オペラ座ダンサー・インタビュー : オーレリア・ベレ

ワールドレポート/パリ

大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
text by Mariko OMURA

Aurélia Bellet オーレリア・ベレ(スジェ)

昨年のコンクールで一席のプルミエール・ダンスーズへの昇級は至らなかったものの、ここのところスジェの女性ダンサーとしては配役に恵まれている。今春、『天井桟敷の人々』ではバレリーナ役で来日。

牡丹の花のような艶やかさ。それでいて幼女のようなイノセンスを感じさせる笑顔。チャーミングな女性である。古典作品のプリンセス役が似合いそうな印象とは裏腹に、彼女はコンテンポラリー作品で強烈なエネルギーを舞台上で放つ。昨年12月はフォーサイスの『イン・ザ・ミドル・サムワット・エレヴェイティッド』のファースト・キャストに選ばれ、シルヴィ・ギエムのパートを踊った。この春の来日時には、スカルラッティの流れるような曲に乗せカール・パケットをパートナーに 、素晴らしい舞台を見せてくれるはずだ。

Q : 昨年はフォーサイスの『イン・ザ・ミドル・サムワット・エレヴェイティッド』で大活躍でしたね。彼の作品を踊ったのは今回が初めてですか。

A : いいえ。最初にフォーサイスを踊ったのは、10年前のことです。入団間もないコリフェの時代で、『イン・ザ・ミドル・サムワット・エレヴェイティッド』のコール・ド・バレエを。それから、『アプロクシメイト・ソナタ』をドロテの代わりに踊ったのよ。その公演では別の夜に同じパートを踊るのがクレールマリ(・オスタ)。2つのパ・ドゥ・ドゥがあって、初めてエトワールと同じ役を踊るという素晴らしいチャンスをきっかけに、私はフォーサイスのスタイルというものに開眼したんです。

Q : フォーサイスの振付けは、自分の身体にしっくりくるという感じがあるのですか。

A : フォーサイスを踊ることで何が素晴らしいか、というと、恐怖がまったくないからなんです。とてもエクストリームですよね。すごいエネルギーが要求されて。これは私が内に秘めてるものに実にぴったりなんです。私には『白鳥の湖』を踊るほうが、ずっと怖いわ(笑)。フォーサイスの振付けは、暴力的なまでに激しくて、他のことなど一瞬たりとも考える余裕がないんですよ。

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photo/Anne Deniau/ Opéra national de Paris

Q : シルヴィ・ギエムのパートを踊ることにプレッシャーがありましたか。

A : この作品はシルヴィ・ギエム、ローラン・イレールがクリエーション・ダンサーですね。今回それをファースト・キャストで踊ることに、確かにすごいプレッシャーを感じました。もともとはエレオノーラ(・アバニャート)が踊ることになっていたのですが、彼女が舞台に立てなくなって。「君がファースト・キャストだよ」とローラン・イレールとエレベーターに乗り合わせた時に伝えられたて、両肩にずしっと来るものがありました。頭の中で、"シルヴィ・ギエム....初日..." という言葉がくるくる回ってしまって(笑)。セカンド・キャストではなく、ファーストなんですもの!! このプレッシャー!!

Q : 結果は上手く行きましたね。

A : ええ、満足しています。すごく快適だったのは、このバレエ、稽古が短期間で進展したんです。残念なのは、まだこれから進歩ができるという先の可能性が感じらるというときに、公演が終了したことです。再演に参加できたら、うれしいでしょうね。もっとこの作品を追求できる、って感じていますから。

Q : クラシック作品よりコンテンポラリーに配されることのほうが多いですか。

A : ええ。ブリジット(・ルフェーヴル芸術監督)がコンテンポラリー作品を踊る私を見て、よりこちらへと導いてくれたのではないかと思います。マッツ・エック、キリアン、トリシャ・ブラウンなどのオーディションを受けるチャンスが与えられ、その度に選ばれるんです。これって、すごい幸運なことですよね。オペラ座バレエ団はクラシックもコンテンポラリーも素晴らしいレパートリーを持っていて、その両方に配されるのですから。

