オペラ座ダンサー・インタビュー:リュドミラ・パリエロ

ワールドレポート/パリ

大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
text by Mariko OMURA

Ludmila Pagliero リュドミラ・パリエロ(エトワール)

アルゼンチン出身の28歳。映画館での生中継も行われた3月22日の『ラ・バヤデール』で、ガムザッティ役を踊りエトワールに任命された

チリのサンチャゴ・バレエ団でソリストを経て、2003年にオペラ座バレエ団に入団。その4年後にスジェに上がった頃から、パリのバレエ・ファンの間で将来を期待される存在となる。2009年、プルミエール・ダンスーズに昇格。クラシック作品においてもコンテンポラリー作品においても、そのテクニックは高く評価され、エトワール任命も遠くないのでは、と囁かれていた。今シーズン、『ラ・バヤデール』には配役されていなかったのだが、ガムザッティ役のダンサーたちの怪我が相次ぎ、3月22日の夜、2年前にこの役を踊った彼女に急遽白羽の矢が。その大任を果たした直後のエトワール任命劇は 映画館でライブ中継されたことにより、バスチーユの会場にいた観客だけでなく、フランス国内、海外の都市の映画館で大勢がこの感動の瞬間を分かち合うことになった。すらりとした美脚としなやかなつま先の持ち主の彼女。次はガルニエで公演がまもなく始まる『マノン』でタイトルロールを踊る。

Q :おめでとうございます。エトワールに任命されたことで、何か自分の中で変化はありましたか。

A:まだ2週間くらいしかたっていないのですが、大きな責任がこれから待っているのだ、ということを強く感じ始めています。少々怖くもありますが、でも、ちょうど良い時期にその時がやってきたと思うので、これまで通りに一生懸命やってゆけば、オペラ座に対して、そしてエトワールというポストに対して、この責任をまっとうできるだろうと思っています。

Q:この夜、任命されるという予感はありましたか。

A:いいえ。私はガルニエで「ロビンズ エック」に配役されていて、今回の『ラ・バヤデール』には代役でも入っていず、この夜、踊るのはまったく予定外のことだったのですから・・。3月22日、朝に電話があって、夜の公演で踊れるか? と聞かれたのです。ガムザッティは2年前に踊ったきり。それで当日の朝、1時間ほどジョジュア・オファルトとオーレリー・デュポンとリハーサルをし、食事をし、休憩をとり、それからバスチーユに赴き、用意されていた2年前の衣装が大丈夫かどうかを試したり・・・と、短時間でいろいろなことをしなければならなかったので、あっという間に時間が過ぎて行って。だから、「きっとこれは任命される良い機会かもしれない!」などと思う余裕すらありませんでした 。

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Photo Sébastien Mathé /
Opéra national de Paris

Q:ガムザッティを踊ったのは2年ぶりということですが、この夜の公演の出来は満足できるものでしたか。

A:はい。何よりもこの挑戦を受け、やり遂げられたことを大変うれしく思いました。
朝、打診があったときは、一瞬身体がかーっと火照って..。でも、ロビンズとマッツ・エックの両作品を踊っていたときなので、体調も良く、疲労も感じていず、怪我もしてない状態だったので、これは出来る! と思いました。突然誰かの代わりに踊るという、こうした挑戦は私に限らずダンサーのキャリアにおいて何度もありえることです。 ガムザッティは2年間踊ってなかったわけですが、他に解決策がないというのなら、やるわ! と心を決めました。私、何かを決心したときは、あれこれ考えるのをやめるようにしてるんです。出来るか、出来ないか、ということはもう考えません。まだ小さい頃、ダンスの先生が常に繰り返していたのは、「いつもきれいにメークを施し、髪をきちんと結って、トゥシューズをはいていなさい。もし、何か問題がおきたら、すぐに舞台に出てゆくんですよ!」って。このフレーズを私いつも自分にいいきかせています。ショー・マスト・ゴー・オン。このように挑戦を受られる体勢でいることは、私の得た教育なんです。でも挑戦をまっとうするには、メンタルの面での強さが必要です。もし5年前だったら、私、今回のような挑戦はきっと受けなかっただろうと思います。

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Photo Sébastien Mathé /
Opéra national de Paris

