古代神話を踊って秀逸、アニエス・ジローのフェードルとデュポンのプシュケー

ワールドレポート/パリ

三光 洋
text by Hiroshi Sanko

Ballet de l'Opéra national de Paris
パリ・オペラ座バレエ団

Serge Lifar " Phedre" Alexei Ratmansky "Psyche"
セルジュ・リファール振付『フェードル』、アレクセイ・ラトマンスキー振付『プシュケー』(フランス語原題『プシシェ』)世界初演

9月も半ばを過ぎてパリ・オペラ座バレエ団の2011・2012シーズンが始まった。本来は初日の21日にガラ公演が予定されていたが、またしても大道具方の年金改革反対のストで中止となった。わずか数名がストをするだけで、安全上の理由から公演が実施できなくなってしまう。他の世界では考えられない事態だが、労働者に極端に有利な労働協約(コンヴァンション・コレクティヴ)があり、その改訂が事実上不可能な以上、パリ国立オペラ座ではこうしたストによる公演中止のリスクは常にある。

古代神話を題材にした二作品を並べたプログラムはまずセルジュ・リファール振付の『フェードル』で始まった。ジャン・コクトーの台本はソフォクレスやユーリピデスといったギリシャ悲劇ではなく、それを翻案したラシーヌの古典劇にもとづいている。
テゼ王の后フェードルは義理の息子イポリットに恋慕し、夫の不在中に告白するが、アリシー姫と相愛のイポリットは相手にしない。テゼ王の突然の帰還に驚いたフェードルは侍女エノーヌの入知恵でイポリットに言い寄られたと訴える。怒った王は海神に復讐を依頼し、イポリットは怪獣の餌食となる。フェードルは絶望し、真実を告白した後、自決する。
1950年6月14日の初演はタマラ・トゥーマノヴァ(フェードル)とセルジュ・リファール(イポリット)が踊っており、コール・ド・バレにはクロード・ベッシーが入っていた。今回の公演はその後の再演で何度もフェードルを踊ったベッシーの指導により実現している。
天然色の衣装とシンプルな装置は、第2次大戦後のフランスで一世を風靡した文人コクトーが考案した。黒い服に赤のマントのフェードル、紫色のエノーヌ、黄緑色のイポリットというパステルカラー、中央にカーテンのある演壇があり、イポリットが馬車を御したイポリット王子の到着(ブラッサイによる馬四頭の写真)、侍女エノーヌの自決、海神の出現といった舞台と平行して進行する事態を人形芝居のようにしてややナイーブに形で見せた。

「フェードル」ミリアム・ウード・ブラーム、カール・パケット © Opera national de Paris / Agathe Poupeney

© Opera national de Paris /
Agathe Poupeney

ダンスそのものは、リファールがダンサーの表情を強調し、場面に適したマイムを加えた。映画『美女と野獣』をはじめとするコクトー独特の美学を覚えている人々には懐かしい舞台作法だが、誇張が目立つ演劇的な動きにバレエファンの一部からは「古臭い」という批判の声も聞かれた。
通常のバレエ作品と異なるアプローチのためか、カール・パケットとミリアム・ウード=ブラームの二人は絵本に出てくるような類型的な相思相愛の恋人に留まり、技量抜群のニコラ・ル・リッシュも息子と后の不可思議な振る舞いに苦悩するテゼ王の心の微妙な揺れを表現するには至らなかった。一方、アリス・ルナヴァンはヒロインを操って心ならずも破滅へと導くエノーヌの悪女ぶりを明快に演じた。
しかし、何と言っても観客を釘付けにしたのは、リズミカルでいてニュアンスに富み、場面の喚起力のあるジョルジュ・オーリックの秀逸な音楽をバックにヒロインを踊ったマリ=アニエス・ジローだった。ジロによるフェードルは不義の恋に身を苛まれ、最後は毒をあおるまで、王妃としての威厳を保ちながら、内面の苦悩をあますところなく描き出していた。

