オペラ座ダンサー・インタビュー:ヴァランティーヌ・コラサント

ワールドレポート/パリ

大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
text by Mariko OMURA

Valentine Colasante ヴァランティーヌ・コラサント
(スジェ。2013年1月よりプルミエール・ダンスーズ)

11月の昇級コンクールで、プルミエール・ダンスーズのポストを獲得。入団6年目の23歳という、とても若いダンサーだ。

活きのいい話しっぷり、溢れるエネルギー・・・。パワフルという点ではフランソワ・アリュに劣らない印象を受ける。 彼女も彼同様、イタリア人の血が流れているというのが面白い。今月は3日からガルニエ宮で始まった 「フォーサイス/ブラウンの夕べ」において、彼女は第一配役で『イン・ザ・ミドル・サムワット・エレヴェイティッド』を踊っている。確かな技術で堂々と踊る新生プルミエール・ダンスーズに、観客は拍手を惜しまない。

Q:コンクールでの昇級決定、おめでとうございます。それ以降、何が一番大きく変わりましたか。

A:私のほうは特に変化というのはありません。でも、周囲の人々の私を見る視線が変わったと感じ、その彼らの視線によって、自分に何か変化があったのだということを実感します。以前より多くの視線が私に向かっていて、さらに、どんな風にコンクールの準備をしたの、というような質問も多く受けます。こうした小さなあれこれに、人々の頭の中に私についての変化があり、自分がプルミエール・ダンスーズに昇級したのだと実感できるのです。とにかく、このコンクールのためにたくさん練習をし、コンクールの後はフォーサイスのリハーサルが続いて、と、この歓びをじっくり味わう時間がまだあまりないというのが現実なんです。

Q :オペラ座内での具体的な変化の例は何でしょう。

A:例えばもうコール・ド・バレエは踊りませんね。そして、一人の楽屋をもらえるんです。じっくりと役作りの場が得られるのは、うれしいですね。

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Photo Sébastien Mathé /
Opéra national de Paris

Q:コンクールの 結果は個々に伝えられるのですか。どんな気持ちでしたか。

A:感動で大泣きしてしまいました。結果は楽屋のあるフロアーの掲示板に紙が貼られるので、それをみて結果を知ったんです。 コンクールの結果というのは、満足する人より失望する人のほうが多いというデリケートなもの。ですから掲示板の前で待ってるのは避け、オペラ座の中の別の場所で待機していました。貼り出された、という情報があるや、親しい仲間と一緒に結果を見に行きましたが、途中ですれ違う多くのダンサーが私に微笑むんで、紙をみる一瞬前に結果を予測できました。でも、実際に掲示板に自分の名前を見た時、これは 本当に感動的でした。コンクールというのは、もちろん少しは結果を期待はしますよね。そうでなければ、参加の意味がないですから。でも結果を左右する要素はたくさんあって、J-dayに上手く踊らなければならないのはもちろんですけど、年間を通じて良い結果を出し続けてなければならないし、仕事に熱心で・・と、とにかくたくさんの要素があるので、当日の踊りも大切ですが、結果がどう出るか予測がつきません。

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Photo Sébastien Mathé /
Opéra national de Paris

A:自由曲に選んだ『カルメン』の居酒屋のソロを踊り終えた後、今回は昇進できそうなどと、思わなかったのですね。

Q:終わったとき、まるで自分じゃない人間が踊った、というような感じだったんですよ。コンクールに限らず、時々あることなのですが、踊りに集中しきってしまって、ほとんど催眠状態になっていて・・。それは舞台でのストレスに負かされないためなのですが、その結果、自分で自分がしてることがわからなくなってしまう。コンクールで自分の持つすべてを出し切りると、ステージをおりたときはもう空っぽの状態。何も考えられないという状態。すべてが上手くいったことはわかりました。でも審査員や見ている人々をカルメンの世界に連れ込めたかどうかは、わかりませんでした。

A:3幕物のバレエを踊ったという感じですか。

Q:正しく、そんな感じ! コンクールで見せる2つのソロは、どちらも長くありませから、2分ですべてを証明してみせなければならないというのが難しいですね。

コンクールの準備期間って、本当にたいへんなんです。公演に向けての リハーサルと同時なのですから。こちらで100パーセント自分を出しきるのはもちろん、自分の出番がないリハーサルにも出席して上層部に対して存在を示すことも大切です。コンクールの稽古のためにリハーサル・ルームを確保できるのは、朝の7時や8時、あるいは夜21時とか・・・。参加する誰もがこうした辛い時期をコンクールの当日まで続けたのです。だからこそ掲示板の前で結果を待つ、ということを避けたのです。

