オペラ座ダンサー・インタビュー:オニール 八菜

ワールドレポート/パリ

大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
text by Mariko OMURA

Hannah O'Neill オニール 八菜(スジェ)

オペラ座バレエ団で臨時団員として2年を過ごし、その後団員として正式採用されたオニール 八菜。初コンクールでコリフェに上がり、そして昨年末のコンクールの結果、今年1月1日からスジェとして舞台に立っている。とんとん拍子で昇級を続けている彼女。コール・ド・バレエだけでなくソリストにも配されるのがスジェである。早速『白鳥の湖』の主役オデット/オディール役に配役された。次いで、この5月には『パキータ』の主役にも! 誰の目にも明らかなしっかりしたテクニックで会場を沸かせ、パキータという若い女性役を楽しそうに演じ・・・。『パキータ』はガルニエ宮で2公演を踊り、さらにコペンハーゲン・ツアーの5月31日にも主役で踊ることが予定されている。

『パキータ』ではマチアス・エイマンがパートナー。大先輩ダンサーに引けを取ることなく、黒目がちの大きな瞳を輝かせて堂々と踊る彼女に、会場からは大きな拍手が何度も湧き上がった。22歳の才能ある若いダンサーを会場のみんなが暖かく見守っている、といった愛情のこもった拍手だ。5月3日の彼女の初パキータは、日曜のマチネだったこともあり、会場には低年齢の女の子たちも多く、そうしたバレリーナ予備軍たちにとって、この日をきっかけに八菜は憧れのダンサーとなったに違いない。さて『パキータ』の次は『リーズの結婚』のコール・ド・バレエだという。他の作品同様に2週間前に突然リーズ役が彼女に回ってきたら......と、つい期待したくなる人も多いことだろう。ジェルマン・ルーヴェ、ユーゴ・マルシャン、レオノール・ボーラックとともに、期待される若手ダンサーの一人に数えられている彼女。オペラ座バレエ団関係者の間でも、いずれエトワールに任命されるのは確実なことと噂されている。日本人の母親を持つハーフの彼女のオペラ座での未来は、日本のバレエファンの注目を集めずにはいられない。

Q:『パキータ』全幕は以前から踊ってみたいバレエでしたか。

A:はい。アニエスとジョゼのDVDを見たことがあって・・。でも、自分がいつかこれを踊るとか、そういうことまでは考えてませんでした。

Q:この作品の主役を踊ると知った時、どんな気持ちがしましたか。

A:すごく嬉しかったです。でも、「え、2週間でですか?」という感じだったんで・・・。『白鳥の湖』を踊った翌日かその次の日くらいに伝えられたんです。

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「パキータ」Photo : Laurent Philippe /Opéra national de Paris

Q:それは『白鳥の湖』で良い結果を出したことの証といえませんか。

A:そうですね。ラッキーなことに、ピエール・ラコットさんが『白鳥の湖』を見に来てくださっていて・・・それで気に入られたのかなぁ・・・と。2週間、ラコットさんとアニエス(・ルテステュ)と稽古をしたのですけど、振付を覚えるのが一番大変でした。ラコットさんの振付は細かくってパがたくさんあるので(笑)。それにマチアス(・エイマン)と踊るのもこれが初めてのことだったので・・・。

Q:彼は『パキータ』のリュシアン役を過去に踊っているので、パートナーとして頼りがいがあったのではないでしょうか。

A:それは稽古中ではなく、5月3日、私の初めての公演で舞台に立った時に、すごい感じました。マチアスは経験をたくさん積んでいるダンサーです。リラックスしているというのではないけれど、彼自身が安心してるので私も安心することができました。その勢いで、楽しく、良く出来たかなぁ、って・・・。

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「パキータ」Photo : Laurent Philippe /Opéra national de Paris

