円熟したエトワールの力量を見せたオーレリー・デュポンのマルグリット

ワールドレポート/パリ

三光 洋
text by Hiroshi Sanko

Ballet de l'Opera national de Paris
パリ国立オペラ座バレエ団

Jhon Neumeier:La Dame aux Camélia
  ジョン・ノイマイヤー振付『椿姫』

ガルニエ宮の客席に足を踏み入れると開演前から幕が上がっている。舞台左袖に「1847年3月16日の競売」と札が掲げられている。肺結核で夭折した高級娼婦マルグリットの動産が売りに出されているのである。
トランクを手にしたマルグリットの元召使いナニーヌ(ベアトリス・マルテル)が故人の手帳を押し抱き、懐かしげに競売品を見やっていると、買い手たちやマルグリットの友人・知人が入ってくる。掘り出し物を物色しているブルジョワ夫人に鋭い視線を投げかけるのは、故人の愛人だったアルマンの父デュヴァル氏だ。シルクハットの男性がピアノに向かい、ショパンの「ロ短調ソナタ」のラルゴの旋律が流れる。デュヴァル氏が故人の肖像画を手にしているところへ海外で訃報を受け取ったアルマンが駆け込んでくる。

パリ国立オペラ座バレエ団『椿姫』 (C)Sébastien Mathé/Opéra national de Paris

照明が落ち、背景を白い日傘を差したマルグリットが通り過ぎる幻影を見て、アルマンは気を失いかける。最早ヒロインのいない暗鬱な競売の場の後ろに、対照的な明るい過去の追憶がオーバーラップするこの場面にははっとさせられた。

父に介抱されたアルマンは、故人との過去を語り始め、一旦幕が下り、時間がアルマンとマルグリットの出会ったパリのヴァリエテ座へと戻っていく。

再び幕が上がると、一転して音楽が「ピアノ協奏曲第2番」となり、劇中劇である『マノン・レスコー』を称賛者に囲まれたマルグリットが見ている場面となる。マノン(エヴ・グランスタン)のまとった18世紀のロココの衣装と、マルグリットの19世紀の衣装との対比は鮮やかだ。
ここで前に遠くから姿を垣間見たことしかなかったアルマンははじめてマルグリットに紹介される。二人の視線が合うと、マルグリットは磁石にひきつけられたように立ち上がって向き合う。ブヴェニチェクの情熱的なまなざしに火を付けられたデュポンの目がきらりと光る。脇でやきもきしていた伯爵がついに我慢できなくなって割って入り、マルグリットの腕を取ってソファに連れ戻す。二人と伯爵との間で火花が散った。伯爵に代表されるパリの儀礼に則った社交紳士にはない野性味が、ブベニチェクにはあふれていた。はじめて二人きりになるところでも、膝まづいているかと思うと一転して荒々しくヒロインを抱きしめた。

パリ国立オペラ座バレエ団『椿姫』 デュポン、ブベニチェク (C)Sébastien Mathé/Opéra national de Paris

第2幕はパリ近郊の田舎が舞台となる。白が基調となり、夏服の女たちは日傘を差し、帽子をかぶっている。この幸せにみちたイメージがプロローグで幻影として使われていたのである。この場面の群舞は衣装と照明の魅力で一幅の絵となっており、19世紀の有閑階級の生活ぶりがうかがえる。この幕の音楽は舞台左に置かれたグランドピアノが奏でるピアノ曲だけでオーケストラは休憩となる。

みんなが踊りに興じているところに伯爵が入ってきてピアノをやめさせる。ここではじめてヒロインがパトロンと対決し、かつてプレゼントされた首飾りを外して伯爵の足元に投げ出す。デュポンの冷ややかな決然とした表情にはヒロインの誇りが結晶していた。
伯爵と取り巻きが去り、照明が暗い青になって恋人と二人きりになり、パ・ド・ドゥとなる。優雅そのもののヒロインの舞いには庇護者のくびきから解放され、感情に身を委ね切った女性の喜びが横溢していた。
デュポンはパートナーのブベニチェクが放射するエネルギーに支えられ、全く重さを感じさせなかった。

それに続いた、デュヴァル氏とヒロインの対決も山場の一つ。デュポンとミカエル・ドナールという演技力のある二人によって周囲に緊迫感が張り詰めた。

ただ心残りだったのは、ピアノ曲が雨だれになったところで、右後方に手に手にヒロインへの宝飾品のプレゼントを持った社交人たちを配置したことだ。デュヴァル氏の説得により、アルマンへの恋を諦めたマルグリットが戻っていく場所が社交界しかない以上、それをここまで説明するのは教科書的だ。ハンブルクバレエ団の『ヴェネチアに死す』でも感じたことだが、ていねいに作品の筋を辿ろうとするあまり、説明過多になりがちだ。

デュヴァル氏が去った後、こみ上げてくる怒りと抑えきれない熱情が、次第次第に諦めへと変わっていくのをデュポンは鮮やかに見せてくれた。一方、別れの手紙を受け取ったアルマンは恋人の部屋に駆けつける。全身をふるわせ、息せき切って辿りついた時、ヒロインはソファベッドの上で他の男性に身を委ねていた。この幕切れのタブローの美しさは比類がなかった。