A:コンクールの練習は誰がコーチしてくれましたか。

Q:『カルメン』はジャン=ギヨーム・バールと稽古をしました。実演はキャロル・アルボが見せてくれました。彼女はローラン・プティがこの踊りに望んだことというのをたくさん話してくれて、それはとても興味深かったですね。課題曲の『白鳥の湖』の第二幕オデットのソロは、エリザベット・プラテルと。彼女はヌレエフの創作に関わってるので、とてもためになる時間をすごしました。彼女はずっと私のキャリアを見守ってくれていて、とても多くのことを彼女から教わっています。可能な限り全てを与えてくれて、すごく寛大な人です。

A :コンルールの時期は、肉体的だけでなく、精神的にも厳しいのですね。

Q:そうです。朝から晩までオペラ座内で過ごし、仕事、仕事、仕事・・・。J-dayに向けて、ストレスの管理も必要です。どれだけ頑張って稽古を重ねても、肝心の当日、ストレスにやられてしまう、ということもありえるのですから。当日自分のすることに自信を持てるよう、私はメンタルの面でも仕事をしました。

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Photo Sébastien Mathé /
Opéra national de Paris

周囲のいうことに気を取られないようにし、一直線を前進あるのみで、後退のないようにと。少しづつ、毎日前進する。役を得たときもそうですが、何でも最初から上手く行くものではないですよね。身体の疲労を考え、例えばオフの日はちゃんと休養し、身体を休めました。仕事のプログラムを知性を持って作りました。疲れを感じたら、身体の上半身だけの仕事に集中。 コンクールの2週間前は、たとえ疲れていても、たとえ完璧でなくても最後まで通しで踊って見る、というように。コンクールでも役についた時でもそうですが、何が起ころうとも常に身体が反応をするように、知性と粘り強さをもって準備します。準備万端なら、何かが起きてもそれまでの仕事は舞台の上で人々の眼に見えることなんです。

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Photo Sébastien Mathé
Opéra national de Paris

A:そうしたプログラムは自分で作るのですね。

Q:そうです。ダンサー各自が自分の身体の疲労度に応じて作ります。オペラ座の仕事はオペラ座が管理しますが、コンクールはパーソナルな管理となるのです。こうしたこともダンサーの仕事の一部なんですよ。自分の身体の管理。 身体は仕事の道具ですからね。

A: 話が戻りますが、『カルメン』から居酒屋のソロを選んだのはなぜですか。

Q: バレエ学校時代、コンクールを見に来るのが大好きで、見る度、いつか自分もコンクールに参加したいって、夢見ていました。このソロは以前から選びたいとは思ってましたが 、"ヴァランティーヌ、まだこれにはお前は若すぎるよ、これには成熟度が足りないでしょう" と自分でも思って。で、今年、これを選ぶことが当然に感じられたのです。今年はこれを踊れる力がある、こう感じたのです。人間的にも自分は成長し、この役を踊れる、って。カルメンの役は多くを表現することがあり、いつかオペラ座で踊りたいと願っている役です。 この居酒屋のソロは、年月をかけて私の中で膨らんでいった踊りといえます。私のパーソナリティ、利点、欠点を含め、私なりのカルメンを踊りました。良いクオリティで、欠点を可能なかぎり消すようにしました。

A:良いクオリティというのは何ですか。

Q:エネルギーです。仕事をすることを恐れないということ。仕事する意欲。私、粘り強いタイプなんです。自分で納得できなければ、たとえそれが2分間のソロでも、スタジオで4時間だって稽古を続けられます。完璧であることを求めていますから、自分がしていることに滅多に満足できない質なんです。