Q:公演後、ブリジット・ルフェーブル芸術監督が舞台に登場したときに、自分が任命されるのだ、と思いましたか。

A:ええ、最初はそう思いました。でも、彼女が映画館で見ている人々に向けてのメッセージを始めたので、「ああ、彼女が出てきたのは私のためではないのだわ。そうね、映画館の観客に語りかけるのは当然なこと。だから、心穏やかにしていましょう」、と心の中で思ったんです。そのとき一種の失望があったのは確かですね。次いで彼女が私にお礼をのべてくれ・・・あ、ひょっとしたら、と思ったところで、いつも任命のときに語るフレーズを彼女が読み始めたんです。私の隣りにはその2週間前に任命されたジョジュア・オファルトがいて、彼の隣りには常に私をサポートしてくれているオーレリー・デュポンがいて、 私にとってパーフェクトな任命の状況でした。まったく予測していなかったことなので、本当にびっくり。それに、この夜、ガムザッティを踊ることを決めたのは、任命を期待してのことではなかっただけに、とても快適な出来事となりました。

Q:youtubeで任命の瞬間をみることができますね。

A:ええ。オーレリーがとても感動しているのが見えますし、ジョシュアがブリジットの言葉を聞きながら、もしかすると、いや、そうじゃない・・というように何が起きてるかを理解しようとしてる様子が微笑ましいですね。

これは私にとって素晴らしい思い出となる映像です。 任命から間もなく、この映像をyoutubeでみつけたので、両親にこの瞬間をみせることができました。任命された後、すぐにアルゼンチンの実家に電話をして、「ママ、私、エトワールになったのよ」と言ったのですが、母はわからなかったらしく、「どう、公演は無事に終わったの?」というので、「ママ、私、エトワールよ!」と繰り返したら、彼女、わーっ泣き出してしまって。父の帰宅後、また二人して泣いたそうです。二人とも、任命に立ち会えなかったことをすごく残念に思っています。


Q:アルゼンチンに行く予定は近々ありますか。

A:はい。ニューヨーク・ツアーの前、5月に公演がアルゼンチンであるので。私がパリ、兄がストックホルムに暮らしているので、両親は子供たちとずっと離ればなれ。大変寂しい思いをしています。したいことをさせてくれ、遠くパリまで行かせてくれた両親に感謝する気持ちで、私は日々努力しているといえます。舞台に出る前、力が欲しいとき、彼らのことを思うととても勇気がでます。昨日(4月4日)の公演前もそうでした。 

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Photo Anne Deniau / Opéra national de Paris

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Photo Anne Deniau / Opéra national de Paris

Q:2009年にプルミエール・ダンスーズに昇級してから任命までの3年間。この期間は長く感じられましたか。

A:いいえ。昇級以来ソリストとして多くの初役があったので、とても密度の濃い年月でした。この間、本当にたくさんのことを学びました。マッツ・エックとも仕事をする機会が得られ、彼から実に多くを学びました。そんなこんなで、あっと言う間に時間が過ぎていって。毎シーズンが興味深く、養分をたっぷり吸収した! という時期です。

Q:プルミール・ダンスーズに上がったときに、エトワールに任命は何年後くらい、というような予測をしていましたか。

A: 私は目的に向かって進んでゆくタイプです。あらゆる役へのアクセスがあり、大きな責任のあるエトワールになることは私の目指すところでした。でも、正直なところ、今シーズンはない、と思っていたんです。ロビンズやエックで任命というのはあまりありそうもないし、『マノン』は代役でしたし(任命後、正式に配役された)、その後はアメリカのツアー・・・。今年でなければ、来年かしら、と。目的を握りしめている、ということは、私にとって頑張り続けるモティベーションなのです。

Q:オペラ座の学校で学んでいないこと、フランス人でないこと。これはエトワールになるにはハンデだと思ったことがありますか。

A:それについて、確かに考えたことがあります。こうしたハンデがあるのだから、私は絶対にエトワールになれない、と思うこともできるでしょう。でも、私はその反対に、「ハンデなのかもしれない。だからこそ、ダンスで語るべきこと、ダンスによってもたらせることにおいて、他の人ができる二倍の仕事をしなければ」と考えました。ネガティブに悲観するのではなく、このようにポジティブなモティベーションに転じたのです。何においても物事をポジティブに見る方法を、探すようにしています。確かにこの2つの点はオペラ座バレエ団をよく知る人々の頭に浮かぶことかもしれないけれど、私はそのことは気にかけないようにしました。たとえ外部からの人間でも、仕事をし、学ぶことによって受け入れられるのだ、と信じていました。でも、ダンサーのキャリアにおいて、エトワールになったからといって、それは何かを得た、ゴールに達したということではありません。より大きな責任を負い、進化を続け、自分から放つことをより多く観客に与え続け、ということだと思ってます。例えば『白鳥の湖』を30歳で、35歳で、39歳で踊る、というたびに、そこには必ず違いがあるはず。終わりがないんです。