第3幕はパリのシャンゼリゼ大通りだが、影絵から照明が強まっていくと散歩者たちの姿がはっきりと見えてくる。この後の舞踏会でアルマンに手渡された封筒の中に、マルグリットが紙幣を見つけて失神するところから、ドラマは急テンポで破局へと向かう。再び、『マノン・レスコー』をヒロインが見ているシーンとなり、マノンがルイジアナの砂漠で野垂れ死にする無残な末路にすっかり絶望。マルグリットはやりきれなくなって退席する。死の床に就いた彼女はデグリュー騎士とマノンの二人の幻影を見るが、これはアルマンが最後まで相手に忠実だった騎士のような男性であったら、という叶わぬ願いだったのだろうか。

見守る人もなく、一人で死の床に就く。プロローグと同じ「ロ短調ソナタ」のピアノの音が消えるとヒロインが崩れ落ち、アルマンが手帳を取り落とすところで静かに幕が降りた。

ノイマイヤーは誰もが耳に記憶しているヴェルディの音楽を一音たりとも使わず、すべてショパンの音楽で通した。これはノイマイヤーが依拠したデュマ・フィスの小説(1848年)が、ヴェルディのオペラ『トラヴィアータ』(1853年)とヒロイン像がかなり違っていることを意識しているためだろう。

パリ国立オペラ座バレエ団『椿姫』 デュポン、ブベニチェク (C)Sébastien Mathé/Opéra national de Paris

この小説が発表されるとすぐ大きな成功をおさめたが、一方で批判も受けた。そのため、デュマ・フィス自身が劇作(1852年パリ、ヴォードヴィル座)にあたって大幅に手を加え、オペラ(1853年ヴェネチアのフェニーチェ歌劇場)ではさらに台本作家がパリの芝居客よりも保守的だったイタリアのオペラの観客のために手を加えた結果として、小説のヒロインからはかなり隔たった人物となっている。それだけにオペラのイメージを払拭しておかないと最後まで違和感が残りかねない。

パリ国立オペラ座バレエ団『椿姫』 デュポン、ブベニチェク (C)Sébastien Mathé/Opéra national de Paris

オーレリー・デュポンは、1年8ヶ月前に夫のジェレミー・ベランガールとの間に長男ジャックが生まれた。一時は体重が20kgも増え、足も1サイズ半大きくなり、元の体に戻るためには一年の年月がかかった。
『椿姫』の舞台に上がる直前に仏週刊誌「レクスプレス」(2月11日号)は「麗しきエトワール」と題したインタヴューを掲載している。

「『椿姫』は女優として役に取り組みました。まず、他のダンサーの踊りや私自身の過去2回の記憶を消し去ることからはじめました。

それから振付家と会い、衣装を試し、通し稽古に臨んだのです。そうしているうちに役が形になってきました。私は直感で役を作っていきます。何が適切だかがさっとわかります。不安だったのは、的確な人物像が描けるかどうかでした。」

振付家のジョン・ノイマイヤーが依拠したアレクサンドル・デュマの小説で、ヒロインのマルグリット・ゴーチエは次のように描かれている。
「この女性には無邪気さのような何かがある。いまだに悪徳とは無縁である。しっかりした足取り、柔らかな肢体、桜色の開かれた鼻腔、薄い青色に縁取られた大きな瞳。これらは、きっちりと栓が閉まっていてもリキュールの香りが漂い出てきてしまうオリエントの香水瓶のように、その周囲に快楽の香が漂う熱情的な女性ならではのものだ。最後に本性からか、病気であるためか、彼女の目には時々欲望の炎が燃え立つ。この娘はこれと言った理由もなく娼婦となったのであり、愛情にみち、純粋そのものの処女であったかもしれない類の娘なのだ。」

これを読むとデュポンの不安がいかに的を得ているかがよくわかる。17年のキャリアを経て、引退まであと5年という円熟期に入ったエトワールは、純粋でいて官能的、悪徳と無邪気、といった矛盾した特徴をかねそなえた人物にさらに一歩踏み込んだ。 
(2010年2月23日 パリ・オペラ座ガルニエ宮)

アレクサンドル・デュマ・フィス原作の小説によるプロローグと3幕のバレエ
Ballet en un prologue et trois actes d'après le roman d'Alexandre Dumas Fils

音楽/フレデリック・ショパン
振付・演出/ジョン・ノイマイヤー
装置・衣装/ユルゲン・ローズ
照明/ロルフ・ヴァルター
ミチャエル・シュミッツドルフ指揮パリ国立オペラ管弦楽団
ピアノ/エマニュエル・シュトロセール、フレデリック・ヴェス・クニテール
上演時間/3時間
配役
オーレリー・デュポン(マルグリット・ゴーチエ)
イリ・ブベニチェク (アルマン・デュヴァル)
ミカエル・ドナール(デュヴァル氏、アルマンの父親)

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