オペラ座ダンサー・インタビュー : ピエール=アルチュール・ラヴォー

ワールドレポート/パリ

大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
text by Mariko OMURA

Pierre-Arthur Raveau ピエール=アルチュール・ラヴォー(スジェ)

昨年開催された昇級コンクールで、入団3年目の彼が男性スジェの空席1席を勝ち得た。

正確なテクニック、高い音楽性。見る者の眼にとても快適な印象を残す動きをする彼。1年前からさまざまなガラに参加し、ソリストとしてオペラ座の舞台で踊る日のために経験を積んでいる。その実現の時が楽しみと期待させる、若きダンサーだ。

Q:本日も遅い時間まで稽古が続きましたね。今、何のリハーサル中ですか。
A:3月13日から始まるロビンズの『ダンセズ・アット・ア・ギャザリング』です。ぼくは "グリーン" の代役。オペラ座で初めてソリスト経験です。公演まであと1週間半しかないんですけど、"ブルー"の代役にも、ということが今日決まったところなんです。

Q : 昨年のコンクールではこの中の "ブラウン" を自由課題に選びましたね。どんな作品なのでしょうか。
A:とても抽象的なバレエです。稽古が始まる前、きっと大変なのだろうなと思っていたのですが、実際は音楽にのせて、ごく自然に踊れる振付でした。バレエ・マスターはクロチルド・バイエールで、彼女と稽古をしています。この仕事がもたらしたことで一番大きなことは、表現の点で舞台でできることを稽古のときにも出来るようになった、ということです。というのも、観客を前に自分のしたいことを見せる、ということは舞台では簡単にできるのですが、リハーサル・スタジオでは臆病になってしまう傾向があって..。エトワールが大勢集まる中で、ぼくはまだ若いし、スジェでしかないし..と。オペラ座バレエ団というのは明解な階級制度を持つカンパニーです。それに対してレスペクトがあるだけに、心理的にブロックされてしまうものがありました。でも、今回稽古を続けるうちに、それがかなり改善されたんです。

Q : それはどのようにですか。
A:こうした心理的束縛からぼくが解放され、まず最初に上の人たちが、自分らしくあることがカンパニーから期待されてるんだ、と
ぼくに理解させたからです。それが、ぼくにはとても役立ちました。

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photo SEBASTIEN MATHE/
OPERA NATIONAL DE PARIS

Q:そこにはブリジット・ルフェーヴル監督のあなたへの配慮があったということでしょうか。
A:はい、そうですね。コンクール後に彼女と話す機会があって、ぼくが踊った『ダンセズ・アット・ア・ギャザリング』をとても気に入ったといってくれました。すごくうれしかったですね。これを見て彼女はぼくをこの3月の公演に配役してみよう、と思ったんですよ。この公演には他にもスジェのダンサーはいますが、ぼくは今年の1月にスジェになったばかりで、とても珍しいことといえます。

Q:入団3年目でスジェまで順調に上がっていますね。もっと、ゆっくり上がりたいと思ったりはしないものですか。
A:いえいえ、誰もがみんな少しでも早く上がりたい!って思ってますよ(笑)。確かに「スジェになったんだ。この責任を全うしなければ」という決意のようなものは、必要でしたね。 とりわけ、自分が思うことを必ずしも全部みせることができずにいるという内気な面をなんとかしなければ、と。内気というか、どちらかというと遠慮がち、という面ですね。 でも、舞台では違いますよ。舞台の上で踊るというのは本当に不思議な力をもったもので、自分をさらけだすことができるんです。稽古場での自分を変えなければならないことは、十分に承知してます。

