オペラ座ダンサー・インタビュー : レティツィア・ガロニ
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掲載
ワールドレポート/パリ
- 大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
- text by Mariko OMURA
Letizia Galloni レティツィア・ガロニ(コリフェ)
「ベジャール/ニジンスキー/ロビンス/シェルカウイ、ジャレット」の公演が、5月2日からオペラ・ガルニエで始まる。シェルカウイとジャレットによるクリエーション『ボレロ』を踊る5名の女性ダンサーの一人に、21歳のコリフェ、レティツィアが選ばれた。ト
オペラ座のダンサーによる振付作品を発表する「ダンサー・コレオグラフ」。
今年は2月末にバステーユ・オペラ座の地下にスタジオで開催された。 昨年に続いて仲間のダンサーの創作を踊ることを依頼された彼女。その身体原語が振付者を刺激する、今後が楽しみな レティシアを紹介しよう。
Q:シェルカウイの創作にキャスティングされましたね。オーディションを受けたのですか。
A:どのように選ばれたのかはわかりませんが、ある時、掲示板にリストが貼り出され、その中に私の名前があったのです。その後しばらくして、リストのダンサーたちで何時間かのトライアルが行われました。シェルカウイと彼のところのダンサーがオペラ座に来て、彼らが提案するステップやちょっとした振付、つまりシェルカウイの基本の動きですね、これを踊ってみせるというもの。私たちが日頃踊っているのとはまったく異なるもので、フロアムーヴメント。とりわけそれを力を使わずに行う、というのは簡単ではなく、彼はこうしたことを私たちに理解させようとしました。そして、今から1ヵ月くらい前でしょうか、今度はシェルカウイ、ジャレット、そして彼のところのダンサーが二人来て、私たちにデュオなどいろいろな動きを見せるというように、まだ音楽を使ってはいませんが、リハーサルは始まっています。
Q:この作品を踊る男性ダンサーは6名。女性ダンサーはオーレリー・デュポン、マリ=アニエス・ジロー、ミュルエル・ジュスペルギー、アリス・ルナヴァン、そしてあなたの5名ですね。この配役をどのように受け止めましたか。
A:思ってもみてなかったことなので、すごく驚きました。私にとって、素晴らしいチャンスですね。実はリストが貼り出されたのは、あいにくと怪我でオペラ座には来ていない時期だったので、友達だちがリストを写真にとって、「ほら!」って携帯で送ってくれたんです。とても満足。でも、すぐその後で、私、本当に舞台にたてるのかしら、それとも代役なだけなのかしら・・って思いました。リハーサルが始まったとはいえ、5名が一緒に踊るのか、とかどのようにバレエが作られるのかはまだわからない状況です。
photo:Agathe Pouepeney/ Opéra national de Paris
Qシェルカウイの作品は過去に見たことがあったのですか。
A:ええ。私、すごく気に入ったので、それだけに今回の抜擢に満足しています。
Q:コリフェの中では、配役に恵まれているように見えます。自分でもそう感じていますか。
A:ええ、とりわけコンテンポラリー作品について、それはいえますね。初めてコンテンポラリー作品に配役されたのは、ピナ・バウシュの『春の祭典』でした。2010年だったかしら。その時以来、マッツ・エックやマクレガーなどのコンテンポラリー作品で、ちょっとした役につけるようになりました。
Q:コンテンポラリー作品の方が好みですか。
A:いえ、クラシック作品も同じくらい好きですよ。私の希望ではなく、コンテンポラリーに私を配するのはオペラ座のディレクションが決めていること。クラシック作品にも同じように配されるのを、私、期待しているんですよ。
Q:2012年の「ダンサー・コレオグラフ」では、リディ・ヴァレイユ(現在コリフェ)振付のソロ『Le pressentiment du vide』を踊っていますね。彼女とは仲良しなのですか。
A:彼女とは特に親しい関係だったというわけではありませんでした。彼女はソロを踊るダンサーを必要としていて、私の踊り方が彼女の気に入ったということで・・・。私は彼女から作品の説明を聞いて、「OK ! 」って。私にとってソロを披露できるチャンスとなるのだし、それまで私が一人で踊るのを見た人はほとんどいないのだから、良い機会でしょう。
photo:Gala Reverdy/ Opéra national de Paris
Q:今年2月末の「ダンサー・コレオグラフ」では、創作者マキシム・トマ(現在コリフェ)と踊った『Deux à deux 』では、息の合ったパートナーぶりが見られました。
