オペラ座ダンサー・インタビュー:アリステール・マダン

ワールドレポート/パリ

大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
text by Mariko OMURA

Allister Madin アリステール・マダン(スジェ)

6月18日より『リーズの結婚』で3度目のアラン役に挑む。

契約ダンサー時代を含めるとすでにオペラ座でのキャリアが7年になるアリステール。まだ25歳と若く、ステージ上に弾けるようなエネルギーを放ち、ダイナミックできれのよい動きを見せる。今シーズンの『リーズの結婚』ではアラン役を踊るだけでなく、コラース役の代役にも選ばれた彼。公演前の慌ただしい時間ながら、ダンスにも似た勢いの良い口調でダンス、そしてダンス人生について多くを語ってくれた。

Q : あなたにとって今シーズン(2011〜12年)はどんな年といえますか。

A : ジャン・ギヨーム・バール振付の『ラ・スルス(泉)』から始まった、とても良い年だといえますね。この作品ではザエール役(森のエルフ)を踊りました。もともとは代役だったのですが、初日の2週間前にエマニュエル・ティボーが怪我をしてしまい、僕が舞台で踊ることになったんです。代役として稽古はきちんとこなしてあり、準備万端。2回踊る予定だったのが最終的に5回の公演に出ることになり、たいへんな幸運でした。前シーズンでも『ロメオとジュリエット』でマキューシオなどすでにソリストの役をもらえていて、これも良い年だったといえますが、『泉』はそれとはまったく別のレヴェルで、僕にとって大切な仕事となったのです。

pari1205c07.jpg

『ラ・スルス(泉)』
Photo Anne Deniau / Opéra national de Paris

Q :『ラ・スルス(泉)』の後は何の公演がありましたか。

A : つい先日まで『ラ・バヤデール』でファキールとブロンズ・アイドルを踊っていました。まったく異なる役なので、どちらもすごく興味深いものでしたね。ファキールは演技が要求される役柄。滑ったり転げたりしないかという恐れのあるという振付ではなく、マイムをこなすことが大切な役です。ブロンズ・アイドルというのは一種神話的な役柄で誰もが振付を知っていて、期待される役なので、恐ろしい役といえます。 ファキールに比べてテクニック面での要求が高い踊りですし、手のポジションなどアーティスティックな仕事も必要とされます。今回が初めてでしたが、これを踊れたのはうれしかったですね。ただ、この役を踊る日の間があいていたので、毎回その中に入り込むのがちょっとたいへんで・・。もっとも後半は日程の間が狭まり、楽にできるようになり、存分に舞台をエンジョイしました。

Q : 振付がまったく異なる2つの役を1つの公演で踊るのは、身体的にたいへんだったのではないですか。

pari1205c06.jpg

『ラ・バヤデール』より
photo Agathe Poupeney /Opéra national de Paris

A : そうなんです。ファキールは床面での仕事で、ブロンズ・アイドルは逆なので、役間の移行は簡単ではなかったですね。ファキールは脚を折って舞台にでます。腰周辺のすべての筋肉が収縮し、身体が腰のあたりに固まるような感覚がありました。ブロンズ・アイドルは空間の上方へ身体をあげるので、両者はまったく正反対の仕事。それだけに面白かったともいえますけど。

Q : 『マノン』では何の役ですか。

A :物乞いの頭の役なんです。 4月15日の日曜に最後のブロンズ・アイドルを踊って、その次の火曜日には、物乞い頭の汚れたメークと衣装で舞台稽古。これはかなりショックでしたね。稽古する時間があまりとれなかったのですが、うまく行きました。17公演あって、この役を僕は9回演じられるのです。幸運ですよ。それに今回はコール・ド・バレエはせずに、この役だけというのも快適なことです。

Q : 役柄とはいえ、物乞い頭はかなり汚れた舞台姿ですね。

A : ええ、衣装もメークも(笑)。この役もそうですが、ファキール、ブロンズ・アイドル、どれも時間をかけたメークが必要な役が続いています。でも公演の2時間前から準備するおかげで、この変身に入りこむ時間が舞台に出る前にたっぷりとれるというわけです。

