オペラ座ダンサー・インタビュー:アニエス・ルテステュ

ワールドレポート/パリ

大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
text by Mariko OMURA

Agnès Letestu アニエス・ルテステュ(エトワール)

オペラ座の新しいシーズン2013〜14がスタートした。今シーズンは3名のエトワールが引退公演を行う。トップバッターは美しきアニエス・ルテステュ。季節の開幕を告げる『椿姫』を最後に、25年間踊ったオペラ座の舞台を去る。

上品で格調高いダンスを踊る彼女は、人柄もまたたいへんノーブルである。そんな彼女が高級娼婦でありながら高貴な精神の持ち主マルグリット・ゴーティエを踊る姿は、10月10日のアデュー公演に集まる人々にとって忘れがたいものとなるに違いない。契約は終了してもオペラ座との関係が断たれることもなく、新しい冒険へとすでに一歩を踏み出している彼女。楽屋の片付けも始めた今、未来に目を向けつつも、微妙に揺れ動く気持ちで10月10日を待っているようだ。

Q:引退公演まで、残りわずか1か月と10日ですね。

A:ええ。夏休みがあけて、いよいよ取材攻撃が本格的になってきているところよ。昨日は今週末に放映されるテレビの取材撮影があり、来週もまたテレビ取材が2つ控えていて・・。こうして語られるのは、いいことよね。アデューというのはダンサーにとって、とても大切なイヴェントなのですから。

Q:DVD「アニエス・ルテステュ-美のエトワール」を監督したマルレーネ・イヨネスコが、2作目を準備していていると聞きました。

A:はい。撮影は2年前から始まっていて、アデュー公演が最後の撮影となります。タイトルは「Agnès Letestu- l'Apogée d'une étoile」 。12月に発売が予定されています。

Q:よく聞かれる質問でしょうが、アデュー公演の演目に『椿姫』を選んだのはなぜですか。

A:これは私が大好きな作品だからです。他にも好きな役はありますが、マルグリット・ゴーティエは私が生涯を共にする役といえます。今回リハーサルが始まる前にビデオを見直しままし。オペラ座では実にたくさんのバレエを踊っていますけど、この作品に出会えたのはなんという幸運だろうとつくづく思いましたね。

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『ジゼル』Photo / Icare

Q:この作品の何がそう言わせるのでしょうか。

A:エトワールのキャリアにおいて、ダンスがあり、そして演技があります。『椿姫』というのは俳優の仕事が求められる作品なんです。この作品によって、私がなぜこれほどダンサーの仕事が好きなのかということについて開眼させられました。なんとなくわかっていたことですが、それまでに、きちんと分析したことはありませんでした。踊りを続けてきた自分の人生で、私がしたかったことはピルエットをしたりして単に踊る、ということでななくって、これなんだわ! とこの作品が気づかせてくれたのです。ステップが言語の道具で、台詞の代わりになっています。すべてのステップが物語を紡いでいます。ジョン・ノイマイヤーと一緒に仕事をするって、なんて素晴らしいことなんでしょう。彼とはコール・ド・バレエの時代から仕事をしています。『マニフィカート』『くるみ割り人形』・・・エトワールになってからは、『ヴァスラフ』『マーラー第三交響曲』があります。

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『天井桟敷の人々』ヤン・サイズと
Photo / Julien Benhamou

Q:『椿姫』はオペラ座では2006年、2008年、2010年に公演がありました。公演によって、例えば役の解釈など何かしら変化があるのでしょうか。

A:いいえ、役の解釈は変わりません。ジョンが与えてくれた方向にずっと沿っています。演出のディテールについて、彼は私たちに詳細を伝えます。そうしたディテールや舞台の演技についてですが、今回新たなインフォメーションがありました。第一幕の最初のパ・ドゥ・ドゥの部分、音楽にあわせてマルグリットとアルマンの身体がバチンとぶつかるシーンです。

