オペラ座ダンサー・インタビュー:アントニオ・コンフォルティ

ワールドレポート/パリ

大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
text by Mariko OMURA

Antonio Conforti アントニオ・コンフォルティ(カドリーユ)

パンジャマン・ミルピエ芸術監督がプログラムを構成した初のシーズンが、もうじき開幕する。2012年の入団以来配役に恵まれているアントニオ・コンフォルティ。ロビンスの『Opus 19 / The Dreamer』とバランシンの『テーマとヴェリエーション』の2つの稽古に勤しむ今、公演の開始を心待ちにしている。

彼の顔と名前は、DVD『未来のエトワールたち パリ・オペラ座バレエ学校の1年』を見た人にはおなじみだろう。その後オペラ座バレエ団に入団した彼は順調に成長を続けている。何年かおきに開催される公演「若いダンサーの夕べ」に選ばれ、またピエール・ラコットの『祝典』、ジョン・ノイマイヤーの『大地の歌』という2つの創作にも参加を果たしたほど。大柄な身体からはダイナミズムよりも繊細さとエレガンスが放たれ、若いにもかかわらず抒情的で丁寧なダンスを踊る。変化著しいオペラ座でどのように育ってゆくのか楽しみなダンサーだ。イタリア人の彼がパリのオペラ座で踊るに至った経緯から、まずは話してもらおう。

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Photo Julien Benhamou / Opéra national de Paris

Q:どのようなきっかけで、いつ、どこでバレエを始めたのですか。

A:なぜバレエをしたいと思ったのか、まったく覚えていません。僕が生まれたのは、イタリア南部のサレルノの近くの小さな村。ナポリやアマルフィからそう遠くない場所というと、わかりやすいでしょうか。最初は水泳を習ってました。というのも、母が水泳好きだったので。2年やったところで、「僕は、ダンスをしたい。クラシック・バレエを習いたい!」と母に言ったんです。8歳のときでした。突然だったので母はちょっと面食らったようだけど、水泳を続けることを条件にバレエを習っていいとOK してくれて。1年間両方やりました。で、踊るのが本当に好きなので、バレエに専念することにしたんです。サレルノには小さなバレエ教室があって、合計3年そこで習いました。その後、ナポリのサン・カルロ劇場のバレエ学校のオーディションを受け、そこに行くことになりました。それは11歳のときです。

Q:ナポリに引っ越したのですか。

A:いえ、サレルノからバスでナポリに通いました。1時間くらいかかるんですよ。渋滞にぶつかったりすると、もっとかかります。父がいつも同伴してくれました。僕を学校に迎えに来て、サレルノまで連れて行ってくれて、レッスンが終わるまで待って・・・。帰宅が22時とかにもなることもあったんですよ。家族がこうして僕をサポートしてくれてました。

Q:バレエがあなたにどれほど重要かを両親が理解していたということですか。

A:はい。僕の情熱そのものだと、わかってくれていました。最初のバレエの先生が「彼には才能がある」っていったからでしょうか・・・。ナポリのバレエ学校は最初の3年間は、こうやって通っていました。学校の宿題もあるし、本当に大変でしたね。その後、ナポリの寮に入ることにしたんです。それから2年間、寮にはいってバレエ学校で学んで・・・。

Q:イタリア人の家族愛の強さを思うと、ナポリで寮にはいるとき家族と別れるのは辛かったのだろうと想像します。

A:はい。でも、週末は自宅に帰っていたので、それほどでもなかった。ただ、一人暮らしというのが初めてだったから様々なことを自分で解決する必要があって、そうしたことが大変でした。ナポリのバレエ学校の寮はオペラ座のナンテール校と違って、学校内の寮ではないのだけど、ナンテール同様にきっちりと枠にはめられた生活でした。で、この学校で5年学んだところで、なぜかわからないのだけど、オペラ座の学校に行きたい!って。なぜだかわからない。いつもこうなんです、何かを選択するときって。突然、頭に浮かぶことなんです。