鏡の中にいるのは僕であって、でも別人で・・・カメレオンになったようで楽しいですよ。もちろん稽古で徹底的に役作りを進めますが、舞台の上でリハーサルをし、次にメークを衣装をつけて舞台にでて、と徐々に役柄が身に付いてきます。ですから、公演の最初の回と今とでは、毎回ちょっとした発見があるので、すでに役のやりかたが違ってきているんですよ。

Q : 何が舞台の最大の喜びですか。

A : 作品にもよりますが純粋にテクニックを見せるバレエより、演技を必要とされる役のほうがより喜びを得ることができますね。ピルエットやジャンプは簡単とはいいませんが、必要な仕事をしているので問題なくできることで、それは身体を使う仕事。それよりも人物像を求めて演技をするという演劇的な仕事のほうが好きなんです。

Q : コンテンポラリー作品についてはどう思っていますか。

A : 今シーズンはクラシックが続いていて、それはうれしいことではあります 。クラシックは技術的に厳しいものですから、若いときに関節を最大限に活用したいですからね。だからといってモダーンはもっと後で踊れるもの、という意味ではないですよ。コンテンポラリー作品を踊ることも大切。フォーサイスの作品とか、とても好きです。2008年に踊った彼の『アーティファクト』は、素晴らしい経験でした。その後でマクレガーの作品も踊りました。スタイルは異なりますがモダーニティという点では近いものがありますね。機会があれば現代物も踊りたい、って実は最近ディレクターに伝えたところなんです。 フォーサイスやキリアンなど現代のコレオグラファーの作品を。僕、何でも幅広くできるダンサーでありたいんです。

Q : カンパニーの上層部が寄せるあなたへの期待というのをどう感じていますか。

A:2005年から07年の最初の2年間、ぼくは団員ではなく契約ダンサーだったんです。その2年目のシーズンの最後に、『リーズの結婚』のアラン役がもらえました。この役をぼくがどう果たすかによって上層部が僕を団員に迎えるかどうかを決めるわけです。すごいプレッシャーを感じましたが、アランというのは頭のちょっと弱い金持ち息子。たとえダンスの面でまずいことがあっても、こうした役柄ならそれは大ごとにはならない、と。幸い上手くいって、このときに上層部の信頼を得ることができた、と感じました。
入団してからは昇進し、役もついてと徐々に信頼を増していると思っています。今回の『ラ・バヤデール』では2度目のファキールなので、 上層部の期待に答えられるかといった不安はありませんでした。『パキータ』のイニゴ役では、とにかく踊りたいという欲が大きくって、そうした視線は考えませんでした。とはいえ、常にジャッジする人々が見ているということを忘れることはないですが。

pari1205c05.jpg

『ラ・バヤデール』より
Photo Julien Benhamou Opéra national de Paris

今シーズンの『リーズの結婚』では3度目のアラン役に加え、コラースの代役ももらえました。すばらしいサプライズ。新しいこのチャレンジは、すごくうれしいです。ザエール、マキューシオといったエトワールがもらう役をすでに踊ってるものの、実は主役の代役というのは初めてなんです。『リーズの結婚』は、ぼくに幸せをもたらしてくれる作品なんだ、って気がしています。代役ですから、実際に舞台で踊れるかどうかはわかりませんが・・・。雄鶏の踊りから始まり、あらゆく役をやっています。舞台に馬を引いてゆく役まで(笑)。踊ってないのは、リーズの母親役と公証人役だけですね。

Q : アラン役で踊っていたとき、コラース役についてはどう見ていましたか。

A : これはどうしても踊りたい! と夢にまでみるという役ではありませんが、舞台で踊れることに満足できる役ですね。物事を深刻に考えることのない陽気で朗らかな農民。こうした役はまだ一度もなかったので、楽しみです。リボンの部分ですか? まごついたりするかどうか、稽古が始まってないので、ストレスを感じるかどうかわかりません。リハーサルが始まったら、ご報告しましょう(笑)。

