意外な結末になったルテステュとマルティネスの『白鳥の湖』
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掲載
ワールドレポート/パリ
- 三光 洋
- text by Hiroshi Sanko
Ballet de l'Opera national de Paris
パリ・オペラ座バレエ団
パリ国立オペラ座バレエ団のクリスマス公演は『白鳥の湖』だった。会場のバスチーユ・オペラにはかなり年少の子供を連れた家族が目立った。開演前にちょうど後ろに座っていた母親がプログラムの筋書きを子供に読んで聞かせていた。「悔悟の念にとらわれた王子がオデットに許しを求めるが、時すでに遅し。悪魔ロットバルトがジークフリートからオデットを奪い去り、夢は破られる。」という第4幕の最後を読んで「まあ、ずいぶん陰鬱な話ねえ」と驚きの声を上げた。
この印象は間違っていなかった。ヌレエフの振付による『白鳥の湖』には華やかな宮廷はあっても、明るさはない。
幕が上がるとエジオ・フリジェリオによる装飾を削ぎ落としたきわめて抽象的な、垂直にそそり立った壁面を特徴とする巨大な舞台装置が現れた。手前左に王子の座った椅子、中央を左右に横切る階段によって舞台は前後二つに分かれている。後方には巨大な画がかけられているが、開閉式の壁面で、第2・4幕では森に囲まれた湖の画になる。装置の大枠は4幕を通じて変わらない。これに対して、フランカ・スカルチアピーノの衣装は華麗そのもので好対照をなしている。
序曲の間に舞台後方に青い光が射す。黒い猛禽が姫を白鳥に変身させ、天上に連れ去ってしまう。椅子で眠っているジークフリート王子が見た悪夢は、幕切れで同じ黒の猛禽が白鳥とともに上方に消えていくシーンで再現される。この額縁の中に4幕の物語が入り、全体が王子の妄想と位置づけられる構成だ。
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15日の主役二人は11月29日のプルミエに予定されながら、怪我のため出演しなかったアニエス・ルテステュとジョゼ・マルティネスだった。
ジークフリート王子には王妃である母はいるが、父王は登場しない。王妃から嫁を選んで、結婚するようにせかされている。父親不在の王国を自らの手に引き受けて、さらに世継ぎを后となる女性に産んでもらう、という重い荷を肩に負った青年がここにいる。どんなに華やかな誕生パーティを開いてもらっても、心が浮き立たないのも道理である。マルティネスの演じる王子はメランコリーにとりつかれ、右手奥から登場した家庭教師ヴォルフガングに眠りから起こされ、招待客に挨拶しても心はうつろだ。若い貴族令嬢たちが誰一人として王子の目に入ってこないことは、空虚な視線と表情にはっきりとうかがえた。
マルティネスが最も優れた王子役と評価されてきたのもなるほどとうなずかせる演技だったが、客席の反応は冷ややかだった。技術面にも隙がないだけに最初は意外に思えたが、王妃が騎士たちを従えて登場するところで謎は氷解した。王妃役のベアトリス・マルテルがマルティネスより遥かに若く見えた。マルティネスには品はあるが、王子というには落ち着きすぎていた。若々しい御伽噺の王子様を期待していた子供たちが戸惑ったのも責められない。もう数年前に見られたらどんなによかったろうという想いが頭をかすめた。
予想に反して存在感が大きかったのは、家庭教師ヴォルフガングだった。(「家庭教師」は日本とは違い、貴族や大富豪が子弟の教育のために特別に雇った人物で、王子の導き手・補佐役を務める)衣装は悪魔の化身を想起させる不気味さがあるが、カール・パケットには王子を気遣う保護者という側面が立ち振る舞いに感じられた。虚空を見つめる王子に弓を渡し、そのソロとともに背景に湖が現れるところでは、オデットとの出会いへの導き手(狂言回し)という印象すら与えた。ヌレエフはオデットとオディールを一人の女性の二面ととらえたのと同様に、ロットバルト(ヴォルグガング)も王子のアルテル・エゴとみなしたようだ。
アニエス・ルテステュは7歳の時、テレビ中継でヌレエフとマーゴット・フォンテーンが踊った「湖」を見てバレエダンサーになりたいと思ったという。
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まだスジェだった1992年にヌレエフによっていきなり『ラ・バヤデール』のガムザッティに選ばれ、エトワールへの道が開けただけに、ヌレエフの振付への想いは深い。
第2幕で王子の夢に現れたオデットは、最初は男性の姿に慄き、身体をこわばらせる。絶望にとらえられた寂しさがひたひたと伝わってきた。ジークフリートと想いを交わし合った後、哀愁に満ちた眼差しを投げかけて去って行く別れの場面は秀逸だった。
ルテステュは第3幕では一転して、余裕たっぷりの妖艶な女性を演じた。王子に対してはあくまでも魅惑的で、一方ロットバルトに対しては敵対的に振る舞った。悪魔に操られているだけの受身のイメージとは全く違った。
マルティネズが差し伸べた手をさらりと受け流すときに見せたコケティッシュな視線は、オデットが別れで見せたものと見事な好対照を見せた。
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躍動感のあるパケットがルテステュとマルティネズのやり取りにぴったりと寄り添って、場の緊迫感を高めていた。王子の結婚申込で、オディールが呵呵大笑し、後方にオデットが悲しんでいる姿が浮かび、王子が王妃の足元に崩れ落ち、第4幕への期待が高まった。
ところが、ここで舞台袖に劇場係員がマイクを持って登場し、「アニエス・ルテステュが怪我をしたため、4幕はリュドミラ・パリエロが踊ります。衣装替えの間、少しお待ちください」と告げた。
わずか2、3分の中断で何事もなかったかのように、幕が上がった。パリエロのオデットはすでに12月6日の「マイヤ・プリセツカイアへのオマージュ特別公演」でクリストフ・デュケンヌとアダージョで見たが、今回も印象は同じだった。ミスのないきちんとした踊りだが、何一つヒロインの情感が伝わってこない。突然の代理出演といはいえ、踊り手がどういうヒロイン像を描こうとしているのかが全くわからないまま、幕が下りてしまった。ルテステュだったら、どういう幕切れの印象になっていただろう。
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24日はドロテ・ジルベールとニコラ・ル・リッシュが当初予定されていたが、劇場に着いたら、配役変更でエミリー・コゼットとジョゼ・マルティネスになっていた。
コゼットはきれいなシルエットと確かなテクニックで、第2幕のグラン・パ・ド・ドゥとヴァリアシオンで喝采された。安定した若々しいヒロインだが、ルテステュのようなオデットとオディールの二重性と対照性が浮き彫りにされることはなかった。
ステファン・ブリヨンのヴォルフガング/ロットバルトも、パケットが見せた保護者と悪魔の二面性とは違い、より単刀直入に不気味な影を王子とヒロインの上に投げかけていた。
メートル・ド・バレエを今シーズンを最後に引退するパトリス・バールがアンサンブルとラインに最大限の注意を払って指導しただけにコール・ド・バレエが描く幾何学模様は2階、3階席から見ると目を見張らせるものだったようだ。
それにしても惜しまれたのは、サイモン・ヘーヴェット指揮のコロンヌ管弦楽団の演奏だろう。弦楽器のアンサンブル、管楽器のソロの音色、とどの面を取ってもダンサーの水準との違いが目に余った。一度はパリ国立オペラ管弦楽団の演奏で観てみたい。
(2010年12月15日、24日 バスチーユ・オペラ)