太陽王の時代のバロック・ダンスの美がボルドーに甦った

ワールドレポート/パリ

三光 洋
text by Hiroshi Sanko

Lully 『Atys 』

リュリ『アティス』

現在のパリ国立オペラ座は、1669年にルイ14世によって創設された王立音楽アカデミーを母体としている。太陽王ルイ14世はダンスの名手で、その庇護の下でイタリア人作曲家リュリが活躍し、多くの「音楽悲劇」が作られ、フランス・オペラの土台が築かれた。
音楽悲劇は詩、音楽、ダンスが一体となって組み込まれ、現在私たちが考えるオペラに比べ、ダンスに比重がきわめて大きい。ここに組み込まれた宮廷舞踊こそ、19世紀以降のクラシック・バレエの原型だった。
音楽悲劇では、まず筋とは無関係なプロローグがあり、観客は第1幕開始にふさわしい心持ちになるように導かれる。5幕はいずれも筋の展開する部分(アクション)と合唱と舞踊からなるディヴェルティスマンで構成される。
そうした作品の一つがリュリが作曲し、1676年にルイ14世の臨席のもとにサンジェルマン・アン・レで初演された『アティス』だ。「王のオペラ」を讃えた音楽悲劇『アティス』は、プロローグ付き全5幕、上演時間4時間という長大な作品である。
この作品は18世紀半ばまで上演されていたが、その後は二百年間以上にわたり忘れ去られていた。1987年、リュリの没後三百年を記してオペラ・コミック座で行われた復活上演は大きな反響を呼び、現在のフランス・バロック音楽隆盛への第一歩となった。

リュリ『アティス』 (C) Pierre Grosbois

「アティス」(C) Pierre Grosbois

この上演を見たアメリカの富豪ロナルド・スタントンが「死ぬまでにもう一度あの舞台を見たい」と制作費用を寄付したことにより、今回、実に25年ぶりの再演が実現した。ヴィクトル・ルイの設計による「フランスで最も美しい歌劇場」といわれる、ボルドーのグランテアトルでの公演を観ることができた。7月にはヴェルサイユ宮殿の王立オペラでも上演されている。

『アティス』の物語を簡単にご紹介しよう。
貴公子アティスと美貌のサンガリードは相愛だが、彼女はアティスの親友のセレニュス王に嫁ぐことになっている。ここにアティスに横恋慕したシベール女神が介入し、悲劇の結末を迎える。

この楽譜を熱愛するウイリアム・クリスティーの覇気にみちた指揮に導かれたレザールフロリッサン管弦楽団と合唱団は、ルイ王朝時代の閑雅な雰囲気を巧まず音に託し、観客を夢幻の世界へと導いた。テオルブとフルート奏者が舞台上にのぼった有名なアティスの夢の場面は甘美そのものので、リュリの音楽が聞き手を一挙に引き込んだ。
17世紀演劇研究家ジャン・マリー・ヴィレジエによる演出は、太陽王時代のヴェルサイユを様式化された悲劇にふさわしい荘重な装置とパトリス・コーシュチエの豪奢そのものの衣装によって理想化した。初演時にはピエール・ボーシャンが振付けたが、そのパはすっかり忘れ去られていた。それを2003年に亡くなったフランシーヌ・ランスロが当時の記録と舞踊理論書とをもとに再創造した結果、アクションとディヴェルティスマンがガヴォットやムニュエといったゆったりした宮廷舞踊によって自然に結び付けられた。今回は1987年にダンサーとして参加したベアトリス・マッサンが師のランスロの振付を復元した。現在の跳躍の高さや回転の速さを見せ場とするバレエとは、また一味ちがう美の世界が蘇った一時だった。
(2011年6月18日 ボルドー・グランテアトル)

『アティス』
音楽/リュリ
振付/フランシーヌ・ランスロ 復元振付/ベアトリス・マッサン
フェット・ギャラント舞踊団
ウイリアム・クリスティ指揮 レザールフロリッサン管弦楽団
振付/ジャン・マリー・ヴィレジエ
装置/クリストフ・ガラン
衣装/パトリス・コーシュチエ
照明/パトリック・メユス

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