ツィスカリーゼとウルド・ブラアムがヌレエフ振付を見事に表現

ワールドレポート/パリ

三光 洋
text by Hiroshi Sanko

Ballet de l'Opera National de Paris
パリ国立オペラ座バレエ団

Rudolf Nureyev : Casse-Noisette
ルドルフ・ヌレエフ振付『くるみ割り人形』

配役が発表された時に、どのカップルで見るか大分迷った。クララ役でエトワールを射止めたドロテ・ジルベールとマチュー・ガニオの王子という組み合わせが初日のキャストだったが、2008年1月のボリショイ・バレエ団の来仏公演でローラン・プティ振付の『スペードの女王』のゲルマンを踊ったニコライ・ツィスカリーゼの名前があるのを見て、22日に決めた。舞台中央の奥から前方まで歩いてくるだけで、どん底の貧困から社会の上層に這い上がろうとする野心と、心の均衡を失って狂気の淵に引きずりこまれる不安とをありありとうかがわせた、他に類のないの視線がまざまざと思い出されたからである。

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グルジア生まれのツィスカリーゼは36歳。ツィスカリーゼの扮したドロッセルマイヤーにはシュタールバウム家の夜会に入っていく足取りからして、すでに謎めいた気配が辺りに漂った。眼帯を付けた顔はかすかに傾けられ、年齢もよくわからない。こうした些細な身ごなしがチャイコフスキーを魅了した、この物語の原作者
E.T.A.ホフマンならではの影ある人物像を浮かび上がらせた。
子供たちは人形劇を演じてくれるこの正体不明の男に群がる。パリ国立オペラ座バレエ学校の年少組のはつらつとした動きが、観客をも夜会にぐっと引き込んだ。
ここでドロッセルマイヤーに手伝ってもらって変装したクララ、妹のルイーズと兄のフリッツがソロを踊る。そのあと、ドロッセルマイヤーにくるみ割り人形をもらったクララが舞台右袖の肘掛け椅子まで小走りに走る。ウルド・ブライムの胸の弾みが感じられる足取りと、人形に頬を寄せる仕草からはクララの喜びがたくまずに伝わってきた。

館の壁と巨大なクリスマスツリーが天井に引き上げられると、一転して粉雪の舞う庭園が広がった。雪の精たちの群舞ははっとさせられる美しさだが、背後には木立が黒々とした影を落としている。館の内側から外へ、現実から夢へ、そして意識から無意識への鮮やかな転換の場面である。
クララの前に現れた王子は背が高い、野性味あふれるスラブの貴公子である。ツィスカリーゼは小柄なウルド・ブライムを余裕たっぷりによく支え、二人のデュエットは童女から乙女への第一歩を踏み出したクララの心の弾みと暖かく包み込む王子とが、次第次第に心を寄せ合っていく姿を映し出していた。

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第2幕 クララは相変わらず夢の中だが、場面は館に戻る。クララは悪夢に
うなされるが、こうもりかと思われたのは不気味な頭を被った両親や親戚たちだった。ヌレエフの振付ではお菓子の王国は登場せず、クララの無意識が描かれる。ウルド・ブラアムの豊かな表情が不気味な場面に真実味を与えていた。

第3場のパストラールにはミテキ・クドーが羊飼い娘役で登場し、フランス王朝時代の優雅な舞を見せた。
見せ場の一つは夢から覚めたクララとドロッセルマイヤーとの別れだったろう。娘の額に接吻したあと、彼は投げキッスをしてサロンを出て行く。雪の舞う中、人形を抱いたまま門から外に出てきたクララをじっと見守っていたドロッセルマイヤーが、右手から静かにゆっくり姿を消すところで幕が下りた。

この晩の公演は、フロイトの『夢判断』が執筆された19世紀末に場面を設定したヌレエフの振付意図に忠実に、クララとドロッセルマイヤーの二人にすべての照準が合わされていた。特にツィスカリーゼがチャイコフスキーが心酔していたE.T.A.ホフマンの登場人物にかかせない、人間の影の部分を誰にもはっきり表わしたことで、良家の子女らしい雰囲気のあるウルド・ブラアムが一夜でのヒロインの成長ぶりを表現することを可能にした。唯一つ惜しまれたのはコロンヌ管弦楽団の生ぬるい、ソリストにミスが目立つ演奏が、折角のダンサーの演技に著しく水を差した。

音楽/ピヨートル・チャイコフスキー
振付・演出/ルドルフ・ヌレエフ(プティパとイワノフ振付による)
装置・衣装/ニコラス・ジョルジアディス
ケヴィン・ローデス指揮コロンヌ管弦楽団
クララ/ミリアム・ウルド・ブラアム
ドロッセルマイヤー、王子/ニコライ・ツィスカリーゼ
ルイーズ/シャルリーヌ・ギーゼンダンナー
フリッツ/マロワ・ゴーディヨン
父/ヴァンサン・コルディエ
母/ベアトリス・マルテル
祖父/ファビアン・ロック
祖母/セリーヌ・タロン
(2009年12月22日 バスティーユ)

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