このシーン、アルマンが部屋にはいってきたのに気がつかなかったマルグリットは、少々いら立って彼をからかうようにし、それから感動があって会話の調子を少し変えるというようにこれまでは踊っていました。今回、アルマンに身体がぶつかる場は、激しく鼓動する彼の心臓を感じることだというインフォメーションがあったです。感動で早打ちする彼の鼓動を感じ、手を見て、そして次の振付へと続いてゆくのだということなんです。このように解釈のディテールについて、付け加えられることがあります。こうした細かい部分が違い、クオリティを生み出すんですね。

Q:マクミランの『マノン』は踊らず仕舞いとなってしまいましたね。これについて悔いはありますか。

A:この作品は稽古をしたものの、舞台リハーサルのときに怪我をしました。公演を実現できなかったことは残念に思っています。でも、私が後悔してることは『椿姫』のような作品が、在籍中に私にクリエートされなかったことです。どちらかというとネオクラシックで、強い物語の・・・・。といっても『椿姫』以上に強い作品が存在できるものかどうかわかりませんけど。つまり、私が残念に思うのは『椿姫』のような美しいクリエーションが自分に得られなかったことです。とはいえ、私には生涯の役といえる『椿姫』があります。何かこれ以上のことができたのかしら、何が不足してるかと考えてみて、私、本当にたくさんの作品を踊っているのだとつくづく気づかされました。コンテンポラリーもたくさん! フォーサイス、マッツ・エック、キリアン・・彼の『かぐや姫』は大好きです。カロリーヌ・カールソンの『シーニュ』を踊るのも好きでしたね。新しいことを本当にたくさん学びました。マクレガーのような若いコレオグラファーと仕事をする機会もありました。ヌレエフの古典大作を踊ったことはいうまでないでしょう。中でも『白鳥の湖』は縁起良い、私のお守りのような作品です。ご存知かもしれませんが、私はこの作品でエトワール任命されてますし、そもそも『白鳥の湖』を見たことによって、ダンスをしたい! という気持ちがわいたのですから。私のキャリアと共に歩んだ作品です。おそらく一番回数多く踊った作品なのではないかしら。マリインスキー劇場を始め、世界各地で踊っています。でも俳優的演技という点でいえば、『椿姫』が今の時点では私が一生を共にする役なんです。

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『白鳥の湖』photos / Jacques Moatti

Q:マノンが愛するデ・グリューの腕の中で息絶えるのに対し、『椿姫』のマルグリットは最後に一人で死んでゆきますね。

A:これは悲しいですね。このように孤独に死ぬことは彼女が望んだことではないのですから。お金より愛情を選んだマルグリットに対し、マノンはどちらも選択せず、両者を常に手にしていて深く考えていません。マルグリットが過去の生活に戻るのは、自分を犠牲にしてのことです。それで早く死ぬことしか考えなくなって、病気をおして舞踏会や劇場へと出かけてゆきますね。マルグリットはマノンと異なって、選択をしています。私、マノンよりマルグリットのほうに、よりシンパシーがあります。『マノン』のリハーサルをしながら、実は少しばかり失望がありました。いえいえ、マクミランのバレエは素晴らしいです。 『マノン』を本で読んで、マノンという人物にがっかりしたのです。

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『ロメオとジュリエット』Photo / Icare

Q:定年が42歳というのは、身体的に踊るのが難しくなる年齢だからですか。

A:私は今も身体的にとても快調よ。42歳というのはパリ・オペラ座の規則であって、私はこれからも踊り続けます。踊ることを辞めるわけじゃないの。でも、日によっては自分が断頭台上にいる、って気になることもあります。おかしいでしょう。
10月10日をもって終わり。二度と後には戻らない。でも、これはもう踊れないということではないのです。身体的に踊れるかどうかが問題ではないオペラ座の定年制度は、健全だと思います。42歳と決まっていて、体調が快調な間に引退できるというのは。例えばアメリカのカンパニーでは引退がありません。38歳くらいになると、「先のこと少しは考えてる?」とかいわれ始めるようになって・・。これって、出て行け、という意味あいがあるわけでしょう。自分で引退年齢を決めなければ、ディレクターが契約を更新しないということにもなって・・・傷つきますよね。これからも私は自分の人生、年齢に応じた作品で、踊り続けます。『眠れる森の美女』や『パキータ』などはもう踊りたいとは思いませんが、『椿姫』ならウィよ。実際、これから先にすでにガラの予定もあります。それに来年3月にはオペラ座のツアーで東京に行くことにもなっていますし・・・。

