オペラ座ダンサー・インタビュー : ドロテ・ジルベール

ワールドレポート/パリ

大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
text by Mariko OMURA

Dorothée Gilbert ドロテ・ジルベール(エトワール)

6月の『ラ・シルフィード』の初日の公演後、怪我で降板して前シーズンを終えたドロテ。目下は妊娠のため休業中で、7月に東京で開催されるエトワール・ガラで舞台復帰を予定している。

9月24日に30歳を迎えたドロテ・ジルベール。来年3月の出産に向け、ダンサーの肩書きより、一人の女性として暮らしに重心を移し、幸せに包まれた日々を送っている。肌もトラブルがなくなり、快調だという。エトワールとしてのキャリアを着々と築いている過程で舞台から一時期遠ざかる決心をしたことを含め、現在の生活を語ってもらった。

Q:今、どのような毎日を送っているのですか。

A:出産予定は3月10日で、4か月めに入ったところなの。可能な限り、朝のレッスンを続けたいので、今朝もオペラ座に行っていたのよ。バーレッスンとポワントの練習。さすがにジャンプやピルエットはしませんけど、毎日、45分くらいかしら。その他、ジャイロトニックも続けています。

Q:出産についてこうして公に文字にするのは、少し早すぎるでしょうか。


A:私たちダンサーが怪我ではなく休業すれば、出産準備だと人々は察することだし・・。それに危険な段階は過ぎているので、フランスでは3か月過ぎたら公にします。

Q:女性ダンサーが妊娠した場合、朝のクラスに出るのは普通のことですか。

A:人それぞれですね。第一子の出産のときオーレリーはまったく姿を見かけなくなったし、デルフィーヌ(・ムッサン)が巨大なお腹でレッスンをしてたのを覚えているし・・。

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つわりの軽さや、続けたいという意欲はダンサー様々ね。私は続けたいの。なぜって、7月のエトワール・ガラという大きな目標があるからよ。どれくらい体重がふえるか、出産後の体調にもよるけれど、復帰がきつくなるのが嫌なので 。3月に出産後、公演までは4か月。すぐにレッスンを再開するつもりよ。空白の期間ができる限り短いように、出産前のぎりぎりまで続けたいの。でも、体調的には可能でも、太っている姿でレッスンにのぞむのって、とても勇気がいるでしょうね。

Q:体重の増え方はどうですか。


A:実は最初はまったく気をつけていなかったの。ひどい吐き気があって、食べるとそれが治まるので、つい、たくさん食べる結果となって・・.3か月で5キロもふえてしまって、婦人科の先生から怒られました。こんな風に食べていたら、出産までに20キロも増えてしまうわ、って。甘い物を控えるようにいわれ、ずっと気をつけています。一時期、ありとあらゆる香りが耐えられなかったこともあります。カフェの匂い、料理の匂い、それに強すぎる香水とか・・・。今はもう大丈夫だけど、私のフィアンセの香水がスパイス系の強い香りなので、だめだったのよ(笑) 。

Q:妊娠がわかったのはいつのことですか。

A:『ラ・シルフィード』のときです。あのときゲネプロと初日が続いて、それって確か金曜、土曜だったと思うの。もしかしたら、という気がして受けた検査の結果が、翌月曜にわかることになっていたのだけど、ゲネプロの前にどうしても待ちきれなくって、楽屋で自分でテストをしてみたのよ。結果は陽性。つまりゲネプロの直前に妊娠がわかったのね。その晩、父が見に来ていたので、舞台の後、早く告げたくってうずうずしたわ。

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© Opéra national de Paris / Anne Deniau

Q:ママになろうと決めたのはいつのことですか。

A:子供を持とう、とフィアンセと話あって、ピルを飲むのをやめたのが5月末でした。子供はずっと前から欲しいと思っていたけど、離婚とか、いろいろ事情があって、ママになりたいという思いは脇においておくしかなかったのね。今のパートナーと知り合って1年が経過。二人の間はとても上手くいっています。彼は 私にとってパーフェクトな存在なんです。恋人、夫として、それにパパとしても。それで、子供を作って家庭を築く環境が整っている! ということになって・・。