Q:オペラ座のバレエ学校にビデオを送ったのですね。

A:はい。そのとき15歳になっていて、オペラ座の13歳までというオーディションの規定年齢を過ぎていました。でも、ビデオを送って試してみることができると聞いていたので、レッスンのミニビデオと写真をプラテル校長に送ることにしたんです。今思い返しても、ビデオを送るまでの半年間は稽古漬けの猛烈な日々でしたね。ビデオのために稽古稽古・・・でも送ったとき、実はまったく期待してなかった。もちろんオペラ座の学校に入りたかったので、心のすみにわずかばかりの期待はしていたというものの、パリは遠いし、オペラ座はとてもプレスティージュな場所なので、いつか自分がそこに入るということを想像するのは難しいかったせすね。だからビデオを送ったときに、「やるだけはやったのだから、後は最悪の状態に気持ちを備えていよう!」って自分に言い聞かせました。プラテル校長からオーディションに来るようにという手紙が届いたときは、もうこれだけでも最高な気分でした。

Q:オーディションはうまくいったわけですね。

A:ビデオを送ったのが3月で、オーディションは5月でした。その結果、9月から第二ディヴィションの生徒になりました。

Q:いきなり第二ディヴィジョンにはいって、他の生徒たちとの関係はどうでしたか。

A:みんな下から上がってきた生徒たちなので、彼らはお互いのことをよく知ってるわけですね。だから、このときに家族と離れてることを初めて辛く感じたんです。最初は本当に辛かった。僕以外の皆は知り合い同士、その上、僕はフランス語がひとことも話せない !

Q : まったく話せなかったのですか ?

A:ウイ、ノン、ボンジュール、ボンソワール、メルシー、これだけ(笑)。オーディションのときはダンスを見せるのであって、フランス語は必要なかった。フランスの地方に住んでいる従兄弟がいて、彼がオーディションについてきてくれたんです。彼のおかげで入学できることがわかったんですよ、プラテル校長のオフィスで(笑)。9月に入ったときは本当に辛かったですね。とりわけ最初の一週間はそれほど日課がタイトじゃなくて・・・。レッスンの時間は話す必要がないからいいのだけど、レッスンが15時には終わってしまうと、その後夜まで何も話さずに一人でいる、という状況でした。

Q:バレエ学校では午前に一般科目の授業もありますよね。

A:はい、もちろん授業はフランス語で行われます。最初は何もわからなかったけど、家族や周囲の人が「大丈夫だ、時間がたてば、そのうちわかるようになるよ」っていってくれて・・。最初は大変だろうって予測していたけれど、本当に最初はまったくわからなかった。ある朝目覚めたら、パッと話せるようになってるのだろうか !?・・・って、いささか絶望的な気分になりましたね。でも授業のおかげで、フランス語がわかるようになりました。読み書きしなければならなかったおかげですね。日常生活の中で言葉を学ぶより、ずっと簡単な方法でした。それに先生たちもすごく助けてくれたし。翌年1月にはフランス語で話せるようになってた・・・と思います。

Q:オペラ座バレエ学校にナポリから来て、他の生徒と自分のダンスについて何か違いを感じましたか。

A:教え方がまったく違うので、最初は完全に戸惑ってしまいました。学びなおすことは多く、たくさんのことをやり直して・・。他の生徒たちは小さいときから学んでいて、小さいときから耳にしていることも、僕にはすべてが新しいことばかりで・・・。がむしゃらにしがみつきました。

Q:オペラ座のフレンチスタイルについては聞いたことがありましたか。

A:もちろん。僕、オペラ座バレエのファンだったのです。ナポリ時代、オペラ座のDVDをしょっちゅう見ていたんですよ。マニュエル・ルグリ、オーレリー・デュポン、マチュー・ガニオ・・・。オペラ座バレエのエレガントでピュアな面が好きで、『ラ・シルフィード』『ドン・キホーテ』『眠れる森の美女』といったクラシック作品ばかりを見ていました。