Q:これはゲストとしての来日ということですか。

A:そうです。エトワールというタイトルはそのまま持ち続けますが、オペラ座との契約については、来春はもう終わってるのですから。3月末にはスペインでのガラ、5月1日にはダラスのガラがあり、これはジョゼと踊ります。『白鳥の湖』のパ・ド・ドゥとおそらくジョゼのクリエーション。身体的にまだ踊れるというのは、『パキータ』『ドン・キホーテ』などから、『椿姫』といった役へと作品が変わっているからです。といっても『椿姫』は確かに『パキータ』などとは異なりますが、テクニック的にかなりたいへんなバレエなんですよ。簡単な振付ではありません。

Q:将来演劇方面に進むということも考えられますか。

A:過去に、演技指導を受けていたことも実はあるんです。でも演劇にさける時間的余裕がなくって・・・この先の可能性は、わかりません。

Q:コスチュームの仕事を続けるのは間違いないですね。

A:もちろんよ。もしもダラスのガラでジョゼのクリエーションを踊るなら、そのコスチュームがあるでしょう。そして海外からのリクエストですが、今、実はとても大きなプロジェクトがあるんです。予算の問題もあって、まだ詳細はお話しできない段階ですけど。ガラのコスチュームとかではなく、複数幕の作品となると、それなりの予算が必要ですから・・。

Q:「この作品を踊るのも、これが最後」というように定年を意識し始めたのは、いつ頃ですか。これが最後だと?

A:オペラ座でバレエ作品が再演されるサイクルは、だいたい3年ごと。ですから、2年くらいまえから作品ごとに、「あ、きっとこれでこの作品は踊り納めかもしれない」と思うようになりました。「デフィレ」にさようなら、『ジゼル』にさようなら、『白の組曲』に・・という具合に。もっとも、これからオペラ座以外のステージで踊る作品がないとも限りませんが、オペラ座のレパートリーは特殊なので、どうでしょうね。

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『ジゼル』photo / Julien Benhamou

後は『かぐや姫』などにゲストとしてオペラ座の舞台にたてるチャンスを期待するしかないですね。これは過去にも例があること。例えばピエトラガラの『シンデレラ』、カデールの『ベルナルダの家』・・・。ギエムが『白鳥の湖』にゲスト出演することも決まってましたが、これは怪我で流れてしまいましたね。スケジュール的に無理となってしまいましたが、ジョゼも『オネーギン』にゲストで踊ることになってました。彼、『アパルトマン』はゲストで踊りました。このようにたくさんの例があるんです。私、今シーズンでいえば例えば『水晶宮』や『フォールリバー伝説』の2つで戻れたら、うれしいでしょうね。『ダンシーズ・アット・ザ・ギャラリング』もいいわね。オペラ座では12月の公演の『眠れる森の美女』のために、ソリストのリハーサル・コーチの仕事が決まっています。ギレーヌ・テスマーやクロード・ドゥ・ヴュルピアンたち同様に、これはバレエごとの仕事です。

Q:定期的な仕事の予定もあるのでしょうか。

A:ええ。エレファント・パナムのスタジオを借りて、9月9日からDance in corporeが始まります。 これはマース・カニンガムやマーサ・グラハムといったカンパニーを目指す19〜25歳の若いコンテンポラリー・ダンサーたちが、ダンスを完璧にするための2年間のコース。私は彼らのクラシック部門を担当するのよ。コンテンポラリーのダンサーにクラシック・バレエを教えるのは興味深いことですね。