Q:オペラ座のバレエ学校出身者にとって、エトワールになることは子供時代からの夢だった、とよく聞きます。あなたの子供時代の夢は何でしたか。

A :コール・ド・バレエではなく、タイトルロールを踊ることでした 。それはアルゼンチンでも、チリでもドイツでもどこでもよく、とにかくタイトルロールを踊ること(笑)。オペラ座のエトワールというのは夢みていませんでした。それが夢になったのは、2003年にパリに来てからのことです。なぜって、それ以前はオペラ座のダンサーになるのは不可能なことだと思っていたので。つまり、オペラ座のエトワールというのは9年来の夢、ということになりますね。タイトルロールを踊ることが夢なのは、役の人物を生きることができる、他の人になることができるからです。

Q:ガムザッティ役はどのように解釈しましたか。

A:とても強い人物ですね。 甘やかされて育ち、すべてを手中に納めて、高慢で、他人に物事を強いることができて、と、私とは全然違うタイプ。難しい役でした。どちらかというと控えめな質なので、ニキアのほうが私にはきっと簡単だったろうと思います。もっとも今回2年ぶりに踊るという挑戦を果たさねば! ということは、強いガムザッティ役には良い結果となりましたね。それに、この2年間の私の経験と成長のおかげで、リラックスして役に入れました。

Q:オーレリー・デュポンとゲストのスヴェトラーナ・ザハロワ。二人のニキア役と踊っていますね。

A:オーレリーとは仕事面でとても友好的な良い関係にあります。彼女は寛大で、他人のいうことをきちんと聞いてくれるタイプ。それにニキアとガムザッティについてのヴィジョンも含めて、いろいろ話をしてくれて、私の役作りを助けてくれたんですよ。互いによくわかりあっているので、リラックスして舞台を共にできました。一方スヴェトラーナとは対決のシーンについて二度稽古をし、舞台上での動きについて相談をしました。 彼女は大変な存在感がありますね。4月2日、4日と2度の公演。一回目は互いに探り合い、発見をして、という感じでしょうか。二回目の公演では、2日前の経験によって二人とも相手がわかっていることから、より見事な出来になったと思います。演技し合い、濃厚な時間を分かち合った気がします。公演の後話し合うことができたのもうれしいことです。彼女のニキアはヌレエフのとは少し違って、ロシア的演出。私はホームグランドの人間ですから、彼女と仕事をするにあたっては、彼女がリラックスして踊れるように、彼女の提案にあわせることにしました。もっとも違う、といってもちょっとしたディテールですけれど。

Q:ザハロワのニキアとの対決のシーンなどで、ガムザッティがより強く演じられたように感じられました。

A:彼女が強くでても、私はそれを許してはならない立場ですからね(笑)。オーレリーと踊るより、彼女に対してより注意を向けたせいで、強さが増してみえたのかもしれません。オーレリーとは何度もやったのでその必要はないのですが、スヴェトラーナがどう舞台を移動するかとか、そうしたことに私の気がとても集中していたので、私が彼女に視線をより強く向けているという印象を観客に与えることになったのかもしれませんね。

Q:これまでに多いに楽しめたという舞台は何ですか。

A:マッツ・エックの『アパルトマン』でドアを踊ったところですが、以前の『ア・ソート・オブ』のときのように、また楽しんでしまいました。彼と仕事をするのは、とても貴重な体験です。彼のダンスに対する譲らぬ姿勢、職業意識は素晴らしい。振付も好きですし、彼が私にもたらしれくれることも多くて・・。 『ベルナルダの家』も含め三作品を通じ、良い経験ができました。ロビンズを踊るのも好きですね。彼の音楽性の高さは信じられないほど。彼の振付は音楽にのせて、考える必要なしに、私の身体が自然に動いてゆきます。

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Photo Julien Benhamou / Opéra national de Paris

