オペラ座ダンサー・インタビュー:アリス・ルナヴァン

ワールドレポート/パリ

大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
text by Mariko OMURA

Alice Renavand  アリス・ルナヴァン(スジェ)

12月、バスチーユ・オペラ座の『シンデレラ』で意地悪な義姉をコミカルに演じ、新たな一面をアピール。

プルミエール・ダンスーズの1空席をめぐり、11月9日、12名の女性スジェが競ったコンクール。その結果、自由課題に『ドン・キホーテ』を選び、申し分のないテクニックとエネルギッシュでおきゃんなキトリを披露したアリス・ルナヴァンが昇級した。

Q:昇級、おめでとうございます。これは 待ちに待った昇級ですか。どのようにこの結果を受け止めましたか。
A :そうね。確かに長いこと待ったと言えるでしょうね(注:スジェ昇級は2005年)。でも、今年ほど自分の準備が整ったという状況でコンクールに臨めたことは、過去にありませんでした。コンクールというと、舞台の第一線で踊るという時以上にストレスを感じてしまうんです。 もっとも、これは私だけではないでしょうけど...。自由課題の選択も含め、正直なところ、この昇進は良いタイミングだったと私は思っています。

Q:一席しかないという状況は、ストレスを増しましたか
A: 私が踊る順番は12名の最後でした。でも、私はいつも、ぎりぎり!という状況が必要なタイプ。みんなと同じプログラムで準備したら45分待たなくてはならないので、当日、私はベストの状況を自分に作るための自分なりのプログラムを組んだんです。朝、他の参加者と一緒のクラスレッスンはとらず、みなと同じタイミングでチュチュは着ない、というように、私自身が踊るタイミングを計って、後まわしにしました。私、いつも、急いで急いで、という状況に慣れてるので、早くから準備が整うことによって、やる気が削がれてしまうことのないようにしたわけです。気分的にも落ち着いていました。

2011年コンクール Photo Sébastien Mathé / Opéra national de Paris

2011年コンクール
Photo Sébastien Mathé /
Opéra national de Paris

Q:なぜこれを選択したのですか。
A:これはあまりコンクールでは踊られないものですね。というのもヴァリエーションとしては短いのです。でも、稽古は大変でしたけど、ソー、ピルエットといった私のテクニックのクオリティをみせられ、またとても快活なものなので私にとても似合ったものでした。これまでにも、スペイン女の役を何度も踊っています。自分と正反対の女性を踊る、というのではないので気も楽でした。

「オルフェとユリディーチェ」 Photo Maarten Vanden Abeele / Opéra national de Paris

「オルフェとユリディーチェ」
Photo Maarten Vanden Abeele /
Opéra national de Paris

Q:来年からプルミエール・ダンスーズですね。スジェ時代と何が変わりますか。
A:来年の前半の配役については、すでにコンクール前に決まっています。例えばピナ・バウシュの 『オルフェとユリディス』。マッツ・エックの『アパルトマン』にも選ばれていて、これはもう稽古が始まってるんですよ。そして『マノン』のレスコーの妾役もコンクール前に決まっっていて...。確実に変わることは、もうコール・ド・バレエはしない、ということです。コンテンポラリー作品ではグループで踊ることが多いので、群舞は続けるでしょうが、クラシック作品での群舞はしない、ということです。もっとも、これまでもそれほどクラシックではコール・ド・バレエを踊っていませんが。

Q :コンテンポラリー作品に配されることが多いのは、自分の希望ですか、ブリジット・ルフェーヴル芸術監督の意図ですか。
A :それはどちらでもありません。偶然の流れ、とでもいえばいいのかしら。コール・ド・バレエとして、同時に二つの作品に出ることは出来ません。例えばオーディションにきた振付家に選ばれたら、私はその振付家のコンテンポラリー作品にでることになりますね。同じ時期に『白鳥の湖』があっても、そちらには出られません。幸いにも 振付家に選ばれることが多く、その結果、クラシック作品を踊る時間がない、ということなんです。