Q:学校時代の良い思い出は何ですか。

A:二年間、良い思い出ばかり・・あ、今そういわれて思い出したのだけど、学校時代の最高の瞬間の思い出があります。第二ディヴィジョンのときに最初に参加した「デフィレ」。9月に入学してすぐのことでもあって、これは本当にすごい瞬間でした!今では「デフィレ」のすべてをyoutubeで簡単にみられるけど、その頃は部分的にしかみたことなく、ダンサーが歩くというのはわかっていた程度で。初の「デフィレ」ではオペラ・ガルニエの舞台に初めて立つ、ということですでに大興奮!次にその場にダンサー全員がいる!エトワールがみんないる!というので、これは僕には衝撃的なことでしたね。イタリアの友だちにショートメッセージを送ってしまいました。「ああ夢をみてるみたい! DVDで見たダンサーたちが、今、みんなぼくのまわりにいるんだよ!!!」って。感動的でしたね。デフィレそのものも最高。ただ歩くだけなのに、あんなにも美しく、喜びが湧き上がるなんて。今シーズンも「デフィレ」で開幕するけど、音楽はワグナーの「タンホイザー行進曲」に変わります。どんな感じだろう・・・。でも、聞くところによると、この曲がもともとはデフィレの音楽に考えられていたもので、戦後のことであまりにもドイツ色が強いということで、ベルリオーズの「トロイ人行進曲」が使われるようになったとか。つまり、元に戻るということですよね。 

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「若いダンサーの夕べ」『Réversibilité 』Photo Benoîte Fanton / Opéra national de Paris

Q:オペラ座バレエ学校に在学中にDVD「未来のエトワールたち パリ・オペラ座バレエ学校の1年」のドキュメンタリーに出演していますね。

A:はい。第一ディヴィジョンの1年間、ずっとカメラが僕たちを追っていたんですよ。生徒によってはあまりビデオで話したくないっていう生徒もいたけど、僕はインタビューとか気にならないし・・・。もっとも、カメラがいつも回ってる状況になれる必要がありました。これに一緒に出たアリス・カトネと僕の二人が、2012年9月からオペラ座の団員になりました。

Q:これに出たことで、来日公演のときに声をかけられたりしませんでしたか。

A:昨年三月の『椿姫』『ドン・キホーテ』のオペラ座ツアーで日本にいきました。これが僕の最初のツアーで、最初の日本。で、僕の名前を知ってる人がいるので、なんで???って驚いてしまいました。びっくりした顔をしたら、Graines d'étoile!Graine d'étoile ! ていわれて、そうか!って。朝のクラスレッスンに行くため電車に乗っていたら、背中をぽんぽんと叩かれたことがあって・・・振り返ると「アントニオ??写真、写真、写真!」っていわれたこともありました。こういうことにパリでは慣れてないので、いささか居心地が悪くはあったけど、うれしいことですよね。他の団員から日本のバレエファンについていろいろと聞いてはいたけれど、実際に自分の身に起こるとは・・・。ちょっとしたショックもありました。

Q:今シーズンの最初の公演は9月22日からですね。何を踊るのですか。

A:バランシンの『テーマとヴァリエーション』、そしてロビンズの『Opus』です。

Q:好きなスタイルの作品ですか。

A:はい。どちらも大好きですよ。それぞれにスタイルは異なって、バランシンはアカデミックで型にはまる必要があるのでとてもきついですけどね。それに比べるとロビンズは自由でアメリカ的で・・・。公演が始まったら、毎晩2作品を踊るので大変だけど、同時にすごくエキサイティングですよ。というのも、僕はカドリーユなので当然ながら代役のことが多いのだけど、この2作品では最初から配役されていて・・・。ロビンズの方は男性6名、女性6名と舞台上のダンサー数も少なくいので、うれしいですよ。素晴らしいシーズンの開幕なので、リハーサルを目下楽しんでやっています。

Q:ロビンズといえば、昨年のコンクールの自由曲に『アザー・ダンシーズ』を選んでいますね。

A:はい。とても好きな振付家ですから。彼のセンシビリティに惹かれます。技術的にとても難しいのです。観客の関心をひきつけられるようになるには、自分なりに模索する必要がある作品で・・・。昨年のコンクールの時に僕がこの作品で一番気に入った点は、そこなんです。

