまって。それで彼女は友人のテレーズ・デュテイユに僕のことを相談したんですね。その結果、リルから車で20分くらいのルーベにあるバレ・デュ・ノールの学校で習うことになりました。カロリーン・カールソンのカンパニーで、母もそこでクラスを持っていたんです。その学校ではクラシックも学んだし、フォルクロールのレッスンもあったし、それにコンテンポラリーのアトリエもあって、オペラ座のバレエ学校と同じですね。カロリーン・カールソンが生徒たちのために作品を創作してくれて、もとプールだったルーベの美術館で踊ったんですよ。

Q:なぜオペラ座のバレエ学校に移ることにしたのでしょうか。

A:僕には素質があると、テレーズが母に言ったからです。母はオペラ座のことも知っていたし、どれほど厳しい仕事がわかっていたので、諸手を挙げて賛成というわけではなかった。でも僕自身がチャレンジとして試してみたいと・・・。だけど僕は体重とか身体基準にあてはまらないし、受からないとも思っていました。アン・ドゥダンという欠点もあれば、筋肉も細くて脆いとか・・・。でも入学できて、2006年の1月に研修を始めました。オペラ座の学校に入って自分と同じ年代の子供たちに囲まれて、同じ情熱を分かち合うことで、大切な何かが始まった、と感じています。

Q:ダンスを仕事にするということについてですか。

A:当時はまだそこまでは・・・。身体を使った仕事をたくさんできることが、とにかくうれしかった。僕がリルで通っていた学校はモンテッソーリだったし、それまで両親と暮らしていたので、さほど規律が厳しい日々ではなかった。それが突然、規則正しい環境に変化。それが僕にチャレンジする意欲をもたらしたのでしょうね。泣いている生徒もいたけど、僕は低学年のときは寮生活が全然苦痛じゃなかった。 両親が恋しいということもなく、友だちと一緒で、それに何よりもダンスをしているという、かなり特別な環境にいることが楽しくて、楽しくて・・・。だけど成長して14歳ぐらいになった頃、状況が複雑になった。というのも、自分がしていることにどんな意味があるのか、自分は何をしたいのかがわからなくなってしまって。この時期は厳しかったですね。だけど、いろいろな人々と会い話をして、この世界は厳しくても素晴らしいのだと思えるようになった。自分自身についても多くを学べて、精神的に、そして知的面でも多いに発育ができたように思っています。

Q:2013年にバレエ団に入団した当時はクラシック作品によく配役されていました。でも、最近はコンテンポラリー作品が多いですね。

A:そうなんですよ、期待にまったく反して(笑)。でも、コンテンポラリーはもともと嫌いじゃなかったと思う。というのも、ピナ・バウシュとかマギー・マランとか母とよく見に行っていたから。でも、そうしたダンスに自分に能力があるという意識はなかった。オペラ座のカンパニーに入って、コンテンポラリー作品を踊るダンサーたちを見て、コンテンポラリーは僕は全然 !と余計に思うようになって・・・。ブリジット(・ルフェーヴル元芸術監督)の時代に、徐々にコンテンポラリー作品が気に入るようになった。

Q:何かきっかけがあったのですか。

A:プレルジョカージュの『ル・パルク』があって、僕は庭師の代役だったのです。小さなグループでコンテンポラリー作品を過去に踊った経験のある人たちが、皆して僕を助けてくれて、素晴らしい経験となりました。 その後、エドゥアール・ロックの『アンドレア・オーリア』とか。この辺りまではクラシックのベースからさほど離れてないですよね。それから、よりコンテンポラリーな方向へと配役されて。
そしてクリスタル・パイトの『シーズンズ・キャノン』 ! この作品がコンテンポラリー作品へのターニング・ポイントとなりました。このクリエーションの最初の頃、コンテンポラリーの動きに優れたダンサーたちに囲まれて、そこが自分の居場所だと全く感じられなかった。だけど、クリスタルの身体についての尽きぬリサーチや、リハーサル・スタジオの良い雰囲気のおかげで、''彼にはできっこない ! '' といった周囲からの視線を感じることもなく、それに、彼女のダンサーたちの働かせ方や、進化させる方法も素晴らしかったので、やる気がすごくかきたてらました。コンテンポラリー作品に優れた大勢のダンサーたちが、僕を助けてくれたんです。動き、身体の重心とかをすぐに理解できる人たちです。身体のどの部分から動きを始めるのかが、クリスタルの作品では重要。でも、僕の頭の中でそれがクリアーできなくって。何度も何度も試す僕を、周囲のダンサーたちが助けてくれ、僕も全力を尽くし・・・毎晩の舞台では信じられない感動、センセーションが得られました。