Q:コンテンポラリー作品に強いダンサーというレッテルについて、どう思いますか。
A :レッテルというのは、どうでもいいこと。大切なのは経験することなのだから。私はブリジットのおかげで、オペラ座でとても豊かな経験を積んでいます。これまで一緒に仕事をしたキリアン、マクレガーたちからもらった言葉は、コンクールの際にすごい励み、支えとなりました。コンテンポラリー作品を踊るようになったのは、ピナの『春の祭典』からです。あるとき、プレルジョカージュの創作『メデの夢』で、グラウケ役のプルミエール・ダンスーズが怪我をして、その代わりに私が抜擢されました。素晴らしいことです。当時、私はまだカドリーユでしたから。ブリジットも、コーチだったローラン・イレールも皆アンジュラン(・プレルジョカージュ)の選択を承諾してくれて、これが私の初のソリストの役となりました。イアソンの愛人役、というので、あららら、とちょっと思ったものの、とてもうれしかったですね。

Q:プレルジョカージュの振付けに合うものをもっていた、ということですか。
A:彼が私をみたのは、クラスレッスン中ですから、クラシックの動きですね。つまり、ダンサーが発するものをみて彼は選ぶ、ということになりますね。彼を含め、どの振付家の動きに自分がフィットするとかそういうことはなく、私たちは振付家の誰でもの役にたつ、というのが仕事です。もっとも、もし即興で何か、といわれたら、私の動きはピナ・バウシュの動きに似ているだろうと思います。彼女の仕事には、どっぷりつかりましたから。

Q: 仕事をしたいと思う振付家はいますか。
A:ケースマイケル です。前シーズンの『レイン』のとき、私はマクレガーの『感覚の解剖学』に配役されていました。いつかオペラ座で別の機会があることを、期待しています。マクレガーとは『ジェニュス』ですでに一緒に仕事をしています。私はグループの一員として踊ることになってたのですが、ある日、エミリー・コゼットが怪我をしたので、直前のことでしたが、彼が私を選び、彼女の代わりに踊りました。そのおかげで『感覚の解剖学』にも出られたのです。彼はすごく知的で寛大な人。一緒に仕事をするのは、とても面白い。『感覚の解剖学』では第一配役でクリエーションに参加しました。スタジオで彼は私たちにステップの例をみせて方向を示します。私はいろいろ試すのが好きなので、彼が例えばバットモンをみせたら、私はそれに別の物を続けるというようにして...。すると彼が、それは最高、といって採り入れたり、あるいは、ノー、というように創作は進みました。私とジョジュアで多くをこの作品では提案したといえますね。ジョジュアとはガラに一緒に出たり、言葉なしでも通じあうものがあって...素晴らしいパートナーよ。この舞台では、二人して思いっきり楽しみました。

「感覚の解剖学」ジョジュア・オファルトと Photo Anne Deniau/Opéra national de Paris

「感覚の解剖学」
Photo Anne Deniau/Opéra national de Paris

「感覚の解剖学」ジョジュア・オファルトと Photo Anne Deniau/Opéra national de Paris

「感覚の解剖学」
Photo Anne Deniau/Opéra national de Paris

Q:ダンスをはじめたきっかけを話してください。
A:小さいとき、他の子供と違って、何の稽古ごとも私はしてなかったんです。それで、私も何か習いたい!と両親に訴えたところ、では、「したいことのリストを作りなさい」と。英語、テニス、体操、ダンス。これが私のリストで、全部習ったんです。だから放課後、何かしらの稽古ごとに通うという毎日でした。ダンスはコンセルヴァトワールで始め、すぐに気に入りました。

Q:ダンスの何にひかれたのですか。
A:言葉では表現できません。8歳の子供だったんですから。ある日、稽古につれていってくれる母が来られないことがあったとき、私は行くわ!と。一人で歩いて行き、レッスンが終わった1時間後に着きました。それくらいダンスが気にいっていて...とにかく休みたくなかった。すでに私にとって不可欠なもの、となっていたの。習い始めて数か月後、この子はオペラ座の学校にゆくべきだわ、といわれて、とってもうれしかった。

Q:オペラ座の名前はすでに知っていたのですね。
A:はい。義理の従姉がオペラ座の学校に入ってましたから。今彼女はダンスを続けていません。でも義理なのでこちらも血のつながりはありませんが、別の従妹がカンパニーで踊ってるですよ。父方のルナヴァン家にはダンスやっていた人はいません。そもそも父は私がダンスを習うの反対だったのです。ダンスの厳しさを知っていて、もし上手く行かなかったら、小さい子供には辛いだろうと...。