Q:入団3年の短い間に、これまですでにピエール・ラコットの『祝典』とジョン・ノーマイヤーの『大地の歌』の創作に参加していますね。

A:はい。こうして選ばれたのは、すごい幸運なことですよね。その分責任も大きいけれど、その期待に応えられるようにと努めました。ベストを尽くして・・・もっとも、いつだってベストを尽くすようにしているけれど。このように創作に参加できるのは、すごくモティベーションが上がりますね。

Q:ラコットの振付も正統クラシックで、踊るのが大変だと聞きます。彼の作品はこれが初めてでしたか。

A:学校の第二ディヴィジョンのとき、学校公演で『コッペリア』に出ました。学校に入った最初の年で、これがラコットとの最初の出会いでした。とってもフランス的振付ですね、彼の作品は。スピードを求められるし、足の打ち合わせなど下半身の仕事が多くって大変だけど、やり遂げられたらうれしいですよね。『祝典』ではパートナーがレオノール・ボーラックで、良い経験ができました。

Q :『大地の歌』の創作はどうでしたか。

A:あああ! このバレエ、大好きでした。前シーズンの最高の出会いの1つで、前シーズンの最高の作品です。ジョン・ノイマイヤーのチームと2か月間、蜜に仕事をしたんですよ。彼らとダンサーとの間には互いに敬意があって、すごく良い雰囲気で創作は進みました。創作作品そのものについては好き嫌いが分かれたようだけど、僕にとってはこの創作に参加できたことは忘れがたい経験なんです。

Q:創作ではダンサーから提案することもよくあるようですが、この時はどうでしたか。

A:はい、とりわけ最初に。というのも、彼自身、自分がしたいことのアイディアがまだ固まっていなかったのです。だから最初のうち、結構僕たちに自由がありました。彼が何かいって、それに対して僕たちがやってみせて・・・すると、彼がああそれは好きだ、とかいうような感じで進みました。創作に参加する喜びって、もちろん作品が気に入るとかそういったこともあるけど、まずは創作過程での振付家との出会い、やりとり・・。これが重要なんですね。振付家との出会いという点では、学校の最終年にとてもよい経験をしました。創作ではないけれど、『3楽章の交響曲』に配役されたので、振付けたニルス・クリストと彼の奥さんと一緒に仕事をすることができたんですよ。

Q:今後どんな振付家の創作に参加してみたいですか。

A:たくさん! フォーサイスのクリエーションが今シーズン予定されてますね。選ばれるかどうかわからないけど、彼とはぜひ仕事をしてみたい。前シーズンの開幕プログラム中の『パ・パーツ』で代役だったので、少しだけどフォーサイスの作品に触れる機会に恵まれたんです。彼からは学ぶことも多いし、楽しかったですね。

Q:ダンスの何が好きなのですか。

A:表現することです。僕は自分の気持ちをなかなかうまく表すことができない質なのです。どちらかというと自分にこもってしまいがち。だけどその分舞台では思いきって表現ができるんです。小さいときはピルエットとかジャンプとかテクニックがすごいバレエが好きだったけど、徐々に物語のある作品や感情表現が大切なバレエに惹かれるようになってきています。

Q:いつか踊りたいと夢見てる作品は何ですか。

A:たくさんあります! 中でも一番はヌレエフ版の『ロメオとジュリエット』。小さいときはDVDを最後まで見ることがなく、いつも途中で「ああ、かったるい」となってしまっていたんですよ。それがなぜだかわからないけど、あるとき、「わおー!」って、この作品が大好きになったんです。オペラ座で見た最初のバレエが『ロメオ』だったせいかもしれない。2013年の初めてのコンクールのときに、自由曲に『ロメオとジュリエット』を選びました。これを稽古している間、とても幸せな気分でした。