Q:自分でも満足できた舞台だったのですね。

A:はい、そうですね。

Q:5月3日の舞台の後で、次の5月9日の公演までに何か改善すべきポイントなど指摘はありましたか。

A:はい、アニエスから直すべきところについて翌日に教わったので、今、そうした点を気をつけて9日のために稽古をしています。例えば、1幕の後半、イニゴの家のテーブル周辺でのパントマイムについてです。物語の先がわかってるといった感じにやっている、って指摘がありました。マチアス(リュシアン役)とセバスチャン(・ベルトー/イニゴ役)が話している間に、私がマイムで先を進めてしまったりとか・・・。1週間稽古し続けていて、このシーンに慣れすぎてしまったせいですね。だから、自分でも何もかもが初めてのようにマイムをすることに、と気をつけるようにしています。他には、ヴァリエーションの勢いやアクセントについて、もっときっちりしなさいという指摘がありました。

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「パキータ」
Photo : Laurent Philippe /Opéra national de Paris

Q:5月3日、会場は多いに湧きました。感じましたか。

A:もちろん。それによって、すごく助けられたなって、思います。

Q:背の高いあなたとマチアスの組み合わせというのは、それほど身長差がなく、それゆえかとても現代的なカップルに見えました。

A:ああ、それはうれしいです。私の身長は171センチで、ポワントで立つと、マチアスより少しだけ大きくなってしまうのです。でもマチアスはパートナーの扱いがとてもうまいので、踊りにくいということはありませんでした。彼のほうがちょっとやりにくい、というところがあるかもしれないけど(注:彼女が上に揚げた手をパートナーが握って回す、という振りをしてみせる)・・・。

Q:オペラ座や外部のガラ公演などの経験から、自分にとってベストのパートナーとはどういうダンサーだと思っていますか。

A:うーん・・・一緒に勢いをつけられるという人が一番やりやすい。一人で踊ってる、という感じではなく、二人で踊っているという感じになれることが大事なんですね。テクニックが上手な人もいいけれど、舞台に立ったときの雰囲気がすごく大切なので・・。 

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「パキータ」Photo : Laurent Philippe /Opéra national de Paris

Q:初めてソリストとしてオペラ座で踊った『白鳥の湖』と今回の『パキータ』との間で、自分が成長をしているという実感はありますか。

A:どうでしょうかね。二つの作品はまったく違うので・・。初の『パキータ』の公演の日、あんまり緊張しなかったんです。それで自分でも、「あ、こんなものなのかなぁ」とちょっと意外な感じで(笑)。 

Q:では『白鳥の湖』では緊張したのですね。

A:それが、当日までは全然・・・。でも、公演の日の朝は緊張してしまって、クラスレッスンではがたがたになってしまって。でも、実際に舞台が始まったら、それほどでもなくなって、良く踊れました。今回『パキータ』の時は朝起きても普通の日と同じようでした。これが一番違うな、ということでした。

Q:『白鳥の湖』より『パキータ』のほうが役を身近に感じられる、ということも関係していますか。

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「白鳥の湖」
Photo : Ann Ray /Opéra national de Paris

A:そうですね。『白鳥の湖』は鳥のイメージを出すのが難しいし、テクニック的にもあっ! となるところが幾つかあるじゃないですか。だからコントロールがすごく必要となって・・。『パキータ』もテクニック的には難しくて、それに『白鳥の湖』よりすごく疲れるんですよ。1幕でもう死にそうになりながらやっていて・・アニエスからも『パキータ』が一番難しい、と教わりました。そういう意味で大変ですけど、最後のほうになるとあまりにも疲れていて、難しさを考えている余裕もなくなってしまって、勢いで踊るという感じになります。また、カールから言われたことがあるんです。「舞台に出る30分位前にピルエットをいっぱいやったりというダンサーがいるけれど、そんなにやらなくていいんだよ。毎日クラスでやってるんだから、いつものようにやればいいんだ!」って。で、「ああそうだなあ」って。そのことを『白鳥の湖』の日に実践してみたら、本当にその通り!フェッテとか何回も練習していて、うまくいかないところがあるとそればかりが頭に残ってしまって、それでフェッテの前に「あ、これ緊張しちゃう」となるのだけど、そこを「いつものように!」と自分に言い聞かせてやったら、「できた!」「あ、終わった」て・・・(笑)。

