オペラ座ダンサー・インタビュー:クレールマリ・オスタ

ワールドレポート/パリ

大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
text by Mariko OMURA

2012年7月、オペラ座にアデュー。

二人の子供を持つクレールマリは来日のチャンスが少なく、エトワールながら日本のバレエ・ファンにはなじみの薄い名前かもしれない。『アルルの女』『椿姫』『オネーギン』『ぺトルーシュカ』・・・タイプの異なる女性を繊細なポワント・ワークで踊り、観客を作品の世界へと誘い込む。ダンスはもちろん、役に入り込んだ自然な演技でも、パリのバレエ通の間では高い評価を得ている。日本に多くファンを持つエトワール、マチュー・ガニオもお気に入りのパートナーの一人と語っている素晴らしいダンサーだ。
今年9月からの新シーズンが、彼女のオペラ座最後の1年。観客にとっても、これは毎回深い感動を残す彼女の舞台を記憶にとどめることのできる、最後の1年である。

Q:この夏に予定されていた「ニコラ・ル・リッシュとパリのエトワールたち」の延期は、とても残念ですね。
A:私、以前は日本にも行きましたが、子どもが生まれてからは行ってないんです。8月の公演を延期せざるを得なかったことは、心から残念に思っています。日本の観客にぜひ見せたいと思っていた作品で構成し、ダンサーの組み合わせもこれまでにないプログラムを見せられる素晴らしいチャンスだったので、参加者全員が楽しみながら実現へと進めていたんですが・・・。日本に行くことを躊躇したというのが、公演延期の理由です。

「 クラヴィーゴ」 Photo Icare / Opéra national de Paris

「 クラヴィーゴ」
Photo Icare / Opéra national de Paris

私たちの躊躇いが単なる不安に過ぎず、その不安が現実とならないことを心から祈ってます。今回のこの残念な決定は、あいにくと私たち参加者だけのものではありません。責任を負うべき家族が私たちにはいますので・・。

Q:『椿姫』『アルルの女』『ドガの踊り子』『ペトルーシュカ』『オネーギン』・・・どの役でも、はまり役という印象をあなたは残します。年齢もキャラクターも異なる女性役を、どのように準備するのですか。
A:役がらにどのように取り組むか。それについて、簡単に語れるレシピは存在しません。例えば『オネーギン』のタチアナの場合は、最後のリハーサルの間に彼女が書いた手紙というか詩を読んで、とても衝撃を受けました。もちろん、私には好都合なショックよ。抒情的、ポエティックな面の表現に助けとなったんですから。役がらの解釈に自由を求めてはいるものの、こうした文化に結び付いたものは、解釈の頼りになると思います。

「椿姫」ミカエル・ドナールと Photo Sébastien Mathé / Opéra national de Paris

「椿姫」ミカエル・ドナールと
Photo Sébastien Mathé / Opéra national de Paris

実話だったり、本があったりする場合は、そこから夢をみ始めるんです。『椿姫』も本を読むことから、始めました。自分の役柄だけを考えてではなく、時代背景なども含めて読みます。役作りに役立つ要素としては、音楽、衣装、振付がありますね。そうしたことをベースに、もしも彼女が私だったら、もしも彼女が私だったら・・というように役作りを展開しています。

「ドガの小さな踊り子」バンジャマン・ペッシュと Photo Julien Benhamou / Opéra national de Paris

「ドガの小さな踊り子」バンジャマン・ペッシュと Photo Julien Benhamou / Opéra national de Paris

「ドガの小さな踊り子」バンジャマン・ペッシュと
Photos Julien Benhamou / Opéra national de Paris

「 ドガの小さな踊り子」 Photo Icare / Opéra national de Paris

「 ドガの小さな踊り子」
Photo Icare / Opéra national de Paris

Q:『ドガの踊り子』では、ダンサーとして大柄ではないことがこの役に上手く作用したように感じました。
A:小柄であることって、私の利点だと常に感じています。パ・ド・ドゥを踊るには小柄なほうがパートナーにとってはいいことですし、レパートリーの幅も広いと思います。今はいろいろなタイプのダンサーがいますが、確かに小柄なダンサーがあまりもてはやされない時期というのがありましたね。すらりとしたシルエットが求められた時代・・アメリカから来たものではないかしら。