Q:なぜ、この時期を選んだのですか。モスクワでの『パキータ』、 東京での『ドン・キホーテ』のツアーに参加不可能となりましたね。

A:はい。他にも予定されていることがありました。なぜ、出産にプライオリティをおいたかというと、私にとって初めてという作品が2013-14年のプログラムには『眠れる森の美女』以外になかったからなの。その『眠れる森の美女』にしても、ヌレエフ版ではないけれど、イタリアですでに踊っているので、どうしても 踊りたい! という強い欲がなくって・・。もしツアーが『ジゼル』や『ロメオとジュリエット』だったら状況は違っていたかもしれません。あるいは、もし『マノン』が今シーズンにプログラムに予定されていたら、出産は考えなかったと思います。

Q:オペラ座の前シーズンでは『マノン』を踊っていませんね。

A:マチュー(ガニオ)と踊ることになっていたんです。それもファースト・キャストで! というので、わあ最高だわ、って思ってたの。ところが稽古の途中で、怪我をしてしまったの。『ラ・バヤデール』の舞台があった時期で、ロビンスの稽古もあって、さらに『マノン』の稽古が始まって・・。『ラ・バヤデール』では他のガムザッティ役のダンサーが次々怪我をするので、私一人が毎晩のように踊っていたので、身体を使い過ぎたのね。それで『マノン』が踊れなくなってしまったの。

Q:出産休業でキャリアを犠牲にする、というような思いはないのですね。


A:いいえ。人生でとても強いことを体験するのです。日常的に得るあらゆる感動、感情は、今後物語のある作品を踊るときに、取り出すことができ、芸術面で素晴らしく役にたつ経験ができることになるのよ。自分が一段アップ、という期待ができます。オペラ座で13年が経過し、残りはまだ12年。少し距離を置くのもいいだろう、という時期でもあるのです。こうして出産で離れることによって、戻りたい! という気持ちが得られるでしょうから、良いタイミングでの妊娠といえます。何事も偶然には起きない、っていつも私は思っている。

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© Opéra national de Paris / Anne Deniau

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© Opéra national de Paris / Anne Deniau

Q:舞台を1年間不在にする不安もないのですね。

A:怪我で休んでいるのではないので、精神的にまったく違いますね。全然快適です。もっとも、もうじき、自分の身体がダンサーの身体とは思えなくなるのしょうけどね(笑)。朝のレッスンで、お腹をひっこめて! と言われても、もうできない。ある時点に至ったら、自分がダンサーだと感じられなくなるのでしょうね。でも、だからといって、それはバーレッスンをする妨げにはならない。身体の働かし方を変えればいいことだから。

Q:まだ子供の性別は不明な時期ですね。

A:そう、5か月まで待たないとわからないのよ。あああー、長いわ! 11月5日まで待たなければならないの。もっとも、どちらでも私はいいと思ってるわ。なぜって、どちらになっても、利点もあれば不利もある・・・。女の子って小さいときは男の子より活発で賢いけど、思春期になったら、お化粧を始めたり、デートに出たりと監督が難しくなってきて母親としては心配だわ。

Q:女の子なら将来はダンサーにしたいですか。

A:そうしたことは間違いなく考えるでしょうね。女子に限らず、男の子でも。でも、どちらにしても私は希望しないわ。理由はいろいろよ。まずはママのようにしたいからというだけで、子供たちにダンスはして欲しくない。強烈な情熱がダンスになければ、上手くゆかないのだから。それに私、身体をダンス向きにするために本当に苦労をしたので、私の身体を受け継ぐ子供もすごい苦労をしければ、私が至ったところまでこられない。たくさん仕事しないければならないはず。それにコリフェ、スジェ・・子供がどこまであがれるかわからないけど、エトワールの子供ということで、必ず母親と比較されることになるでしょう。後々子供が辛い経験によっていらだったり気難しくなったりするのは嫌。女の子の場合、特に厳しい状況に置かれることは容易に想像できるわ。

