グラスの音楽、チャイルズの振付の最小限のユニットを積み重ねた「時空旅行」

ワールドレポート/パリ

三光 洋
text by Hiroshi Sanko

Robert Wilson "Einstein on the Beach" ロバート・ウィルソン演出『海辺のアインシュタイン』

1976年7月にフランスのアヴィニョン演劇祭で世界初演され、大きな反響を呼んだ『海辺のアインシュタイン』がモンペリエ・オペラで再演された。この後、イタリアのレッジオ・エミリア、ロンドン、トロント、ニューヨーク、バークレー、メキシコシティを回るツアーが行われ、2013年1月のアムステルダム公演で最後の幕を閉じることになっている。モンペリエでの三日間の公演経費が75万ユーロ(8250万円)という巨額にのぼった大事業だ。
日曜日の午後3時開演だが、ホールを埋めた三千人の観客をかきわけてようやく座席につくとすでにKnee Play1が始まっていた。舞台右袖に二人のダンサーが腰掛、体を斜めに傾けて英語でなにかしゃべっている。そろえた膝が特徴的だ。

『海辺のアインシュタイン』は「4幕オペラ」と題され、次のような構成になっている。
Knee Play1
第1幕 第1A場 汽車 第2A場 裁判所
Knee Play2 
第2幕 第3A場 フィールド・ダンス1 第1B場 夜汽車
Knee Play3
第3幕 第2B場 裁判/監獄 第3B場 フィールド・ダンス2
Knee Play4
第4幕 第2C場 ベッド 第3C場 宇宙船
Knee Play5

主題はアインシュタインに象徴される時間の経過、光の速度だが、普通の意味での筋書きはない。4つの幕の間にも関連性はなく、並置されている。「No story, no heros, no hapiness.」が演出家のウイルソンの理想だからだ。場面の表題にある汽車や裁判所の画像が鋭角的な照明と繰り返しをベースにしたダンスとともに視界に現れては消えていく。
この時間と空間を通り抜ける「旅行」は4時間半にわたって展開する。舞台後方から同じ動作、同じステップで左手前まで進んでは、同じ経路を後退していくだけのルシンダ・チャイルズの振付は、フィリップ・グラスの音楽と同じように、最小限のユニットを積み重ね、作品の枠組みとなっている。

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© Opéra national de Montpellier

その一つ一つの動作は極めて厳密な精度を持っている。1960年代までにはなかったような思い切ってコントラストを付けた照明によって浮き上がった人物と、幾何学的な線から成る装置のシルエットがある種のポエジーを持って観客の脳裏に刻まれていく。グラスの音楽はあくまでもダンサーが移動するためのサポートとして存在し、それそのものは繰り返しの単調さが聞き手を一種の催眠状態に導くことを狙ったらしい。ディスコ、テクノといった音楽はグラスの音楽に大きな影響を受けたという。

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© Opéra national de Montpellier

ダンサーのちょっとしゃちこばった手と腕、脚の動きはその後のウイルソン演出にもよく見られる。オペラの『マダム・バタフライ』や『魔笛』、『ペレアスとメリザンド』でも目立つこの所作をウイルソンは「日本の伝統芸能、特に能と歌舞伎にインスピレーションを得て考案した」と主張してきたが、何度見てもそうは思われなかった。この舞台を見たマイム舞踏家の沢のえみさんから「ウイルソンは実はパリに滞在して、パントマイムの巨匠マルセル・マルソーからパントマイムを学んでいた。」という話をうかがって、ようやく疑問が氷解した。ウイルソン演出の本当の種はドビュロー以来の伝統に立つ、フランスのパントマイムだったのではないか。

いずれにせよ、単純そのものの動作と音楽の繰り返しを枠組みにして、詩的な映像が「主人公」となった4時間半の大作が成立したことは、今も、欧州の舞台芸術に影を落としている。ダンスと照明が舞台において、それまでにはなかった重要な役割をゆだねられるようになったのある。そうした意味で、この作品は1970年代という時代精神のシンボルであるとともに、20世紀末から21世紀の舞台芸術の一つの原点となっている。
(2012年3月18日 モンペリエオペラ)

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© Opéra national de Montpellier

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© Opéra national de Montpellier

『海辺のアインシュタイン』4幕オペラ
演出/ロバート・ウイルソン
音楽/フィリップ・グラス
振付/ルシンダ・チャイルズ
ダンサー/ヘルガ・デーヴィス ケート・モラン アントワンーヌ・ジルヴァーマン リュシンダ・チャイルズ・ダンスカンパニー

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