Q:庭師の代役に配され、一度は舞台で踊る機会がありましたか。

A:いえ、この役は踊らないで終わってしまいました。踊りたかったですね。僕は他のダンサーに比べて、ラッキーなことにカドリーユ時代に代役をすることは多くなかった。というのも、僕はストレスがありすぎるので、代役に不向きなタイプなんです。ダンサーによってはそんなに稽古をしていなくても冷血を保って代役で舞台にでていける人もいる。でも、僕は・・・。だから代役をするカドリーユから、早くコリフェに上がれるようにと一生懸命仕事をしました。昇級できたときは、本当に気が楽になりました。舞台の上でリスクを負うのは好きだけど、代役ほど厳しい仕事はないと思っています。自分が安心できるところまでたくさんの仕事をしないと、僕はダメなたちなんです。精神的にきつい仕事だから、代役のできるダンサーたちを尊敬しています。

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「デカダンス」前列中央 photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:今シーズン、最初に踊ったのはオハッド・ナリンの『デカダンス』でしたね。

A:そうです。オハッドとの仕事、これは信じられない冒険でした。自分の身体に彼の動きが可能だなんて、思ってなかった。この経験がクラシックにとても役に立つことにもなりました。自分自身を受け入れること、自分に自信を持つこと、自分の身体を受け入れること、欠点だけに目を向けるのではなく、動く喜びなどシンプルなことだけに集中すること、それは見る人にも喜びを与える・・・。こういったように、身体面だけでなく心理的な面でも役だちました。オハッドとの仕事では、彼はスタジオの鏡を覆ってしまいい、最初、これには面くらいました。身体のフォルムより自分が感じることについての仕事、どんな感情がその動作の根拠となってるか・・・といった、よりシンプル、より正直なことに集中することで、観客により強いインパクトを与えるのだと、彼から学びました。これがその後に開催されたコンクールで昇級できたことに結びついていると思います。良い配役を得たり、初役を得ているコリフェの他のダンサーたちと比べて、自分のクラシックのレヴェルは下だと感じていたのです。筋肉的にも難しくなっていて・・・。

Q:コリフェ時代、あなたも配役に恵まれていたのではないでしょうか。

A:はい、ブリジットの時代に始まって、そしてバンジャマン・ミルピエ(前芸術監督)の時代にも、『ラ・バヤデール』のブロンズ・アイドル、『リーズの結婚』のアラン役、『真夏の夜の夢』のパック役・・・。初のソリスト役は『パキータ』のパ・ド・トロワで、これは とっても楽しめました。毎回がとても美しい経験。クラシック作品が少し恋しいですね。パ・ド・トロワとか良い訓練になるので、自分を成長させるのにとても役立つことなんです。テクニック的に複雑で難しい踊りは、自分の限界を超えさせてくれますから。

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ブロンズ・アイドル photo Opéra national de Paris

Q:コンテンポラリー作品では、そうしたことはないのですか。

A:コンテンポラリー作品だとグループで舞台に出て行きます。舞台で一人で踊るクラシックのソリストというのとは別の仕事です。コンテンポラリー作品を踊るとき、グループのエネルギーというのは驚くべき力があるんですよ。たとえ疲れたり、悲しかったり、沈んでいるときでも、オペラ座に来てグループの一員となると、すごいエネルギーが得られる。パワーが得られる。これはコンテンポラリー作品の美しいことの1つですね。

Q:この間まで公演のあったポンチュス・リドベルグの創作はいかがでしたか。

A:この作品、かなり短期間で仕上がったんです。3週間だから、とても短いですね。彼、オペラ座に来てクリエーションを始めたときは、頭の中にしっかりとアイディアがあったみたいだけど、それは上手く行かなかった。2019年に入って1月のバカンス開けに彼はダンサーを選ばなければならず、作品に向くダンサーだけが残りました。そこから作品のアイディアが湧いたようです。説明が特にあったわけじゃないけど、ダンサーのパーソナリティ、個々の個性が大切だったように思います。
ダンサーの自由にさせ、それを手直しし、僕たちに自由をくれた。この点、とても評価しています。

