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パリ・オペラ座ダンサー・インタビュー:アレッシオ・カルボーネ

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Alessio Carbone(アレッシオ・カルボーネ)プルミエ・ダンスール

ステージ上で以前と変わらぬ敏捷さ、快活さをもって踊るアレッシオ・カルボーネ。永遠の青年といった印象を受けるが、2020年1月で定年を迎えるという。25歳のときからプルミエ・ダンスールとして、彼はさまざまな作品に配役された。10月29日から始まる「ジェローム・ロビンスへのオマージュ」では、オペラ座のレパートリー入りをした『ファンシー・フリー』を踊り、それが終わるや次は年末公演の『シンデレラ』。過去にも踊ったプロデューサー役とバレエ教師役が彼を待っている。

1997年、オペラ座に入団。2003年にプルミエ・ダンスールに昇級。オペラ座の舞台を務める傍ら、2年前に結成した"オペラ座のイタリア人 たち"というグループのアーティスティック・ディレクターでもあるので、アレッシオはとても忙しい。グループは彼の予測をはるかに超える良い反響があり、世界各地からひっぱりだこである。10月初旬のある午後、『ファンシー・フリー』のリハーサルの後、そのグループのこと、彼のオペラ座でのサバティカル・イヤーのことなども含め、イタリア人らしく屈託無しにたっぷりと話してくれた。インタビュー後は2歳と4歳の子供を保育園に迎えに行く、とオペラ座を後にした。


Q:ジェローム・ロビンズの『ファンシー・フリー』を初役で踊るのですね。

A:そうです。今回オペラ座のレパートリー入りをしたので、これまで誰も踊ってない作品です。稽古は前シーズンの終わり、6月に始まりました。配役されている全員が、目下この作品の振付を学んでいる真っ最中なんです。

Q :10月末の公演なのに、随分早くからリハーサルが始まっていたのですね。

A :これはジェローム・ロビンズが初めてアメリカン・バレエ・シアターのために振付けた作品で、演劇的要素がとっても大きいんですね。この作品に取り組む僕たちオペラ座のダンサーは最初、皆、「あ、この作品はさほど大変じゃないな」って印象を持ったのだけど、ところが現実はとんでもない。演劇的面が強く、簡単とは程遠い。ダンスを学び、舞台でダンスを踊ってきている僕たちだけど、この作品は極端にいうと演劇、ミュージカル、そしてバレエというもので、僕たちの受けたクラシック・ダンスの教育を超えるものなんです。それゆえに僕たちにとっては、チャレンジとなっています。メートル・ド・バレエのジャン・ピエール・フロリッシュから、「バレエ作品ではなく、演劇作品だと思うように。そしてその中で、あなた方は登場人物を踊るのです」と言われました。

Q:過去にオペラ座でこうした作品を踊ったことはありますか。

A:これほど、というのはありませんね。過去にさまざまな役を踊っているけれど、これほど演劇的な作品の経験はありません。この作品、すごくスピーディに動き、それがまるでパントマイムのようで、ところどころアニメーション漫画のような感じもあるんですよ。

Q:どのようなストーリーですか。

A :三人の水兵が寄港したニューヨークで24時間の休暇を楽しむというもの。このストーリーを上手く語れれば、この作品は簡単だといえるのだけど、そこに至るまでが、僕たちにはとにかく難しいことなんですね。

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「アゴン」(左)photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris

Q :三人のダンサーの組み合わせはもう決まっていますか。

A:まだ確定はしていません。僕は一人目の水兵でマチュー・コンタとアレクサンドル・ガス、あるいはカール・パケットとステファン・ビュリオンと組むのではないかと思います。3人の水兵はそれぞれ個性がすごく違うんですよ。ロビンズ本人もこの作品を踊っていますけど、創作時ダンサーの身体的な違いで役を作り上げたのだろうって思います。3人目の水兵の役は他の2人に比べてソー(跳躍)が少なく身体的にきつくない振付なので、その役を希望したんですけど、一人目の水兵に配役されてしまいました。これはソーがあって、しかもフランソワ・アリュと一緒の稽古。10歳以上も年齢が違うのに・・・って。ジャン・ピエール・フロリッシュは「ソーの高さは問題じゃない。僕が見たいのは演じられる役柄です。この人物に僕はあなたを見出したのです」と。自分自身を演じる、っていうのはちょっと奇妙な感じです。