Q:話は戻りますが、ロビンズをコンクールの課題に選んだのはなぜですか。
A:もともとぼくはあまりアイディア豊富なほうではありません。これって、困ったことですよね(笑)。この課題はエリザベット・プラテル(学校長)に薦められたのです。最初『ダンセズ・アット・ア・ギャザリング』!と、ぼくの頭にも一瞬浮かんだのですが、「いや、スジェに上がるにはもっとテクニックをみせられるものを選ばななければ。これは二回目のコンクールだ。テクニックではなく別なものを見せるタイプの課題は、ぼくには望まれてないだろう 」と考えてしまって。でもこうして彼女に薦められ、もともと頭に浮かんだものでもあったので、こうした作品の稽古をしてみるいい機会だろう、と決めました。もちろんテクニック的には難しいものですよ。でも、これはテクニックだけをみせる作品ではありません。雰囲気を感じさせるソロだから、ぼくの遠慮がちな面を改善するに良い機会になるだろう、と思ったのです。これを踊るには、僕自身から放つものがなければならず、難しい作品だということはわかってましたが・・・・ええ、実際難しかったですね。ぼくにとってはチャレンジでした。最初リヨネル・ドラノエがぼくに見本をみせてくれ、そのあとはコリフェのときに教えてくれた教師と稽古を進めました。これを踊る以前にくらべ、自分が進歩した、と感じました。

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photo SEBASTIEN MATHE/
OPERA NATIONAL DE PARIS

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photo SEBASTIEN MATHE/
OPERA NATIONAL DE PARIS

Q :その前のコンクールでは自由課題に『ナポリ』を選びましたね。
A :これを選んだのはなぜかというと、最初のコンクールなので、ストレスの面を含め、何が自分に起きるかわからない。だから作品選びに頭を悩ましすぎるのは、やめておこうと、思ったのです。ぼく、技術面でプティット・バッテリーは問題なくできること。だったら、それを見せられる作品にしよう、と探しに探して・・『ナポリ』に行き着いたんです。あまり踊られることがない作品なのでいささかホコリくさい感じに思われてます。ぼくは、それをちょっと新鮮なものにしようと..その結果、上手くゆき、コリフェに上がりました。

Q:なぜ踊るのですか、と聞かれたら、どう答えますか。

A:ダンスを通じ、舞台で自分自身であると感じられるから。毎回踊るたびに、このように経験したいですね。舞台だけでなく、リハーサルでも。他のダンサーの前でも。

Q:エトワールのカール・パケットが率いるグループのガラ公演で1月にパリ郊外シュシー・アン・ブリィで踊りましたね。
A:彼のグループへの参加を入団した年に提案されました。でも、そのときに思ったんです。あれこれ手を付けるのではなく、仕事を深めるためにもオペラ座の仕事に集中しようと。 そして入団二年目に提案があったとき、舞台で踊れる良い機会なのだから、と今度は受けることにしたんです。

Q:シャヴィール市でのガラの写真が雑誌「Danse 」の表紙になっています。ガラはコール・ド・バレエのダンサーもソリストとして舞台にたてる良いチャンスですね。
A:そうです。 リハーサルスタジオを自分たちで手配したり、いろいろな面について学ぶこともいろいろありますし。もちろんオペラ座の仕事が最優先ですが、ガラというのは進歩できる良い機会なんです。振付についていえば、テクニック的に本当に難しいものについてはついては、カールにお願いして少し変更をしてもらうこともあります。変更OKのときもあれば、そうでないこともあります。舞台で踊る経験ができるのは、本当にありがたいことです。

Q:ガラで踊る作品は自分たちで選べるのですか。
A:それはガラによりますね。シュシー・アン・ブリィのときは、団長のカールがすべて選んでいます。2月にあったシャヴィールとガニーのガラはカールのグループではなく、このときはダンサーたちが自由に選べました。ぼくはヌレエフの『ロメオとジュリエット』、『白鳥の湖』の第三幕のパ・ド・ドゥを踊りました。

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Q : 選択理由は何でしたか。
A:このガラではパートナーがサー・ウン・パルクでした。まず興行主が彼女をメンバーに選び、そして彼女がぼくを選んでくれたというわけです。二人で何がいいだろうか、と考えました。自分たちは何を稽古してみたいか、ということですね。『ロメオとジュリエット』はとても大変でした。とりわけ彼女は韓国で踊っていたダンサーでオペラ座に入団したばかり。一方、このヌレエフの振付はというと、すごいフレンチスタイルですからね。

Q:ヌレエフは好きな振付家ですか。
A:彼の作品はとても好きですが、こう質問されたらロビンズと答えるでしょう。ロビンズ、そしてバランシンの音楽性はぼくにとってとても重要なことです。ぼく、ピアニストになろうと思ったこともありましたから。