Q:この作品のために髪を短く刈ったのですか。

A:冬の休暇中に自分のルックスを変えたいと思って、 短く刈ったんです。でも、この作品に相応しいですね。もし『白鳥の湖』のパ・ド・トロワだったら、この髪型にはしてなかったでしょう。『婚礼』のコスチュームはダンサー各自のパーソナリティに合うようにデザインされたそうで、僕は幅広パンツ、トレーナー、そしてパーカでした。

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「婚礼」photo Ann Ray/ Opéra national de Paris

Q:音楽に対して繊細な感性の持ち主だという印象を受けます。『婚礼』のストラヴィンスキーの曲は人によって好き嫌いが分かれるようですが。

A:このストラヴィンスキーの曲には、心に訴えてくるものがありました。ピアノ4台と50名くらいのコーラスという生演奏で僕たちは踊ることができたことは、すごい幸運ですね。第二キャストの公演日、第一キャストの僕は踊らないので客席で座ってこの舞台を見る機会がありました。自分が踊る作品をこのよう客席から見るのは初めてのことだったのだけど、オーケストラ・ボックスの音は観客に向かうようになっているので、舞台で踊るときに感じるのとは違って聞こえることがわかったんです。とりわけコーラスは舞台にいるときはあまり聞こえない。客席で見たときに、'' ストラヴィンスキーのこの曲、最高だ''って思いました。場所によっては難解な部分もあるけれど、力強く、輝くような部分もあって・・・。クリスタル・パイトの『シーズンズ・キャノン』も一度でいいから、客席から観てみたかったですね。もっとも、この作品はキャストが一つしかなかったので不可能だけど・・・。

Q:コリフェ時代の3年は長く感じましたか。

A:それほど長くなかった・・・何かしら興味深いことが舞台でできていたので、不満に思ったことはないです。コリフェからスジェへの最初のコンクールはとても上手く行きました。僕より経験のあるダンサーたちがたくさんいて、彼らが先に上がるのは当然のことで・・・このコンクールでは舞台で踊る喜びがありました。その後二回のコンクールはストレスにすっかりやられてしまった。足の怪我があったりでコンクールの稽古が遅れたり・・。昨年の3月のコンクールは課題曲が『オネーギン』のレンスキーのソロで、自由曲に『ラ・バヤデール』のソロールのソロを選んだのだけど、怪我をしてしまったので身体的に万全じゃなかった。メンタル面でも準備ができていず、とても辛いコンクールでした。でも同時に決定的コンクールともなったんです。課題曲のレンスキーで、僕は初っ端から失敗してしまいました。そのときに閃きのように思ったのは、''テクニックではなく、レンスキーの人物に心を向けよう''と。このソロの美しさに集中することにしたんです。このとき、人物を表現するということが、本当に気に入ったんです。人物を演じることで、すっかり役に入り込めた。次のコンクールにこの考えをキープしておこう、とその時に思って・・・。

Q:それで昨年11月のコンクールでは『ダンシーズ・アット・ア・ギャザリング』のブラウン・ボーイを選んだのですね。 コンクール前に結果について思いを巡らせましたか。

A:結果については全然考えませんでした。いつもより心穏やかにできたと思います。明日に公演があるかのごとく最後の瞬間まで仕事をしたけれど、''明日はコンクールだぞ''というように何か特別の意識を持たないようにしていました。いつもだとコンクールの前日は、機嫌悪くって、口もきかず、コンクールに気持ちを集中して、食べるものに気をつけて・・・でも今回はコンクールの前夜は家族とガールフレンドと一緒に素晴らしいディナーをし、いつものように談笑をして・・・。そして翌朝、いつものようにオペラ座に出かけました。課題曲を踊り終え、初めてコンクールで幸せを感じました。踊っていて、信じられないような喜びを得られました。ブラウン・ボーイは僕の舞台経験の中で、最高の1つとなりました。精神状態という点、自分が望んだ通りで、まるで本当の公演のように踊れて、とても満足しました。それに結果がついてくるといいな、という思いはありました。

Q:リドベルグの『婚礼』の後は、ソル・レオン/ポール・ライトフットですね。

A:はい。僕はまだだけど、稽古はすでに始まっています。彼らとの仕事も待ち遠しいですね。その後は、「マッツ・エック」のクリエーションに配役されています。彼と仕事をできるなんて、願ってもないチャンスだ。今シーズンは、コンテンポラリー作品だけですね。