A:彼のことはよく知っていて、気の合う関係なんです。彼からこの公演参加に声がかかったときは、まだカップルが1組か2組登場するのか、私が誰と踊るかもわかってなかったのだけど、提案されてすぐに即答しました。私、まず何よりも彼の踊り方が好き。彼なりのスタイルがありますよね。だから、作品も素晴らしいに違いないって、すぐにOKしたんです。彼の動き方はわたしの動きにも似ていて、軽さがあって・・。最終的に私たちだけのデュオとなったので、5分間ノンストップで踊る結果となって、これはけっこう大変でしたね。というのも、彼が創作を始めた時、ちょうどカンパニーのほとんどがオーストラリア・ツアーに出てしまっていた時期だったのです。彼は他のカップルはおろか、私のパートナーもみつけられず。結局、彼自身が踊ることになりました。彼はポルテとかのアイディアを持ってましたが、この公演に向けて私と踊りながら創作をしたんですよ。ちょうど私たちは二人とも『輝夜姫』のリハーサルがあったので、その傍ら、時間をみつけて、と・・。けっこうな仕事量でしたね、この時期。
「Deux à deux」
photo Francette Levieux/Opéra natinal de Paris
「Deux à deux」
photo Francette Levieux/Opéra natinal de Paris
Q:このようにクリエーションのダンサーとして声をかけられることについて、どう感じていますか。
A:なぜ彼らが私を選んだのかはわかりません。私、ナチュラルというか・・・・マッツ・エックの作品なら彼が望むように踊るし、ピナ・バウシュならピナが、というようにあらゆるダンスに自分を適合させることができるせいかもしれません。
Q:何か音楽を聴いて、自分でも振付けてみようと思うようなことはありますか。
A:最近、そういう気がすることがありますけど、果たして自分にコレオグファラーとしての琴線があるのかどうか、わかりません。
Q:あなたの名前はレティシア・ピュジョル同様Laëtitia(レティシア)なのだと思っていましたが、Letizia(レティツィア)なのですね。イタリア系ですか。
A:はい、父がイタリア人で、私はローマに生まれました。
Q:では、ダンスはローマで始めたのですか。
A:いえ、フランスに引っ越してきてからのことです。6歳のときに、ムラン(イル・ド・フランス地方)の小さなコンセルヴァトワールでダンスを習い始めました。きっかけは、多分『白鳥の湖』だったと思うのですけど、テレビでバレエを見たんです。その時に、あれ何! と母に聞いたら、クラシック・バレエよ、というので、「やってみたいわ!」となって・・・。早速、家の向かいに学校があったので行ったところ、その時、私はまだ5歳。学校は6歳からというので、がっかり! で、1年待って、レッスンを始めました。
Q:その1年間、ダンスに興味を失うというようなことはなかったのですね。
A:全然!。でも始めてしばらくしたら、実はバレエに飽きてしまって・・.。なぜって、バーでいつも同じことばっかりなので。で、「私、お姉さんのようにフェンシングを習いたい!」って母にお願いしました。こうしてバレエのレッスンに行かなくなったら、「なぜ来ないの?」って、すぐにバレエの先生から母に電話があったんです。母が事情を説明したところ、私には素質があるだから、ぜひ戻ってくるようにと先生にいわれ・・・。それでコンセルヴァトワールに戻って、欠点を直したり、回転やジャンプをするようになり、そうこうするうちにバー・レッスンも好きになったんです。
Q:オペラ座のバレエ学校にはいつ入りましたか。
A:9歳のときに、先生が「良い学校があるのよ、毎日ダンスするのよ」っていうので、ああそれはいいわ、って感じに・・・・。でも、まだオペラ座とか、クロード・ベッシーとか何も知らない時代。試験に受かって入学しました。
Q:寮生活に不安はありませんでしたか。
A:いいえ。寮生活には満足でした。でも、私、母の後ろに隠れているような、すごく恥ずかしがりやの子どもだったので、最初は他の生徒たちに話をしたりできませんでした。 彼らは皆優しかったんですけどね。この寮生活のおかげともいえるのは、私、引っ込み思案ではなくなって・・・。もしこの時代がなかったら、今の私のようではなかったのではないかと思います。
Q:ダンスを仕事にしたいと思ったのは、いつですか。
A:第4ディヴィジョンのときです。これが私のしたいことだわ!って。競争がたくさんあって大変だけれど、しっかりバレエにしがみついていよう、と決めました。
Q:学校で過ごしたのは6年ですか。
A:いいえ、8年在籍しました。第2と第1ディヴィジョンをそれぞれ二回やっているんです。フランチェスカ・ズンボと2年、キャロル・アルボと2年。でも、この二度の留年のおかげで、とても多くを得ることができ、自分にとって役にたちました。この二年があったおかげで、私はカンパニーに入団できるよう準備を整えることができたと思うのです。2009年に、CDI (無期限契約)で正式に入団。18歳にちょうどなったときです。