Q : 今回が3度目のアラン役ですが、1回目と2回目では役において進化がありましたか。

A : ウイ、であり、ノンでもありですね。 最初のとき僕は20歳。その若さ、勢い、純粋さ、素朴さを活用して、ぼくはアランをとても無垢で、子供っぽい人物にしようと思いました。とはいえあまり考えすぎず、音楽や物語がもたらす感動に任せ、できる限り自然な役作りをしました。2度目の2009年のときは、その間に舞台数もこなしていて、2007年のときより自分に自信があります。でもその分、鮮度、儚さは減っているわけなので、さあどうしようかと。でも子供っぽく無垢なアランというのは僕にふさわしいものだから、その道を進め、2年間に得たテクニックの進歩を役にもちこむことにしよう、と結論しました。その時に思い、また今でも思ってることなのですが、こうした役が対観客的に上手くゆくのは、自然であることが大切です。考えることも大切ですが、アーチストであるからには、それが受けるかどうかはともかく自分が感じるままに演じ、観客に感動を伝えなければ。少なくとも自分と観客にに対して正直でいられます。今回はまだ稽古が始まっていませんが、馬鹿さ加減を前回より少し減らそうかとか、狭い世界で育った少し影のある人物にしようか、というようなリサーチはしています。実際にスタジオで試してみないと、なんともわかりませんけど・・・。

Q :役作りには映画や演劇をみたり、というようなことをしますか。

A :はい。いろいろ見て、自分がしたいことを探します。人物、物語、そして自分を尊重した役作りをします。もっともアランの場合は、そうした役にあう本とかがないので、他のカンパニーのビデオをいろいろと見ました。

Q :これまでで忘れがたい舞台は何ですか。

A :難しい質問ですね。というのもぼくは毎回与えられた役を尊重し、満足してますから。その機会を逃さず、存分に堪能しています。2010年まで、強い思い出のある舞台といったら、フォーサイスの『アーティファクト』といえます。なぜかは自分でもわからないのですが、とてもこの舞台は印象に残っています。リハーサルを始めたときに、これこそが自分のしたいものだって! 動きが身体に自然に感じられて、とても快適でした。だからまた踊りたいと願っています。それ以降いろいろ役をもらえたのですが、テクニックだけでなく人物のアプローチという点で『ラ・スルス(泉)』でザエールを踊ったことは忘れがたいです。

Q :2011年1月に「ダンサー・コレオグラフ」(オペラ座バレエ団員が振付けた作品を発表する場)に参加し、『El Fuego de la pasion』を発表しましたね。

A :自分は振付家だという思いはありませんが、したいことがあったので参加しました。トゥシューズで踊るタンゴ作品というのが過去にあまりないようなので、作ってみたかったのです。僕は母がスペイン人でフランスとスペインの二重国籍。それゆえ若いときからフラメンコが好きで、クラシック・バレエではなくフラメンコでやってゆこう、と学校時代に思ったこともあるくらいです。フラメンコは自然に踊るほど内面を語れるもの。クラシック・バレエを習っているときに、もっと滑らかに! という要求があり、自分にはフラメンコのほうが自由がある、と思ったので。そんなこともあってこうしたタイプのダンスが懐かしく・・。この「ダンサー・コレオグラフ」について知った時期に、友だちといたカフェでたまたまタンゴが流れてきたんです。それで、力強いダンスをするキャロリーヌ・バンスが以前から好きだったので、彼女をパートナーにし、トゥシューズのタンゴというアイディアで作品を作ろう、と決めたのです。まだ若いからと最初は迷ったのですが、肝心なのは結果より、したいことを実現することなので参加しました。