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「白鳥の湖」Photo : Ann Ray /Opéra national de Paris

Q:『パキータ』では衣装が変わって舞台に出るたびに、女性として別の面をみせる感じがありますね。

A:アニエスがパキータの段階の変化、女性としてのランクが上がってゆくというようなことををいろいろ話してくれました。ステップ自体も変化しますけど、やはり頭の中にこうしたことを意識して踊らないと変化が出てこないので・・・アニエスはすごく良いコーチなんですよ。

Q:ところでオペラ座バレエ団を選んだ理由は何なのですか。

A:子供の頃からの夢だったんです。8歳のときにニュージーランドに引っ越したんですけど、その前、日本にいるときから。バレエは小さい時から好きで、日本だとオペラ座というのはすごいものじゃないですか。それにつられてというか、その影響で・・・。オペラ座のビデオとかよく見ていたんですよ。それに、小さいときにオペラ座のバレエ学校の来日公演も見にいったようなんです。私はまったく覚えていなんですけどね。演目は『卒業舞踏会』だったかな・・・。その音楽のCDを持っていて、公演を見た後でずっと真似してやってたらしいんです。本当はオペラ座のバレエ学校にも行きたかったです。それで13歳か14歳の時ビデオを送りました。で、そのすぐ後にYAGP(ユース・アメリカ・グランプリ)のコンクールに参加したんです。その時、コンクールの成績もよくて、オーストラリアン・バレエ・スクールのスカラシップをもらったので、オーストラリアン・バレエ・スクールに通い始めました。オペラ座バレエ学校からはビデオを送ったものの返答が何もなかったので・・・。オペラ座への夢はあったけど、その時点で「ああ、やっぱり無理だ」ってなんとなく思ってしまっていて・・・。で、17歳のときにバレエ・スクールの3年生のときかな、またYAGPに参加したんです。その後にインタビューがあって、学校の校長先生も一緒だったのですけど、話が進むうちに、「最初のYAGPのとき、プラテル校長も来ていて、実は彼女も君を欲しがったんだ」と校長先生の発言があって・・。でも、オーストラリアは私が住んでいたニュージーランドにも近い、というような事で、プラテル校長から「では、どうぞ!」というような感じになったようなんですね。それを聞いたときに、「あ、じゃあ、試してみようかな」って思ったんです。オペラ座の入団のオーディションを受けて、その結果、2年間臨時雇用契約で踊ることになったんです。もうじき4年目になります。私にとって、バレエというのはイコール、オペラ座なんです。

Q:それはなぜでしょうか。

A:小さいときから、すべてについてなんです。衣装、オペラ座という建物、それに私がオペラ座を知った小さなときって、まだプラテルさんやゲランさんとかが現役でいてすごい時代だったじゃないですか。それにも憧れたし・・・とにかく、私の中ではバレエはオペラ座が一番!という感じでした。

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「白鳥の湖」Photo : Ann Ray /Opéra national de Paris

Q:夢にみたオペラ座と現実のオペラ座と違いはありましたか。

A:思い描いていた通りではなかった・・・でも、うれしかったですよ。入団したとしてもその先には行けないかもしれないけど、行ってみないことには何もわからないのだから、という気持ちでパリに来ました。

Q:来る前にフランス語を勉強してみたりしましたか。

A:全然。そこまで考えがまわりませんでした。というのも、入団のオーディションがけっこうぎりぎりにあって、すぐに入団することになるじゃないですか。時間もなくて・・・。だから、来てからの苦労がけっこうありましたね。ここのダンサーは小さいときから、みんな知り合いじゃないですか。私は友だちと別れてパリに引っ越して来て・・・。引っ越しは何度もしていてけっこう慣れてるのですけど、やはりフランスのカルチャーとオーストラリアのカルチャーもけっこう違うし、フランス語もしゃべれなかったので、それは最初苦労しましたね。