Q:この仕事で何が一番好きなことですか。
A:役を演じることもそうですが、身体や身体の動きが、どれほど表現豊かなものであるかを実感できることです。たとえ物語がない作品でも、私、動き、ニュアンスに興味をもっているので同じことが言えます。

Q:クラシックとコンテンポラリーではどちらに配役されることが多いですか。
A:私は『ジゼル』も踊れば、マッツ・エックの『ベルナルダの家』も踊ります。オペラ座のレパートリーの幅広さは、私たちにとっては本当に幸せなことといえます。マッツ・エック、プティ、キリアン、フォーサイス、ミルピエ・・・・。現存の振付家たちが私からひきだしたい価値というのが私の思いと異なっても、それは私にとって発見となります。

それゆえ、私はその役が好きになるんです。振付家がみつけてくれた私の新しい面を、自分を豊かにすることに私は活用しています。オペラ座に来る振付家たちといつも一緒に仕事をできるのは、ラッキーなことです。

Q:これまでのキャリアの中で、舞台上で一番喜びを感じられた作品は何ですか。

A:23年オペラ座で踊ってますが、何か1つを取り出して選ぶことはできません。私のこれまでのキャリア、何も欠けてないと思うんです。1つずつがパズルのピースのようで、何か1つをとりあげたら、意味がなくなってしまいます。きっと10年前だったら、ああ、私・・したいわあ、とかいったでしょうね。自分を夢見させるものを私はどれも踊れたし・・というか結果としては、それ以上に恵まれています。そして、もしこの先に何年もあれば、刺激的なものにまだまだ出会えるということも確かです。でも、本当にすべて踊った今の時点で、思い残すものは何もありません。私のオペラでの歩みは比較的ゆっくりしたものでしたけど、各段階で自分がしてることが面白かったし、それから先にくるものについては何も考えず、やってきたんです。

Q:あなたのキャリアがルフェーヴル芸術監督によって上手く導かれた、という感じはありますか。
A:ブリジット(・ルフェーヴル)はとにかくたくさんのことを決定します。私にふさわしいように、と彼女は決定してくれます。どの作品だったか忘れましたが、私が踊りたい役があり、でも、彼女は私を配することに心を決めかねたことがあります。でもその結果から、彼女はリスクを負ったことを後悔せず、私を信頼してくれるようになったようです。こうした信頼が仕事で得られることは、とても快適ですね。

Q:12歳でタップダンスのフランス・チャンピオンに選ばれていますね。クラシック・バレエはどのように始めたのですか。

A:ニースに住んでいた5歳のときに、クラシックダンスを習い始めました。タップダンスも同時に始めたんです。いろいろな外国語を話したいと思うのと同じで、いろいろなダンスを学びたいと思って・・。

Q:何かきっかけがあって始めたのですか。
A:従姉がはじめたこともあったけど、小さな女の子のよくある習い事の1つ、という感じで始めました。それまでに何かバレエをみたといわけでなく・・。でも、私、最初のレッスンのこと、とてもよく覚えてるんです。私はダンスウエアがまだなかったので見学していたんです。先生が母に、「これは試しだから、もし気にいらなければ、それはそれで・・」というのを耳にして、私、「ううん、気にいったわ、私、習う! チュチュを買ったらすぐに始める!」って。それくらい、本当にバレエが一目で気にいったんです。

Q:ダンスを仕事にしようと思ったのは、ニース時代ですか。
A:15歳になるまで、ダンスをするためにダンスを愛していましたが、それで成功するためにダンスを愛してたというわけではありません。パリから遠くにいたし、ダンスを職業にするというような発想からも遠くにいました。だから、どこかのカンパニーの入団試験を受けるためにバレエ教室を去る子がいても、それがなぜか理解できず・・。それくらい、私はただただダンスを学んでるところの雰囲気、そして自分がしてることが、好きだっただけなんです。