Q:一人目の水兵というはどんな男性でしょうか。

A:3人のなかでもっともイタリア男っぽい。他の二人は状況を見て行動しようとするのに対して、この一人目は女性に対して一番ダイレクトに向かって行きます(笑)。3人目は経験豊富でリーダー的な人物。彼が「君たちに教えを授けよう!」というのですけど、一人目の水兵は何も恐れずに女性に猛進して行きます。そんな役なので、僕がこの役に配されたわけです。三人三様の個性で、どれも興味深い役ばかりですよ。作品を通じて個性の違いが本当によく表現されています。3人の結託が大切な作品ですね。

Q:ユーモアのある作品のようですね。

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「コンサート」photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris

A:はい、たっぷりです。この作品の基本は、ちょっと楽しもう ! という感じで、稽古中、僕たちの間でも笑ってしまうことばかりなんです。ひたすら愉快な場面もあって・・・観客にも気に入られる作品だと思います。バーンスタインの音楽もすごく美しい。この作品をレパートリーに加えたとは、オペラ座もなかなか野心的だと思います。この作品を踊れることには、とても満足しています。でも、この作品のスタイルはニューヨーク・シティ・バレエ団のもの。クラシック・ダンスの派とはいっても、バランシンとロビンズのスタイルに結びついています。オペラ座のレパートリーにはロビンズ、バランシンの作品が確かにいろいろあるけれど、『イン・ザ・ナイト』『ダンシング・アット・ザ・ギャザリング』などクラシック・ダンス系ですね。 

Q :『ファンシー・フリー』はロビンズの『コンサート』に近いですか ?

A : 『コンサート』も他のロビンズ作品とは違いますね。各人に役があって、それが誇張して滑稽化されていますから。でも、この『ファンシー・フリー』はストーリーを語るために、僕たちには馴染みのない身体言語で踊るというもの。舞台上でちょっとでも役柄から離れてしまったら、失敗なんです。3人のアンサンブルを崩してしまい、信憑性がなくなってしまう。それは僕たち男性ダンサーだけでなく、女性ダンサー3人にも同じなんです。チャレンジですね。

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「コンサート」photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris

Q:40歳で初役というのは、珍しいのではないでしょうか。

A:来年1月には41歳になるんですよ。確かにこの年齢で新しい役に配役されるというのは、珍しいかもしれません。とっても嬉しく、満足してますよ。最初の稽古日は、40歳の僕が・・・と、すごく不安だったのです。でも「君のことは知ってるよ。40歳の身体をしていないから大丈夫」と言われ、やってみよう!と任せることにしたんです。

Q :『天井桟敷の人々』のフレデリック・ルメートルに似た役柄でしょうか 。

A:そうですね。この役もすごく演劇的な面が一部で強くありました。もちろん難しいテクニックが要される部分もあったけれど、これを創作したジョゼ・マルティネズは僕たちと一緒に育ったダンサーですから、彼の持つ身体言語は僕たちと同じです。演劇的な面があっても、振付は僕たちの身体が慣れた動きでした。ところがロビンズは違います。よく知らない新しいスタイルを今習ってる、という感じです。

Q:オペラ座ではクラシック、ネオ・クラシック、コンテンポラリーのどれにも配役されていますが、好みはありますか。

A:こうしてすべてのジャンルに接することができるのは、最高ですね。クラシック作品の中には、好きなものがありますよ。例えば『ロメオとジュリエット』のマーキュシオ役ですね。それから先ほど話にでた『天井桟敷の人々』のフレデリック・ルメートル役、コッペリア・・・『くるみ割り人形』のプリンスでも、大きな感動が得られました。マッツ・エック、キリアン、ピナ・バウシュの作品も踊っていて、とても大きな感動を覚えたものです。創作する振付家から選ばれるという幸運がいくつもあって、恵まれていますね。クリスタル・パイトの『シーズンズ・カノン』の創作にも参加しています。これは本当に素晴らしい作品です。このように1つの枠に閉じ込められてないことに満足しています。サシャ・ヴァルツの『ロメオとジュリエット』もそう。この4月にバスチーユでリュドミラ・パリエロ、ジェルマン・ルーヴェと一緒に踊り、僕たち3人は9月に招かれてベルリン国立バレエで踊る機会にも恵まれました。そして今、『ファンシー・フリー』。満足しています。

