オペラ座ダンサー・インタビュー:セ・ウン・パク

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Sae Eun Park(セ・ウン・パク) プルミエール・ダンスーズ

2018年度のブノワ・ダンス賞に輝いたプルミエール・ダンスーズのセ・ウン・パク。彼女の名前はセ・ウンだが、オペラ座内では仲間たちからサエと呼ばれて愛されている。これまで日本であまり語られることがなかった彼女なので、この機会に紹介することにしよう。

今、28歳のサエ。パリの荒波に揉まれて7年になるというが、おっとりとした女性である。涼しい目鼻立ちで、どこか少女のよう。舞台上ではフランス人ダンサーの中に溶け込み、アジア人であることをあまり感じさせないのは、ヘアメークの効果もあるが、何よりも彼女のフレンチ・スタイルのエレガントな踊りゆえだろう。2012年に正式入団し、2013年からコリフェで、その翌年にはスジェに上がった。2016年からプルミエール・ダンスーズとして、配役にも恵まれている。

Q:バレエを習い始めたのは10歳のときですね。何かきっかけがあったのですか。

A:はい。国立韓国バレエ団の『くるみ割り人形』の舞台を見て、そのコスチュームにすっかり幻惑されてしまったんです。その時、いつか自分も全身輝くような衣装を着て舞台にたちたい ! と。その前にはバレエを見たことがなく、これが初めて見たバレエです。

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photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:それでご両親にバレエを習いたいと告げたのですね。

A:はい。そうです。我が家では母はピアノをやっていて、父も長いことクラシック音楽の愛好家なので、小さい頃からクラシック音楽に親しんでいるという環境だったのです。だから、両親とも私がダンスを習うことには大喜びでした。それに、パリに行くという私の選択にも、満足していました。

Q:ソウルでダンスを習い始めたのですか。

A:はい。国立バレエ・アカデミーでクラシック・バレエを習い始めました。そこで12歳まで。本格的にバレエに取り組むようになったのは、その後12歳からのことで、ソウルの国立芸術学校の中等部でのことでした。私、すっかりバレエに恋してしまって・・・。体で何かを覚えるということが、バレエを続けたいという意欲になっていたのだと思います。15歳で高等部へと上がり、そこに16歳までいました。このときに2007年のローザンヌ国際バレエコンクールに出る準備をしたんです。これに優勝したおかげで、アメリカン・バレエ・シアター(ABT) II への道が開け、ニューヨークで2年踊ることになりました。

Q:ダンスを始めたときから、海外で踊ることを夢見ていましたか。

A:いえ、韓国で踊るつもりでいました。

Q:ダンスを仕事にしようと思ったのは、いつ頃でしょうか。

A:ABT IIと17歳のときに契約して、真剣に・・でも、おそらく12歳のときにすでにプロになろうという気持ちはあったと思います。ABT IIというのは16〜19歳の若いダンサーで構成されていて、とてもたくさんのツアーをここで経験しました。アメリカだけでなく、コスタリカ、スペイン・・・素晴らしい2年間でした。

Q:どんな作品を踊ったのですか。

A:ちょっとガラのプログラムのようで、例えば『ライモンダ』の6カップルのグラン・パだったり、『ドン・キホーテ』の第三幕のパ・ド・ドゥ、ジェローム・ロビンズの『インタープレー』、バランシンの『アレグロ・ブリヨント』・・・それにクリエーションもいくつか踊りました。例えば『バルバラ』。これはアジュール・バルトンの創作です。

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「アゴン」photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris

Q:ニューヨークで2年過ごした後、なぜ韓国に戻ったのでしょうか。

A:2年したところで、ABTのケヴィ・マッケンジー監督から、他で経験を少し積んだ後にソリストとして戻ってこい、といわれたのです。それでアムステルダムのヘット・ナショナル・バレエ団のオーディションを受けました。すぐに来て欲しいと雇われたのですが、でも国立韓国バレエ団の芸術監督からカンパニーに来て ! というように誘いがあったのです。私のホームタウンなので、韓国で踊ることに決めました。そこで1年を過ごしたところで、海外で自分を試してみたい ! という欲が生まれて・・。

Q:ニューヨークに戻らず、パリを選んだのですね。

A:ニューヨークでの暮らしは素晴らしい2年間でした。アパートではカンパニーのダンサーがルームメートで、英語は暮らしながら学びました。でも2年してニューヨークを去るとき、なぜか満足感がありました。パリの劇場にあるような歴史がABTにはなく、学ぶ歴史がなくって・・・それでNYを去ることに心残りがなかったのだと思います。