Q:もう子供部屋の準備を始めていますか。


A:まだ。これについては迷信をかついで、6か月以上以降にしようと思っているの。部屋のアイディアはあるのよ。壁を大きな黒板のようにして、デッサンが自由にできるようにしようって。私、小さい時にそういった部屋が欲しかったの。私たちのアパルトマンはクラシックなタイプではなく、建物最上階のガラス屋根のロフト風のスタイルだから、子供部屋もデザイン家具など配して、と思っています。

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© Opéra national de Paris / Sébastien Mathé

Q:休業期間を利用して何か新しいことを始める予定はありますか。

A:特にはないけど、今、車の運転を習っているところよ。免許は持ってると便利でしょう。パリの暮らしでは車は不要だけど、いつまでパリに住んでるかわからない。もちろん、もっと後のことだけど。運転はできたほうがいいわ。私、それに、レペットのアンバサダーとしての仕事があって、地方のブティックでのサイン会、海外での香水のイヴェントなどがあるの。フィアンセはカメラマンなので、彼が出席するパーティに一緒に出かけたり、と、カップルの暮らしも楽しんでるわ。レペットの広告写真を撮影したカメラマンが彼なの。その撮影で私たち知り合ったんです。

Q:今、幸せの絶頂期にあるといえますか。

A: ええ。毎朝、目覚めるたびに手をおなかにおいてみるのよ。4日に1度くらいのことだけど、動くのが感じられるの。ほんの少しだけど・・・。朝は日中よりお腹が平らなので、赤ちゃんを手に感じることが容易いのだと思います。可愛いわあ、ポンと押してくるような感じで。そういうとき、ああ、ベビーは確かにここにいるんだわって実感できます。

Q:出産後、2014-15年のシーズン最初にオペラ座に復帰ですね。バンジャマン・ミルピエ芸術監督の時代が来るわけですが、彼とはどのような関係ですか。

A:彼の創作『トリアード』の2度目の公演で、私は踊っています。また、ナンタケットでの公演に呼ばれ、ニューヨーク・シティ・バレエ団と一緒に踊りました。でも、それ以上の知り合いというわけではありません。彼が来ることによって、オペラ座にも当然変化が起きるのは確かなことね。良い変化か悪い変化かは、わからないけど。エトワールがスターであるアメリカのように、ここオペラ座でもエトワールをもっと前面に押し出すようにするのではないかしら。今のオペラ座のように "エトワール・ダンサー" という一 括りでではなく、一人一人のダンサーとして。配役がぎりぎりまで発表されず、観客は見たいダンサーの公演を見るのに苦労する、という今の状態は、良いこととは思えない。だから、こうしたことが変わるとしたら、私にはうれしいわ。それに私たちダンサーにとっても、リハーサルの後、すぐに舞台があるのか1か月後なのかわからない、という現在の状況からも解放されるし。どうなるかわからないけれど、変化が起きるのは良いことだと思うわ。

Q:アメリカではダンサーにスポンサーがついているそうですね。

A:オペラ座と違って、アメリカではダンサーの給与が国から出ていません。スポンサーとの契約によって、彼らの給与が払われてることになります。でも、オペラ座も国からの援助が減少しているので、だからこそメセナとなりそうな多くの外部コンタクトを持つミルピエが選ばれたのではないかしら。アメリカ人の中にも、オペラ座に投資してみようと言う人が現れるかもしれないでしょう。アメリカで資金集めを経験している彼の才能も、今回の彼の選抜の理由なのではないかしら。

Q:7月のエトワール・ガラで踊る演目やパートナーはもう決まっていますか。

A:何を踊るかは、なんとなく。でもまだ発表の時期ではないので・・・。私、ルグリのガラでオードリック・ブザールと『チャイコフスキー ・パ・ド・ドゥ』などを、彼と一緒に踊っています。オードリックはパートナーとして、最高。今回、彼がエトワールガラに初参加するので、また一緒に踊れるかもしれません。

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© Opéra national de Paris / Sébastien Mathé

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