Q : コンテンポラリー作品では特に誰の振付が好きですか。

A: コンテンポラリーと一口でいっても、いろいろなスタイルがありますね。キリアン、フォーサイスはアカデミックに近いものがありますけど、マッツ・エックとなるとまったく別のスタイル。プレルジョカージュはまたさらに別のコンテンポラリー。私によりフィットするのは、アカデミック・コンテンポラリーだと思います。

Q : 今は何を稽古中ですか。

A : 3月6日に開催される「ヌレエフ・ガラ」の『ラ・バイヤデール』で、私がオンブルの先頭なんです。一番最初に舞台に登場し、作品を開くという大切な役割を背負っています。アラベスクが42回! この間の『ラ・バイヤデール』では第三オンブルに配されていて、コール・ド・バレエは久しぶりです。これはチャレンジですね。ラインのトップにいるということを見せる、その任にふさわしくありたいと思っています。

Q : その後が『天井桟敷の人々』ですね。

A : はい、名古屋からです。バレリーナ役のファースト・キャストで、カール(・パケット)と踊ります。『天井桟敷の人々』の創作の時、ジョゼは私をナタリー役に考えたんですよ。彼、私にナタリーを見いだしているそうです。それでオペラ座での再演の時に、ナタリー役を踊ることになっていたのですが、最終的にクレールマリ(・オスタ)が演ることになり、私はバレリーナ役となりました。私が踊る部分って、ちょっとしたショーのよう。舞台の大空間を使って、 スカルレッティの音楽にのせ、生き生きとした楽しい振付で踊ります。自由で流れるような感じの振付けで、バランシン・タッチのクラシック・ダンスですね。昨年ロビンスの『アザー・ダンシーズ』でヴァイオレット色を踊ったときにも、こうした感じの振付を楽しめました。この時にオペラ座内で見てくれた人たちから、こうしたタイプの踊りにすごく似合ってるって、たくさんお褒めのことばをもらったんですよ。以前、マニュエル・ルグリからも、私にアメリカのダンサーのスタイルを見いだす、と言われたことがあります。バランシンやロビンスといった・・。

Q : ここのところ配役に恵まれている、という意識がありますか。

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Photo Sébastien Mathé / Opéra national de Paris

A : ええ。1年半前くらいからかしら。『マノン』、ロビンスの『アザーダンシーズ』、『ラ・バイヤデール』・・。

Q :『マノン』の愛人役では演技が要求されましたね。

A : これはフォーサイスとはまったく違って、女優の才能をみせる必要がありました。こうしたことも好きですね。 昨夏のアメリカツアーでは、ワシントンでミルタ役も踊る機会があって・・。物語のない純粋なクラシック作品を踊るほうが、ずっと難しい。ステップで人物を語るのは、興味深いことですね。

Q : 前回のスジェからプルミエール・ダンスーズへのコンクールは一席しかないところ、第3席という結果でしたね。

A : 昇級を狙ったのですから、もちろん結果には満足していません。第三席めというのは確かに悪くないけれど、2席、3席、4席・・私にはどれも同じこと。 狙ったのはプルミエール・ダンスーズのポストですから。でも大切なことは、コンクールで踊り終わったときに自分のしたことに満足することだと思ってるの。私にはそちらのほうが大切。私、自分がみせた『バクチ』にはとても満足しています。結果は・・大切じゃないわ。

Q : 自由課題に『バクチ』を選んだのはなぜですか。

A : これは他のダンサーが踊ったのを見て以来、いつか自分も踊ってみたいと思っていたの。 この作品は踊りで人間の個性を見せる作品なので、簡単ではありません。動物的な面も見せ、とてもセクシュアルなダンス。そのためには身体、頭、それに自分への確信も必要とされます。 赤いアカデミックタイツという衣装で、トゥで立って身体を傾がせ・・公演ならともかく、コンクールの短い時間で会場に熱気をおこさねばならない。自分は強い! と感じないと踊れません。でも、この間のコンクールでは、それまで自分が舞台で見せたものの経験から、それをより開拓し、プッシュし、これを踊ってみたい、そしてコレを踊る素地ができているって思ったんです。コンクールのダンサーの群れの中に埋もれたくなかったこともあります。ただ、よかった、というのではなく、「おや、オーレリアったら、けっこうな個性の持ち主なのね。驚かせてくれるじゃない」というような反応を得たかったんです。実は二年前に、クレールマリ(・オスタ)から、この作品に私が向いている、って言われていて・・・。でも、そのときは、私はまだ準備できていないって答えました。彼女のこのアイディアが私の頭の中で徐々に膨らんでいったと言えますね。