Q:韓国ではパリ・オペラ座の知名度は高いのでしょうか。

A:もちろん名前は知られていますけど、狭い世界でのことです。日本とは状況が違うようですね。というのも、この20年、パリ・オペラ座は韓国ツアーを行っていません。だから私がいる間に韓国ツアーがあったら、と夢見ています。

Q:韓国で踊っていた時代、パリ・オペラ座のダンサーの誰の名前を知っていましたか。

A:オーレリー・デュポン !(笑)・・ローラン・イレール、イザベル・ゲラン、エリザベット・プラテル、シルヴィ・ギエム。あ、それからマニュエル・ルグリ。あまり多くないですよね。

Q:フレンチ・スタイルのクラシック・バレエを踊りたいとおもったのでしょうか。

A:私が韓国にいる時期、パリ・オペラ座でヨン・ゴル・キムがスジェで踊っていました。彼は引退後、韓国芸術大学で教師になり、彼のクラスに参加をして知り合いました。他の教師が教えるのはワガノワ・メソッドなので、彼の指導することは私の知らないことばかりで、とても興味を持ったのです。スタイルがすごく違います。何もかもが違う。私、フレンチ・スタイルが気に入って・・・ある日、キム先生がオペラ座の外部入団試験について話してくれたんですね。26歳までチャンスがあるもので、私はそのとき21歳でした。

Q:国立韓国バレエ団では、すでにソリストとして踊っていました。オペラ座でコール・ド・バレエから始めることになることについて、どう考えましたか。

A:私にとっては大きなチャレンジでした。でも、ネガティブな気持ちは全然なくて、むしろポジティブ。私が崇拝する偉大なアーチストたちとともに舞台にたてることは、願ってもない夢でしたから。マリ=アニエス・ジロ、マチュー・ガニオ、マチアス・エイマンなど、偉大なダンサーが踊るのを見るのは大好きで・・・。インターネットで知った、こうしたダンサーたちがいるカンパニーにぜひとも行かなくては!と。オペラ座でゼロから始めることに恐れは全然ありませんでした。彼らの踊りをみて、たくさんのことが学べるのですから、と、このようにポジティブでした。オペラ座の階級システムは知っていて、もし上手くいけば・・・とも思ったし。
コンクールについても、とても厳しいし、大勢の素晴らしいダンサーがいて、とキム先生から聞いていて、だから気持ちの準備もできていました。

Q:あなたは入団後、すぐにカドリーユからコリフェにあがっていますね。

A:オペラ座で最初の1年間は契約団員でした。その後正式団員となって、その三か月後に初参加したコンクールでコリフェに上がったんです。

Q:契約団員時代は代役のことが多かったのではないですか。

A:はい。いつも舞台裏で待機する毎日でした。私は踊れるのに、でも踊れない。他のカンパニーにいったほうがいいのでは ? って私にアドヴァイスをする同僚もいました。でも、私にはこの日々は素晴らしく幸せなこと。イザベル・シャラヴォラがおどるのを舞台裏からみていられのだから、ここにい続けなくては、って。私はもちろん踊ることは好きですけど、バレエを見るのも好きなんです。だから、その状況にとって満足していました。それに外部のガラに参加して、舞台に立つこともできていたので・・。オペラ座の舞台では踊れてなかったけれど、この時期に不満はありません。

Q:オペラ座内で誰かコーチがいるのですか。

A:私はヴィヴィアン・デクチュールとたくさん仕事をしました。コンクールのたびに彼女が指導してくれました。演目は私が選んでいたけれど、彼女が意見をくれることもあって。私の最初のコンクールを指導してくれたのはデルフィーヌ・ムッサンでした。ときどきジル・イゾワールとも・・・私、ジャン=ギヨーム・バールと仕事をするのも、とても好きです。『オネーギン』ではクロチルド・バイエがコーチだったのですけど、これは本当に特別な時間でした。幸せでした。

Q:こうした演劇的要素の強い作品を踊ったのはこの作品が初めてですね。

A:はい。これは2009年に韓国で見て以来、ずっと踊りたいと夢見ていた作品の1つでした。でも私の記憶に強く刻まれている『オネーギン』、それはオーレリー・デュポンとエヴァン・マッキーの舞台です。オペラ座の舞台裏で見ていて、もう涙、涙・・・。ショックを受けたとも言えます。イザベル・シャラヴォラとマチュー・ガニオの舞台も素晴らしかったし・・・それで、ずっと夢見ていました。

