ジルベールのスワニルダが思わず魅せられたマルティネズのコッペリウス
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掲載
ワールドレポート/パリ
- 三光 洋
- text by Hiroshi Sanko
Ballet de l'Opéra national de Paris
パリ国立オペラ座バレエ団
今回の『コッペリア』の再演は、この作品の振付、演出を行ったパトリス・バールのメートル・ド・バレエ引退記念となった。バールは1957年にパリ国立オペラ座バレエ学校に入学して以来、実に半世紀以上を同バレエ団に捧げたことになる。
人体図と機械仕掛けの人形の図面をあしらった前幕が背後からの照明により半透明になると、左に人形の模型、中央に大きな少女の顔が映し出されたコッペリウスのアトリエが姿を現した。コッペリウスはE.T.A.ホフマンの原作『砂男』では奇怪な老弁護士だが、マルティネズが扮した姿は謎めいた中年のダンディである。
コッペリウスは魔術を使って自分がかつて熱愛した女性のイメージに命を与えようとする。魔法の薬の効果により、老学者スパランツァーニが開いて見せた巨大な本に描かれた女性とダンサーが二重写しになる。魂のない女性像に命が吹き込まれる話は、ギリシャ神話に記された自分が作った彫像に恋したピグマリオン王の伝説を思わせる。美の女神ではなく科学が命を与える点は違っているが。
場面が転換すると、中欧の小都市の広場になる。籠を抱えた洗濯女、下手寄りの高い位置からヒロインのスワニルダが階段を降りてくる。白い服にピンクの帯、髪にはピンクのリボンを着け、好奇心に満ちた大きな眼が見開かれている。白いチョッキに灰色のタイツ、白の靴下の大学生フランツとよく釣り合ったきれいな衣装だ。
アルチュール・サン・レオンの原振付は「簡素で洗練された趣味の良い19世紀フランス・バレエ」(ピエール・ラコット)とみなされてきた。一方、サン・レオンの協力者シャルル・ニュイテールの台本は、19世紀パリのブルジョワ趣味に合わせてホフマンの小説に大幅に手を加えたジュール・バルビエとミッシェル・カレの演劇(1851年パリ・オデオン座初演)をもとにした。そのため原作に漂う不気味な怪奇の世界から程遠い甘ったるいものになっている。(バルビエとカレのコンビは同じホフマンを原作としたオフェエンバック作曲のオペラコミック『ホフマン物語』の台本も書き、その第1幕には自動人形オランピアが登場する)このため、バールはロマンチックな幻想にあふれるホフマン原作に立ち戻ろうとした。
バールの新機軸は視点をコッペリウスに据えることで、ヒロインと男性二人の三角関係を浮き上がらせたことにある。人物像も大きく変貌した。フランツは「間抜けな若者」ではなくコッペリウスのライヴァルとして位置付けされている。抜群の跳躍ときびきびした動きのマチアス・エイマンと、安定した技術と生き生きした表情が魅力的なドロテ・ジルベール(昨年末の怪我で『白鳥の湖』を休演した)は、将来を約束された大学生フランツと生の喜びにあふれたスワニルダの若々しいカップルにぴったりで、観客を沸かせた。バールがニュイテール台本にはなかったスパランツァーニをコッペリウスの協力者として踊りのないマイム役で登場させたが、パトリス・ブルジュワが表情たっぷりに老学者を演じ、舞台の謎めいた雰囲気をより濃厚に醸し出すのに一役買っていたことも特筆に価する。
しかし、当夜の主役は間違いなくジョゼ・マルティネズだった。やや影のある視線、首を傾け不安定さを強調したピルエット、堂に入ったマイム、といった細部を積み重ね謎めいた最早若くない男、メランコリックなダンディにフランツを熱愛しているスワニルダも心ならずも目を離すことができなかった。
この三人のパ・ド・トロワを見ていて脳裏をよぎったのはモーツアルトの『ドン・ジョヴァンニ』の第1幕3場だ。百姓娘のツェルリーナは婚約者マゼットとの挙式を目の前にしながら、ドン・ジョヴァンニの誘惑に抗し切れない。久しぶりに帰郷した恋人がありながらコッペリウスのアトリエに忍び込んでしまうスワニルダの胸のうちも、ツェルリーナに遠くない。
今回の公演がマルティネズの最後のコッペリウスとなるという。(来シーズンも『サンドリオン』(シンデレラ)と『オルフェとユーリディス』に出演するが)42歳半の定年に達したマルティネズは来シーズンからマドリッド王立バレエ団の芸術監督にナチョ・デュアトの後任として就任する。
(2011年3月24日 ガルニエ宮)
Photos (C)Sébastien Mathé/Opéra national de Paris