A:欠点は何だと思っていますか。

Q:パーフェクショニストであること。学校時代、アンドゥオールの柔軟性に問題があり、本当にたくさんたくさん練習をしました。 それが私の大きな問題だったからです。最初のコンクールのときに、ストレスのコントロールが上手くできず、長いことこれも私の問題でした。でも、今は解決できました。キャリアのデビューにおいて、コンクールだけでなく、舞台でも年間の仕事を通じて課せられる負担を受け止めることは難しく、それで長いことかかりました。今はストレスをポジティブなエネルギーに変えられるようになりました。みんな同じだと思うのですが、ストレスがあるのは舞台に上がるまでのこと。一旦、舞台に上がってしまえば、ストレスも身体の痛み、それにコーチから受けたコレクションなどすべて消えてしまって、その状態で踊るのです。昨日は「フォーサイス/ブラウンの夕べ」の初日でしたけど、カーテンコールのときに突然眼がさめて、ああ、もう終わったんだ、って。毎回こんな感じ。そして、それと同時に翌日の舞台へと心はすでに飛んでいます。今日はオフですが、もし公演があったら、昨日と同じ喜びを抱えて舞台にあがれたでしょうね。

A:フォーサイスではこれまで以上に舞台上であなたの活躍ぶりががみられますね。

Q:昨年から舞台数が増えているんですよ。私、入団してからスジェにあがるまでが早かったんです。入団したのは2006年で17歳でした。最初の年はコンクールに参加できませんが、3年後にコンクールでコリフェにあがり、その翌年にスジェにあがりました。これが2年前ですね。スジェ1年目はそれほどではありませんでしたが、スジェ2年目には役がつくようになりました。『ラ・バイヤデール』でオンブルを踊り、そし昨夏のアメリカ・ツアーでは『白の組曲』でパ・ド・サンクを踊っています。これはオペラ座から私へ与えられた最初のチャレンジですね。

A:ネオクラシックとクラシックのどちらかが特に好きということがありますか。

Q:今月はネオクラシックを踊っていますが、昨年まではクラシック作品しか踊ってなかったんですよ。 古典大作の主役はいつかぜひ踊りたいって思っていますが、フォーサイスのようなコレオグラファーと共に仕事をすることも、たいへん有益ですね。世界の偉大な振付家が出向いてくれて一緒に仕事できるというのは、オペラ座の特権ですね。私、 面白いことに今回のフォーサイスでクラシック作品のための多くのことを学べたんですよ。例えば手の動き。彼は手による表現にとても大きな重きをおきますが、クラシックでは身体の上半身やテクニックに重きをおきがちなので、彼の教えは今後クラシックを踊るときに役立つでしょう。それからエネルギー管理についても学びました。私はいつも自分の可能な限りを尽くしてしまいがちなタイプ。でもエネルギーの貯蓄をしないとフォーサイス作品は最後まで踊れません。これも今後に役立つことですね。いずれにしても、今の時代のダンサーというのは、あらゆることができるベきだと私は思うので、クラシック、ネオクラシックというレッテルは貼られたくありません。

A:誰かの振付けが特に身体に快適というようなことはないのですね。

Q:今は、少しづつ学んでいるという状態です。クラシック、ネオクラシック、それにコンテンポラリーも。例えば『レイン』のような作品ですね。私、今シーズンはマース・カニンガムの作品にも配役されました。人は私がこれまであまり配役されてないといいますけど、私なりのコースを辿っているといえます。今回コンクールで 結果を出したことで、私というダンサーをあまり知らないという人々もこれからは見に来てくれたら、と期待しています。

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Photo Agathe Poupeney / Opéra national de Paris

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Photo Agathe Poupeney / Opéra national de Paris

A:既に昨日の初日にでそれが感じられませんでしたか。

Q:ええ確かに感じました。とにかく今は学んでいる最中。与えられるものから、何もかも吸収しようと思っています。なぜって、時間はどんどん過ぎてゆくでしょう。入団以来、すぐに昇級ができて、そしてすぐにマッツ・エック、キリアンとの仕事があり・・・自分にもたらされた幸運を味わっています。これからも、このように続いていってほしいと願っています。

A:踊ってみたい作品は何ですか。

Q:夢見てるのは『ドン・キホーテ』のキトリ。私が最初にみたバレエ作品で小さな頃からの憧れの役です。それから『白鳥の湖』のオディール/オデット。以前からずっとフォーサイスを踊りたいと思ってましたが、その夢は今叶ったところですね。キリアンの作品はまだ『輝夜姫』だけなので、例えば『小さな死』など、ぜひともキリアンの他の作品も! と願っています。ああ、それからクラシックでは『シンデレラ』の義姉役! これはブルーのほうでもピンクの方でもいいです。私、ユーモアのある役が好き。『天井桟敷の人々』では宿の主のエルミンヌ夫人役を踊っていて、これはすごく楽しめましたね。日頃のチュチュやチュニックという世界から多いにかけ離れてて。この衣装をつけると、まったく別人になれます。女優的才能が必要な役ですね。顔の表情とか喜劇を見て、ずいぶん研究しましたよ。身体の周りに肉襦袢をつけての衣装なので、動きはより大きくし、より派手にしてと・・・・。こうしたあれこれの経験の積み重ねのおかげで、今回のコンクールにむけて成長できたのではないかと思っています。