Q:次の舞台はクリストフ・デュケンヌをパートナーに『マノン』ですね。これは踊りたいと思っていた役ですか。

A:マノンは私に限らず、すべての女性ダンサーが夢みる役ですね。演劇面でもとてもやりがいのある役。さまざまな段階を経てゆく彼女の人生を生きることは、とても感動的なことだろうと想像します。イノセントな少女がドゥミ・モンドの世界にはいり、貧困に耐えられない彼女の前に金か愛情かというチョイスがあって・・・ 恐ろしい経験をくりかえし、哀れとしかいいようのない最期を迎えるのですから。こんな物語が2時間に集約されているのですから、とっても密度の高い強い舞台となるに違いないでしょう。

Q:役作りはどのように進めるのですか。

A:『マノン』の本は読みました。ビデオもみました。似たような物語や、同じ時代のものも見るようにしています。その時代の生活、衣装など、いろいろとリサーチします。それに現代のことだって、こうした物語を演じるのに役立つような話はありますからね。初役の場合は、時間をたっぷりかけてする準備する必要があります。

Q:今後踊ってみたい作品は何ですか。

A:何でもすべて!(笑)。私、たくさんのことを試すのが好きなんです。これはルフェーブル監督も承知していること。モダーンもコンテンポラリーもクラシックも。いつかは、どこかで方向をしぼってゆかなけらばならないのでしょうけれど。私は幸運なんです。ルフェーヴル監督は、ある時期クラシックばかりを私に踊らせ、次はピナ・バウシュ、カロリーヌ・カールソンといった舞台ばかり半年。それからまたバランスをとるべくクラシックを・・というように、クラシックでもコンテンポラリーでも両方において、私が進歩できるようにと彼女は導いてくれました。オペラ座のレパートリーは、このように2つのスタイルを踊れるダンサーを必要としてるのです。

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Photo Anne Deniau /
Opéra national de Paris

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Photo Anne Deniau /
Opéra national de Paris

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Photo Anne Deniau /
Opéra national de Paris

Q:2010年のオペラ座ツアーで来日したときの一番の思い出は何ですか。

A:日本はまだ東京しか知りませんが、人々の優しさ、バレエとオペラ座に対する崇拝に感動を覚えます。贈り物を持ってきてくれる優しい心遣い。その裏には、あなたのことを考えて、そのために時間をさきました、ということが読めるのでとてもうれしいです。おそらく他のダンサーたちも同じような気持ちでしょう。『天井桟敷の人々』はパリでも踊った作品なので、2013年の日本ツアーに参加できたら、と期待しています。ただ、 あいにくと和食にあまりなじめなくって。アルゼンチンは肉の国なので、あまりにも違いがあって、徐々に舌をならしてるのですけれど..。

Q:なぜ踊るのか、と聞かれたら、どう答えますか。

A:ダンスは私が知る最高のセラピー。疲労も日常の瑣末な問題もすべて忘れられます。舞台の上で自分にしか属さない時間が過ごせる最高の機会。日常生活から脱出できます。踊り終わったとき、疲労すらも快適に感じられます。

Q:2003年にNYの アメリカン・バレエ・シアターとパリ・オペラ座の2つの契約を前にして、後者を選んだ選択に後悔はないですね。

A:私、良い選択をしたと思っています。パリではとても心地良く暮らせていて、フランス語も好きですし、友だちもいて、オペラ座という素晴らしいメゾンがあって。まだまだたくさんすることはありますが、後悔することは何もありません。 

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Photo Sébastien Mathé /
Opéra national de Paris

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Photo Sébastien Mathé /
Opéra national de Paris

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Photo Sébastien Mathé /
Opéra national de Paris

<<7のショート・ショート>>
1 .自由な時間があったらしたいこと:風景や人との出会いを求めて、旅に出たい。
2 .コレクションしているもの:National Geography, Geoといった旅行雑誌。
3 .朝、最初にすること:シャワーを浴び、朝食をとり、そしてオペラ座へ出勤。
4 .朝食のメニュー:パン、クロワッサン、果物、カフェ・オレ、オレンジジュース。痩せているので、ときどきアメリカ式に卵料理も。
5 .休日の過ごし方:目覚ましをかけず、眠り続ける。
6 .ダンサー以外に考えられる職業 : 8〜9歳でダンスをはじめる前は、科学者か医者になりたいと思っていた。
7 .パリで好きな場所:小径やちょっとしたパッサージュ。散歩をするならモンマルトルの裏手のあたり。毎日眺められる機会はないが、セーヌ河は感動的。

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