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「天井桟敷の人々」(左)photo Charles Duprat/ Opéra national de Paris

Q:オペラ座の舞台でまったく踊らない時期があったように記憶しています。怪我でしょうか。

A:いえ、サバティカル・イヤーをとったのです。今から10年前、30歳のときのことです。当時、ヌレエフの『ドン・キホーテ』をなんとしてでも踊りたかったのだけど、ブリジット(・ルフェーブル元芸術監督)は僕を配役してくれず・・。それで、ちょっと衝動的というか、それなら他でこれを踊りに行こうと。結果、ピエトラガラ、グリゴロヴィッチ、アリシア・アロンソの『ドン・キホーテ』を踊りました。だけどヌレエフは踊れずじまいで(笑)。でも、ヌレエフ版はすごくハードな作品なので、これでよかったかなと思いました。実はこのサバティカル・イヤーの間に、オペラ座を辞めようという気持ちが起きたんです。" 世界中のあちこちでこうして踊れるって、最高じゃないか "と。コペンハーゲン、ロシア・・・イタリアはもちろんです。ローマのオペラ座は何度も僕を招いてくれました。コペンハーゲンではロイヤル・バレエ団がとても気に入りました。アリシア・アロンソの『ドン・キホーテ』を踊ったのがここですね。とにかく多数の舞台、いろいろな作品をサバティカル中に踊り、大勢の人々に出会いがあって、それで考えたのです。どうしようか。フリーランス・ダンサーとして国際的キャリアを追求するか、オペラ座に戻ろうかとオペラ座は素晴らしいカンパニーです。それに当時、元妻のドロテ・ジルベールと交際していましたから・・・オペラ座が待っている、ドロテがいる、って。彼女とはいまも仲良しですよ。『ファンシー・フリー』では二人一緒に踊ります。しかも僕が 彼女をひっかけるという役なんです(笑)。もう周囲が笑い転げてしまって・・・。で、サバティカル・イヤーに話を戻すと、どうしようか、もしオペラ座を辞めたら、ドロテとも終わってしまうだろうけど、そんなことは考えられないことだって。それでオペラ座に戻ることにしました。その選択には後悔していません。 もしフリーランスを続けていたら、大変だっただろうなと思います。歳を取ると、当たり前のことだけど徐々に招かれることもなくなりますからね。ブリジットは僕が戻ってきたので、すごく驚いたそうです。「いろいろな場所でたくさんのことをしてるのを見て、ああ、オペラ座を去るのだろうなと思ってたわ」と言われました。オペラ座のプルミエ・ダンスールであることも誇りに感じられ、戻った僕に彼女は良い配役をくれ、外で踊る機会があるときは許可もくれました。このときの経験のおかげで、世界的な人脈を作ることができたのです。あちこちの劇場のディレクターと知り合いになり、その後も良い関係をずっと続けて・・。

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「天井桟敷の人々」(スカルラッティ)photo Opéra national de Paris

Q:ここのところ、サバティカルを取るダンサーが増えているといった印象を受けます。

A:そうですね。ブリジット・ルフェーヴルは芸術監督の在任期間が長かったので、ダンサーはみんな彼女と知り合いになっていて、自分の行先がなんとなく見えている感じを抱けました。今は上層部が自分をダンサーとしてどのように見てるかが分かりにくいという感じがあります。そうなると若いダンサーは他でどんなことが起きてるか見てみようか、という気が起きるのでしょう。サバティカルをとり、戻ってきたときの自分の豊かさを思うと、これは悪いことではないですよ。そして戻ると、どれほどオペラ座が仕事のコンディションやらあらゆる面でどんなに素晴らしいカンパニーかを理解できるんです。不満な状態だと、賢さが欠けてしまうので、こうしたことに目を向けなくなりがちで気がつかないんですね。外を知り、オペラ座を知るんですね。僕のサバティカル・イヤーの記憶。それは素晴らしいけど、いつもトランクと同伴で、毎回踊る舞台の床が異なっていて・・・まるでロックシンガーのよう。でも、健康、家族を考えると限界がある、と。サバティカルというのは、ダンサーの誰もが頭の片隅にもっていて、これにはとても良い影響がありますね。というのも、オペラ座でちょっと上手くゆかないことがあったとき、" ではサバティックをとろうかな "というオプションがあるわけです。このオプションがあることが、精神的にすごく救いとなるんですね。必要ならサバティカル・イヤーを希望できる、という可能性がいいのです。励まされるし、安心もできる。だけど実際にアクションに移すとなると、さあ、どのカンパニーが自分を受け入れてくれるだろう、何を踊るのだろうか、と難しいことになります。ブリジットにサバティカル・イヤーをお願いしに行ったとき、彼女は残るようにと僕の説得に努めました。何度も何度も話し合いがありました。でも僕は他所で起きていることを見る必要があると強く確信をしていたので、彼女にサバティカルを願いでたときに気持ちはすでに決まっていたのです。

