オペラ座ダンサー・インタビュー:ジョゼ・マルティネス

ワールドレポート/パリ

大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
text by Mariko OMURA

Jose Martinez ジョゼ・マルティネス(エトワール)

オペラ座引退後、スペイン国立舞踊団のディレクターに就任

今年7月末にオペラ座を去るジョゼ。9月からはマドリッドに居を構え、スペイン国立舞踊団の監督業にいそしむことになる。とはいえ、3月は『コッペリア』、4月はマッツ・エックの『ベルナルダの家』で踊り、そして来季もオペラ座で3公演のゲスト出演の予定がある。ダンサーとしてのジョゼの活躍は、まだまだ堪能できそうだ。

Q:7月の『天井桟敷の人々』を最後にオペラ座を去るということですが、これがアデュー公演なのでしょうか。
A:いえ、この作品でぼくはダンサーではなく振付家です。公演の最後に舞台にたって挨拶、といった終わり方をするつもりはありません。踊って終わりたいんです(笑)。確かにオペラ座の常任エトワール・ダンサーとして舞台にたつのはこの時期に終わりますが、来季(2011〜2012)も10月、11月、そして来年の2,3月ごろ・・・オペラ座で踊ることになっています。まだ来季のプログラムが正式発表されてないので演目はいえませんけど。アデュー公演は今年ではなく2012年に入ってからと思ってます。でも、まだ具体的には何も決めていません。

Q:アデュー公演というのはエトワール自身が選べるのですか。
A:ええ。アデュー公演をしないで、オペラ座を去るエトワールもいるように、アデューの方法も選べるのですよ。

Q:9月からはマドリッドが活動の本拠地になるのですね。
A:オペラ座の公演もありますから、2011〜12年は、パリと行ったりきたりという暮らしになりますね。飛行機で2時間弱ですから・・・。マドリッドのためには、公演演目を決め、振付家を雇い、といった、オペラ座でいえばブリジット・ルフェーブルのような役目なので、アーチスティック・ディレクターの仕事をします。でも、バレエ団にはスタッフがいるので、ぼくが常時いる必要はありません。ぼくは他の場所で踊り、他のカンパニーのために創作する、ということもできるのです。

Q:スペイン文化省から与えられた使命は何ですか。

A:最初の契約は5年で、その後は3年ごとの更新となります。ぼくがするべきは、スペイン国立舞踊団のレパートリーをひろげることです。クラシックもコンテンポラリーもレパートリーにある世界の他の大きなカンパニーのように。
現在、団員は42名ですが、その中には、これまでの監督だったナチョ・ドゥアトとだけ仕事をするダンサーがいますから、彼らはカンパニーを去ります。
オペラ座のコリフェからドゥアトのところに来たジャン・フィリップ・デューリのようにクラシックも含め、幅広いレパートリーに対応できるダンサーもいます。オペラ座のように16歳で入って、42歳の定年までダンサーが在籍するというのではなく、去りたいダンサーもいれば、オーディションで入ってくるダンサーもいるというカンパニーです。おそらく2013〜2014年ごろに、ぼくの思うような方向へとまとまってくるでしょう。

マッツ・エックの「アパルトマン」 Photo Icare / Opéra national de Paris

マッツ・エックの「アパルトマン」
Photo Icare / Opéra national de Paris

マッツ・エックの「アパルトマン」 Photo Icare / Opéra national de Paris

© マッツ・エックの「アパルトマン」
Photo Icare / Opéra national de Paris

Q:カンパニー付属のバレエ学校はあるのですか。
A:いいえ。でも、マドリッドにはいくつかのコンセルヴァトワールがあってそこの生徒もいますし、またタマラ・ロホやルシア・ラカッラなど世界で活躍するスペインの偉大なダンサーたちを育てたヴィクトル・ウラーテの学校があります。彼は自分のカンパニーを持っていますが、学校を続けていて、ここの出身生徒に期待ができるんです。

