9000本の花の絨毯が敷かれたフロアで踊られた『ネルケン』、ヴッパタール舞踊団

ワールドレポート/パリ

三光 洋
text by Hiroshi Sanko

Théâtre du Châtelet シャトレ歌劇場(Théâtre de la Villeパリ市立劇場企画公演)

"Nelken" Pina Bausch 『ネルケン』ピナ・バウシュ:振付

1982年にピナ・バウシュが創作活動の拠点にしていたヴッパタールで初演された『ネルケン』がパリのシャトレ歌劇場で再演された。この公演を企画したのは1985年から毎年、ピナ・バウシュを招聘してきたパリ市立劇場である。
劇場に足を踏み入れると、目の前に一面のカーネーションが敷き詰められた舞台が広がった。ダンスは何も置かれていないフロアで行うもの、という常識を覆したピナならではの発想の転換から生まれた、9000本の花の絨毯のフロアは忘れがたい。装置家のペーター・パプストはピナと会話していて、地平線まで広がるオランダのチューリップ畑が話頭に上ったときに、この舞台のアイディアが生まれたという。
ここに椅子を手にしたダンサーが左右の袖からあらわれた。場所を選んで椅子を花の中に置くが、時間が経過するにつれて花は踏みにじられていく。公演が終わるごとに、5人の職人が4時間以上もかけて曲がった花を元に戻し、折れた花は取り替える。バレエ評論家のデルフィーヌ・ゴアテルによればカーネーションは「硬直したブルジョワジーを表現している」そうだ。

65歳を迎えたドミニック・メルシーを始めとするピナが健在だった時代からのダンサーたちは、どの顔にもしわが増えているが、鍛え上げられた身体と表現力には一切の陰りがない。オレンジをむいて食べる、まな板の上でたまねぎを切り刻んでその上に顔を突っ込む、犬の鳴き声を真似る、といった遊戯があるかと思うと、ダンボール箱を高く積み上げたてっぺんからスタントマンが次々にクッションを並べた地面に向けて飛び降りる、という意表を付く場面が展開する。夜会服に身を包んだ紳士、淑女が子供のように日常の所作を綿密にかつ自然に演じ、そのあちらこちらにユーモアが織り込まれ、観客は時間を忘れてしまう。
「The man I love」をバックに、内容を手話で伝える場面では周囲にそこはなとない郷愁が漂った。監視人がよく訓練されたシェパードを連れて、ダンサーたちの背後を行き来する姿は、私たちの日常の周辺には常に脅威が存在していることを目にはっきり見える形で暗示していた。
ピナの永遠のテーマである人と人とのコミュニケーションの不可能、特に女と男との心情のすれ違いも若手のダンサーによって鮮やかに身体だけで描かれた。

『ネルケン』ピナ・バウシュ:振付 (C) Jochen Viehoff

(C) Jochen Viehoff

2009年にピナ・バウシュが68歳で亡くなってからすでに6年の歳月が流れた。しかし、今年6月に引退したオーレリー・デュポンが共同記者会見で「生涯で一番の衝撃はピナの世界に出会ったこと」と語っていたように、ピナと彼女のダンサーたちはコンテンポラリー・ダンスの枠を超えて、ダンスの世界に他に類のないエネルギーを放ち続けている。
(2015年5月13日 シャトレ歌劇場)

『ネルケン』ピナ・バウシュ:振付 (C) Jochen Viehoff

(C) Jochen Viehoff

『ネルケン』
演出・振付 ピナ・バウシュ
装置 ペーター・パブスト
衣装 マリオン・チト
ドラマチュルギー ライムント・ホーゲ
協力者 マチアス・ブルケールト、ハンス・ポップ
ダンサー ヴッパタール舞踊団

ページの先頭へ戻る