Q:ご両親ともダンサーだったのですね。

A:はい。その後はダンス教師です。父はシシリア出身、母はヴェニスの出身で、僕はヴェニスで育ちました。子供にとって夢のような町なんですよ。日本に似てるかもしれない。まったく危険がなく、安全な土地です。だから小さいときも一人で登校しました。車は走っていないし、みなが知り合いで・・唯一の危険は不注意で海におちることぐらい(笑)。

Q:生まれたのはイタリアではなく、スウェーデンですね。

A:はい。ストックホルムで生まれました。マッツ・エックのママのヴィルギット・クルベリのところで、当時父は仕事をしていたからです。だから、マッツ・エック、アナ・ラグナは僕の代理父、代理母といった関係です。その後戻ったヴェニスで、母のバレエ学校でバレエを習い始めました。でも、バレエに真剣に取り組むようになったのは、13歳のときにミラノのスカラ座のバレエ学校に入ってからなんです。ヴェニス時代、両親の後押しがあって続けてましたけど、バレエがそれほど気に入っていたわけではなくって。というのもクラスに男子はぼく一人。この年代、それってあまり心地良くないですよね。女の子たちにからわれ、男友だちからもバレエ学校に行く!といってからかわれて・・・。スカラ座の学校に通い出してから、気持ちが変わったんです。男子生徒のクラスがあり、そして今でも覚えているのは、もっと高く跳びたい、もっとピルエットを速くしたい、というようにダンスのスポーツ的な面が気に入ったことです。ああ、ぼくがしたいのはバレエなんだと、この学校に入ってから思ったのです。

Q:将来の仕事として考え始めたのもその頃ですか。

A:はい。13歳のときですね。とくに大きなきっかけとなったのは、スカラ座でゲストとしてシルヴィ・ギエムとローラン・イレールが『白鳥の湖』を踊ったのを見たことです。ギエムは超人的だし、そしてローラン・イレールの惜しみなくすべてを投球しての舞台・・・客席で見ていて、僕も彼のように踊りたいと思いました。

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「令嬢ジュリー」Photo Ann Ray/ Opéra national de Paris

Q:学校卒業後はスカラ座バレエ団で踊っていますね。

A:はい。学校が5年。そして1年だけカンパニーで踊りました。スカラ座は良いカンパニーで、配役にも恵まれていましたけど、海外のカンパニーで踊りたいという気持ちに突き動かされて・・・。オペラ座のオーディションを受けに来たときのことは今でも忘れません。すっかり怖気付いてしまって・・・。18歳だったかな。一人でパリまで来たのだけど飛行機の中からオーディションが恐ろしくなってしまい、ホテルで眠れぬ夜をすごしました。そしてオペラ座のステージドアに来た時に、イタリアに戻ろう!そのほうがいい!と思ったんですね。だけど家に帰って両親に一体どう言ったらいいのだろうか、と気を取りなおして、オーディションを受けました。そうして1997年に臨時団員として採用され、その翌年に正式入団しました。当時のオペラ座はあまり外に扉が開かれなく、外国人は3〜4人いた程度であとは全員フランス人。今は外国人団員が17人くらいいますから、大きな違いです。ダンスが進化している証ですね。当時メートル・ド・バレエだったパトリス・バールは僕が踊るのをスカラ座で見ていました。僕はコール・ド・バレエだったけどセミ・ソリスト役も踊っていて、彼は『眠れる森の美女』のブルーバードや『白鳥の湖』のパ・ド・トロワを稽古してる僕を見て・・・。ブルーバードを舞台で踊ったのは、マニュエル・ルグリがスカラ座にゲスト出演したときです。客席にはヴィオレッタ・ヴェルディがいました。幸運にいろいろ恵まれ、僕のキャリアを助けてくれた大勢の人々には、感謝の気持ちでいっぱいです。