Q:学校時代の最高の思い出は何ですか。
A:ガルニエ宮の舞台でを初めてソロを踊ったときのことです。一年目の第2ディヴィジョンのときの学校の公演で、ベジャールの『ドン・ジョヴァンニ』のヴァリアションです。 たった一人で舞台に立つなんて、と、信じられないことでした。それにこのベジャールのヴァリアションは私のダンスにぴったりくるものだったので余計に・・・。
Q:オペラ・ガルニエの舞台の傾斜は怖くなかったのですか。
A:いいえ。ナンテールの学校にも傾斜のあるスタジオがあって、小さいときからそこで踊ることに慣れていましたから。
Q:あがるタイプではないのですね。
A:舞台で踊れることは喜びなので、あまりそうしたことは考えないようにしています。でもコンクールの時は別。やはり・・・。
Q:昨年のコンクールの自由曲に『ラ・バヤデール』のガムザッティのヴァリアションを選んだのは、なぜですか。
A:テクニックを見せるだけではなく、簡単ではないヴァリアションなので、あえて挑戦! という意味もあって選びました。 ガルニエの舞台で一人で踊れる機会は日頃ないのだから、自分ができることをやってみようという挑戦です。それにコンテンポラリーに配されることが多い私なので、クラシックの役をみせて、こうした役もできるというのを見せたいとも思いました。日頃はキャロル・アルボやステファン・ファヴォランが私の相談役ですが、この自由曲は自分で選びました。果たして良いチョイスだったかどうか・・。
コンクール「ラ・バヤデール」
photo/Sébastien Mathé
コンクール「ラ・バヤデール」
photo/Sébastien Mathé
Q:その前、2011年のコンクールでは何を選びましたか。
A:これは私にとって2度目のコンクールで、『ディアナとアクテオン』を踊ってコリフェにあがりました。これも挑戦でしたね。簡単ではなかったけれど、上手く行きました。私、挑戦するのが好き。今後は少し方向を変えて、もう少し演技が要求されるものを選ぶのがよいだろうと思っています。スジェになったらソリストの役を踊ることになるのですから、テクニックだけでなく、こうした面もみせなければと思うので。
Q:入団した2009年から今に至るまで、一番舞台で楽しめたのはどの作品ですか。
A:ピナ・バウシュの『春の祭典』! これは舞台上の土の効果や45分間ノンストプで舞台に立ちっぱなしで・・・信じられないような作品。素晴らしい時間を過ごせました。
Q:クラシック作品では何かありますか。
A:『マノン』です。第二幕で娼婦役、第三幕では港の女役。コール・ド・バレエといっても演じることを要求されて・・・楽しみました。現在は「ローラン・プティ・プログラム」で、『狼』の村娘役と『カルメン』の娼婦役。後者では踊りは大変なのですけど、人物になりきって楽しんでいます。
Q:これまでダンスを辞めたい、オペラ座を去ろう、というようなことを考えたことはありますか。
A:それはないです。でも、疑問を持つことは常にありますよ。あまり自分に自信が持てないせいで、例えば、あまり配役されない時期が続くと、なぜなんだろうとか・・何かしてしまったのだろうか、ディレクションが私を舞台でみてくれてないのだろうか,とか考えてしまって。コンクールの後も、そう。いろいろ考えてしまいます。リハーサルにしても、いつもうまくゆくわけではないので・・・。他のコリフェのほうが多く配役されているように感じることもあって、でも、これは、コリフェの古い順ということもあるのでしょうけれど。
Q:模範としているダンサーはいますか。
A : はい。ずっと以前から、オーレリー・デュポンです。演じることも、コンテンポラリーもクラシックも文句なしのテクニックで、彼女はすべてを見事にこなすダンサーです。 すべてに適応できるカメレオン。そして、ドロテ・ジルベールも。
Q:オペラ座ではないですが、シルヴィ・ギエムはどうですか。
A:ああ、彼女は驚くべきダンサーですね。美しい足と脚。クラシックもコンテンポラリーもこなせす最初の女性ダンサー。その演技も、信じられないほどで彼女はすべてに素晴らしい。
Q:他のカンパニーのバレエ公演を見に行く機会はありますか。
A:機会があれば行くようにしています。昨年は、テアトル・ド・ラ・ヴィルでピナ・バウシュの作品を見ました。振付家で誰が一番好きということはいえませんが、振付が私の身体にフィットする動きであるという点ではピナが一番ですね。彼女と一緒に仕事をする機会に恵まれなかったのが残念です。一番最近見たのは、ダミアン・ジャレットがルーブル美術館で踊ったときに。これ、素晴らしかったですよ。
Q:オペラ座のレパートリーで踊ってみたい役はありますか。
A:たくさんあって・・・『マノン』のマノン役。これは美しいですよね。そして『椿姫』。ちょっと同じタイプですけど。それから・・わからないわ、たくさんありすぎて!
