パリの夏、大歓迎されたヴィレラ率いるマイアミ・シティ・バレエ団
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ワールドレポート/パリ
- 三光 洋
- text by Hiroshi Sanko
Les Etés de la Danse a Paris パリ夏季ダンスフェスティヴァル
マイアミ・シティ・バレエ団
2005年から毎夏開かれているパリ夏季ダンスフェティヴァルが7回目を迎えた。今年の会場は2009、2010年に引き続いてシャトレ歌劇場で、7月6日から23日までの長期公演となった。
招聘されたのはパリ初登場となるアメリカのマイアミ・シティ・バレエ団。パリのバレエファンが待ち望んでいるフェスティヴァルだけに、マスコミもこぞってこのカンパニーを取り上げた。フランスを代表する日刊紙「ル・モンド」は7月15日の文化面の大半を割き、大きな写真を添えてバレエ評論家ロジータ・ルソーの長文の記事を掲載した。日本でもあまり馴染みのないと思われるマイアミ・シティ・バレエ団を、パリがどのように迎えたか、カンパニーの紹介を兼ねて新聞記事を要約してお伝えしよう。
「マイアミ、ビーチ、テニス、ゴルフ、そしてシティ・バレエ団」と題され、リードには「フロリダのバレエ団の50名のダンサーが初めてパリで踊る。ハイ・レベルのバレエ団」と記されて、記事には賛辞が連ねられた。
マイアミ・シティ・バレエ団は今年75歳を迎えた芸術監督のエドワード・ヴィレラが1985年に創設し、25年目を迎えている。ヴィレラは1957年から75年までニュ−ヨーク・シティ・バレエ団(NYCB)のプリンシパルとして活躍し、バランシンの薫陶を受けた。『ルビー』(1957)や『舞楽』(1963)はバランシンがヴィレラを念頭に置いて創作した作品だ。
ロジータ・ルソーは3週間にわたったマイアミ・シティ・バレエ団公演は「パリの観客の期待を裏切らなかった」とし、その特徴はまず第一にヴィレラという一人の人間が試みた冒険だという。
文化に関わるものは何もなかったマイアミに現れたのは、ダンサーであるとともに、野球とボクシングのチャンピオンだった自由な精神を持つ男性----。1975年、ヴィレラはNYCBでのプリンシパルとしてのキャリアを終えると、ダンス映画やテレビのショーに出演していた。自分のバレエ団を持ちたいという夢はあったものの、組織を立ち上げたり、資金集めをしたりする勉強はしたことがなかった。そこでアメリカ各地を回ってレベルアップを目指している小さなバレエ団を探した。マイアミに来た時は49歳だった。自分のキャリアについての講演会を開いて、集まった数少ないファンに向かってバレエ団への夢を語った。かつてニューヨークの舞台で彼のダンスを見た観客が引退してフロリダに住んでいた。かつてのバレエファンのために、と始まった活動は、マイアミが折から単なる保養地から現代アートの「交差点」となろうとしていた時流に乗って、19人のダンサーが50人になるまで成長した。現在では毎シーズン、5つのプログラムが4回づつ上演されるバレエ団に成長している。
「ダンサーがなるべく早く成熟できるように」という配慮からレパートリーは75を数えている。バランシンの50作品を中心に、ジェローム・ロビンズの『イン・ザ・ナイト』や『ファンシー・フリー』、ジョン・クランコやポール・テイラーの作品などが入っている。
ヴィレラはダンサーたちにまずバランシンに特有のテクニックを教え、それから他のスタイルを修得するという方法を採っている。「バランシンを踊ってから『ドン・キホーテ』を踊ることはできるが、その反対は無理だ」からだ。そしてマイアミ・シティ・バレエ団には、芸術監督夫人で元フィギュアスケート選手だったリンダ・ヴィレラを校長とするダンス学校も併設されている。
7月に入ると多くのパリジャンがバカンスに出かけていったが、毎夜演目の異なるプログラムが組まれた引越公演には多くの観客が詰め掛け、大きな拍手やブラヴォーが飛び交っていた。「一夜に3作品ないし4作品を踊るダンサーたちの技量は非常に高い。床にぴったりとついた動き、鋭い脚、品のよいエレガンスが際立っている」と「ル・モンド」紙は評している。
また有力経済紙「レゼコー」もフィリップ・ノワゼットの署名で「バランシン・メイド・イン・マイアミ」と題した記事を18日に掲載し、「ジョージ・バランシンのレパートリーがNYCBだけのものと思われていたのはたいへんな間違いだ」と高く評価している。
筆者自身は7月14日の革命記念日を過ぎた19日と21日の公演でバランシン、ロビンズ、ウィールドン、サープという4人の振付家による7つの作品を見た。最も印象に残ったのは、トワイラ・サープの『イン・ジ・アッパールーム』だった。フィリップ・グラスの繰り返しの多い音楽に乗って、縞のパジャマのような衣装のダンサーたちがスポーティに40分間にわたって踊りまわると、若々しいリラックスした雰囲気が会場に広がった。
ジェローム・ロビンズ振付の『牧神の午後』は、繊細なカルロス・ゲラと品のあるジェニファー・カーリン・クローネンブルクという組み合わせで踊られた。装置は、白と青で統一された何もないダンススタジオ、一見、素っ気無いがかえってダンサーのムーヴマンをくっくりと浮き彫りにし、非現実な夢のような雰囲気があたりに立ち込めた。
全体としてソリストには個性的なダンサーが散見される一方で、群舞ではややばらつきが感じられた。これは体型が統一されたパリ・オペラ座バレエ団の公演に見慣れているせいかもしれない。古典的なエレガンスとはまた違う、エネルギッシュなダンスの開放的な感覚は、フランスやロシアといったクラシック・バレエの長い伝統を持つ国には見られないものだった。
(2011年7月19日、21日 シャトレ歌劇場)
(C)DR
(C)Roberto Santiago
・19日
トワイラ・サープ『ナイン・シナトラ・ソングス』
ジェローム・ロビンズ『牧神の午後』
クリストファー・ウィールドン『典礼』
ジョージ・バランシン『インペリアル・バレエ』
・21日
ジョージ・バランシン『テーマとヴァリエーション』
ジェローム・ロビンズ『イン・ザ・ナイト』
トワイラ・サープ『イン・ジ・アッパールーム』