Q:アデュー公演は終わりというより、出発といえそうですね。

A:その両方といえますね。ダンサーとしての契約の終了。オペラ座に対してダンサーとしての義務がなくなるということで、今後はオペラ座が決める毎日のプランニングというのがなくなります。オペラ座のリハーサルの仕事をする時をのぞけば自由です。ダンスは身体が快調な限り続けますから・・・これはページをめくる、という表現がいいでしょうか。辞めたあとでオペラ座が恋しくなるのかしら・・・とか思うこともありますが、そうでもない日もあります。不安に思う日もあります。なぜって確実に舞台に立つ回数が減りますから、舞台の上で得られる大きな感動が得られなくなることがとても不安なんです。飛行機の旋回のような身体を震わせる例外的感動。つまり、こんな舞台上での感動と同じくらい強烈な感動が感じられなくなることが怖いです。これから待っている仕事はどれも好きですよ。でも、この点だけが心配といえます。

Q:入団から25年間のオペラ座でのキャリアにおいて大きな出来事として何があげられますか。ジョゼ・マルティネーズとの出会いとか・・・。

A:ああ、それは本当に大きな出来事だわ。彼は私のアーティストとしての存在の半分を占めています。エトワール任命も大きな出来事したね。そしてヴァルナ・コンクールも。私はこれをきっかけに国際的知名度が得られることになったのですから。まだ、ありますね。振付家との出会いも挙げられます。キリアン、マッツ・エック、フォーサイス、ノイマイヤー。そして『椿姫』との出会い・・・。

Q:10月10日をどのような気持ちで迎えることになるのでしょう。

A:これは必ずやってくる出来事なの。アデュー公演をするのは、私にとって、カンパニーにとって大切なことだと思っています。私はこうして次の段階へと進むのですから。ブリジット(ルフェーヴル芸術監督)から、ニコラ・ル・リッシュが行うようなガラ形式のアデュー公演も提案されました。でもそれは私の望むところではありませんでした。というのも、こうした形式は私個人に向かってくるものですが、私はオペラ座のカンパニーと一緒にアデュー公演を行うことが希望だったからです。。

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「ドリーブ組曲」ジョゼ・マルティネーズと
Photo / Hasegawa

ダンサーたち、オーケストラ、リハーサルコーチ、着付け係などのスタッフ・・・。つまり私のダンサーのキャリアを共に歩んできた人々と一緒に。25年間を過ごした家族と共に、ということです。

Q:アデュー公演のパートナーはステファン・ブリヨンですね。

A:ええ。彼と組むようになったのはまったくの偶然からなんですよ。2008年の『椿姫』で、私のパートナーはゲストのロベルト・ボッレ、そしてエルヴェ・モローでした。このシーズンはフィルム撮りもあり、それはエルヴェと一緒にという予定だったのです。ところがある晩の公演で、第二幕の終わりにエルヴェが舞台下手に駆け込んだときにプロジェクターに膝をぶつけてしまいました。彼は第三幕も踊れるつもりでしたが、幕間の終わる頃になったら膝が猛烈にふくれあがってしまって、これはだめだと。それでこの夜、待機していたイザベルとステファンの二人が、第三幕を踊りました。というのも、第三幕を私がエルヴェの代わりにステファンと踊るというような突然のパートナー変更は危険なことですからね。とても無理なことなんです。階段で上から下に向かって、後ろ向きに倒れることを想像してみてください。誰かが身体をつかまえてくれる。いつも同じ相手なら、どのように自分の身体が支えられるかわかって、安心できます。最初は3段、二回目は5段、最後には10段落ちるといった感じに・・・。でも、それまで一度も組んだことの無い相手に対して、いきなり10段落ちることなんて不可能。『椿姫』のパ・ド・ドゥって、こういう感じなんですよ。

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『椿姫』ステファン・ブリヨンと  Photos / Michel Lidvac

Q:その夜の後に、パートナーがエルヴェからステファンに代わったのですね。

A:彼とはそれまで一度も踊ったことがなかったのですが、身体的にも最もふさわしい相手に思え、上手くゆくかちょっと試してみよう、ということになりました。1時間半のリハーサルで第一幕のパ・ド・ドゥを踊ってみて、すぐに彼とは上手くゆくって、わかりました。リハーサル・スタジオにブリジットがやってきて、エルヴェは完全に降板したのでフィルム撮りもアニエスとステファンの二人よ! と告げたんですが、そのとき、彼の頬がひきつって震えて・・。彼がイザベルと踊るのは2週間も後の予定でしたから、彼は踊ることはできても精神的準備がまだという段階。2週間という違いはとても大きいものなんですよ。彼との初演まで、二人で5日間稽古をしました。結果的には上手くゆきましたけど、大胆なことだったといえますね。