Q:『眠れる森の美女』のような古典大作はどうですか。
A :『ドンキホーテ』のキトリ! この役は、私にすごく向いてると思います。ジゼルも・・。オペラ座のレパートリーは幅が広いので、いろいろなタイプを踊れる機会があるのが素晴らしいですね。
Q:自分の得意とするテクニックや、まだまだと思うことは何でしょう。
A:小さい時からジャンプが得意。とても高く飛ぶことができます。これは1つの私の特質ですね。回転もなんとか・・・。腕、上半身についてはもっともっと仕事をしなければ、と感じています。下半身の動かし方についても・・・。いろいろあるわ。とりわけ視線。私、恥ずかしがりやで、自分に自信が持てないので、どうしても目を下に向けてしまいがち。出来るのに、出来ない、と思い込んでしまう。こういうメンタルな点についても、仕事をする必要がありますね。
Q:そうしたことで専門の先生と面談するなど考えていますか。
A:コンクールのときなどは、メンタル面も含めてキャロル・アルボなどがコーチしてくれます。この間のコンクールでは催眠療法を一度試してみました。これは何度か受ける必要があることなのだけど・・。舞台に上がった時にストレスがないように導いてくれて、上手くゆくわ、と頭の中で思えるようにしてくれるんです。その後、快適感があり、この方法は役立つわ、と思いました。
Q:仕事が忙しい毎日ですが、私生活についてどのように考えていますか。
A:ダンスには確かに時間をたくさんとられますけど、 ボーイフレンドとの暮らしもあり、私生活も大切にしています。いつのことかわからないけれど、子供を持って、家庭を築くことも考えています。出産は仕事にも多くのことをもたらしてくれるでしょうし・・・。
Q:外部でガラ公演に参加することはありますか。
A:アリス・ルナヴァンと一緒に、イタリアでのガラに以前はよく参加しました。「明日のエトワール」といったようなタイトルだったかしら。『ラ・シルフィード』や『ライモンダ』などを踊りました。4月13日にはブリューノ・ブーシェのグループ公演「Incidence Choréographique」に参加します。ジョゼ・マルチネーズの作品とヤン・サイズ振付けの『タイス』を踊ります。後者はアレクサンドル・ガスと二人で踊ることになっています。
Q:オペラ座ではシェルカウイの『ボレロ』の後は、何が待っていますか。
A:『ラ・シルフィード』です。『ボレロ』の公演と並行してリハーサルが始まります。重心を下にしてのコンテンポラリーと、かたや、ポワントで踊るクラシックですから、大変です!
<<10のショート・ショート>>
1. プティ・ペール : マルク・モロー(入団時、彼は第4か第3ディヴィジョンにいた)。
2. プティト・メール : シャルリーヌ・ギゼンダナー(入団時、第1ディヴィジョンにいた)。
3. コレクション : 何もなし。
4. 朝食 : グリーンティーが不可欠。他にはオレンジジュースやタルチーヌ。
5. 舞台に上がる直前の習慣 : リラックスするため、欠伸をする。
6. ダンス以外に考えられる職業 : なし(歯並びが悪かったので、ダンスを始める前は歯医者になりたかった。歯は学校時代に矯正)
7. 自分の性格 : 恥ずかしがりや、他人に寛大、滑稽。
8. 昨日過ごした良い時間 : ローラン・プティ・プロブラム」のゲネプロがあり、『カルメン』の舞台。
9. 今聞いている音楽 : Isaac Delusionというグループのポップエレクトロ。
10. 夢見る旅先 : インド(日本には学校時代に行き、ジャン=ギヨーム・バールの『ペッシェ・ド・ジュネス』を踊った)。
portrait D.R.