Q:ではタチアナに配役されているのを知ったときは、大きな喜びがありましたね。

A:はい。それに、私、とても幸運だったのです。リード・アンダーソン(注:シュツットガルト・バレエ団芸術監督)がオーディションために朝のクラスにくると知らされていたので、その朝のことをずっと心待ちしていました。タチアナでなくオルガでもいいので、どうしても『オネーギン』に配役されたかったので。ところが、彼が来る日の1週間前に怪我をしてしまったんです。それで、その朝のクラスに参加できず、家ですっかり落ち込んでいました。『ドン・キホーテ』のマドモワゼル・ドヌール役の稽古中に捻挫して、10日間休まなくてはならなくて、とても悲しくって。でも、その朝、アンダーソンに紹介するから来るようにとオペラ座から電話があったのです。すごくうれしくって、駆けつけました。彼、私の片頬をちょんと指でつまんで、そして、私の身長を何センチかと尋ねたんです。167cmと答えたら、彼は微笑んで、そして行ってしまいました。いささか奇妙な出会いでした。で、その後『オネーギン』に配役されたんです。

Q:身長を訪ねたのは、パートナーのことゆえでしょうか。

A:わかりません。謎のままです。私、最初はステファン・ブリヨンと踊ることになっていました。でも彼が怪我をしたので、ユーゴ・マルシャンと組むことになりました。ユーゴとは2011年にガラで一緒に踊っています。何度か、私が契約ダンサーだった時代ですね。オペラ座では『オネーギン』では初めてのことでした。彼とは同じ年に入団しているんですよ。彼は素晴らしいパートナーです。

Q:彼は大柄なので、華奢なあなたを持ち上げるのはとても簡単にできそうですね。

A:そうなんです。でも、彼、私があまりにも軽すぎるって、イラついてしまったんですよ(笑)。持ち上げてるって感じられなくて(笑)。私、この作品では最後のパ・ド・ドゥが好きですね。感情面がすごく難しいのですけど、舞台上で感じることが大きいので。3回目と最後の5回目の公演のカーテンコールでは、涙が溢れてしまいました。最初の公演は、全然自分の仕事に満足できなかったんですよ。というのも、作品の一部を踊ることばかりが続き、長いことこうした大作を通しで踊る機会がなかったので、2時間半を踊るための身体、頭の中のコントロールが難しくって・・幕が下りたときに、あああ、こうするべきだったということがたくさんありました。その後4回の公演があったのは幸いでした。

Q;2017-18年のシーズンで、最も印象に残った作品は『オネーギン』ですか。

A:はい。そして『ジュエルズ』の"ダイヤモンド"です。初めて踊って、これでブノワ・ダンス賞を受賞したのです。

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「ジュエルズ」"ダイヤモンド"photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:ブノワ・ダンス賞をとるのは夢でしたか。

A:はい。これは韓国でもとても有名な賞です。過去に大スターばかりがとっていて、いつか受賞できたらとは思っていたけれど、まさかこんなに早くとは!それで受賞のスピーチのときには、涙があふれてしまいました。

Q:今シーズン、その他何を踊りましたか。

A:『アゴン』のパ・ド・トロワ、パ・ド・ドゥを踊りました。これは音楽がとりわけ特殊な作品ですね。私は作曲家ではチャイコフスキーが好き。それゆえに"ダイヤモンド『オネーギン』が好きなんです。『アゴン』のこのストラヴィンスキーの曲は理解しにくくて、NYCBからきたリハーサルコーチと何度も繰り返して音楽を聞き、稽古をし・・あるところでやっと理解できたんです。私、この作品をまた踊る機会があるんですよ。11月にNY で開催されるバランシン・フェスティヴァルに、ユーゴと招かれています。『アゴン』のパ・ド・ドゥ、それから『真夏の夜の夢』のディヴェルティスモンのパ・ド・ドゥを踊ります。

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「真夏の夜の夢」
photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

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「真夏の夜の夢」
photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

Q:アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの『Quatuor 4 』は再演でしたね。

A:これもなかなか変わった作品ですね。昨日実はこの作品のことで、母から『Quatuor 4 』のビデオをみたといって電話があったんですよ。フェイスブックで誰かがビデオをあげたらしくって。「これ、なんて難しいバレエなの!身体が痛くならなかった ?」と。この作品は身体的に難しいだけでなく、覚えるのも難しい複雑なバレエです。ちょっと数学的といえます。 3、2、4、2、1、3、2、1・・というように。毎回、私カウントしそびれてしまって・・・。公演の舞台上では観客席まで声が聞こえたかもしれませんが、ニンジャとか船といった動きや、左、右、というように次にすることを4人のうち誰かが叫ぶのです。これ、踊り終わったあとは、本当にもう「ああ、やり終えたわ。フゥー」という感じ・・。

Q:オペラ座でいつか踊ってみたいと思っている作品はなんですか。

A:『ジゼル』? そうですね。私、クラシックも好きですけど、最近はドラマティックなバレエに興味がよりわいています。『椿姫』『マノン』『ロメオとジュリエット』『ラ・バヤデール』・・・ニキヤもガムザッティも両方とも好きな役です。過去にはプティパのヴァージョンは踊ったことがあるけれど、ヌレエフ版はまだなので、いつかオペラ座で踊ってみたいです。