Q:オペラ座ではフレンチ・スタイルが要求されます。

A:オペラ座には伝統があり、それがいまも継続されています。外国人といえど、フレンチ・スタイルに鍛え上げねばならず、僕はジルベール・マイエール、フローランス・クレールたちの手に預けられました。僕がスカラ座の学校で習ったのは、ワガノワのロシアン・スタイルでしたから、最初の一年はひどく辛かった。あまりにも多くのことが違うので、もうイタリアに帰ったほうがいい、って思って過ごしていました。僕が覚えているのは、ブリジットが「自分のパーソナリティを大切にし、変わろうなんて思わないように。フランス人になって欲しくない」と言ったことです。彼女は正しいかもしれないけれど、僕がオペラ座の基準を理解できないことには上手くいかないのですよね。たとえ個性を守るにしても、パトリック・デュポンという名前ならともかく、プルミエ・ダンスールになるまではオペラ座の嗜好に従わなければならないと、思っていました。

Q:グループ「オペラ座のイタリアン人たち」はどのように結成されたのですか。

A:2年前、ヴェニスで公演をしないか?という提案が来ました。でも予算がないという。ヴェニスは美しい街だけど、予算がなければダンサーにどうやって支払えばいいのだろう、と。それで断ったのですが、その後でちょっと考え直してみたんです。ヴェニスで週末を過ごすという感覚で公演ができないものかと、知り合いのダンサーたちに聞いてみて、その結果、自分たちの楽しみとして公演をしようということになったのです。シシリアからバスで、ナポリからバスでというように、観客席はイタリア各地から集まったダンサーたちの親、親戚、友だちでいっぱい。オーガナイズするのは簡単ではなかったけど、みんなが満足できる舞台となりました。で、オペラ座にいるイタリア人ダンサーたちを集めてグループを作ってみるのはどうだろうか、というアイディアが浮かんだのです。オペラ座には今イタリア人の波があり、数えてみたら10人、11人・・。カルロッタ・グリジ、マリア・タリオーニといったエトワールたちがいて、イタリア派がとても強い19世紀のようですよね。

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グループ photo Jim Rosenberg/ les italiens de l'Opéra

Q :世界各地でガラを開催していますね。

A:このグループ、いろいろなところから声がかかるようになりました。1月はブラジル、夏にはニュー・カレドニアで公演を行いました。イタリアでも多いですし、最近はスイスでも踊りました。この先まだ予定は複数ありますよ。

Q:日本での公演予定はありますか。

A :具体的な話は何もないけれど、出来たら嬉しいですね。期待しています。日本では多くのガラが開催されていて、エトワールやプリンシパルばかりを集めた国際的ガラは、当然、拍手で迎えられて成功を収めますね。僕たちのグループは、メンバーのヴァランティーヌ(・コラサンテ)がエトワールに任命されたことでプレスティージュが加わりましたけど、まだ若いダンサーが多いんです。何が特別かというと、メンバー全員がお互いに仲良しで、意見も合い、舞台の上でそれがなぜか感じ取れるんですね。若いダンサーたちが発する熱意もすごい。グループには一体感があり、自分が踊ってないときも全員が舞台裏にいて、互いに励ましあっています。世界各地いろいろなところで僕はガラに参加していますけど、こんな雰囲気は経験したことないですよ。ストレスを感じているダンサーがいたら、みんなでストレス軽減、士気高揚に努めます。今、このグループは本格的なものへと成長を遂げていて、グループを支援するために組織されたプライヴェートなメセナもあるほどですよ。スイスのメセナは僕たちグループのために、コスチューム製作の財政支援をしてくれます。公演のたびにオペラ座の衣装部から借りるのだけど、これってけっこう費用がかかるので、とても助かります。人道的なプロジェクトも行っていて、6月にはパリの郊外のルイユ・マルメゾンにある病院で踊りました。病院内に市役所がステージをちゃんと作ってくれ、僕は床用のリノリウムを持参して、ダンサーたちのための舞台をつくりあげました。客席は60名で、最終末期の患者さんばかり。この時は彼らだけでなく、僕たちにもすごい感動がありました。 これまでで最も美しい公演ですね。今、ギリシャの難民のためとか別のチャリティ関連の団体ともコンタクトがあります。グループがとにかく順調なので、たとえギャラが出なくてもたいした問題じゃないんです。オペラ座でとても恵まれた暮らしをしている僕たちです。それにプライヴェートなグループだし、自分たちでも楽しんでいるのです。ギャラの支払いがない公演も行うことは、ダンサー全員が了承しています。