Q : 彼女とは良い関係だったのですね。

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photo/Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris

A : ええ、楽屋がずっと隣りあわせで、彼女からたくさんのアドヴァイスを貰えました。とても多くのことを彼女から学びましたね。2年前のコンクールで『ノートルダム・ド・パリ』のエスメラルダを選んだ時も、彼女と稽古しました。これでスジェに上がったんですよ。


Q : いつバレエ団に入団したのですか。

A: 1997年です。入団の最初の年はコンクールに参加できませんね。2回目のコンクールでコリフェにあがりました。その後、コリフェからスジェの間がけっこう長かですね。というのも、スジェにずっと空席がなかったので。ドロテがスジェにあがった年、一席しかなくって私は第二席めで。その後、空席がなかったり、私が怪我をしたり・・。

Q : ダンスはどのように始めたのですか。

A : 子供時代、4年間アメリカで暮らしていました。6歳の時に半年のダンス入門クラスに入ったんです。他の生徒はアメリカ人で、もちろん先生もアメリカ人。白いレオタードに白いスカートというウエア・・・ アメリカからフランスに戻ってダンスを再び始めたのは、10歳になってから、とけっこう遅いの。パリ郊外でオペラ座のエトワールだったシモーヌ・クルテウーの学校で習い始めたところ、彼女が私のことを「こうした生徒は私の学校で10年に一人しかみつけられないのよ」と母に言い、そして「もしオーレリアが本当にダンスを好きなのなら、オペラ座の学校を試すのがいいわ」って。それで、母は私にダンスについてオペラ座のことや、いろいろ話をしてくれたり、本も買ってきてくれて・・・。私? オペラ座の学校を受けることは、もちろんよ!って。

Q : アメリカで始めた時に、ダンスをすぐに好きになったのですか。

A : 好きだったけど、たった半年という短い期間しかやってなくって、それからフランスに引っ越したりで・・。10歳でレッスンを再開した時も、まだバレエを舞台をビデオでも見たことがなかったんですよ。だからダンスが何かってわかっていず、先生に見いだされたという感じで・・・。アメリカ時代の写真を今見返すと、その当時はわかっていなかったけれど、姿勢、身のこなしという外観の点で、私がその中で誰よりもバレリーナだってことがわかるの。でも、私も母も、それに先生もそれはわかっていなかったのね。

Q : フランスでレッスンを再開したのは、よくあるように水曜の放課後の活動としてという程度だったのですか。

A : そうなんです。私、音楽にのせてよく自宅で踊っていたんです。バトンやリボンなど新体操をテレビで見ては真似していたのよ。

Q : 新体操をやってみたいとは両親にいわなかったのですね。

A : 私自分から何かを主張するタイプの子供じゃなかったので・・。母がダンス好きだったの。クルテウー先生からオペラ座の話があった時、もしダンスが好きなら年齢的に今しかないってことになって、突然、毎週5回のレッスンに通うことになったんです。本当に好きなのかどうか。もし週に5回もダンスのレッスンに行きたくない、というのなら、ダンスが好きじゃないということでしょう。で、その結果、レッスンを受けるほど欲が湧いて、ますますダンスが好きになっていったの。