Q : 来季にも2月末にこの催しが予定されています。参加を考えていますか。

A :まだわかりません。というのも、ダンサーとしてのキャリアに集中したいからです。つまりプルミエ・ダンスールにいち早く上がることです。今ソリストとして準備ができてますし、またソリストとして踊りたいので。『泉』がきっかけなんです。この作品でザエールを踊る前は、プルミエ・ダンスールに上がりたいと他のスジェたちの誰もと同じように思っていましたが、自分が準備できてるとは感じていませんでした。それがザエール以来、役をもらうごとに上手くいっていて、自分はできる! と。緊張なく、ストレス管理もできています。そんなわけで他のことをして散漫になることなく、11月のコンクールに集中したいのです。また12月はフォーサイスと『ドン・キホーテ』の公演が予定されていますしね。前回のように作品のはっきりしたアイディアも今のところないし・・わかりません。好きな音楽をあれこれ聞いている段階です。それに参加登録の締め切りがまだ発表されてないので・・・。

Q : 次のコンクールで自由課題は何を踊るか決めていますか。

A : ぼくがスジェになってから、空席がなくてプルミエに上がるコンクールがありませんでした。でも、それは僕にとってはありがたいことでした。というのも、その間にぼくはより多くの責任を与えられ、おそらくプルミエ・ダンスールとなる可能性を当時より期待されているのではないかと思うからです。次のコンクールでは自由課題にはベジャールの『アレポ』の最初のソロにしようと思っています。2つめのソロはコンクールでよく踊られますが、それではなく、1つめのとてもテクニックを要されるほうのソロです。マチアス・エイマンがこれでプルミエに上がってますね。

Q : 2005年から2年間が契約ダンサー。2007年に入団し、すぐにコリフェに上がり、2010年にスジェにあがっていますね。長く感じられたのはどの段階ですか。

A : 契約ダンサーの1年めは、ほとんど舞台がなくって長く感じられましたね。女性のほうはダンサーの数が足りなくて舞台がありましたが、僕は見てるだけで欲求不満状態。それでヴァルナのコンクールに参加したんです。これを目標にしたので、退屈から脱し、結果はシニア部門の4位でした。契約ダンサーの2年目は舞台での出番が多数あり、そして最後は『リーズの結婚』のアラン役を踊り、とても良い終わり方をしました。カドリーユで入団し、すぐにコリフェにあがったのですが、そこからも少し長かったですね。コール・ド・バレエの一人として舞台に立つたびに、フラストレーションを感じてました。というのも、僕は爆発型なので、コール・ド・バレエとしてラインを守って、他の人と同じように 踊るというのは難しいことなんです。個性があるとそれがどうしても表れてしまうもの。 そうしたダンサーというのは客観的に観客席からみると、グループか飛び出してみえてしまいますよね。

pari1205c02.jpg

コンクールより
Photo Sébastien Mathé /
Opéra national de Paris

pari1205c03.jpg

コンクールより
Photo Sébastien Mathé /
Opéra national de Paris

pari1205c04.jpg

コンクールより
Photo Sébastien Mathé /
Opéra national de Paris

Q : 舞台に出る前にする、何か特別な習慣はありますか。

A:直前にはないのですが、ガルニエでもバスチーユでも公演のある日はスターバックスにゆくのが習慣なんです。必ず同じ飲み物をオーダーします。ホイップクリームをのせたフラプチーノ・ジャワ・チップのエクストララージ(笑)! ランチをとる時間がないので、スターバックスでサンドイッチとこの飲み物でエネルギーを、というわけです。ダンスに関係ない世界の友だちと待ち合わせ、舞台があることは忘れないにしても、この休憩時間に頭をちょっと切り替えるんです。スターバックスは僕のQG。店で働いている人たちは僕の名前も覚えていて、今ではオーダーしなくても欲しいものがでてくるくらいですよ。