Q:スペイン国立舞踊団のために創作する予定はありますか。
A:まずはディレクター活動に専念したいと思っているので、最初の2年は創作はしません。オペラ座の公演も続けるのですから、徐々に徐々に・・。でも、ディレクターになったからといって振付けしなくなるという意味ではありませんよ。良く知っている自分のダンサーがいて創作をするのは、よいことだと考えています。例えばオペラ座で『天井桟敷の人々』を振付けたとき、マチュー(ガニオ)やイザベル(シャラヴォラ)にはどんな動きがよいか、どんな役を演じさせるのがよいのかがわかっていました。『マルコポーロ』でぼくが中国で経験したのは、現地におもむき、知ならいダンサーに振付をすることでした。振付の時間はたくさんなく、誰がどんなダンサーなのかを知りつつ進めなければならず・・。カンパニーのディレクターとなって自分のところのダンサーのことを知っていれば、一旦、振付しようと決めたら、それは簡単にできますし、とても快適なことだと思います。

Q:まだ先のことのようですが、もう何かアイディアはあるのですか。
A:最初のぼくのアイディアは『ある階段の物語』です。これはスペインの市民戦争の間の物語。ある住宅の建物で階段の周囲の同じフロアの隣人たちを主人公にした、スペインで有名な舞台作品の1つなんです。これをバレエにしたいとずっと思っていましたが、これまで機会がみつけられませんでした。でも、今回スペインに戻ることになり・・・。これが将来の彼らとの最初のクリエーションのアイディアです。

Q:過去の振付作品をスペイン国立舞踊団のプログラムに入れる予定はありますか。
A:『天井桟敷の人々』はオペラ座が5年間の独占権をもってます。2008年にクリエーションされましたから、2013年の11月までですね。その間にぼくが他で上演するというわけにはいかないんです。『マルコポーロ』は上海バレエ団の希望で、とてもクラシックな作品です。グランド・クラシックといってもいいでしょう。スペイン国立舞踊団の旧ディレクターはナチョ・ドゥアトでしたから、20年間、キリアン、フォーサイス作品などを踊ってきたカンパニー。どちかというとコンテンポラリーなカンパニーですので、今のところ『マルコポーロ』のようなグランド・クラシック作品はまだ・・。

Q:引退後の仕事として、カンパニーの監督というのを希望していたのですか。
A:ダンサーからの転業というのは、不安もありますし、簡単なことではありません。でも、ぼくの場合は、チョイスが簡単ではなかった、といえます。スペイン国立舞踊団の仕事は、一種のコンクールのようなものがあって、昨年夏にプロジェクトを提出しました。候補者は20名以上いたようです。面接などもあり、最終的にぼくが選ばれましたが、その間にナンシーのバレエ団からディレクターのポストにという誘いがあり、またオペラ座でもメートル・ド・バレエにという提案もありました。本当はダンサーとしてのキャリアを静かに終えてから、次のことにとりかかるのが理想だったんです。でも、好機が訪れたなら、それはつかむべきものでしょう・・・今、とにかく意欲満々なんです。これは、ぼくにとってまったく新しい経験。ぼくがフランスで、オペラ座で学んだものをスペインにもたらす良い機会なのです。一緒に仕事をした様々な振付家のとの経験も含めて、これは、ぼくのダンサーのキャリアの延長上にあるといえるでしょう。

Q:まだ引退まで時間がありますが、オペラ座でのこれまでのキャリアを振り返って、一番の思い出を教えてください。
A:それは『三角帽子』ですね。最初に得たソリストの役でした。マッツ・エックの『ジゼル』でのヒラリオン役もぼくにはとても大切です。そして初めての『白鳥の湖』もアニエス(ルテステュ)と一度だけの公演で、素晴らしい思い出となっています。ぼくは日付とか覚えられないたちですが、『三角帽子』は1992年の月14日、「白鳥の湖」は1995年のこれも3月14日なんですよ。