A:過去のコンクールでは何を自由曲に選んでいますか。

Q:コリフェに上がったコンクールでは、『ノートルダム・ド・パリ』のエスメラルダのソロを踊りました。さっき言い忘れましたが、この作品を踊るのも、夢の1つです。プティの作品はどれも好き。スジェに上がったコンクールでは、『白の組曲』のセレナーデ。これはアカデミックそのもので技術的にたいへんむずかしいものなので、あえて自分にチャレンジを課したのです。まっすぐに立って、テクニックもあります、ということを見せたいと思い、選びました。毎回コンクールが終わるたびに、次に踊りたいかのは何かを考え、頭の隅においておきます。自分がみせたいものを常に選んでいて、今回のカルメンは演じることができる、ということを見せたかったので。これはエスメラルダを踊ったときも同様ですね。

A:惹かれる役柄としては、例えば『ラ・バイヤデール』ではニキヤよりガムゼッティでしょうか。

Q:今のところ、ガムゼッティに近い物を自分の中に感じています。でも、今後成長し、大人になれば、ニキヤを踊れると感じられるかもしれません。今はまだ自分の気質には遠い人物に感じてますけど。

A:17歳で2006年に入団ということは、今、23歳ですか。

Q:ええ、まだ若いんですよ。私、オペラ座のサイトでプルミエール・ダンスーズたちの年齢を見てみました。私の上は31歳です。で、こう思ったんです。経験の長いダンサーたちと一緒に仕事をすることになるのだから、これからますます学べるわ、って。コール・ド・バレエはもうせずに、プルミエール・ダンスーズやエトワールたちとのリハーサルとなるのですからね。私、見ることで多くを学ぶタイプ。観察するんです。だから他の人の公演もよく見ますよ。舞台の上だけでなく、会場の反応なども観察します。また、オフの日でもリハーサルの見学にくることもあります。何が上手くゆくことなのか、何が上手くゆかないことなのか、ということを知ることができます。これまで多くをこうして学びましたので、これからも観察を続けてゆくつもりです。

A:バレエを始めたきっかけを話してください。

Q:託児所でです! 託児所といっても、子供の親同士が預け合うというタイプのですが。私たちを預かった誰かのママがダンススタジオを借りていて、あるダンスカンパニーがそこで稽古をしてるところに、 私たちを連れてったのです。ダンサーの脚にしがみついて、私も同じこと、したい! って言ったんです。そう聞いています。まだ小さい、3歳のときのことです。で、この女性が私の母に「ヴァレンティーヌはダンスにすごく興味があるようだから、バレエ教室に通うといいのでは」と。こうして近所のごく普通のバレエ教室で始めたのですが、すぐに気に入りました。ええ、パリでです。私、両親と共にイタリア人でコラサンテというのが正しい発音ですが、私が生まれる前から彼らはすでにパリに長く暮らしていました。

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Photo Anne Deniau/Opéra national de Paris

そしてこの教室で、「彼女はバレエに才能があるのだから真剣に学ぶのがいいだろう」と先生が言うので、今度は19区のコンセルヴァトワールに入りました。で、「彼女はここでは退屈してるようだから、マックス・ボゾニのところに行くのがいいでしょう」ということになり・・・彼のところで、本格的にバレエを始めたといえますね。7歳でした。8歳半の時に、彼が私の両親に「オペラ座のバレエ学校の試験を受けるべきだ」と言って。

A:オペラ座の存在については知っていたのですね。

Q:はい、母とガルニエに公演を見に来たこともあり、学校のことも知っていました。でも寮生活はいささか不安だし、両親と離れるのもなあ・・と。それでマックス・ボゾニのところで1、2年続け、遂に彼が両親を説得したのです。それでオペラ座の試験をうけて、入学したというわけです。その後もしばらくは、週末だけマックス・ボゾニのところに通っていました。