Q : いつ、どこで、どのようにダンスを始めたのですか。

A : ぼくはスペインとの国境にあるバスク地方の出身です。オペラ座の学校に入るまで13年、エンダイヤで育ちました。16歳年上の姉がキャロル・アルボ(元エトワール。現在はオペラ座バレエ学校教師)のママのダンス教室に通っていて、小さい僕もくっついていって、バーにしがみついたり・・・。7歳くらいのときに、キャロル・アルボのママが僕のママに「アリステールもダンスを習うといいわ。大人しくなるわよ」って。僕、エネルギー一杯の子だったので。
姉はクラシック・バレエをやめてタップもやったものの、結局ダンスは辞めてしまいましたが、僕はダンスがすごく気にいって、すごい情熱を感じていました。今もそうですが音楽にのせて動くことがとにかく気に入って・・・。それに1年の終わりにガラがあって、舞台で踊るということもとても好きでした。サーフィン、テニス、フェンシング・・スポーツはたくさんしましたが徐々に辞めて、ダンスに時間をよりさくようになりました。この教室だけでなく、スペインのダンス教室にも通ってレッスン数を増やしました。エンダイヤは国境の街ですから、スペインに行くのは簡単なことです。ダンスコンクールに出て賞をとったりもして・・・。オペラ座のバレエ学校に入ったのは、入学年齢のリミットの13歳のときです。学校の公演では『二羽の鳩』でジプシーの首領役、それからジョゼ・マルチネーズの『スカラムーシュ』を踊りました。僕がスカラムーシュの創作ダンサーなんですよ。これは、とてもうれしいことです。

Q : 学校生活は順調でしたか。

A : 13歳で第五ディヴィジョンに入ったのですが、この学年を2年やりました。それから第四を飛び越して、第三へと。でも、またここでも留年。なぜかというと身長の問題があったからです。実は入学試験も12歳のときは、小さすぎるといって実技以前にはねられてしまったんですよ。今は180センチあります。カンパニーに入団してから、2センチくらい伸びたかもしれません。それに舞台がたくさんあってカロリー消費量が多いせいか、以前より体形が細っそりしてきました。

Q:ナンテールの寮生活は快適でしたか。

A:僕は通学生でした。寮に入りたくなかったし、両親もそれを希望せず。それで母がパリに一緒に来てくれたんです。姉もパリの大学に通っていたので、故郷を離れても僕は家族に囲まれていて、週末と休暇にバスクに戻るという暮らしでした。母にはすごく感謝しています。ナンテールの学校から家に戻ると、バカロレア(大学入学資格)をとるために毎晩、通信教育で夜遅くまで勉強をしました。万が一ダンスが続けられなくなった場合、バカロレアは持っているべき最低の免状だと思ったからです。文系のLではなく理系の資格Sをとったのは、僕は論理的な人間ですし、文系より難しいのでチャレンジという意味もありました。バカロレアをとった後、第一ディヴィジョンがまだあったので、ドフィーヌ・パリ大学に登録し、ナンテールでバレエの授業が終わった後に通っていました。ダンスの世界以外の友だち、ダンス以外の世界とのコンタクトが持て、とてもうれしかったですね。もっともバレエ学校の授業量ゆえに、第二学期になったら大学に行く時間がなくなってしまって・・。それまで教授たちは僕がダンスをやってることは知らなかったので、事情を話したらすごく驚かれました。オペラの学校でダンスというみんな同じ情熱をもってというのもよいけれど、でも、自分だけの私生活も築きたい、と。このときの仲間の一人とは、今も仲良しなんですし、その後歌手、アクター、エンジニアなどいろいろな友だちがオペラ座の外にできました。

Q:来シーズンのプログラムがすでに発表されています。何を踊りたいですか。

A : まだ何も知らされていませんが、先にも話たように12月のフォーサイスは踊りたいですね。12月は『ドン・キホーテ』もあってバジリオも踊りたい。プティの『カルメン』のドン・ホセも、ラコットの『ラ・シルフィード』のジェームズも、役があるならなんでも踊りたいですよ。「若いダンサーの夕べ」でマリーヌ・ガニオとラコット振付の『パピヨン』を踊りました。彼女はとても良いパートナーです。ラコットはとても人間的で寛大な人物ですね。でも彼のこの振付はすごく難しいものでした。もし彼が『ラ・シルフィード』でも僕のことを思ってくれたら、うれしいですね。