Q:1つの作品について、常に同じパートナーと踊るのが望ましいですか。

A:同じシーズン内は、一人のパートナーのほうが望ましいです。技術的な面で、相手が変わればタイミングも異なりますから。それに身体面での問題もあります。例えばイザベルと踊り慣れているダンサーが私と組むことになると、私のほうが彼女より大きいので適応法が異なってきます。それに舞台上の演技という点でも、視線、感性、反応・・・こうしたことも相手によって異なるので・・・。でも別のシーズンに別のパートナーと踊ることは、問題ありません。

Q:この『椿姫』での事故の後、エルヴェ・モローは長いことオペラ座を留守にしていましたね。

A:ええ、こうして舞台に戻れたのは、彼にとって本当にうれしいことですよね。私、アデュー公演について自問自答した時期があります。私の最初のパートナーだったエルヴェが戻ってきたわけです。さて、私は誰と踊るのかと。突然のチャレンジを見事に果たし、フィルム撮りも共にしたステファンというパートナーも私にはいるのです。結局のところ、エルヴェにはオーレリーというパートナーもいることだし、2年間不在だったので・・・。ステファンの功績を思うと、私のアデュー公演を彼と踊らないというのは難しいことです。

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「Woundwork」エルヴェ・モローとPhoto / Anne Deniau

エルヴェとは過去に何度も踊っていて、素晴らしいパートナーであることに変わりありませんよ。ステファンとは異なるパートナーだということです。エルヴェはプリンス的アルマンですが、ステファンは血気盛んな若者といった・・。

Q:あなたの引退後、次のシーズンに芸術監督が変わります。ヌレエフ作品のオペラ座における今後どうなると思いますか。


A:ミルピエ監督はオペラ座のレパートリーの中のいくつかはキープすると思います。
そしていくつかは他の振付家の作品に代わる・・・例えば『ラ・バヤデール』『白鳥の湖』などはそのまま残して、『くるみ割り人形』などはヌレエフ・ヴァージョンではない別の振付家のものに、というように。このように聞いていますが、噂ですから、なんとも・・・。上演の機会が減ることになるのは、それは確かに残念なことです。でも、同時に、同じくらい興味深い他のヴァージョンが観客に提供されることになるのだと思います。もしも『ドン・キホーテ』などの古典大作が上演されなくなるとしたら、残念ですね。でもミルピエ監督の大きな意思としては、彼なりにしたいこと、彼なりのコネクションによって、これまでと異なるコンテンポラリーのクリエーションを増やすということでしょう。つまりレパートリーに若干の変化があり、クリエーションに大きな変化があるという。彼に、新しいことを提案できる機会を与えなけらばならないと思います。

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『ラ・バヤデール』Photo / Hasegawa

Q:ヌレエフとはどのような関係でしたか。

A:私が入団したのは1987年で、彼は89年までいました。朝のクラスレッスンでも彼をみかけましたし、彼がギエムと踊った舞台も見ていますよ。彼は『ラ・バヤデール』のガムザッティというエトワールの役を、スジェだった私にくれたんです。コール・ド・バレエの時代にですからね、これは私にとってたいへんなことでした。『ドン・キホーテ』のドリアードの女王も彼に選ばれて踊りました。素晴らしい時代でしたね。彼がディレクターだったのは6年くらいと短期間でしたけど、オペラ座のとても豊かな時代でした。

Q:キャリアを通じて美しいダンサーというイメージが強いですね。

A:観客が多くを望むように、私も多くを望みますから、イメージは変化していると思います。私が初めて得た役は『放蕩息子』の高級娼婦でした。その後、『若者と死』『ラ・バヤデール』のガムザッティ、『ドン・キホーテ』の街の踊り子・・・このように個性の強い女性に配役されることが多かったんです。