A:何年間、在学しましたか。

Q:第6ディヴィジョンから始め、17歳で卒業しました。最初の年、クロード・ベッシーが私たち4人の女子生徒を男子クラスに入れたんですよ。入って二年目はまだ9歳半でポワントのレッスンを始めるには小さすぎる、ということで、進級できず。2年目も第6に留まりました。当時はすごく痩せていて、骨も華奢でした。 私、最終の第1ディヴィジョンも2年やっています。第1ディヴィジョンを終えて、入団コンクールを受けたのですが、第5位で落ちてしまいました。 まだ16歳と若く、学校の公演で役にもついてなかったので、プラテル校長が、もう一年やって力をつければいいのよ、って。その年の学校公演ではバランシンを踊りました。そうして、カンパニーに入る準備ができている、と自分でも確信できて。それ以前では早すぎたというわけですね。入団。これは大きな自由の始まりです。両親のもとを離れ、アパート暮らしを始めました。

A:学校の寮生活は辛かったですか。

Q:いいえ、最初の頃は快適でした。同級生とふざけ合い、馬鹿げたこともして楽しんでしました。でも、13〜14歳の頃、両親のもとに戻る必要を感じたので、通学生となりました。 とても良い選択でしたね。というのも、このくらいの年齢になると、問題点がわかってきだして、以前ほど無邪気ではないのです。学校での暮らしが徐々に難しくなってきていて・・・。

A:それはダンスを職業にしようという意識をその頃に持った、ということですね。

Q:そうです。仕事としてダンスをしたい、という欲が湧いてたのがこの年齢なのです。それまでは楽しんでいただけ。13〜14歳の頃に、競争、困難、といったことが見えてきて、両親が必要となったのです。彼らは私を支えてくれて、すごく助けられました。彼らなしには、自分のしたことの4分の1しかできなかったでしょう。もちろん、今も彼らは私の大きな支えですよ。母は若いときにダンスをしていて、それだけにこの仕事の厳しさを知っていて、また寮生活ということもあって、私がオペラ座の学校に行くことに最初は反対だったんです。父は反対に私をプッシュしてくれ、母は最後には私の情熱に負けて・・。今回のコンクールの結果は、もちろん一番最初に報告しました。彼らのほうが私より歓びは大きいでしょうね。というのも、すぐにこの朗報を彼らは実感し、私はいまだにあまり実感できてないのですから。 ママは人生最大の日、と言っていました。

A:この先、もっと大きな歓びの機会もあるのではないですか。

Q:それについては考えないようにしています。まずは与えられた役をこなし、進歩をつづけ、念願叶ってなったプルミエール・ダンサーズとして出来ることを存分に味わおうと思ってます。 3年前に祖母が亡くなったとき、必ずプルミール・ダンスーズになるわ! って彼女に誓ったんです。生前彼女はイタリアの小さな村に住んでいて、孫の私が彼女の自慢の種で、村の商店では誰もが私がオペラ座のダンサーだって知っていて・・・。私の最初のファンが彼女といえますね。確かに私は他の仲間たちに比べて、これまで役をもらってなかったかもしれません。役につく唯一の手段。それは上がることです。それで、私はこれまでにもらった役を全力投球できっちりこなし、確実な力をつけてこの地位への準備をしました。でもプルミールに今年上がれるとは、実は思ってなかったんです。上層部が私を信頼してくれたんですね。これから徐々にいろいろと私に任せてくれることを期待しています。一方、エトワールという階級は、ダンサー自身ではなく、もっと別の要素がいろいろ関わってるものです。コンクールではなく上層部が決定することなので、エトワールという階級は、なんというか手で掴めない、別の次元のものというような感じ。

A:エトワールの中で、模範としている人はいますか。

Q:各自それぞれ個性があり、天才のちょっとした種をもっていて、偉大なアーチストです。誰かが誰かより優れているというようなことはなく、各人がダイヤモンドです。そうしたことがオペラ座の素晴らしさを生むのでしょう。信じられないダンサーばかりゆえに、クラッシック作品もあればコンテンポラリーもというプログラムが組めるのだと思います。毎朝クラスレッスンで、 眼の前に 素晴らしい例を見られるのですから最高ですね。素晴らしい彼らたちの例をこうして見ることで、私たち毎日これほど頑張れるのでしょう。彼らからすごくインスパイアーされます。私、彼らをすごく観察し、コピーもします。ギレーヌ・テスマーが「この仕事は盗み合うもの」と言ったのですが、見て学ぶことが多いのですから当たってますね。