Q:これまでで舞台上で最も弾けた作品は何ですか。

A:なんだろう・・。心底盛り上がったのは初めてオペラ座の舞台に立てた『ドン・キホーテ』です。入団した最初のシーズンで、コール・ド・バレエで漁師でした。これは本当に最高の気分が味わえました。ぼくにとってチャンスだったのは、公演直前に怪我をしたダンサーがいて代役だったぼくが出られることになり、そのダンサーの怪我が長びいたので、最後まで毎回ぼくは舞台で踊ることができたんです。26公演くらいあったのかな。もう、これは最高。毎晩弾けてました。そして3月に日本で『ドン・キホーテ』があって、それにも参加できたんです。その時もバスチーユのときと同じ気分が味わえました。エネルギーに満ちていて、踊りたい!と思わせるものがあるすごい作品です。そして『椿姫』も楽しめました。この作品では女性パートナーと組んで二人で踊るので、たくさんポルテの経験ができました。とてもハードなポルテだったけど・・・。『椿姫』は衣装も音楽も素晴らしくって、それにソリストたちが素晴らしい。毎回舞台の袖でみていました。すべての配役をみましたよ。ぼく、いつもこうした舞台を袖でみてるんです。ちょっと熱狂的なくらいに(笑)。「いつも、ここにいるんだね!」って驚かれることがあります。確かに同じ作品を10回も見れば、配役もすでに全部みたことになるし・・でも、こうした作品って毎回が異なるバレエ。彼らがその晩に提案するものの中にいつも入り込んでしまうんです。最高ですよ。アルマン・デュヴァル役ですか?これを踊りたいって、もちろん夢みてますよ。

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「若いダンサーの夕べ」『Réversibilité 』アントニオ(右)Photo Benoîte Fanton / Opéra national de Paris

Q:この『椿姫』の時にノイマイヤーはあなたを見ていたのでしょうか。

A:わかりません。『大地の歌』にぼくが選ばれたのは、もしかすると彼はぼくの最初のコンクールの審査員だったからかも・・・。選ばれた時うれしいと同時にすごく驚いたんですよ。「いったい、彼はいつぼくをみたんだろう」って。おそらく、この2つのうちのどちらかでしょうね。

Q:最近はMatthew Brookesの写真集『Les Danseurs』に参加したり、アーチストJR の「Decade .Portrait d'une génération展」(10月17日までGalerie Perrotin にて開催中。76, rue de Turenne 75003 Paris)の作品制作に参加したりと、外部との交流がありますね。

A:この写真集は出来上がったのを見たら、僕だけの写真があってちょっと驚きました。こうしたプロジェクトに参加するのは、いいことですよね。ステージで体を動かすことには慣れているけど、こうしてカメラの前でポーズをとることは初体験。カメラマンのチームはみんな感じが良くって、ダンサーたちのいうことにも耳を貸してくれ、撮影はすごく良い雰囲気でした。4人のグループ写真は揃ってジャンプするカットで、これは何度も何度も撮り直しました。というのも、僕たち、写真をみるたびに、誰かしらが、あ、これだめだ!やり直し! と言い・・・こうして何度も何度も繰り返し、最後にはカメラマンが「もういい、ストップ!」と声をかけて撮影を終えたくらい。JR のフィルム撮影も、素晴らしい経験でしたね。パリ郊外の街で夜にフィルム撮影を行ったんですよ。ダンサーが40名くらい参加して。その後オペラ座の屋根の上での写真撮影もありました。ダンサーのブリューノ・ブーシェがキャスティングなどに関わって・・・そうじゃないと大勢なのでオーガナイズが大変ですよね。

Q:他にも何かこうした外部のプロジェクトに参加する予定はありますか。

A:実は明日、雑誌の撮影があります。僕とジェルマン・ルーヴェなど3名が参加します。

Q:ミルピエ監督就任以降、特に若いダンサーたちに外部からのこうしたリクエストが増えてるように思います。

A:そうですね、確かに。彼はこうした外部のプロジェクトに対してオープンな人なので、以前より許可がおりやすくなっているようです。彼が芸術監督に就任して、オペラ座のサイトにダンサー全員のポートレートがのるようになりました。その結果、世間の人々はぼくたちの名前と顔が一致できるようになって・・。それに彼は若いダンサーにソリストの役を多く与えますから、徐々に若いダンサーの名前が知られるようになってきている・・・。