Q:メンバー数は10〜11人のままですか。

A:はい。ダンサーが怪我で踊れないこともあるので、10〜11人というのはガラにはちょうどよい人数です。ときにはイタリア人でなくてもエトワールに出演をお願いすることもあって。例えば、グループ結成の初期はマリ=アニエス(・ジロ)が何度か参加してくれました。昨夏のイタリアのラヴェロでの公演でも彼女は踊りました。これはフェスティバルの閉幕公演で、海に面したオープンエアの信じられないような劇場で、素晴らしい経験となりました。ビアンカ・スクダモアもイタリア人ではありません。これについて、ちょっと説明をしましょう。昨年、レティティア・ガロニが妊娠ゆえに参加できなかったときに、ビアンカに声をかけたのです。そのときに「ビアンカ、君はイタリア人じゃないの ? ビアンカ・スクダモーレってどう考えてもイタリア人名だよ。先祖は・・・」て言ったら、彼女は「わからない。多分、先祖はギリシャ人だと思うのだけど」と。それで僕は「だったらイタリア人じゃないか !」って。レティティアが戻ったからといっても、ビアンカにもういいよとは言えないし、とにかく愉快な子なので、あっという間にグループの一員に迎えられたんですよ。それに彼女は素晴らしい踊り手です。未来のエトワールですよ。

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グループ photo Jim Rosenberg/ les italiens de l'Opéra

Q:メンバーのために気遣うことが多いようですね。

A :ニュー・カレドニアのツアーでは、6日間に10の公演。マチネ、ソワレの二回公演の日が2日あり、ダンサーの身体がとても心配でした。それで日中の演目がハードなダンサーには夜の演目は少し軽いものにして、というような調整をしたり・・・。 素晴らしいダンサーばかりのグループで、踊れば踊るほど上達するのが目に見えます。オペラ座の舞台では、彼ら若いダンサーはソリストではなくコール・ド・バレエです。だからこうしたガラでソリストとして踊ることはコンクールを始め、いろいろと役立つとても貴重な機会なんですね 。20歳のころ、僕は年に5回くらいガラに参加していました。昨年グループは20位の公演を行っていて、18歳のダンサーが年に20のガラというのは、すごい数ですよね。つまりオペラ座のコール・ド・バレエであることと並行して、彼らはソリストのキャリアも積んでいるということになります。自信をつけ、疲労の管理方法も身につけ、舞台負けしないようになって、将来、こうしたことがどれほど将来役にたつのか彼らはまだわかってないかもしれないけれど・・・。公演回数が多かったニュー・カレドニアでは、ずっと踊り続けているという感じがあり、舞台恐怖もプレッシャーもなしに"まるで呼吸するように、踊ってる!"と、彼ら、気がついたんじゃないか な。この体験を 筋肉に記憶させて、役立たせることが大切。オペラ座の公演では常に最高のものをみせなければならないので、プレッシャーはすごく大きい。外部でのガラはオペラ座での仕事に役立つわけですね。だからといって、ガラの数が多すぎてダンサーが疲弊してしまうことは避けなければならないので、その点は気をつけています。これまでグループでは怪我人が出ていません。舞台の床の質がソーに向いていなければ、ソーは省くというようなコントロールもしています。そうしたことのために僕は前夜に到着するようにし、ダンサーが踊りに集中できるようにコスチュームも僕が運搬しています。公演の前に教師によるレッスンも行い、よりよい環境を作ろうと可能な限りの努力しているんです。

Q:グループというより、ちょっとしたミニ・カンパニーといった印象を受けます。

A:そうですね。もうじきグループのTシャツやジョギング・パンツの発売もスタートします。この資金は僕の懐からですが、少しずつ活動を広げてゆくことでグループの助けとなってくれるでしょう。Stars of American Ballet というダニエル・ウルブリッシュが率いるニューヨーク・シティ・バレエとアメリカン・バレエ・シアターのソリストたちのグループがあります。ダニエルが僕たちのことを聞きつけ、僕も彼らのことを耳にし、一緒に何かできるのではないかという相談が始まっています。彼らはバランシン、ロビンスがスペシャリティで、僕たちはヌレエフ、プレルジョカージュ、フォーサイス、マルティネズ、ルグリ・・・。そう遠くない時期に、この計画を実現できることを祈っています。彼らがフランスに来て、僕たちがアメリカに行き一緒に踊る。彼らのダンスはショー、僕たちオペラ座はエレガンス。観客は2つの異なるダンスの取り組み方をこうして1公演でみることができるわけですね。2019年の夏には、と思っています。