Q:学校の寮生活は辛くなかったですか。
A :いいえ、全然。でも両親はダンスを始めたばかりの私が、オペラ座の学校の生徒になれるとは思ってもいなかったので、すごいショックだったんです。娘が突然家から消えてしまった、と。 私はとても満足してました。でも、14歳になると9時に就寝、自分だけの部屋ではないという暮らしが辛くなって、自宅から通学できるようにシステムが変わったのを機に、通学生となりました。パリ郊外の自宅とナンテールの学校を、郊外地下鉄で往復する日々でした。

Q:学校時代の最高の思い出は何ですか。
A:最高といったら、もちろん学校の公演でしょうね。でも、それ以上に記憶に残る思い出があります。入学して間もなくのことです。『真夏の世の夢』の公演があり、バレエの最後に花嫁のウエディングドレスのすそをもつ小さな女の子たちが必要ということで......。これが私がオペラ座の舞台にたつ初体験となりました。毎晩、エトワール、コール・ド・バレエたちが踊るという暮らしを目の当たりに見て、もうそれは感動そのもの。これがオペラ座の学校での、最初の強い思い出です。

Q:それをきっかけにバレエを職業にしようと思ったのですか。
A:いいえ。最初っからバレエを仕事にしようと決めていました。学校にはいったときからです。私は自分が何をしたいか、ということがいつもわかっていて...。小さいときから、とても自立していたんです。姉が7歳も上だったので、年上の人にいつも囲まれていたせいかもしませんが、自分の年齢よりませていました。小さいときから自分で洗濯し、アイロンかけもして...。学校に入る前から大人だった、といえるかもしれませんね。買い物をしなければ、と母がいうと、ああ私がするわ、任せて!というように。

「フェードル」 Photo Agathe Poupeney / Opéra national de Paris

「フェードル」
Photo Agathe Poupeney /
Opéra national de Paris

Q:17歳で入団してから、順調でしたか。辞めたいと思ったことはありますか。
A :大きくダウンした時期が最初にありました。入団したものの上手くゆかず、20キロ太ってしまい、それが3年も続きました。心理的にブロックされていて、やせることができず、この時期は厳しかったですね。オペラ座のバレエ団に入るという子供時代からの夢が叶って入団したものの、奇妙なことになってしまって...。まだ17歳。自分の体重で自分を守ろうとしてたんでしょうね。父が重病だったということも理由の1つかもしれません。クラシック作品のコール・ド・バレエに配役されることがなくても、クラスレッスンは続けていました。そうするうち、ピナが『春の祭典』に選んでくれました。カンパニーでは痩せるのを待たねば、という状況でしたので、これはとても強烈な経験となりました。その後、病気だった父が亡くなり、それで、あっと言う間に10キロ減ったのです。ダンスを辞めようか、他のカンパニーで踊ろうか、など、あのときはいろいろと考えました。オペラ座のこの状況が自分の道でないのなら、どこかで人生を享受しなければって。二度とこの時期と同じ経験をしたくないですね。もっとも、この時期があったからこそ、今の私があるのです。オペラ座外のバレエの公演を見にいったり、たくさんの見聞、観察ができたのもこの時期です。ピナのカンパニーに行こうか、とも考えたんですよ。でも、そのためにはオペラ座を辞めなければいけない。とても辞職する勇気がありませんでした。でもその反面、この状況から絶対に自分は脱せられる、と確信していました。ブリジット以外、誰もそんなこと信じてませんでしたけど。ええ、ブリジットには精神的にとても支えられました。

 「ベルナルダの家」 Photo : Agathe Poupeney /Opéra national de Paris

「ベルナルダの家」
Photo : Agathe Poupeney /
Opéra national de Paris

Q :強い個性を持つ女性役に配されることが多いですね。この時期の経験は仕事で役立っているといえますか。
A:強い反面、もろい、というように私には両面があります。学校時代は、精神的にとても強かったんですよ。でも入団して、まったく予想もしなかった問題にぶつかって茫然とし、弱ってしまいました。それまでどちらかというと、思い上がりがありましたが、この経験を経て成長できました。自分の弱さ、傲慢さと対峙させられましたから。この時期に、他人の視線をすごく感じるようにもなりました。 たとえオペラ座外の友だちが私の体重を気にしなくても、いろいろ楽しいことがあっても、どこかパラノイアぽくなっていて、太った自分に向ける自分の視線が他人の視線に思えてしまって...。こうした外の視線についての私の脆さは、今も残っています。でも、それによって、自分自身であろうとする方向にプッシュされるんです。この時期の経験、いろいろ感じたことは、感動を伝えるという今の仕事にもちろん役立っています。