Q:韓国からのセ・ウン・パークさんもあなたと同じときに臨時雇用契約で入りましたね。似たような状況の人がいるので、心強かったということはありますか。

A:そういうことは特にありませんでした。入団してフランス人の友だちもすぐ出来たので、パークさんと互いに助け合ったりというようなことはありませんでした。

Q:すぐにカンパニーに馴染めたということですね。

A:でも、「あ、ここだ!」と本当に思えるまで、1年ぐらいはかかりました。生活のこともあるし、それにカンパニーも大きいので毎日袖で見ているだけ、というような日が続いたし。舞台で踊れる機会があまりなくて・・。でも、こういうものだと思いながら頑張りました。

Q:身長が171センチというのはオペラ座では大きい方ではないですか。

A:オーストラリアでも大きいほうでした。でも、オペラ座にきて驚いたのは身長差の広さですね。サブリナ(・マレム)やリュシー(・フェンウィック)のように背の高い人も入れば、エレオノール(・グリンゴー)やマリーヌ(・ガニオ)のように小柄なダンサーもいて、と。でも、みんなが上手に使われているので驚きました。

Q:ダンサーが若いうちからアパルトマンの購入をするのは驚きませんでしたか。

A:これ、最初、すごい驚きました。え、もう買うの?って。最初にパリに来たときは、この先どうなるかわからなかったので、そういうことは考えてなかったのだけど、スジェになった今、これから長くパリにいることになるので、じゃあ、私も買う時期かなあ・・・と最近思っています。

Q:今スジェに上がれて、夢に描いた通りのオペラ座の暮らしですね。

A:信じられない速さで、こんなに早く上がれるとは思ってなかったので・・。

Q:次のコンクールではプルミエへの昇級がかかっていますね。

A:はい。コリフェにあがった時のコンクールでは、まあ最初のことだし、ガルニエで衣装をつけてヴァリエーションを踊れるということで、けっこう楽しんでできたんですね。でも、去年のコンクールでは、その時よりはプレッシャーを感じて、頭の中でコンクールだ!!! となってしまい、それで失敗というか・・ちょっと失敗したんですよね。まあまあには踊れたですけど、でも、楽しかった!という感じには終わらなかった。でも、それで上がれたので、ああ良かった!と思いました。次のコンクールでもちろん上がりたいという気持ちはいっぱいあっても、今、スジェには上手いダンサーがたくさんいるし、私は一番若いので・・この間ほどは次の時はプレシャーを感じないかなと思っています。

Q:コンクールの自由曲にバランシンの『ワルプルギスの夜』という珍しい作品を選びましたね。

A:私はアニエス、それからローラン・ノヴィスにコーチを受けています。彼には入ったときに、私のほうから声をかけてお願いしています。で、この間のコンクールでは、何を選んでいいのか何をやっていいのか分からなくて、困って彼に相談したところ、こういうのがあるのだけど、と、この作品を勧められました。

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コンクールから
Photo Sébastien Mathé /Opéra national de Paris

アニエスとは去年の「若いダンサーたち」の公演のときに、マチュー・コンタと私が『天井桟敷の人々』のパ・ド・ドゥを踊ったときにコーチしてもらい、その時以来みてもらっています。


Q:どういったタイプの作品がお好きですか。

A:まだたくさん踊ったことはないのですけど、バランシン・・。それに、踊りたいと思うものがあっても、実際に踊ってみないとわからないので。今まで踊りたいって、ずっと夢見ていたのは『白鳥の湖』だったんです。

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コンクールから Photos Sébastien Mathé /Opéra national de Paris

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Q:では、その『白鳥の湖』の主役に抜擢された時、どんな気持ちがしましたか。