Q:ルフェーブル前芸術監督時代も知っているあなたとしては、オペラ座に変化が起きていると感じますか。

A:すごく感じます。メゾン内のメンタリティが大きく変わりました。すごくポジティブ・・・といっても、何事も新しい習慣になれるには時間がいりますよね。エトワールと話す機会がないので彼らがどう考えてるかはわからないけど、僕たち若い世代の間ではモチベーションが上がっています。やる気が湧く状況ですからね。ただエトワールやプルミエのソリストたちは、以前よりその分活躍場所が減ってしまったのは確かで・・・素晴らしいダンサーたちなのだからそれはちょっと残念ですよね 。ピラミッドの構造が以前より確固たるものではなくなってきていると言えますね。

Q:今シーズンのプログラムについて、どう思いますか。

A:これまでのプログラムとはとても異なりますね。でもロビンズ、バランシンなど好きな振付家の作品があって、それはとってもうれしいですよ。『ジゼル』もあるし、『ロメオとジュリエット』もあるし・・。彼が最初シーズンで、これまでにレパートリーになかったたくさんの良い作品を提案したいと思った結果なのだろうと思います。いずれにしても、いつか、また『椿姫』や『オネーギン』のような作品が踊れることを願ってます。そうそう、ぼく『オネーギン』で面白い体験が出来たんですよ。第二幕ではずっと老人役でした。他のダンサーたちと同じ振付で踊るのだけど、ぼくはそれを老人として踊るわけですね。最初はえええ!と思ったけど、毎晩、ヒゲをつけ、かつらをつけて大変身して、体を2つに折って小さくなって・・・誰もぼくだって気がつかないほどで。よくある役じゃないけど、最高に楽しめました。

Q:2012年に入団以来、配役されたどの作品も楽しんでる様子ですね。

A:入団して3シーズンですけど、そうですね。毎回、毎回自分のベストを尽くすようにしています。ベストを尽くすと、最高の気分が味わえるものなんですよ。リハーサルが始まった当初は、これあんまり好きじゃないなあって思うことがけっこうあります。振付がきつい、ああ、毎晩これを踊るのは辛いだろうなあ・・・と。ところが舞台に上がると、そう思った作品でも多いに楽しめてしまいます。実際に舞台で踊ることによって、多くを学べるのです。

Q:オペラ座外の活動として、誰かのグループに入っていますか。

A:はい。入団以来、サミュエル・ミュレーズのサミュエルのグループ(注:トロワジエム・エタージュ)のガラに参加しています。グループで一緒に何かをするというのもいいし、みんな優しいし。このグループは過去にカナダやアルゼンチンに行ったようだけど、僕が入ってからはもっぱら国内での公演ですけど・・・。サミュエルがプログラムを決めて配役するんです。踊る役が時々他のダンサーとスイッチされるので、いろいろ踊れて楽しいですよ。来年1月にはこのグループ公演で、ジョジュア・オファルトが振付けた『チャイコフスキー 夢の王国の物語』の再演が予定されてるんですよ。これは『眠れる森の美女』と『白鳥の湖』をコラージュしたような作品。その後も何回か公演があるようで、楽しみです。グループのガラというのはオペラ座の仕事にプラスされる仕事なので時期によっては大変。でも、自分がやりたくて続けていることなんです!

<10のショート・ショート>

1. プティペール:アレッシオ・カルボーネ
2. プティット・メール:ドロテ・ジルベール
3. 定番の朝食:シリアル、フロマージュ・ブラン、カフェ、果物、そして時々タルティーヌ。
4. 舞台に上がる直前にすること:自分がすることに集中するだけで、特別なことはしない。
5. 好きな香り、匂い:海の匂い。
6. 夢のバカンスの行き先:自然のあるところ。スコットランド、北欧など。
7. 好きな作曲家:ショパン、チャイコフスキー
8. 自由時間の過ごし方:映画、展覧会、仲間と時間を過ごす。
9. パリで好きな地区:オペラ座界隈、モンマルトル
10. ダンサー以外に考えられる職業:小さいときは獣医になりたかった。 

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