「アルルの女」ジェレミー・ベランガールと Photo Sébastien Mathé / Opéra national de Paris

「アルルの女」ジェレミー・ベランガールと Photo Sébastien Mathé / Opéra national de Paris

「アルルの女」ジェレミー・ベランガールと
Photos Sébastien Mathé / Opéra national de Paris

Q:オペラ座のバレエ学校に入ったのはいつですか。
A:プライヴェートレッスンも続けていましたが、12歳でニースのコンセルヴァトワールに入りました。15歳のときに、パリのコンセルヴァトワール・シュペリユールに通うことになったんです。クリスチャンヌ・ボサールが先生で、今も私の師匠です。彼女、私がオペラ座の学校にはいるなんて思ってなかったの。私も自分がオペラ座に宿命づけられてるという感じはなかったんです。でもオーディションをパスして、学校に入って・・それはとてもうれしかったわ。発見というか、好奇心いっぱいでした。

Q:オペラ座のバレエ学校に中途入学し、学校に馴染めましたか。
A:17歳で入って、プルミエ・ディヴィジョンに半年いました。寮生活です。そうですね、確かに簡単なことではなかったですね。自分のモティヴェーションが確固たるものでないと、厳しい状況だったと思います。オーレリー(・デュポン)がいて、彼女が私に「あなたって、幸運だわ。なぜって、何も怖がってないのだから」と言ったのです。で、私「何が怖いの?」って聞き返しました。「わからない。長いこと学校にいて、毎年試験があって・・・」と彼女は答えたんです。私も毎年試験を受けてきたけど、でも、エトワールという投影を自分にしてなかったので、怖いものがなかったのが逆に強みになっていたんですね。私、キャリアに対して性急じゃなかった分、忍耐があったのだと思います。ちょっとしたことも喜びで、何かを待ったり、期待したりしない。だから、未来はなにもかもが思いがけないことばかりというタイプなので・・。ええ、今の立場は、予想してたことではなくって、贈りものだと受け止めています。

Q:ジョゼ・マルチネズ、ジャン・ギヨーム・バール、クリストフ・デュケンヌ・・あなたの同期生の多くが学校時代の良き思い出として、NYツアーをあげます。あなにとってもそうですか。
A:このツアーの素晴らしい点は、ツアーそのものに加え、直前にカンパニー入団試験があって、出発のときには、私たちの入団が決まっていたからなんです。その年(1988年)は12のポストがありました。男性6名、女性6名。ツアーはでは「デフィレ」もあったし、アメリカのスターダンサーも大勢見られ、それに毎晩のように外で楽しんで・・(笑)。それまでずっとナンテール暮らしだったので、想像に難くないでしょう。

Q:他の生徒たちと仲間であると、このツアーでは感じられましたか。
A:そうですね、ジョゼとは打ち解けた関係でした。というのも、彼も1年しか学校にいなかったので。もちろん、他の生徒たちが意地悪、という意味ではまったくありません。ただ、やはり下からずっと一緒の生徒たちが持ってる共通体験が私には少なかったので・・・。誰しも、子ども時代というのを特別な思いいれで振り返るものでしょう。オペラ座のバレエ学校で学んだダンサーたちの子供時代の思い出は、ここ、オペラ座にあります。私の子供時代はニース。定年の話に戻りますが、定年はチョイスのできないことで、もちろん踊ることをやめることは喜びではないけれど、幸いにも何かプロジェクトがあれば踊れる身体であるというのは、うれしいことですね。それでも、オペラ座を去るというのは奇妙な感じなのだろうなと思って、定年について他の人々やニコラと話をしたんです。ニコラが言うには、「考えてもみて。ぼくの子供時代、ダンス・・人生のすべてがここにあるのだから」と。何もかもを同時に去ることになるのですからね。幸い、彼の定年はまだ先ですけど・・・。私の子供時代はニースにあり、南仏の思い出もあります。すべてがここにあるのではないので、私の場合、少しバランスがとれてると言えますね。