「フェードル」アリス・ルナヴァン © Opera national de Paris / Agathe Poupeney

© Opera national de Paris /
Agathe Poupeney

「フェードル」ニコラ・ル・リッシュ © Opera national de Paris / Agathe Poupeney

© Opera national de Paris /
Agathe Poupeney

「フェードル」マリ=アニエス・ジロー © Opera national de Paris / Agathe Poupeney

© Opera national de Paris /
Agathe Poupeney

「フェードル」マリ=アニエス・ジロー、カール・パケット © Opera national de Paris / Agathe Poupeney

© Opera national de Paris / Agathe Poupeney

「フェードル」マリ=アニエス・ジロー © Opera national de Paris / Agathe Poupeney

© Opera national de Paris / Agathe Poupeney

「フェードル」カール・パケット © Opera national de Paris / Agathe Poupeney

© Opera national de Paris / Agathe Poupeney

「フェードル」アリス・ルナヴァン © Opera national de Paris / Agathe Poupeney

© Opera national de Paris / Agathe Poupeney

休憩後はアレクセイ・ラトマンスキー振付の『プシュケー』の世界初演だった。ギリシャ語で「魂」を意味し、帝政ローマ時代のアプレイウスの小説『黄金のろば』に出てくる物語のヒロインである。プシュケーは美貌ゆえに美の女神(ヴェニュス)に嫉妬されるが、愛の神であるエロスに愛される。好奇心と疑念から犯した罪の罰としていったんエロスを失い、ヴェニュスの奴隷にされてしまう。しかし、試練を経た後、エロスに救われ、永遠の愛を生きることになる。
「理想を求める魂が愛によって救われる」という物語は多くの文人を触発し、1671年にはヴェルサイユ宮殿で5幕の悲劇バレエ『プシシェ』として上演されている。(モリエール、コルネイユ、キノーの三者による台本、リュリの音楽)

「プシュケー」オーレリー・デュポン、ステファン・ブリヨン © Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

© Opéra national de Paris /
Agathe Poupeney

今回ラトマンスキーは1890年にセザール・フランクが作曲した交響詩『プシシェ』に魅了されてバレエ化を考えた。フランクの持つ音楽の強靭さ、ポエジーを内面から生きることが目指された。そのため、舞台にはアプレイウスの原作の前半部分は現れず、フランクの楽譜の指定通り、死者の王国に辿り着いたプシェケーが深い眠りに落ちているところから始まる。
青い薄闇にクラリネットのソロが流れ、黒いヴェールをかぶったプシェケーが右の袖から登場する。湖に面した館、ついで森(巨大なかたつむりやフクロウがいる)がアメリカの画家カレン・キリムニックの色鮮やかな装置で背景となり、物語の展開をわかりやすく示していた。
オーレリー・デュポンのプシェケーは最初は恥じらいながら、やがてエロスによって次第に愛に目覚めていく姿を、清々しい視線となめらかな舞いで清冽に描き出していた。表情豊かなステファン・ブリヨンとの長いパ・ド・ドゥーは二人の息がぴったりと合い、恋人たちの陶酔にふさわしい一体感が周囲に広がった。4人の男性によるそよ風が、紋切り型の衣装と踊りでありふれたものに終わったのが惜しまれたものの、全体としてはパントマイムを適度に使って、バレエのパをふんだんに駆使した振付は、あまり斬新とは思えなかったが、わかりやすく客席から大きな拍手で迎えられた。
(2011年9月25日 ガルニエ宮)

「プシュケー」ステファン・ブリヨン © Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

© Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

「プシュケー」オーレリー・デュポン、ステファン・ブリヨン © Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

© Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

「プシュケー」オーレリー・デュポン © Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

© Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

「プシュケー」© Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

© Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

「プシュケー」© Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

© Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

「プシュケー」© Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

© Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

「プシュケー」© Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

© Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

「プシュケー」© Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

© Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

「プシュケー」© Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

© Opéra national de Paris / Agathe Poupeney

『フェードル』ジャン・コクトーのコレグラフィーによる悲劇
音楽/ジョルジュ・オーリック(1950年)
コーン・ケッセルズ指揮イル・ド・フランス国立管弦楽団
ダンスの動き(アクション・ダンセ)/セルジュ・リファール
幕・衣装・装置/ジャン・コクトー
フェードル/マリ=アニエス・ジロー、テゼ/ニコラ・ル・リッシュ、エノーヌ/アリス・ルナヴァン、イポリット/カール・パケット、アリシー/ミリアム・ウード・ブラーム、パジファエ/リュシー・マテキ、ミノス/ユゴー・マルシャン 他
『プシュケー』世界初演
音楽/セザール・フランク
振付/アレクセイ・ラトマンスキー
装置/カレン・キリムニック
衣装/アデリーヌ・アンドレ
照明/マジッド・ハキミ
合唱指揮/ドニ・コンテ
プシシェ/オーレリー・デュポン、エロス/ステファン・ブリヨン、ヴェニュス/アマンディーヌ・アルビッソン、二人の姉妹/メラニー・ユレル ジェラルディーヌ・ヴィアール、 そよ風/マロリ・ゴーディオン、ダニエル・ストークス、シモン・ヴァラストロ、アドリアン・クヴェーズ 他

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