Q : 身体を動かすこと、それともチャレンジすることが気に入ったのですか。

A : チャレンジが占める部分が大きいですね。私、小さいときからクラスのベストでいたいという気持ちがありました。

Q : そうしてオペラ座のバレエ学校にはすぐに入ったのですね。

A : いえ、それが違うの。私、身体が小さ過ぎたんです。体重身長を量っただけで、おしまい。1センチ、足りないというので、さようなら、となってしまって・・。

Q : では2年目にやっと入学ですね。

A : それが2年目もだめだったの! 身体的にはぎりぎりで大丈夫だったのに、今回はレヴェルの高さが足りない、ということで。 1年間週5回のレッスンを続け、コンクールに参加したりと準備したのだけれど、記憶のテストで動きがとても速くって、私、覚えられなかったんです。それは私のバレエ学校のレヴェルが十分ではないのだ、といことになり、 パリのコンセルヴァトワールに入りました。ここでは午前が学校の勉強をして、午後がダンス。それで1993年、やっと3度目のトライで入学できました。その前の年まで年齢制限は12歳。私がとても幸運だったのは、13歳の子供をとってみようという年にあたったことね。私が入った翌年、また年齢制限が12歳に戻ったんですから。入学して最初の年は第四ディヴィジョンの研修生。それから第三、第二、第一と4年間学校で過ごしました。

Q : 寮生活ですか。

A : ええ、でも、 1994年に法律が変わって、公立学校では通学できる生徒は通学するようにと。それで学校中で10名の生徒が毎晩自宅に帰ることになりました。私の両親はナンテールの学校から、そう遠くない場所に住んでいたんです。

Q :1年の寮生活は辛いかったですか。

A : ええ。私はとてもママっ子だったので、寮では泣いていました。同じ年齢の子供たちと一緒に遊んでというのは、一人じゃないこともあって、楽しかったけれど。でも、やはり自宅からの通学のほうが弟とも一緒だし、ずっと楽しいことでした。

Q : 学校時代の一番の思いでは何ですか。

A:日本ツアー! 1994年だったかしら、『ダフネとクロエ』を大阪、東京などで踊ったの。素晴らしい思い出です。まだ子供なのに自分の通っている学校が日本に迎え入れられて・・・。オペラ座のバレエ学校の生徒であることが、もう誇らしくて誇らしくて・・。自分たちは幸運だ、ダンスのエリートに属する子供たちなんだと、この機会につくづく感じました。

Q : オペラ座という名前が意味するものを、いつごろ理解しましたか。

A : すぐによ。だから、身体が小さいからってオペラ座の学校に入学できなかったときに、泣いて泣いて・・・。「ママ、どうしても私はこの学校に行きたいの」って。その翌年、オペラ座の学校の研修にきていたビアリッツの子供が週末は私のうちに泊まっていたんです。家に帰るには遠いので。それで週末になると、1歳上のその子を質問攻めにしていたのよ。「私、どうしてもこの学校に入りたいの。教えて、どんな風なの」って。で、彼女の話を聞くたびに、ますますオペラ座のバレエ学校に入りたい、って思うようになりました。

Q : 身体が小さすぎるという結果に対して、何かしましたか。

A : 食事にはとても気をつけましたし、成長ホルモンの専門医に会ったり・・。それから、シニョンを結うことに備えて、立ち過ぎの耳を整形しました。私はしていないけど、鼻の手術や胸を小さくしたりといった手術を受けている子供は少なくないですよ。入学までの3年間、こうした面でも準備をしたんです。

Q : いつ頃、バレエ作品を見始めましたか。

A : オペラ座のプルミエール・ダンスーズで学校で15年くらい教えてたジャニーヌ・ギトンに、入学前の週末にコーチしてもらっていました。彼女が私をビデオで撮って、それを見ながら私は悪いところを直して・・・というように。自宅にテレビがなかったので、彼女のところでバレエ作品をいろいろ見せてもらいました。ギエムの『ルナ』や、カリーヌ・アヴェルティの『チャイコフスキー・パ・ドゥ・ドゥ』・・・

Q : 幼い時に見た作品は、いつか踊りたいと思うものですか。

A : ええ、もちろんよ。

Q : オペラ座のレパートリーでは何を踊りたいと思っていますか。

A : 踊りたかった『イン・ザ・ミドル・サムワット・エレヴェイティッド』、『ジゼル』のミルタは昨年夢が叶いました。ぜひ、と思っているのはローラン・プティの『若者と死』です。私、強いパーソナリティの女性役に興味があるんです。彼の作品はまだコール・ド・バレエでしか踊っていないけれど、コンクールではプティの作品を選んでいます。『カルメン』もそう。彼が描いた女性役は、どれも踊ってみたいわ。