「 カリギュラ」ステファン・ビュリオンと Photo Laurent Philippe / Opéra national de Paris

「 カリギュラ」
Photo Laurent Philippe /
Opéra national de Paris

「ジゼル」 Photo Julien Benhamou / Opéra national de Paris

「ジゼル」
Photo Julien Benhamou /
Opéra national de Paris

「椿姫」マチュー・ガニオと Photo Sébastien Mathé / Opéra national de Paris

「椿姫」
Photo Sébastien Mathé /
Opéra national de Paris

Q:2011〜2012シーズンの途中で引退になるのですか。
A:いえ、シーズンの最後まで踊ります。オペラ座のNYツアーで『ジゼル』を踊るので、おそらくNYで最後を迎えることになると思います。このことでは、ブリジットに言われました。「オペラ座でキャリアを終えたくないの? まだ先のことだから、考えてみたら」って。私、オペラ座への執着が他のダンサーとは違うのでしょうね。

Q:来シーズンのプログラムでは何を踊る予定ですか。
A:『プシケ』に始まり、その後ビアリッツのツアーで『アルルの女』などを。『オネーギン』はルグリが引退したので、新しいパートナーと踊ることになりますね。ロビンス、マッツ・エックがあり、そして『マノン』。『ラ・バヤデール』『シンデレラ』はあいにくと『オネーギン』と重なっていて・・・。『シンデレラ』は過去に踊っていますが、役のタイプが異なる作品と平行して、となると難しいですね。

Q: 引退後の予定は?

A:バレエを教えたいと思っています。

Q:踊れなくなるのが残念な作品はありますか。
A:今のところはありません。でも、確かなのは、ある日、メランコリー、ノスタルジーを持って、思い返すのだろうと思います。実は前回の『椿姫』の最後の公演後は、とても悲しかったんです。舞台から楽屋に戻るまでの途中、ああ、これで最後なんだわ、って・・。そんな私を見て、フロランス・クレール(元エトワール、現リハーサル・コーチ)に言われたんです。「何いってるの、素晴らしいことじゃない。私の身になってみて。私、この役、踊ってないのよ。私がいる時代にこの作品があったら、私だって踊りたい役だったわ」と。私、本当に『椿姫』のマルグリットを踊るのが好きだったから、残念に思うんです。この役が踊れなくても寂しくない、といったら、嘘になりますね。私、自分がしたこと、いえ、まだ終わってないから、していること、それにとても満足していて幸せなんです。引退したら、いろいろ思い出すとは思いますけど、私にはママの暮らし、教師の生活が待っています。子どもと一緒の時間をたくさん持てることがとにかくうれしいし、教師の仕事も・・そもそもプロのダンサーになる前に教師になりたいと思ってたくらいなので、楽しみです。喜びをもってやってきた自分の経験を若い人に伝え、アドヴァイスし、可能性を広げてあげて・・。

Q:これまでの間、辞めようと思ったことはありますか。
A:ないですね。第二子を妊娠中、仕事で疲れ切った同僚とすれちがったとき、「ああ、ラッキーね。何もしなくって!」と言われて、私、思ったんです。子供を持つのは、自分が望んだことだし、満足よ、でも、私は踊りたいの、私は動きたいの!と。踊ることによって、私は自分自身の中にハーモニーが得られるので。

Q:最初の妊娠時、ダンスのキャリアという点で不安はありませんでしたか。
A:出産よりずっと以前に、それは少し考えましたね。もし子供を持ったら、ダンスに戻りたいと思うだろうか・・・、身体つきが変わって、そういう状態で戻りたいと思うだろうか・・・と。第二子が生まれて、子供をおいて仕事にでるのは最初は気持的につらかったですね。でも驚いたことに、身体的にダンサーの状態に簡単に戻ったんです。これが私!と思いました。これが、他の誰でもない私と。とにかく妊娠で体重が増えただけでなく身体が変形したものの、ダンサーの身体にこうして大きな喜びをもって戻れて・・・とても安心できたんです。