Q:資金繰りも大きな仕事ですね。

A:実はブラジル公演は僕が自己負担し、結局、大赤字となってしまいました。僕、実務的な面は何もわかってなくって、さあ、みんなブラジルに踊りに行こう!と出かけたのだけど、戻ってきてから銀行口座をみてびっくり。でもブラジルでは5公演あって、どれも素晴らしいものでしたから・・。みんな一緒のアパートで寝泊まりして、食事もいつも一緒に。素晴らしい冒険が出来ました。ブラジルでマイナスを出したことを話したら、イタリアの文化大臣はほんの少しとはいえ旅費に役立つような補助金を出してくれました。思いがけないことがいろいろ起きてるんです。目下、メンバーの一人の シモーネ・バラストロが画家トゥールーズ・ロートレックの人生をテーマにした作品を創作中で、これは画家の故郷である南仏アルビでの公演のためのものなんです。というのも、グループの公演を見たロートレックの子孫が僕たちのためにメセナの組織をクリエートしたんですよ。僕たちのためのプライヴェート・メセナ !と、これにも驚きました。グループ結成からまだ間がたってないのに反響が大きく、このように熱狂を持って受け入れてくれる人がいるんですね。

Q:グループの公演に関わる時間はどのように捻出するのですか。

A:正直いってグループのためにするべき仕事量は完全に僕の可能性を超えてしまったので、アシスタントを雇いました。今ではメートル・ド・バレエ、コーディネーション・ディレクターがいます。最初リハーサル・コーチも、飛行機のチケットの手配も、すべてを自分でやっていました。オペラ座の仕事の前に毎朝、仕事の後に毎晩、電話のやりとりに追われてしまって・・・。たくさんのことを学びましたけど。でも、もう無理。それに僕には小さな二人の子供もいるんですからね。自分はまだ踊れる、と感じているので、オペラ座で残されたわずかな期間を存分に味わいたい。サシャ・ヴァルツの『ロメオとジュリエット』のように、ある種の役はまだ十分に踊れると感じています。それに12月には『シンデレラ』のプロデューサー役とダンス教師役を再び踊れることになってるし・・・。この2つの役を踊るのは、すごく楽しいことですよ。オペラ座の初夏のツアーでは、クリスタル・パイの『シーズンズ・キャノン』を踊れる機会もあって・・・。来季にはパイトの新しい創作があって、もし彼女がまた僕を選んでくれたら、僕の引退の1か月前のことなので、それが僕のオペラ座最後の舞台となるかもしれませんね。

Q:グループ公演ではご自身も踊るのですか。

A:はい。よく踊るのはプレルジョカージュの『ル・パルク』。パートナーはバランティーヌです。それからミルピエの『together alone』もよく踊りますね。これはレティティア・ガロニと。これは以前プライヴェート・ガラでオーレリー(・デュポン)と何度か踊っている作品です。グループ結成の最初の頃は、ベジャールの『アレポ』やプティの『アルルの女』なども踊っていたけれど、公演をより良いものに仕上げるために、自分であれもこれもするのはよくないと思って・・・。『ル・パルク』なら強い印象を残す作品だけど、アントルシャ・シスもないし、『ドン・キホーテ』のように踊る前の身体の準備も必要としないので、頭を他のことに使えますからね。

Q:このグループのガラで、何か名物的な作品はありますか。

A :『オーニス』です。踊るのはシモーネ・ヴァラストロ、フランチェスコ・ムーラ、アンドレア・サーリの三人で、アコーデオン奏者も公演に毎回参加しています。10月20日と21日には、彼らの出身地であるパリから2時間ぐらいのニオールという町で踊るんです。というのも、2018年は『オーニス』が創作されて40周年なのです。あいにくと創作したジャック・ガルニエは亡くなってしまいましたが、ブリジット・ルフェーブル、カデル・ベラルビ、ウィルフレド・ロモリ、作曲したモーリス・パシェといった創作に関わった人々がこの公演に集まり、最後に『オーニス』を踊ります。

