カリギュラの治世を四季になぞらえ、さらに死を描いたル・リッシュの振付
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掲載
ワールドレポート/パリ
- 三光 洋
- text by Hiroshi Sanko
Ballet de l'Opera national de Paris
パリ・オペラ座バレエ団
パリ・オペラ座バレエ団のエトワール、ニコラ・ル・リッシュは2003年秋にクラヴィーゴを踊った。この『クラヴィーゴ』はローラン・プティがゲーテの戯曲をもとに振付け、パリ・オペラ座バレエ団で1999年に初演、2003年10、11月に再演された。愛と野心の相克に苦しむ一人の男性に焦点を当てられている。その時期にル・リッシュは、ローマの年代記作家スエトーンの『ローマ皇帝12名列伝』を読んで、カリギュラに強くひかれた。カリギュラは紀元後12年に生まれ、37年からローマ皇帝だったが、41年に暗殺された。
1939年にカミュが3幕の戯曲でその狂気を描いている。ル・リッシュはあまりにも有名なカミュの戯曲をあえて素材とせず、カリギュラを、演劇を好み月を愛し愛馬を人間のように扱いそのために宮殿を建てた、夢の世界に生きた感じやすい人間ととらえようとした。
全5幕のうち、第1幕から第4幕までは春、夏、秋、冬と題され、ヴィヴァルディの『四季』の音楽をバックに展開する。皇帝の4年にわたった治世を一年毎に季節になぞられた構成である。そしてさらにカリギュラの死を描いた第5幕は、春夏秋冬の4つの小場面からなっている。
幕と幕の間にはルイ・ダンドレルの電子音楽が流れる。オーケストラピットには17人のパリ国立オペラ座管弦楽団員が入るぜいたくな公演だった。2月8日の公演は同日世界各地270カ所の映画館で映写するため撮影が行われ、配役は初日と同じだった。
冒頭、幕があらかじめ上げられた舞台は闇が支配している。左の奥、天井から光が落ちているところから女性が一人登場し、ソロをひとしきり踊ったところで、フランス演劇が始まる時の合図である床を3回叩く音が響きわたった。ここで照明がアップされ、赤いエンタシスの円柱が左右の袖に並び、その間には白いカーテンがゆれているのが見えた。上方には月の映像が投射されている。一方、中央の床面には何も置かれていない。
やがて舞台奥の仕切りが引き上げられ大階段が姿を現した。上からゆっくり降りてきたのが皇帝カリギュラだ。
黒の衣服をまとった上院議員たちの踊りをステファン・ブリヨン扮する皇帝とエレオノーラ・アバニャートのカエソニア皇后が横座りになって眺める。ここで舞台右手袖で女性が一人、地面に横たわって不可思議な仕草を繰り返していたが、意味はよくとらえられなかった。
えんじと金色の衣装の皇帝が議員の一人、老いた元老院議員シャエレア(オーレリアン・ウエット)を手ひどく扱う。シャエレアは老人で若いカリギュラとの間に世代の違いという大きな溝があるはずなのだが、オーレリアン・ウエットには特別に老人というメークがされていなかったのは意外だった。このシャエレアの心の底に植えつけられた恨みが、最後に皇帝暗殺を呼び起こす重要な役割なのだが、数多い登場人物や群舞にまぎれてしまったのは、ダンサーの問題ではなく、作品の構成上の問題だろう。
老人を意味もなくいたぶる皇帝の荒々しい暴力は、ステファン・ブリヨンのダイナミックな身体表現によって、内面から突如として襲いかかる痙攣として、まざまざと描かれた。皇帝が床に倒れた時点で伴奏音楽の「春」が終わると他の人々は退場し、電子音楽の間奏となる。白服に包まれた道化ムネストレール(ニコラ・ポール)は、カリギュラがこよなく愛したスペクタクルの世界の住人だが、三人のフィギュール(像)とともに登場し、パントマイムを踊る。皇帝の4年にわたった治世を一年毎に季節になぞられた構成を際立たせ、幕そのものと違ったトーンを与えることで大きな枠組みを構成していた。ただ気になったのはこの間奏部分に皇帝が登場しないために、皇帝とスペクタクルとの分かちがたい関係は観客にとりたててアピールされなかったことである。