Q:出産以降、ダンスとの関係は変わりましたか。
A:ええ、変わりました。なぜ、私はこの仕事が好きなのかということが、より明解になりました。私、仕事好きだし、先にもいったようにダンスをすることで、バランスがとれているんです。子供ができて、親であることゆえ、また年齢もあるのでしょうが、自分のしたいことのクオリティに対して厳しくなりましたね。子供との暮らしは、とても直接的なもの。例えば子供のお腹がすいたら、私はそれを満たさなければならない。時間を無駄にしたくないと思いました。仕事場で無駄にする時間は、私の家族にとっても時間のロスであると。だから子供が生まれた当初、私、いささかきつくなってたようです。あまり役にたたないと感じられる稽古時間は、耐えられませんでした。

「椿姫」マチュー・ガニオと Photo Sébastien Mathé / Opéra national de Paris

「椿姫」
Photo Sébastien Mathé /
Opéra national de Paris

気難しくなったというか・・おそらく、私は子供から大人になったんでしょうね。親となって、ベストの時間のオーガナイズを常に考えるようになりました。メートル・ド・バレエと話して、私、今日はこれをしたい、と。今日は何するの? ああ、それはいいわ。というように。

Q:家に帰っても、仕事のことを考えますか。

A:少しは考えますが、でも、家に戻るというのは、その日の第二部が始まるということなの。オペラ座の仕事で疲れきっても、夜、家に帰ると、別のエネルギーが必要とされます。あるとき、「バレエを見に行きたい?」って子供たちに聞いたんです。二人ともウイウイって。「パパとママが踊るときがいい? 踊らないときがいい?」と聞いたら、私たちがダンスをしないときがいいって。彼女たちにとって、私たちはダンサーではなく親なんですね。この間は『ロメオとジュリエット』に連れてゆきました。上の娘は7歳で、バレエを見るのが大好きなんです。『椿姫』も見に来たんですよ。悲しい話なので、大丈夫?って聞いたら、「悲しくないわ。だって最後に彼は真実を知るのだから」って・・。私、心の中で思ったんです。「そうね、確かに彼は真実の愛を知るわね・・・それでも、やっぱり悲しいわ」って(笑)。

Q:お子さんたちがダンスをしたいといったら、習わせますか。

A:今のところ、二人ともダンスは習っていません。ダンスをしたいという時期が、上の子にありました。それで、近所のバレエ教室の見学につれていったんです。そこにニコラ(・ル・リッシュ、夫)の写真がはってあって、彼女、そのときに、これは簡単なことではないぞ、と実感したようです。今は音楽を習ってますが、動くことにはとても興味をもっています。家で、私たちが踊って見せると、ちょとした動きをまねて見せたりはします。下の娘はもうじき4歳になりますが、彼女に対しても私たちは同じで、ダンスを強いることはしません。私たちの子供がダンスをするとなるの、アノニムでいられないんです。長女のその最初のショックがバレエ教室で大きなニコラの写真(注『若者と死』)を見たことなんです。

Q:では、あなたの"エトワールの妻"という時期はどんなでしたか。
A:私たち、コリフェ時代から一緒に生活をしています。確かに、一時期、エトワールのニコラの妻という時期がありましたね。でも、彼に対して仕事の面でまったくジェラシーを感じたことはありませんでした。若くしてエトワールなった彼は、もちろん喜びはあっても、仕事は多く、責任も大きくて・・これは今の若いエトワールたちにも感じられることですけど、背負うものがいっぱいあって・・・エトワールというタイトルによるプレッションも責任もないところで、私は踊ることだけに喜びを感じていたんです。

「 クラヴィーゴ」ニコラ・ル・リッシュと Photo Icare / Opéra national de Paris

「 クラヴィーゴ」ニコラ・ル・リッシュと
Photo Icare / Opéra national de Paris

Q:周囲があなたを"ニコラの妻"という視線で見ていると、感じたことはありましたか。
A:彼と時間をすごしたいと思ってる人からは、ニコラの妻ということで、確かに、私は羨ましがられましたね。あるときオペラ座の教師の一人が、「チャンスね、ニコラが夫で」。というので、「あら、私を妻にしたニコラも運が良いといえるんじゃないの?」って(笑う)。ちょっとしたこんなエピソードがある程度ですね。私たち、とにかく2人はとにかく仲良しで、世間の噂話とかも気に掛けず。それに、何かあっても私たちの耳まで届かないという幸運もあったのかもしれません。だから、私、あまり彼の妻であるいうことを特別に気にかけたりは・・。私がエトワールに任命されたとき、彼の援助があったの?とか、ニコラを喜ばすための任命?というようなことはいわれました。でも、その域をでるものじゃなかった。私たちの関係は確固としたものだったので・・。でも、あるとき、「確かに彼は私をとても助けてくれている、と言えるわ」と私、実感しました。なぜって、彼は私をとても愛してくれているのですから。