Q:コンテンポラリーを踊る筋肉作りはどのようにしていますか。

A:時期によってというか、仕事が多いときですけど、すごく痩せてしまうので、筋トレは絶対に必要なんです。ジムに行くと、結果はすぐに出ます。

Q:これまでに参加して創作で、もっとも記憶に残ってるのは『シーズンズ・キャノン』でしょうか。

A:そうですね。創作過程は非常に面白く、グループのエネルギーも熱がこもっていて、なんだか特別な大冒険に参加してるという印象を受けました。これが最高に美しいクリエーションといっていいでしょう。

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Photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris

Q:ダンスのスタイル的にも自分に合っていると感じられたのですか。

A:さっきも語ったように、僕の周囲に僕よりずっと早く振付を理解できるダンサーたちがいて、いつも自分の場だと感じられないんですね。この クリエーションの始まりの頃も、あまり自分が配役されている正当性を感じられなくって。もちろんチャレンジは好きですよ。全身全霊で立ち向かいます。動きを理解するために、夜スタジオを予約して一人で稽古して、というほど。自分の体で感じることができるよう、どこからどのように動きが始まるのか、というように細かく分析する必要があるのだけど、僕はみんなと一緒だとストレスが強すぎて貴重なインフォメーションを逃しがちなんです。『デカダンス』はテクニックも好きで、とても面白かった。振付以外のことも、たくさん学びました。いかにして怪我を避けるか、体をいかに管理するかといったような・・・。リドベルグでもそうだけど、コンテンポラリー作品では体を弛緩させることが大切。僕にはそれが自然には備わってないんです。僕のダンスは爆発的だけど、腕が硬い。丸く踊ることをガガから学びました。いつも同じレヴェルのエネルギーを発するのではなく、正しい時に正しい場所に正しいエネルギーを与える、ということを。

Q:どうしても踊りたいと夢見る作品は何でしょうか。

A:ぼくはヌレエフの遺産に愛着を抱いています。彼の振付作品が大好きです。
シンプルで無駄がなく、衣装も舞台装置もとっても豪華で。パリのオペラ座だけがこのようにキッチュではなく趣味のよいものを提供できる。それにクチュールとかフランスの文化遺産を護ることも大切だと思うんです。そして、なんといっても素晴らしいのが彼の振付。ローラン・イレールやニコラ・ル・リッシュ、マニュエル・ルグリたちが踊るのをビデオで夢中になってみていました。すごくモダーンだとぼくは思っています。反対意見の人もいるけど、2020年、2021年においてもそれを興味深いものにするのがオペラ座の仕事、僕たちの仕事だと思っています。ヌレエフは男性ダンサーの役を素晴らしいものにしました。僕が踊りたいと夢見る彼の作品は『ロメオとジュリエット』です。さっき話したように僕は役を演じることに魅力を感じているので、ヌレエフのこの作品が踊りたいのです。舞台の上で死ぬというのは難しいと思うけど、一度はやってみたい。そのセンセーション ! それが僕が見出したいこと。それにこの役は僕に相応しいと思う。例えば『ラ・バヤデール』のソロール役は踊りたいといっても、僕は戦士を演じる身体をしていないってわかっている。でも、ロメオという若者には僕は自分を重ね合わせることができます。

Q:オペラ座ではヌレエフ作品を踊りたいと希望する若いダンサーたちは多いのでしょうか。

A:今の若いダンサー、若いソリストたちにおいてこうした作品への嗜好はだんだん減ってきてるように思います。例えばコンクールで『白鳥の湖』のスローなソロを選ぶダンサーはいるけれど、ヌレエフのスタイルを得ようとしていないと感じられて残念に思います。オペラ座のアイデンティティだと僕は思うので、ヌレエフのスタイルを若いダンサーたちが理解することにプライオリティを置くべきだと思う。

Q:ヌレエフ作品の他に踊ってみたい作品は何でしょうか。

A:ロビンズの作品もヌレエフ作品と同じくらい、踊りたい ! 『ダンシーズ・アット・ア・ギャザリング』も『アン・ソル』も。僕は『アン・ソル』はコール・ド・バレエだったので、ソリストをじっと観察できました。『アザー・ダンシーズ』も踊りたいですね。11月のコンクールのときは、イザベル・ゲランが見てくれたんです。信じられないような出会い。リハーサル・スタジオで一緒に、素晴らしい時間を彼女と過ごすことができました。彼女ってとても寛大で、知っていることを自分だけのものにするのではなく、何もかも惜しみなく教えてくれました。