Q:では、 好きな音楽ではない作品を踊るのは難しいことですか。
A:そうですね。もっとも嫌いな音楽というのはそれほどないので..ぼくは音楽に対してとてもオープンです。

Q:2011年1月に開催された「若いコレオグラファーの夕べ」では、ダンサーではなくピアニストとしての参加でしたね。ピアノはいつ習ったのですか。
A:11歳のときに始めました。 12歳でオペラ座のバレエ学校に入るまで、先生が自宅にレッスンにきていました。バレエ学校に入ってからは、週末に家に帰ったとき独習で続け、そのおかげでかなり進歩したんですよ。入学して4年目に、エリザベット・プラテルが学校のレッスン室のピアノをときどき夜に弾いていいと許可をくれました。ナンテールの教室で一人で夜に・・・快適でしたね。ぼく、鍵盤の曲に限らずバッハが好きなんです。とても数学的な面があり、 同時にスピリチュアルな面もあり、彼が一番のお気に入りの作曲家です。

Q:何か音楽を聴いていて、それに合わせた振付をしたくなる、ということはありますか。
A:少し試したことはあります。でも才能があるかどうかというと・・正直なところわかりません。自然に出てくるものがないので、きっと、そうではないのでしょう。

Q:バレエには、ショパン、チャイコフスキーの音楽を使った作品が少なくないですね。
A:ええ。ぼくはショパンのピアノ曲がいくつか好きですが、すべてではないのです。チャイコフスキーのほうが好きですね。西洋の作曲家の美にもひかれますが、スラブの美しさのほうがぼくに語りかけてくるものが大きいのです。

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photo MICHEL LIDVAC/
OPERA NATIONAL DE PARIS

Q:チャイコフスキーを使った『オネーギン』は、コール・ド・バレエで踊っていて、ソリスト役で踊りたいと思いましたか。
A : はい。オネーギンもレンスキーもどちらも試してみたいですね。

Q:ダンスはいつ始めたのですか 。
A:10歳です。ぼくと妹が放課後に何かスポーツをするといいと母が考えて、いろいろなスポーツを習ってみました。でも、何1つ気に入らず。もともとピアノをやってみたいと思ってましたが、家には楽器がなかったので始めませんでした。

アマチュアですが、母はクラシック・バレエをやっていました。サル・プレイエルでセルジュ・ペレッティにレッスンを受けていて..。 ハノーバー・バレエ団の契約を母は得たものの、プロになるのを両親が望まなかったようです。ぼく、友だちがやっていたので、新体操の動きの美しさにひかれてこともありました。そんなときに母がダンスをやってみない、と提案したんです。それもいいかも、と行った最初のレッスンで、ぼくはまるで水を得た魚! ピエトロ・ガリの弾くピアノに乗せて・・

Q:ピアノを習い始めたのは、ダンスの後ということですね。
A:ええ。ずっと習えたら、と思っていたので。もしダンスより先にピアノを始めていたら、ピアニストになっていたのかもしれない、と思います。いつか自宅にピアノが欲しいですね。今は友人に譲られた電子ピアノを持っていますが、本物のピアノではないので...。ときどき、空いているリハーサルスタジオでピアノを弾いています。

Q:「若いコレオグラファーの夕べ」では、振付けたダンサーからショパンのピアノ演奏を依頼されたのですか。
A:はい。ナンス・ピエルソンがコレオグラファーでしたが、彼が面白いアイディアだろう、と。バレエピアニストの経験をしてみたいと、ぼくも思っていたので..先にも話したように、ぼくはダンスにおいて内気になってしまう面があります。ソリストとして舞台にたつことはほとんどなくて、自分の内面を表現する機会がなかったので、これは良いチャンスだと思って引き受けました。ピアノを弾く時には踊るときのような問題がぼくにはありません。なぜだろう..きっとピアノという楽器を介するからでしょうね。それで、少しばかり間接的ではあるけれど、ぼくの内面をみせる良い機会になるだろうって。このときに、ブリジット・ルフェーヴ
ルが、このようにピアノを弾けるのなら、ダンスでももっと見せられるものをぼくはもっているのではないかと思ったそうです。