Q:この公演の後、決まっている公演はありますか。

A :スイス、サルデニア、ベルリン・・・。観客が期待するのは、オペラ座のレパートリー。フォーサイスの『イン・ザ・ミドル・・・』、ジョゼ・マルティネズの『ドリーブ組曲』、それからヌレエフ作品ですね。『白鳥の湖』『ロメオとジュリエット』。この夏、アントニオ・コンフォルティとソフィア・ロゾーニが『ロメオとジュリエット』を踊りました。僕は舞台裏にいたのだけど、感動で思わず涙がでてしまうほどでした。昔アレッサンドラ・フェリとフリオ・ボッカが踊った『ロメオとジュリエット』を見て泣いた記憶はあるけれど、まさかグループでと・・・。ナポリ出身のアントニアは舞台上で自分の持つすべてを観客に与えようとする寛大さがあり、ソフィアはとにかく美しいダンサーです。二人の間に信頼があり、彼らは観客に涙させました。ある女性など公演後にありがとう、ありがとうと僕たちに繰り返したあと、大泣きしてしまったほどです。こうして感動を体験でき、伝承ができているのであれば、僕はたとえ自分の名前が表にでなくても多いに満足です。素晴らしいダンサーばかりのグループで、僕は本当に恵まれています。この夏、ジョルジョ(・フーレ)とアンブル(・キアルコッサ)は大きな進歩を遂げ、アンドレア(・サーリ)も活躍が止まらず、フランチェスコ(・ムーラ)はオペラ座の階級を急上昇中ですね。そして、ヴァランティーヌ!彼女がエトワールに任命された『ドン・キホーテ』を僕はあいにくと見ていないけれど、誰よりもパーフェクトなキトリだったと多くの関係者が褒めていました。10秒のアラベスクでもバランスが保てたのは偶然ではなく、毎回のことで・・。自信を持ち、自分の身体を彼女は完全にコントロールできる強い意思の持ち主です。すごく稽古熱心なんです。彼女が入団したとき、プルミエール・ダンスーズまで上がれるかな、って思ったけれど、コリフェに上がった時のヴァランティーヌは、"あ、彼女はもっともっと先へゆくぞ "と感じさせるものがありました。僕がよく言うことに、" エトワールに任命されるダンサーとエトワールに任命させるダンサーがいる"と。彼女は芸術監督に選択を与えない後者です。あの晩の『ドン・キホーテ』の舞台を見たオーレリーは、ヴァランティーヌを任命しないわけにはいかない、となったのですね。グループは大切な舞台をこなせる素晴らしいダンサーばかり、個性豊かな若者ばかりで、僕は本当に恵まれています。イタリア人といっても、出身地方が違います。それぞれの地方のアクセントでみな話しますから、面白いですよ。グループ内にはカップルもいて、なかなか楽しいです。三角関係? そうなっても、それはそれで刺激があっていいじゃないですか。

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「ロメオとジュリエット」photo Icare/ Opéra national de Paris

Q:まだグループに入っていない若いイタリア人ダンサーはいますか。

A:臨時団員の男女各1名がイタリア人です。とても素晴らしい踊り手で、彼らのうちの一人は来シーズン正式団員になるだろうという気がしています。でも、イタリア人だからってどんどんグループに加えるわけにはいきません。支払わなければならないのですから。それにダンサーだけでなく、ミュージシャン、照明デザイナーへの支払いもあり、それに最近ですがステージ・マネージャーも一緒にツアーに出るようになったので・・・。

Q:2020年1月にオペラ座を去る前に、踊りたい、あるいはもう一度踊りたいというバレエはありますか。

A:特別な作品はありません。舞台を存分に楽しむことに努めます。もし明日終わったとしても、ぼくは満足です。これから定年まで踊るのは、ボーナスと思っていますから。上層部とも気兼ねなしに思うことを言える良い関係があって、良い健康状態で、観客とも舞台から良いやりとりが出来、最後までキャリアを全うできればと思います。最後の日が待ち遠しいと言ってもいいかもしれません。怪我、疲弊を避けるべくトレーニングを続け、定年を迎えたいです。これまでのことには大いに感謝をしますけど、定年後に僕を待っていることを思うとワクワクします。

(インタビュー内容、画像の無断転載を厳重に禁じます)

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