「三角帽子」 Photo Sébastien Mathé / Opéra national de Paris

「三角帽子」
Photo Sébastien Mathé / Opéra national de Paris

「三角帽子」 Photo Sébastien Mathé / Opéra national de Paris

「三角帽子」
Photo Sébastien Mathé / Opéra national de Paris

『白鳥の湖』 Photo Annne Deniau/Opéra national de Paris

『白鳥の湖』
Photo Annne Deniau/Opéra national de Paris

『白鳥の湖』アニエス・ルテステュと Photo Annne Deniau/Opéra national de Paris

『白鳥の湖』ウリヤナ・ロパートキナと
Photo Annne Deniau/Opéra national de Paris

Q:『白鳥の湖』は昨年末にもアニエスと、そしてロパートキナともオペラ座で踊っていますね。
A:ええ。でも何度踊っても、ヌレエフ版のこれは肉体的にきつい作品なんです。キーロフのヴァージョンとちがって、オディール(黒鳥)とのパ・ド・ドゥの前に、男性ダンサーのために3つのソロをヌレエフはプラスしてますからね。経験を積んでも、それでも身体には厳しい作品です。一万キロ走った! という感じで、翌日の疲れはひどいものです。昨年12月27日に踊った『白鳥の湖』が最後でしたが、これは、おそらくヌレエフ版を踊る最後の舞台ということになるのではないかと思います。サンクトペテルブルクで『白鳥の湖』を踊りますが、これはミハイロフスキー劇場ですから。また、マドリッドでも、6月にノヴォシヴィルスク・バレエ団が『白鳥の湖』を踊るので、それに参加しますが、これもヌレエフ版ではありませんし・・。

Q:ではオペラ座での悪い思い出というのがあれば、それも話してください。
A:ありますよ!! いささか瑣末ことですが、とても悪い思い出があります。それは『眠れる森の美女』のことです。公演予定の前夜発熱し、ひどい病気だったんです。普通はそういうときは踊りません。とりわけ『眠れる森の美女』はきつい作品です。それで「病がひどいので、今日は踊れない」と朝、オペラ座に連絡をしました。すると、いや、こなくてはならないって・・・。

『白鳥の湖』ウリヤナ・ロパートキナと Photo Annne Deniau/Opéra national de Paris

『白鳥の湖』
ウリヤナ・ロパートキナと
Photo Annne Deniau/Opéra national de Paris

ぼくはソリスト役を任せられたたった一人のプルミエ・ダンスールだったのです。それで、ぼくが踊れないといっても、エトワールはぼくの代りには踊らないわけで・・。最後まで踊りましたが、舞台に立ってるという感覚はゼロでした。その後『眠れる森の美女』を踊ることはあっても、このときの、ひどい踊りだったという思い出がどうしても頭にこびりついていて。何度か踊るうちに、その記憶は薄れはしましたが、それでも、やはり・・。もちろん、配役されたこと自体にはとても満足しましたけど、オペラ座のような大きなメゾンにはしっかりとしたヒエラルキーが存在することをこのときに理解しました。

Q:踊りそびれて後悔している役はありますか。
A:いつだって踊りたい役というのはあるものです。マッツ・エックの2作品が3年前にオペラ座で公演されたとき、ぼくは『ベルナルダの家』ではなく、『ア・ソート・オブ』を踊りました。『ベルナルダの家』はスペインの一家の物語ですから、踊りたいって思っていて・・。それが今年踊れることになったんですよ。初役で、スウェーデンまでリハーサルに行くことになっています。思ってもいなかったアヴァンチュールが舞いこんでくるものなんですね。ピナ・バウシュとも仕事を共にできるとは思ってませんでしたが、『オルフェオとエウリディーチェ』を踊る機会がありました。これも素晴らしい経験です。オペラ座では2012年にアメリカ・ツアーでこれがプログラムにあると聞いたときに、ああ、もうぼくはカンパニーにいないのだ!と・・・。好きなバレエを二度と踊れない悲しみというのが、あるのです。でも、ぼくにとって、ダンスは瞬間のアートです。舞台の上でおきること。ですから、それは美しい思い出として残ることなんです。
スペインのこのポストのために自分の履歴書を用意したとき、自分がオペラ座で踊った作品の数に圧倒されました。ああ、ちょっと疲れてるのは当然だ! って(笑)。たくさんの思い出、すこしばかりのノスタルジー、でも、後悔はありません。もしあるととしたらヌレエフ振付の『ロメオとジュリエット』ですね。
今季オペラ座で公演がありますが、ロメオ役を踊るには、ぼくはもう若くないと思います。これはマチュー(ガニオ)やマチアス(エマン)の役ですよ。16歳の役です。父や母役のダンサーがロメオを前にして落ち着かない、ということになっては、作品の出来にかかわってしまいます。ですからロメオ役は夢のまま残しておきます。