Q:いつか踊れたらと夢見る作品として『ボレロ』をあげるダンサーがとても多いのですが。

A : 僕だって、もちろん! 誰だって踊ってみたいものですよ、これは。それから『若者と死』ですね。一度ローラン・プティを踊ると、彼の作品は病み付きになるというようなことをバンジャマン・ペッシュがいっていました。オペラ座のレパートリーではないですが、一度みてすごく感動したのが『スパルタクス』です。2か月くらいボリショイ・バレエ団に入って、ロシア人のコーチについて・・とこれを踊るのを夢見たくらいですよ。

pari1205c01.jpg

『ドガの小さな踊り子』
Photo Julien Benhamou /
Opéra national de Paris

まあ、これは夢にすぎないでしょうけど、いつかぜひとも踊りたいと思ってるのは『椿姫』のアルマン・デュバル役です。ぼくはロマンティックなものに弱いので、この 役に自分自身を投影してしまうのです。もしかすると周囲は僕にアルマンは・・・と思うかもしれないけど、この役に興味深いものをもたされる、と僕は思っています。原作となったデュマの小説も好きですし、ショパンは僕の一番好きな作曲家。ノイマイヤーのこの作品を初めて見た時の感動のショックといったら! オーレリーとルグリでしたが、彼女は格別の素晴らしさで、アーチストとしてすっかり彼女に一目惚れしてしまいました。オーレリーと踊る『椿姫』・・・これも夢で終わるでしょうが。パートナーでいえば、オーレリーだけでなく、フレッシュさが魅力のミリアム・ウード・ブラームともいつか踊ってみたいです。パートナーとの交換に、すごく興味を持っています。オペラ座でのキャリアが今後どう発展してゆくのかわかりませんが、こうした面も押し進めてゆきたいですね

Q : オペラ座の仕事を休んで、1年くらい他のカンバニーに行くということは可能なことですか。

A:得るものはすごく多いでしょうけど、実現は難しいことですね。
機会があれば他のカンパニーのクラスレッスンを受けるということはしていますよ。例えばボリショイがロンドンのコヴェンとガーデンに『スパルタクス』の公演で来た時、つてを頼って友だちと一緒にクラスレッスンを受けました。モスクワではボリショイで女性のクラスも含め、すべてのクラスレッスンを試したこともあるんですよ。たいへんでしたけど、楽しかったですね。

Q : オペラ座外で踊る予定は近々何かありますか。

A : はい。『マノン』の後、アルゼンチンに行きます。サミュエル・ミューレズのグループ公演(注/5月17〜19日ブエノスアイレスのコロン劇場)で、彼の作品、そしてフォーサイス、『白鳥の湖』のパ・ド・ドゥを踊ることになっています。

<<10のショート・ショート>>
1 .プティ・ペール :ジャン・ギヨーム・バール(よく面倒をみてくれたがエトワールとしての仕事が忙しくなり、彼からエリック・カミヨの手に託された)
2. プティット・メール:ドロテ・ジルベール(彼女は当時第一ディヴィジョンの生徒だった)。
3. 鎮静法 :チョコレートを使ったお菓子作り(チョコレートは大好物)。
4 . ダンサー以外に考えられる職業 : かつては理系の仕事と思っていたが、今はアーチスティックな仕事以外は考えられない。
5. 趣味 :映画、演劇。
6. 宝物 :家族と友だち。
7. 昨日の小さな幸せ :友だちとスターバックスで過ごした時間。
8 .得意なテクニック :バッテリー。とにかく速い!
9. 性格の良い面 :他人の言動に注意を傾けられる。
10.性格の悪い面 :忍耐心に欠ける。

ページの先頭へ戻る