第2幕は夏。カリギュラの治世の2年目である。左にカリギュラ、右に彼の欲望を象徴する月が横たわり、やがて二人は這って近づく。オーケストラのヴァイオリンのソロがはじまるとともに月のソロとなる。
クレールマリー・オスタのやや青ざめた、生気のない表情が皇帝の妄想を象徴する月にふさわしかった。これを激しく求める皇帝のふつふつたる欲望は、ブリヨンの身体から放射されていたが、カリギュラの持つ夢想というもう一つの特徴は感じ取れなかった。「レスムジカ」誌のバレエ評論家マリー=アストリッド・ゴーチエによると、別の配役で皇帝を演じたマチュー・ガニオは「暴虐さと脆弱さという矛盾する二面を見事に浮き彫りにした」というのだが。
第3幕の治世3年目は秋だが、夏との間に大きな変化は感じられなかった。カリギュラがただ後ろ向きに立っているだけの部分があったが、当然、主人公の表情は客席からは見えない。天井のスクリーンに映写された映像に対する皇帝の直接的な感情は表現せず、観客の想像力に訴えようとしたのかもしれないが、あまり大きな効果は得られなかったのではないか。
第4幕の冬では第1場で皇帝の手を逃れた月が第3場で殺害される。この部分は、夢みる男性としてのカリギュラの身体の死に先立って夢想が消滅する重要な場面だが、微妙な心理の展開がつかみ難かった。これはオスタとブリヨンの演技の問題というよりは、第2場に皇帝の愛馬インシアトゥスのエピソードが唐突に挿入されたために焦点がぼやけてしまったためだと思われる。その一方で、皇帝から人として扱われ宮殿まで建ててもらったインシアトゥスの姿は、傑出した跳躍を見せたマチアス・エイマンによって鮮やかに表現された。
第5幕は皇帝が暗殺されたスペクタクルの行われた一日が、時間を追って描写される。スペクタクル開演前の第1場「春」から、上演中の第2場「夏」、シャエレアを先頭にした上院議員たちによる皇帝殺害の第3場「秋」、最後は、舞台前方に一人スポットライトを浴びたカリギュラが転げ落ちて死ぬ第4場「冬」で幕が下りる。
本来ならばドラマの緊迫感が一挙に高まるべき終幕なのだが、殺害場面にはこれと言ったインパクトがなかったので少々、拍子抜けがした。
けれども客席からは熱い拍手が送られた。また2005年の初演から見てきたフランス人批評家からは「作品が前回よりまとまりができ、劇的な力も高まった」と賛辞が送られた。
しかし、95分の公演を振り返っても「従来の血にまみれた暴君とは違うカリギュラ像を描きたい」というニコラ・ル・リッシュの意図は明瞭な像を結ぶことなかった。カリギュラは確かに振付家にとって魅力的な題材だが、取り上げられた有名なエピソードの一つ一つが最後まで収斂しないままだったことが一つの理由だろう。それぞれの人物描写が断片的で、フラグメンツとして構成されていたが、振付家の視線がくっきりとは感じられなかったため、優秀なダンサーをもってしても明快な人物像を描ききれなかったのではないだろうか。
たとえば、アヴァニャートが演じた皇帝の妻カエソニアは、夫といっしょに並んで廷臣たちの群舞を見るといった場面が多く、実際に踊る時間が限られていたため、このダンサーならではの表現が十分展開されなかった。
そして最後までヴィヴァルディの『四季』という音楽が、夢想家と暴虐の二面を持った皇帝像と重ならなかったことも総合芸術であるバレエとしては残念だった。
(2011年2月8日 ガルニエ宮)
Photos:(C)Laurent Philippe/Opéra national de Paris