マッツ・エックの「ア・ソート・オブ」 Photo Anne Deniau / Opéra national de Paris

マッツ・エックの「ア・ソート・オブ」
Photo Anne Deniau / Opéra national de Paris

ピナ・バウシュの「オルフェとユリディーチェ」 エレオノーラ・アバニャートと Photo Maarten Vanden Abeele / Opéra national de Paris

ピナ・バウシュ
「オルフェとユリディーチェ」
エレオノーラ・アバニャートと
Photo Maarten Vanden Abeele
/ Opéra national de Paris

Q:思い出深い出会いというのもあったと思います。
A:『ノスフェラトス』でのジャン・クロード・ガロッタとの出会いでしょうか。この役はぼくに創作されたもので、これはダンサーとしてはとても誇らしいことです。彼と一緒に役を作り上げた経験は、とても、有益なことでした。
彼との間に化学反応がおき、その関係は忘れ難いものです。舞台での結果以上に、人間的な経験、出会いという点で素晴らしいことでした。

Q:長いフランス生活の後、スペインに戻ることをどう思っていますか。
A:フランスからスペインに帰ることは、ごく自然な輪のように感じています。フランスには1984年からいますから、もう27年以上ですね。ぼくの血はスペイン人ですが、フランス文化で育ってます。学業も、ダンスもフランスで学び、フランスで学び終えてます。スペイン人というのはフランス人よりアグレッシブできついんですが、ぼくはフランスの文化、フランスの教育で、ソフトになり、より熟考してから行動するというようになりました。ですから今の時点では、ぼくはフランス人のようにお行儀よくって、物事に配慮をする人、レスペクトする人というようにスペインではみなされています。もっとも、スペインにいって長く時間をすごしたら、スペイン人に戻るかもしれませんが・・。
母は少し心配してるんですよ。ダンサーとしてとても護られていて、よい条件がすべて整えられてるオペラ座を離れ、スペインでは闘わなければならないことを。とはいえ、両親はぼくが彼らの近くに暮らすことになり、この新しい冒険をすごく喜んでいます。


<<10のショート・ショート>>
1.プチ・ペール: いません。カンヌの学校からオペラ座の学校にはいったのが18歳ですから・・。
2.趣味:スキューバ・ダイビング。これまでで最高の場所はフランス領ポリネシアです。40メートル潜りました。
3.コレクション:世界各地のコイン。ツアーで海外にゆくと、その国のコインを持ち帰ります。何の役にもたたないでしょうが・・。
4.昨日の小さな幸せ:リハーサルがキャンセルになり、それで休日に。朝、ゆっくりと眠れました。
5.好きなことば:耳にするのも、口にするのも、"plaisir"(プレジール・喜びの意)。
6.自分の性格のよい面:他人からの求めに応える余裕を常にもってること。
7.自分の性格の悪い面:とても頑固です。
8.ダンサーでなければ選んだ職業:ダンスを始める前ですが、人を助けられる医者になりたいと思ってました。
9.夢のバカンス先:海がある静かな場所
10. ヒーロー:たくさんいます。両極端を二人あげると、一人はダライ・ラマ。崇拝しています。もう一人は、『マジンガーZ』の兜甲児(かぶと こうじ)。小さい時に読みました。2年前に上野のおもちゃやさんで、やっとそのフィギュアをみつけたんです。

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