Q:例えば『リーズの結婚』のような作品はいかがですか。

A:これも踊りたかったけれど、エトワールが大勢配役されていて、わたしにはチャンスがありませんでした。このバレエのコーダ部分、とっても好きです。グラン・ジュテがあって、ソーもたくさんあって・・。

Q:こうしたテクニックが好みということですか。

A:はい、そうです。ピルエットとかも好き。でも先にも話したように、ドラマティックな作品に今はより興味があります。私もダンサーとして成長をしてるので、こうしたハートで踊る作品に心が惹かれるのです。

Q:コンテンポラリー作品については、どう思いますか。

A:私、『バルトーク』だけでなく、『ドラミング・ライヴ』『レイン』などケースマイケルの公演にはいつも配役されていますね。『ドラミング』は1時間、踊りっぱなしの作品なので、最後まで踊り終えられるかどうかという、身体的なチャレンジ作品です。コンテンポラリー作品は嫌いではないけれど、好みはクラシック・バレエです。

Q:例えばシェクターの『art of not looking back』。作品を見て、これに配役されず残念と思いましたか、配役されずによかったと思いましたか。

A:後者ですね。でも『Quatuor 4 』も最初は、ええ!と思った作品ですけど、実際に稽古をしたら、たくさんのことを学べました。これを踊れたのは、私にとって良い経験となったので、『art of not looking back』についても、ホワイ・ノットですね。

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「白鳥の湖」photo Ann Ray/ Opéra national de Paris

Q:2018〜19年のプログラム中、何を踊ってみたいですか。

A:まだ配役の発表がないので・・。でも、12月は『シンデレラ』も『椿姫』も踊ってみたい作品なので、両方に配役されたら、と願っています。例えば『シンデレラ』の意地悪姉妹のようなコミカルな役はまだ踊ったことがないので、もし配役されたら私にとっては素晴らしい機会となりますね。この役に配役されるような気がしています。それも、ハナ(オニール 八菜)と一緒に・・・。もし実現したら、しっかり者でリードするほうがハナで、ボーッとしている方が私でしょう。実際に彼女より私のほうが、ボーッとしていますから。私たち二人は『アゴン』『ドン・キホーテ』『白鳥の湖』・・など、一緒に踊ることがとても多いのです。彼女はとっても優しい女性で、私たち二人、とても気が合い仲良しなんです。

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「アゴン」photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris

Q:物静かで大人しい女性という印象を受けますが、友人と一緒のときもそうですか。

A:はい。友達と一緒のときも変わりません。私が『オネーギン』でタチアナを踊ることになったとき、リード・アンダーソンから言われたんです。「タチアナを演じるのは、君にはさほど難しいと思わないよ。なぜって君もそうだから。控えめで、おとなしくって・・・」って。確かに、例えば『ドン・キホーテ』でキトリの友達役を踊るとき、意識して陽気でオープンな女性を演じる必要がありました。頭で考えて、準備して・・・。ハナはもともとオープンな性格なので、こうした役も難しくなかったでしょう。幸いにもシンデレラの意地悪姉妹は異なる2タイプの女性です。もしハナと配役されたらとても楽しめそうです。

Q:今年はどのような夏ですか。

A:『Quatuor 4』が私のオペラ座の最後の公演だったので、5月上旬で今シーズンの舞台は終わりました。その後も毎朝のクラスレッスンには出ています。7月末にカザフタンでガラがあり、フランソワ・アリュと『海賊』と『ライモンダ』を踊るんですよ。彼とは2015年の4月9日にオペラ座で『白鳥の湖』を踊っています。これは、私の初の古典大作での大役で、それ以前の大役はジャン=ギヨーム・バールの『泉』(ラ・スルス)』でした。どちらもスジェ時代のここです。『白鳥の湖』はリュドミラ(・パリエロ)が怪我をしてしまったので、私はマチアスと2回踊る機会に恵まれました。

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「泉(ラ・スルス)」photo Opéra national de Paris

Q:夏休みはどこで過ごしますか。

A:ソウルに帰り、家族と過ごします。

Q:最近パリでは韓国料理が人気で、ビビンバ・コンクールも開催されているそうです。

A:ビビンバは野菜がいっぱいで、とても健康にいい料理なんですよ。でも、これは準備に時間がかかるので、とても大変。自分では作りません。自宅で作るのは、簡単な韓国料理ですね。例えば、スープ・・豆腐チゲとかです。寿司、和牛、讃岐うどんなど、私は日本料理も大好き。毎日の食事は、和食と韓国料理が半々という感じでしょうか。

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