Q:ルフェーブル監督はダンサーたちととても近い関係を保ってるのですね。
A:他のダンサーたちとの関係はわかりませんが、ぼくは彼女のオフィスに2回か3回行ってます。回数はともかく、合うたびに彼女はぼくについてとても的確な意見を言うので、どれほど彼女がぼくを見ていてくれるのだろうと驚かれます。いつも彼女との出会いは快適で、ぼくのダンスについての彼女の意見はとても客観的なんですよ。

Q:オペラ座でのキャリアの面で裏から彼女に支えられていると感じますか。

A:そうですね・・そうあってほしいです。

Q:これまでのオペラ座での仕事で、一番楽しんだのはどの作品ですか。
A:コール・ド・バレエとしてですか? 『オネーギン』がとても好きでしたね。おそらくその時代背景、ロシアという国ゆえ・・特にステップがというのではなく、作品の雰囲気が好きでした。『白鳥の湖』も素晴らしい経験でした。ネオクラシック作品が好きなのは確かですけど、これがぼくの一番のお気に入りの作品です。

Q:『白鳥の湖』では演じる部分が果たす役割が大きいですね。
A:そう。でも、ぼくは出来る!って感じてます。

Q:『リーズの結婚』が今シーズンの最後のオペラ座の公演。これはコール・ド・バレエですか、それともコラス役の代役に決まっていたりしますか。
A : わかりません。でも、すでにロビンズで素晴らしい贈り物をもらってるので。もちろんコラスを踊れたら、それはうれしいですね。この役を演じることも、きっと出来ると思います。表現という点、この1週間でとても進歩したと感じています。ですから、たとえ『ダンセズ・アット・ア・ギャザリング』でソリストとして舞台にたてる機会がなくても、自分が成長したという確信がすでにあります。

Q:これまでの3年の間、以前にも、自分が成長した、と感じたことがありましたか。
A :入団してから技術的にとても進歩があったということは確かです。でも、ガラ以外ではオペラ座で自分を表現するという機会がなかったですからね。今回、本当に初めて成長を実感してるのです。

Q:ガラに参加するというのは、コール・ド・バレエのダンサーたちにはソリスト経験ができる本当に良い場なのですね。
A :ええ。舞台との接触という面でも、磨かれます。観客に対して、なにが上手くいくかいかないか..。例えば自分では何かを伝えたつもりでいても、観客には通じてない、というような体験。踊れる機会があるなら、ぼくはバカンスもとりません。例えば、昨夏はアルゼンチンに2、3週間行き、ジョゼフ・ラジィニの『カンタダジオ』を振付家のミューズだったダンサーから学びました。興味深い経験ができました。オペラ座とはまったく異なるスタイルですからね。これはエリザベット・モラン経由でエマ・デュミエールに声がかかり、彼女がぼくをパートナーに提案してくれたんです 。

Q:休養は必要ではないのですか。
A:そうですねえ・・・おそらくちゃんとした週末があれば、それで足りると思いますよ。すごく疲れたら、その2日間はダンスのことは考えない、と。でも、2日たつと、踊りたい! となってしまうんです。

Q:シュシー・アン・ブリィのガラで、アクセル・イボ、シモーヌ・ヴァラストロと 『オーニス』を踊りましたね。この作品は日本で人気があるのですよ。
A:これはぼくには新しい体験でした。コンテンポラリーは学校時代に踊っていますが、入団してからは配役されるのはほとんどクラシック作品なので。『オーニス』は本当に大変でした。観客には軽くみえるかもしれませんが、クラシックではないので難しい。ぼくたち、ウィルフリード・ロモリと猛レッスンを繰り返しました。でも、この経験が何かぼくに特別なことをもたらしたかというと・・特にないですね 。

Q:この作品を踊ることで、喜びは得られなかったのですね。
A:いえ、特には。おそらくアコーディオンをぼくが好きではないからかもしれません。というか、この作品が自分に向いてると感じなかったからでしょう。舞台で踊ること自体は、喜びではありましたけど。