A:外部でのガラの予定はありますか。

Q:オペラ座で忙しくって、ここのところ断っています。ここでの仕事が第一。でも、コール・ド・バレエ時代にガラに参加するのは、学ぶことがあっていいことだと思います。ソリストの役を踊れたり、舞台経験を増やし、将来への準備ができますから。2013年の夏のブエノスアイレスのガラには、参加するつもりでいます。黒鳥のパ・ド・ドゥを踊るのですが、パートナーは変更の可能があるので今は名前が出せません。

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Photo Anne Deniau/
Opéra national de Paris

A:過去のガラでは誰と踊っていますか。

Q:『ラ・バイヤデール』のガムゼッティを踊った時は、カール・パケットがパートナーでした。エスメラルダも彼と踊っています。他にはファビアン・レヴィヨン、ヤニック・ビタンクールが踊り慣れたパートナーですね。私は入団してから一度も怪我をしていず、この幸運が続くように願っています。それなので怪我を避けるべく、オペラ座の仕事にあわせてガラの提案を受けたり、断ったり・・・・。

A:12月のフォーサイスの後、来年の舞台の予定は決まっていますか。

[Q:キリアンの『輝夜姫』があります。その後はまだ何も。「ローラン・プティの夕べ」かしら、と思ったのですが、今のところ何もオフィシャルな決定はありません。『カルメン』はまだ若いので配役されないかもしれませんが、他の何かを踊りたいですね。あ、『天井桟敷の人々』の日本公演の参加が決まっています。エルミンヌ夫人役・・ひょっとするとダンサーの役かしら。これも未定。日本には、2010年のツアーで行っています。

日本の人々の優しさに、感動しました。日本ほど私たちに温かい拍手を送ってくれる観客はいませんね。私、ちょこちょこした品が好きなので、公演の後に贈られた小さな人形やキーホルダー、鉛筆とかを楽屋に飾っています。

A:ダンスを止めようなどと思ったことはないわけですね。

Q:一度としてないです。冗談でしょう!(笑)ここでまだまだ素晴らしいことがたくさん待ってるのですから。仕事をしたいと夢見ている振付家もいるのですし、そんなことは考えたこともありません。

A :もしダンサーでなかったら、何をしていたと思いますか。

Q:小児科医、あるいは弁護士かしら。私は勉強するのが好きで、入団してから通信教育でバカロレア(大学入学資格)を取りました。最初の年はコール・ド・バレエの仕事もあって、とてもたいへんでした。それだけ受かったことがとても自慢なんです。バカロレアがあれば、万が一何か不運なことがあって踊れなくなっても、いつでも大学で学べます。今、勉強する時間がないということが不満なのですが、なんでもかんでもしたいことができるわけではないので・・・。考えるのは早すぎるのですが、引退後の転職はダンス関係ではなく、まったく別のことをしようと思っています。もっとも、まだ先のことなのでどうなるかはわかりませんが。

A:なぜ踊るのかと聞かれたら、どう答えますか。

Q:小さい頃から舞台の上で踊ることこそが歓びなんです。クラスレッスン、リハーサルは、そのためにせねばならないこと。観客を前に舞台にあがると、観客との間に交わし合うものがあると感じます。魔法の時間ですね。公演ごとに、唯一無二の時間を過ごせたという思いがあります。

<<9つのショート・ショート>>
1. プティト・メール:エレオノーラ・アバニャート(学校が劇場と離れていたので、あまり接触なし)
2. プティ・ペール:いません(プティット・メールを選べといわれたが、プティ・ペールを選べ、とはいわれなかったので)
3. コレクション:何も集めていません。迷信もかつぎません。
4. 朝食メニュー:全粒粉パン(理想はエリック・カイザーのパン)。バターを少し。そしてフルーツ。前夜にフルーツサラダを作ることもします。
5. 自由時間にすること:泳ぐためではなく、身体をほぐすためプールに行きます。読書。映画。
6. 気分転換法:家族(両親、妹、弟)、あるいはパートナーと話したり、時間を過ごしたり。
7. 愛用の香水:頻繁に変えるので決まっていません。どちらかというとフレッシュ系が好みで、一番最近ではカルヴァン・クライン。
8. 舞台に上がる直前に必ずすること:亡くなった祖母が天から見守ってくれてるのが感じられるので、彼女のことを思います。
9. 次のバカンス先:1月に太陽を求めてセネガルへ。ビタミンD療法!

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Portrait DR

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