マリ=アニエスとブリヨンが踊ったピナの<舞踊によるオペラ>の感動

ワールドレポート/パリ

三光 洋
text by Hiroshi Sanko

Ballet de l'Opéra national de Paris パリ・オペラ座バレエ団

Pina Bausch, Christoph Willibald Gluk " Orphée et Eurydice "
ピナ・バウシュ振付、クリストフ・ヴィリバルト・グルック作曲『オルフェとユーリディス』

2009年6月30日にピナ・バウシュが亡くなってから、初めてのパリ・オペラ座バレエ団によるピナ作品の公演が行われた。ピナが1974年の『タウリスのイフゲニア』に続いて、75年に振付けた<舞踊によるオペラ>『オルフェとユーリディス』である。
ドミニク・メルシーのオルフェ、マルー・エロドのユーリディスで初演された作品は、1993年のヴッパタール舞踊団の招聘公演で取り上げられ、その後2005年にパリ・オペラ座バレエ団のレパートリーに入り、08年2月に再演された。今回の公演もドミニック・メルシーらヴッパタール舞踊団のメンバーによる指導によって実現している。
「喪」「暴力」「安らぎ」「死」という4つの場面からなり、第3場「安らぎ」の後に休憩が入る。毒蛇に噛まれて命を落とした妻を求めて冥界に下るオルフェの物語はギリシャ神話にあり、多くの芸術家たちが絵画やオペラの主題に取り上げてきた。オルフェは竪琴の名手とされ、動物や冥界の神々も心を動かされたという。

幕が開いた途端、目に飛び込んできたのは舞台左奥のユーリディスの姿だ。椅子に座っているが、白い布の下から姿の見えない男性に支えられているために、宙に浮いた彫像のように見える。手にした赤い花束と衣装の白、背景の黒との色彩の鮮やかな対照は一幅の絵だ。右手には葉一枚ない枯れた横倒しの大木。黒っぽい衣装のニンフたちは身体を後方に仰け反らせ、両手を天に差し伸べ、ヒロインの死を嘆いている。ほのかに照明に浮かび上がる腕と白い手に人々の慟哭が結晶している。
オルフェとユーリディス、アムール(愛の神)の三役はダンサーと歌手の二人によって表現される。ダンサーだけでなく黒い服の歌手たちも舞台上を動きまわり、歌だけでなく、身体面でも簡素だが効果的な身振りが見事に振付けられている。ピナ・バウシュの世界は身体と音楽とが一体となっていることに改めて印象付けられた。

今回オルフェを演じたのはステファン・ブリヨンだ。「喪」の場面では他のダンサーたちから一人離れ、女性が白墨で丁寧に地面に描いた死と生の境界線に半裸の身体を横たえる。愛の神に地獄に下ることが許された、と告げられても機械的に死の舞踏を繰り返す。冥界で展開する第2場の復讐の神々(フュリー)と対決するシーンでみせた鋭い動きは、若々しい身体とあいまってはまり役と思わせた。最後の場面で愛の神との約束を破って永劫に二人が分かたれ、有名なアリア「ユーリディスを失って」が流れる時は、亡骸の前にうずくまり、微動だにしない。

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© Opéra national de Paris/Agathe Poupeney

この不動の姿からはオルフェの絶望の淵の深さが、これ以上ない強さで伝わってきた。「動かない」という究極の舞踊に胸を突かれた客席に、ぴんと張った沈黙が支配した。
マリ=アニエス・ジローのユーリディスはともかく美しい。ヒロインの持つ脆弱さがもう少し表れていたらオルフェとの対照も完璧になっただろう。
群舞の中ではアリス・ルナヴァンが目に付いた。かわいらしい表情とやわらかな動きでキリアン振付の『輝夜姫』を好演したことを思い出した。最近の彼女の舞台は、身体から輝きが放たれるように感じる。目が離せないダンサーだ。

振付家は、前半80分、20分の休憩を挟んで後半30分の舞台に、登場人物の痛切な心情のコアを、言葉では表すことのできない叫びや嗚咽とともにあふれ出てくる身体の動きに託した。その削ぎ落とされ鋭い造形力により、4つの場面には途切れることのない緊張の糸が一貫して張りつめていた。
1774年にパリ・オペラ座で初演されたグルックのオペラを素材として利用しながら、自身の視点に基づく身体表現と音楽による新しい舞台作品が創造された。通常のオペラ公演ではフランス語の字幕が出るが、ピナ・バウシュの作品では字幕はない。歌手の歌唱もドイツ語の歌詞よりも音の響きとして、知覚よりも感覚として身体表現の視覚と交錯する。「舞踊によるオペラ」というジャンルの指定は、すでに存在した18世紀のオペラの演出に付随した舞踊ではなく、現代の舞踊とグルックの音楽によって新しいオペラを創造することを意図している。その結果の一つとして、アムール(愛の神)によってオルフェとユーリディスが再度結ばれるオペラの結末部分はカットされ、フィナーレで二人は永遠に切り離される。現代の愛の不可能性を鮮烈に描いた舞台に圧倒された。
(2012年2月11日 ガルニエ宮)

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© Opéra national de Paris/
Agathe Poupeney

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© Opéra national de Paris/
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© Opéra national de Paris/
Agathe Poupeney

『オルフェとユーリディス』
振付・演出/ピナ・バウシュ
装置・衣装・照明/ボリス・ボルジック
音楽/ グルック作曲
トーマス・ヘンゲルブローク指揮アルタザール・ノイマンアンサンブル・合唱団
歌手配役
オルフェ/マリア・リッカルダ・ヴァセリング
ユーリディス/ユン・ユン・チョイ
アムール/ゾエ・ノコライドゥー
ダンサー配役
オルフェ/ステファン・ブリヨン
ユーリディス/マリ=アニエス・ジロ
アムール/ミュリエル・ジュスペルギ

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