Q:例えばマクレガーなどの作品を見て、自分でも踊ってみたいという気にはなりませんか。
A:いいえ。おそらく、もっと後になったら違うかもしれないけれど・・。コンテンポラリー作品で何がぼくに一番苦痛なのかというと、自分の体が縮小されたような気がすることです。ぼくはエモーションが好き。ヒューマンであることが好き。マクレガーの振付は、なんとなく非人間化されるような気がするんです。『ジェニュス』は観客として、とても気に入りました。でも、『感覚の解剖学』は最後のほうでほんの少しだけ舞台にたちましたが、喜びは得られませんでした。観客にとってはおそらく素晴らしい作品なのでしょうが、ダンサーにとって何かが足りないように思います。

Q:『白鳥の湖』の他に、 踊れる喜びがえられそうな作品は何ですか。
A:ロビンズですね。今準備してる『ダンセズ・アット・ア・ギャザリング』だけでなく、『コンサート』『イン・ザ・ナイト』..ロビンズは全作品が好きです。

Q:『コンサート』は観客の笑いを誘う作品ですが、どの役が自分向けと思いますか。

A:どれでも出来ます!(笑)。笑わせるって、すごく難しいだろうとと思いますけどね。でも、ロビンズもいってたと思うんですが、ダンサーがコミックなのでなく、シチュエーションがコミックでなければ、と。人物はごく自然に演じなければならないわけで、きっとこの塩梅が難しのでしょうね。

Q:バランシンの作品もすべて好きですか。
A:音楽という点で彼の作品は好きですが、振付は女性の価値を引き出すように作られていますので、さてダンサーとしてどうかというと・・。でも、『アポロ』は素晴らしいですね。これは踊りたい! もちろんすぐではないですよ。

Q:生まれたのはパリですか。
A:両親はパリジャンンです。ぼくもパリで生まれましたが、3歳のときに東のモゼールに引っ越し、そこでぼくはダンスをはじめた、というわけです。でも、パリは大好きです、なぜかはわかりませんが。自分の街、と感じています。古い建物、樹々・・とても美しい街 です。それにぼくはフランス文化が好き。フランス人であることに満足してます。市内ではパレ・ロワイヤル周辺などよく散歩するんですよ。カルティエ・ラタンの雰囲気も好きですね。でも、人が多すぎて・・。オペラ座からそう遠くないルイ16世広場も好きな場所です。ローマにいったときに、ああ、パリ以外で暮らせるとしたらローマだ、と感じました。

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photo Michel Lidvac

Q:オペラ座というものをモゼールにいたときから知っていましたか。
A:習い始めたときは存在を知りませんでした。2年めにバレエ公演をみる機会があって、なぜだかはわかりませんが母がダンスを仕事にしたい?って、ぼくに聞いたんです。それで、ぼくはそれもいいかもしれない、と思いました。いつもチャレンジをぼくは求めています。こんな年齢のときでもでも、うちこめる何かを必要としていました。それでダンサーになるというアイディアが気に入って、オペラ座、階級制度、学校・・といろいろ知るようになったのです。そしてオペラ座の学校を試してみることにしたんです。そうしたら、上手くいったというわけです。

Q:母親によってダンスへとプッシュされた、という感じがありますか。
A:いいえ、それはありません。母が常に付き添ってくれている、という感じはありましたが。もしぼくがダンスを気に入らなくても、強いるようなことは彼女はしなかったと思いますよ。学校では6年学びました。第六ディヴィジョンからはじめ、第五、第四とあがり、第三は飛び級して第二ディヴィジョンに。そして、第一ディヴィジョンを1年のところ2年やりました。そして18歳で入団しました。

Q:学校時代の思い出は何でしょう。
A:良い思い出がたくさんあります。でも、こうして聞かれると、飛び級で第二ディヴィジョンにあがったときのことを思い出します。あまりよく知らない生徒たちがいたその中で、学年の最後に一番になったことの喜びといったら! 同じ学級の生徒たちに比べて1年抜けているのですから、ひたすら稽古に励みました。一番になろうと思っていたわけではないですよ。でも、本当に報われた、という気持ちがこの時にしました。心から望んでいれば、可能なのだ、と確信しました。