Q:ニコラの『カリギュラ』は彼からの美しい贈りものといえますね。
A:ええ、もちろん。それ以上のものです。あるとき、私の友達でコール・ド・バレエの女性から、教わったんです。「私たち、カリギュラって呼ばず、クレールマリギュラって呼んでるのよ」って! このバレエで私の役は主役ではないけど、フェミニンなパーソナリティの美しい役です。バレエに関係ない仕事をしてる友だちが映画館で『カリギュラ』をみた感想が、"ああ、どれほど彼があなたのことを愛してることか!" でした。私たち、オペラ座でも同じものを分かち合って幸せだし、さらに私生活も分かち合っていて・・・。

「 カリギュラ」ステファン・ビュリオンと Photo Laurent Philippe / Opéra national de Paris

「 カリギュラ」ステファン・ビュリオンと
Photo Laurent Philippe / Opéra national de Paris

Q:公演が上手くゆくようにという、お守りのようなものはありますか。
A:そう言われて思いつくことは、舞台に出る前にフォワイエでウォーミングアップをするときのことですね。私、ピピピピピ(ポワントで床をつく動き)、プリエ、ルルベ・・・ピルエット・・というように、いつも同じことをするんです。それはニースの先生がしてたことで、私も、それを欠かさないんです。すると、ジェレミーやバンジャやマチューといった仲良しのダンサーたちが、私をみると、ピピピと真似して見せたり、あ、今日はピピピピやってないんじゃない?といって、からかうんです(笑)。

Q:舞台に出る直前、何を思いますか。
A:ここから先は言葉の世界ではないということですね。よく、たとえにするのは飛び込み。飛び込み台から空に身体を投げるとき、その人はすでに身体を包みこむ水を感じてるんですね。そういう感じ。舞台に出るまでは、多くを考慮し、多くの本を読み・・それが突然、知の世界のことではなくなり・・・舞台にでる直前は、別の空間に入りこむ感じです。眼をくらませるような強い光の中に入ってく感じ。胸の鼓動だけが感じられて・・。それはどの役でも同じです。私であることに代わりはないのだけど、鏡の向こう側にすーっと入ってくような・・パラレルワールド? そうね。同僚ともときどき話すのだけど、どことなくサイエンス・フィクションのようなんです。

Q:今(6月中旬)は何のリハーサル中ですか。
A:『天井桟敷』(注・エトワール、ジョゼ・マルチネーズの創作作品)のナタリーです。これ、初役なんです。2008年の創作には参加してませんが、今回、もし可能ならナタリー役を踊りたいと、私からジョゼにお願いしました。なぜかというと、私、この人物にとても感動を覚えたからです。ナタリー役は重要性のある役でありえると同時に、他の登場人物の価値をあげることに貢献することのできる役だと思っています。そういう点で、ヒロインのガランスよりナタリーに興味を覚えたんです。ナタリーがバティストを見る目は優しく、真実の愛を彼に捧げます。語ることのとても多い役だと思います。私からの提案を、ジョゼは嬉しくうけとめてくれたんですよ。

「天井桟敷の人々」 Photo Julien Benhamou OPERA NATIONAL DE PARIS

「天井桟敷の人々」
Photo Julien Benhamou
OPERA NATIONAL DE PARIS

ガランス役は、もしジョゼから提案があればもちろん受けたでしょうけど・・。私、創作年に公演をみたときに、他のどの役より心の底からナタリーに感動を覚えたんです。おそらく彼女に自分を投影したせいかもしれません。

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