Q:これまで舞台上で最も弾けた作品は何ですか。

A :たくさんあるから難しい・・。その反対の作品を挙げるのは簡単ですよ。それは『プレイ』。創作がとても長く、なぜこれをしてるのかが最後まで理解できないまま、という唯一の作品がこれでした。最初は踊るのがあまり好きになれない作品でも、いつも何かしら弾けることができます。例えば『白鳥の湖』。この作品のコール・ド・バレエはとても辛いものです。だから心から楽しむようにしました。つまり、良い経験となるか悪い経験となるかは、僕たち次第ということですね。どの公演でも僕は喜びを得ています。舞台の上ではごまかしがききません。その場所をレスペクトしなくては ! この仕事をして給料を得ることができるというのは、とても幸運なこと。だから、舞台にでたときは毎回必ず自分を出し切る必要があるのです。配役されたソリスト役は、僕、どれも存分に楽しみました。 

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「リーズの結婚」photo Benoite Fanton/ Opéra national de Paris

Q:『パキータ』のパ・ド・トロワはどんな体験でしたか。

A:これは初めてのソリストとしての舞台でした。イダ(・ヴィキンコスキー)とアリス(・カトネ)という、前々からよく知っている二人と一緒。イダの凄いエネルギーにのせられました。『リーズの結婚』のアランも、踊るのが好きな役でしたね。役の解釈という仕事・・・これはとても難しくて、オーレリー(・デュポン)と稽古に稽古を重ねました。アクティングの面で、彼女は僕をすごく助けてくれました。顔の表情など何が上手く行くか行かないか、といったことなど彼女が言うことは、とても的を得ている。 難しく繊細な仕事を成せたと思っています。アランって、村のおバカさんのように思われがちだけど、そうは思わない。ナイーブな愛すべき青年なんだって僕は考えました。僕のアラン役のときのリーズはレティシア(・ガロニ)。彼女とは仲良しでとても近しい関係です。コラス役はマチアス(・エイマン)で、彼のことは人間的にもダンサーとしても崇拝しています。この二人と舞台を共にできたというのは、すごく名誉なことです。とても良い思い出です。

Q:自由時間がある時、何をしますか。

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「リーズの結婚」photo Benoite Fanton/ Opéra national de Paris

A:映画が好きなんです。モンマルトルに好きな映画館があるんですよ。Cinéma Studio 28といって、素晴らしい映画館です。内装を手がけたのはジャン・コクトーで、映画館というより劇場にいるような気がする。1つの作品を長いこと上映していたり、ちょっと他とは違います。混雑していず、映画にレスペクトのある人ばかりがやってくるという雰囲気も好き。音楽を聞くのも好きなんです。ジャズです。僕にとって、時間あるというのは、ジャズを聞きに行くというのが同義語といえます。コンサートというよりも、聞きにゆくのは小さなバー。ジャズが演奏されていて、ファミリーな雰囲気でミュージシャンとか会話もできて、といった場所です。フリージャズやスイング、ボサノバ、マニューシュ・ジャズ・・・場所によっていろいろなタイプを聞きます。それから、僕は写真を撮ることも好きなんです。父がカメラを譲ってくれて、この2〜3年情熱を傾けてることです。ポートレートは難しいけど、興味深いジャンルですね。散歩しながら、自分が表現したいことや、自分が強調したいことを人間的に描きだしてる状況などを撮影します。また、それとは反対に街の中の幾何学的なフォルムや、鋭利なフォルムなど都会的な非人間的な面も探します。僕たちの世代は、限られた時間のなかでアクセスする何もかもを忘れたくないとスマートフォンで撮影する傾向があります。でも、それは忘れてしまうのが怖いだけ。僕は撮影するとき、じっくりと時間をかけて被写体を眺めるようにしています。一箇所に20分とか・・・。僕だけのパーソナルな方法でこうして街を発見することができるんです。デジタルではなく、フィルム撮影。カラーではなくモノクロ写真だけ撮ります。

Q:今でもフィルムを現像してくれる場所があるのですね。

A:実は父がリルの自宅に暗室を持っていて、一緒に現像するんです。父は写真家ではないのだけど、20歳のころから写真にすごく興味を持っていて・・・。 現像も父から学びました。今もまだいろいろ教わっています。 現像するのは撮影してからすぐではなく2〜3か月たってることがあって、暗室でネガを見るときに撮影したときの記憶が蘇って、強い感動があります。

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