Q:自由な時間があったら、何をしますか。
A:自宅にこもって、読書をします。オスカー・ワイルドなど19世紀末のデカダンス文学。デカダンスのムーブメントはとても美しく、ひきこまれるものがあります。
今読んでいるのはトルストイの『アンナ・カレーニナ』です。素晴らしい作品。情熱を傾けて、この小説を読んでいます。

Q:自宅には本がたくさんあるのですか。
A:古書をコレクションしています。紙が好き、インクが好き、装丁が好き、革が好き。決して古書をコレクションしょう! という意思をもってはじめたのではないのですが、好きなので自然と集まってしまって。時代を経てきた本には、新しい文庫本などにはない魂を感じます。読書だけでなく、映画、展覧会などカルチャーに関することすべてがぼくの趣味と言えます。ダンスの世界ではない友人がいて、彼らがいろいろと誘ってくれるんですよ。友だちをオペラ座の外に持つというのは、ここですごす時間が長いだけに難しいこと。ですから、努力して探しました。バレエ学校を卒業したときに、こう思ったのです。「42歳まで知り合いのダンサーとだけしか交流がないというのは論外だ。別の分野の友達を探さなければ」と。難しい理由は時間だけではありません。ぼくと同じ年代だと、まだ学生ですよね。例えばバレエ団に入ったときに知り合った女友だちがいるのですが、彼女はずっと学び続けてる間に、ぼくはスジェになって・・と。精神的、心理的な成熟度という点でずれがあるんです。違いを感じます。それで努力した結果みつけた友だちというのは、自分と同じ年代ではなく話のあう上の世代の人々でした。これから、もっと大勢と出会いたいですね。どんな分野の人でも、出会いというのは必ずぼくの内面を豊にしてくれますし、間接的に職業的にももたらしてくれるものがあるはずです。

Q:パリを離れて海外でチャレンジしてみようと考えたことはありますか。
A:いえ、ありません。今、ここで仕事ができることに満足しています。オペラ座のエトワールになることは夢です。それはすべてのダンサーにとって同じでしょう。でも、たとえ生涯スジェで留まってしまったとしても、ソリストとして踊れることこそが喜びです。表現したいことを表現できる手段として、ソリストとして踊りたい。コール・ド・バレエだと、みなと同じように踊ることを要求されていて、そこに押し込められています。音楽にあわせてみんなで揃って踊ってというのは素晴らしいことですが、そこからはみだしてはいけないのです。

Q:ロビンズの後はオペラ座では何が決まっていますか。
A:『マノン』でコール・ド・バレエです。

Q:ロビンズでソロの仕事を経験した後でコール・ド・バレエに戻るのは難しいのではないですか。
A:いえ、そうは思いません。ぼくはまだスジェです。ロビンスでのソリストの経験をもとに、きっとコール・ド・バレエでも以前より快適に感じられるのではないかと思います。

Q:昨年、シルヴィア・クリステル・サンマルタンと共に受賞したカルポー賞について話してください。
A:これにはとても驚きました。ある朝、ブリジット・ルフェーヴルのオフィスにぼくとシルヴィアが呼ばれました。待っている間、いったいどんなヘマをしでかしたんだろうねって、二人して言っていたところ、受賞を告げられたんです。考えてもみなかったことなので、びっくりしました。すごいプレステージュのある賞ですからね。過去の受賞者の名前をみて、誇らしく感じました。カルポー賞の関係者はダンスについてとても詳しい人々で、この受賞は本当にうれしいことでした。

<<6のショート・ショート>>
1.プティ・ペール:いません。お願いする勇気がなかったので。
2. プティト・メール:同じ。でもその後、自分を支えてくれる人々に出会え、後悔なし。
3. 朝最初にすること:シャワー。
4. 何か夢中なこと:特になし。ダンスに十分すぎるほど夢中なので。
5.ストレス解消法 :しゃべること。話すという行為だけで、たとえ解決法がみつからないことでも、すっきりする。
6. 朝食のメニュー:自分で毎朝作るパン、無糖のジャム、フルーツ。健全な食事を心がけている。

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