私のキャリアの初期のパーソナリティってこんな感じでした。『白鳥の湖』『ジゼル』『ラ・バヤデール』のニキアといったロマンティクな役柄はそれからのことです。それからブリジットは、ニジンスキーの『春の祭典』、ブランカ・リーの『シェへエラザード』、ダヴィッド・ボンバナのクリエーション(注:La septième lune /2004)、フォーサイスの『イン・ザ・ミドル・サムワット・エレヴェイテッド』といったコンテンポラリー作品に私を配するようになりました。私のレパートリーの幅がこうして広がっていったのです。ブリジット以前にヌレエフがすでにフォーサイス作品などを始めてはいましたけど、彼女はピナ・バウシュ、マッツ・エック、キリアン、ジャン・クロード・ガロッタなどを上演し、オペラ座に素晴らしい多様性をもたらしましたね。オペラ座はクラシックのイメージが強いですが、レパートリーにはコンテンポラリー作品が少なくないのが現実です。とてもオープンな姿勢で、ブリジットはレパートリーの幅を広げるのに成功したと思います。カデール、ニコラ、ジョゼ、といったダンサーに振付の機会を与えています。ニコラ・ポールのような若いダンサーにも。ダンサーに複数幕のバレエを創作させるなんて、大胆な試みですよね。私に衣装を任せる、ということだって! 彼女、私がジョゼの『スカラムーシュ』のために作った衣装は見てはいますけど、これは40点。それが『天井桟敷の人々』では300点余りとすごい量のコスチュームを私に任せたのですから、大胆なことです。新しい冒険への誘い。彼女は才能開発という点で大きな役割をダンサーに対して果たしたと思います。これはぜひとも語っておくべきことですね。

Q:アデュー公演に思いを馳せて、涙したということがすでにありますか。

A:いいえ。でも、ジョゼのアデューに際して、すでに感動を覚えました。というのも、それは私の一部がアデューという意味もあったのですから。もっとも彼のほうは、アデュー公演で『天井桟敷の人々』を初役で踊るのだし、同時に振付家としてのリハーサルも、という多忙の毎日。ノスタルジックな思いに浸る余裕が彼にはなかったのです。
彼がアデューを意識したのは、もっと後になってから。私は彼の方では全然という時期に、リハーサル中に彼の目を見て、あああ! となってしまって・・・。今、自分のアデューを思って感じる以上に、彼のアデューはとても辛いことでした。もっとも、わかりませんよ、これからどうなるかは。でも、私、自分の過去に満足していても、過去を振り返るつもりはありません。これから待っていることに目を向けることがうれしいですし、理解し合える友もいて人生が上手くいってる現在にとても満足しているのです。それに先にもお話ししたように、オペラ座を完全に去るわけではありません。ルグリはまったくノスタルジーがなかったといっています。オペラ座の純粋培養という存在で、ヌレエフ・ベビーだったという彼なのに。彼はオペラ座で得たことを他で与え続けていますね。私も彼のように、自分が学んだことを次の世代に与えていきたいですね。私の語ることによって、ダンサーが何かを理解し、進歩していったらうれしいですよ。ギレーヌやいろいろな人から私が学んだことを自分だけで抱え込み、誰にも伝えないという権利は私にはありません。アデューといっても、死ではないんです。私の人生は続いています。もっとも、10月に入ったらどうなってるか、わかりませんよ。すっかり、うなだれてしまっているかも(笑)。なんだかんだいっても、10月10日、これは大きな試練です。なぜって、私、ダンサーとしてベストでありたいし、舞台をエンジョイもしたい。でも、感情には流されたくないと思っています。マルグリット役で終えるというのは、役柄に入り込むことで、外部から来る緊張に煩わされることを避けられます。他の作品だとテクニックに気を使わなければならなかったりして物語に入りこめません。物語に入り込めば、神経過敏になってしまうことから救われる、と思っています。舞台で踊っているのはマルグリット・ゴーティエであってアニエス・ステルテュではありませんから。まあ、いったいどうなるかは、当日を待ちましょう!

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『天井桟敷の人々』ステファン・ブリヨンと Photos / Julien Benhamou

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