Q :プリンセス役は夢見ないのですね。

A : いいえ。私、その世界に浸ってないせいでしょうね。『白鳥の湖』『ラ・バヤデール』など、それほど踊ってないので・・。コンテンポラリー作品のほうが、より嗜好にあっています。いかに自分が育てられたかに、よるのでしょうね。 コール・ドでクラシック作品をたくさん踊っているダンサーはプリンセス役を夢見るかもしれないけれど、私はコンテンポラリー作品の方により自分を投影しやすいんです。

Q : 来シーズンのプログラムが発表されましたね。

A : ええ。私、何といっても『ダンシーズ・アット・ザ・ギャザリング』をまた踊りたいわ。ヴァイオレット役が一番個性があるけど、グリーン役のパ・ドゥ・ドゥも興味あるわ。『水晶宮』も『優しい嘘』も踊りたいし、来シーズンは踊りたい作品ばかりよ。『眠れる森の美女』以外だけど(笑)。『椿姫』。このマルグリット役は、エトワールにとっては素晴らしい贈り物よね。いつか私も! と夢見ています。『オネーギン』、『ル・パルク』もいつか絶対にヒロインを踊りたいわ。もちろん『ノートル・ダム・ド・パリ』のエスメラルダもよ。『フォールリヴァーの伝説』。これを踊る自分の姿が、私には見えるの。入団して初期の頃に舞台裏から見たバレエの1つで、どことなく舞台劇のような作品でとても好き。クロチルド・バイエが踊った意地悪女の役をぜひ、と狙っているの。私、こういった面の仕事をしてみたいから。だから『シルフィード』もエフィ役に興味があるわ。ミルピエがクリエートする『ダフネとクロエ』。これにも配役されたら、うれしいでしょうね。

Q : ミルピエの作品はすでに踊ったことがありますか。

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photo/Sonia Sieff

A : ええ。 彼が映画『ブラック・スワン』で忙しかった時に、『アモヴェオ』の再創作があったんです。彼がパリに来る時間がないというので、マルク(・モロー)とオードリック(・ベザール)と私の3名がアメリカに出向くことになりました。向こうで2週間近く、毎日3時間、彼と仕事をしたんですよ。彼のカンパニーの団員と一緒に。彼とは良い関係にあるので、また一緒に仕事ができたらと思っています。

Q : 毎シーズン、たくさんの喜びが待っているといえますね。

A : そうなんです。踊りたいという欲求、喜びがかきたてられて・・・それがこの仕事の良いところですね。

Q : 厳しい仕事ながら続けているのはそれゆえですか。

A そう。ああ、次は新しい役に挑戦できるのだわ・・・って。一種、ダンスのセラピーともいえるかしら。物を書くことがセラピーになるように、私にはダンスがそうなの。得た役から、自分という人間を見つめ直し、自分はどんな人間か考え、その役を経由して自分の何をとりだすことができるのか、といったような・・・。私、役を得るほど、私生活にも充実感が得られの 。毎回、挑戦が待ってるので。これってクレールマリ(・オスタ)がとても良い例でしょうね。定年の42歳まで、彼女はとても幸せだって、傍目にも感じられたでしょう。開花しきって・・。彼女もこうした心理面での仕事をたくさんしていたのよ。 

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photo/Anne Deniau

Q :クレールマリを始め、キャリアの途中で出産する女性ダンサーが少なくないですね。妊娠によって仕事を中断するのは怖いですか。

A : ええ。私は、怖いわ。なぜかというと、目下私は自分のキャリアの中で、最も快適な時期にあるから。役が得られ、それによって発見もたくさんあって、自分が日々進歩してると感じられている時期にあるので。、いったいいつが出産のベストかというのは、今の私にはとても大きな問題。あまり役にもつかず、という時期だったら、子供をつくるのもいいかしら、と思ったでしょうけれど・・・。子供については、この夏に結婚するフィアンセと話し合ったことがあるの。 その当時彼は仕事でロンドンに暮らしていて、私もロイヤル・バレエに移ってロンドンに行こうかしらという時期で。でも彼、私と出会ってダンスを知ってから、私がプルミエール・ダンスーズになるのを夢見るようになったんです。面白いことに、彼が私の人生に出現したのをきっかけに、私、役につくようになって・・・。彼との出会いでポジティブなエネルギーを得ることができて、再生したという感じかしら。それをオペラ座の上層部は感じたんでしょうね。彼は私のキャリアを優先して考えるようになったの。つまり、この仕事は寿命が短いのだから、子供は私のキャリアに応じて考えてゆこうということに。