Q:これまでで一番楽しめた舞台は何ですか。
A:たくさんあるわ......まず、ピナの『春の祭典』で生贄役を踊ったとき。2年くらい前かしら、これはもう類をみない体験でした。

キリアンとの出会いということも含めて、『かぐや姫』も素晴らしかった。 マクレガーの『感覚の解剖学』では、文字通り弾けましたね。フォーサイスの『アーティファクト』もそう。これは舞台が上手くいったとかいかないではなく、自分がしていることを自分が100パーセント、エンジョイしているという点でです。 今月の『シンデレラ』でのアグリー・シスター役もそうです。これまでコミックな役に配されることがなかったので...。ノルウエン・ダニエルと組んでいますが、もちろん、私がブルーのドレスの独裁的な方よ。

Q :舞台に上がる前に決まって思うこと、することがありますか。
A:先にも話したけど、あまり早くから準備しないことです。10分前にしか、私は舞台の袖に行きません。 私、迷信を信じるほうで、ちょっと奇妙に聞こえるかもしれないけれど決まり事にしてるのは、チャンスをもたらすと信じてるブラジャーとパンツを身につけることです。同じ品を複数揃えてあるんです。そして、舞台に上がる前に十字を切る。これは癖といえるかしら。

「若者と死」 Photo Anne Deniau / Opéra national de Paris

「若者と死」
Photo Anne Deniau / Opéra national de Paris

「ホワイト・ダークネス」ジェレミー・ベランガールと Photo Agathe Poupeney / Opéra national de Paris

「ホワイト・ダークネス」
Photo Agathe Poupeney / Opéra national de Paris

Q :今後踊りたい役は何ですか。
A:クラシック作品なら『ドン・キホーテ』のキトリ。これは絶対に!。ジゼルはもちろんだけど『ジゼル』ならミルタも踊りたいですね。この夏、アメリカでのツアーがあるので、プルミエール・ダンスーズになったことだし、これは期待していなくもありません。『シンデレラ』も興味あるし、『ラ・シルフィード』、『パキータ』...。ライモンダは役に惹かれるというより、テクニック的にとても難しいものなので、そのヴァリエーションに挑戦するという点で踊ってみたいですね。チャレンジが好きなので。『椿姫』のような演じる役もいいですね。私、なぜか『眠れる森の美女』だけはノン!なの。一度も踊りたいと思ったことがないんです。

Q :31歳の現在、引退後のことを考えることがありますか。
A:昨日はオフだったのだけど、ガルニエ宮でオペラ座訪問に来た地方の小学生との質疑応答というのがありました。低学年の小さな子供たちは好奇心いっぱいで、彼らからも先のことを聞かれたんです。ダンスということで考えると教師やリハーサル・コーチ、あるいは振付家だけど、これは天賦の才が必要でしょうから...。おそらく、音楽とかまったくダンスとは別のことをするかもしれません。あるいは友だちのミュージシャン、コレオグラファー、引退したダンサーの友だちなどと一緒に何かできたらとも考えます。コンテンポラリー・ダンスの経験を積みながら、このプロジェクトについて探ってみようかと。とはいえ、ずっと先のことなので、すべてまだぼやぼやという状態です。

アリス・ルナヴァン

アリス・ルナヴァン

<<10のショート・ショート>>
1. プティ・ペール:シャルル・ジュード
2. プティット・メール:アニエス・ルテスチュ
3. ダンサーでなければ就いていたかもしれない職業:わからない。数学か音楽に関係する仕事だと思う。
4. 自分の性格の主立った特徴:他人からはセンシブルとよくいわれる。
5. もし自宅が火事になったら最初に持ち出すもの:祖母の形見の宝石類。
6. 次の休暇の行き先:イスタンブールに行きたい 。
7. 朝最初にすること:ベッドから右足で降りること。左足では決して降りない。
8.コレクションしているもの:子供時代から、星(エトワール)モチーフの品を集めている。また最近、鳥のモチーフも集め始めた。
9. 幸せを感じる瞬間:満足に舞台を終えたとき。
10. 趣味:ロック、エレクトロも含め、あらゆるジャンルの音楽。ミュージシャンの友だちのコンサートやリハーサルによく行く。

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