Q : 仕事に喜びを見いだせない時期もあったのですか。

A : 私、この仕事の喜びを見いだしたのが遅いといえますね。こういうダンサーもいるんですよ。私、ひどく上がってしまう質だったの。 とても恐がりで、自分を過小評価しがちで、「ああ、これ、とても踊れないわ」って・・・実際は踊れるのにね。頭の中で、ことを複雑にしてしまっていたの。それで先生について克服する仕事をしたところ、とても良い結果となりました。それまで、怖くなることが怖かったの。今は、怖くなることが怖くなくなったんです。怖いと感じたら、それはノーマルよって思えるようになって。 何かから解放されたのね、きっと。上がることはダンスの世界ではつきもの。それをコントロールできたら、その後には、信じられないほど大きな満足を感じられるのよ。会場の拍手を聞くと、ああ、私やったわ! という大きな喜び! コンクールもそうね。毎回踊った後、これほどの恐怖にも関わらず、私はやったんだわ! って言えるの。

Q : ガラなどに参加することもありますか。

A : ええ、たくさん参加していますよ。以前はサミュエル(・ミュレーズ)のグループでも踊りました。今はブリューノ(・ブーシェ)やカール(・パケット)のグループで。2週間後にはジャン=ギヨーム(・バール)のグループ公演が、ボルドーのベジエであります。彼のクリエーションのパ・ド・ドゥをピエール・アルチュール(・ラヴォー)と踊るのよ。彼は息が合う相手です。過去のガラでは『ドン・キホーテ』の踊り子を彼と踊っていますし・・。このパ・ド・ドゥはもともとロパトキナに振付けられたものなんです。でも、彼女たちが出来ないので、ジャン=ギヨームが私に踊らないかって、提案してくれました。

Q : プルミエール・ダンスーズ、エトワールといったタイトルに重要性を見いだしますか。

A : デルフィーヌ(・ムッサン)がこういったのよ。「オーレリア、あなたは私たちにとってはプルミエール・ダンスーズよ。タイトルなんて意味がないわ。大切なのは好きな役につけることよ」って。そうでしょう。こう考えなければね。今、私は本当に恵まれているんです。同じスジェでも役が得られない人もいるのですから。

<<10のショートショート>>
1. プティ・ペール : ニコラ・ポール
2 . プティト・メール : エリザベット・プラテル
3. コレクション : すっきりした空間が好きなので、コレクションはしていない(ただし、シャネル、バレンシアガといったバッグ、料理本以外)。
4. 昨日の幸せな時間 : アパルトマンのインテリアの改装について、昨夜、母と壁の色などいろいろ話し合ったこと。
5. 舞台に出る直前に必ずすること : 舞台に出る時間から逆算して、ウォーミングアップの時間、コスチュームをつける時間を公演中同じリズムで進める。10年前に亡くなったダンスが好きだった祖母のことを思う。
6. 夢の旅先 : 来年1月のハネムーン先を、ザンジバールの海岸&サファリにするか、ポリネジアにするか迷っている。
7. 朝食に不可欠な品 : 最近、グルテン、ミルクを止めた。ビオのブティックで買うキノワ、米をベースにしたシリアル、ライスミルク。長い1日の朝は、卵でプロテインをとる。
8. ダンサー以外に考えられる職業 : オペラ歌手、あるいは写真家も含めモード関係など。
9. 趣味 : 料理(健康のためではなく、美味しいワインを揃え、ゲストと良い時間をすごすための料理)。
10 : 日本の最高の思い出 : 2005年に名古屋で開催された愛知万博で、カールソンの『シーニュ』を踊ったこと。

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