A:へえ・・本当ですか???という感じでした。すごくうれしくて、ポワーンとした感じで。配役を知らされたのは『白鳥の湖』の公演中で、コール・ド・バレエで踊っているときだったんです。毎日劇場にいたわけですね。配役を知ってから、主役が踊るのを袖で見ながら、「えええ、こんなのできるかな」と、ちょっと悩みました。。

Q:舞台度胸があるのでしょうね。バレエ学校時代にたくさんのコンクールに出ていらっしゃるのは、人前で踊るのが好きということですか。

A:舞台度胸という言葉は知りませんが、人前で踊るのは大好きです。コンクールとかでも、一番になりたくてやる、というのではなくて、舞台で踊れる機会としてコンクールに参加していました。とにかく、人の前で踊るのが好き、人のために踊るのが好き。見ている人との間のコネクションが強いものだと、幸せだって感じられます。それは、コール・ド・バレエで踊っていても感じられるものなんですよ。

Q:これまで踊ったコール・ド・バレエではどの作品が楽しめましたか。

A:今シーズンの初めに『エチュード』がありましたが、あれ、すごい楽しかったです。ちょっと緊張しながら、わくわくする感じがあって。『セレナーデ』もきれいで、素敵でしたね。あと何だろう・・楽しかったのは・・・。

Q:新芸術監督による次のシーズンのプログラムでは、何が踊りたいですか。

A:どういう風になるのか全然わからないし、頭の中では踊りたいと思うものもあるし、全部踊れるなら全部踊りたいくらいですけど、でも上層部が私のことをどう見ているのかがわからないので・・・。まだ若いし、きっとクラシックを踊ることになるんだろうなあ・・って。できることなら、クラシックも踊りたいし、コンテンポラリーもやらせてもらえたら踊ってみたいです。

Q:女性のダンサーの多くが『椿姫』『マノン』などを踊りたいと言いいますが、八菜さんはいかがですか ?

A:絶対に踊りたいという私の夢は『白鳥の湖』。そして『ジゼル』なんです。もちろん『椿姫』などは踊りたい作品ですけど、今は若すぎて無理です。小さな子どもがやってる、みたいになってしまうでしょうから。

Q:日本暮らしは8歳までなのに、日本語がお上手ですね。

A:小学校の2年生のときまでは日本で学校にいっていたし、ニュージーランドに越してからも母とは、絶対に日本語でしゃべらなくてはいけない、というルールでした。それに、二人いる弟とも日本語で、と決まっていて。

Q:弟さんもバレエをなさるのですか ?それともスポーツ?

A:スポーツ系です。

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フォーサイス 「Pas Parts」よりphoto Sébastien Mathé /Opéra national de Paris

Q:お父様はスポーツマンでしたね。

A:ラグビーの選手でした。12年間。伊勢丹のチームでプレイしていました。ニュージーランドからラグビーをしに日本に来た初めての外国人だったんです。で、8歳でニュージーランドに引っ越してから中学1年生のときまで、毎回あっちの夏休み、つまり日本の冬休みの12月と1月の合計6週間くらいは、いつも東京に帰ってきて、学校に通ってました。

Q:小さいときからオペラ座に関心があったのなら、エトワールという言葉には特別な響きを感じますね。

A:はい、"オペラ座のエトワール"になるのが夢。他のカンパニーでプリンシパルになったとしても、エトワールじゃないからそれは違う、という気持ちがあります。

Q:今、その夢に近づいているという感じでしょうか。それとも逆に遠くに感じられるようになっている。どちらでしょうか 。

A:うーん、どうだろう。こんなに早く近づいていて、本当に自分に起きていることなのかな・・・と。でも、いつも通りやっていけば・・。頑張ってゆきたいと思います。

<<10のショート・ショート>>

1. 朝:バナナとヨーグルト。そして目覚ましのためのコーヒー(オーストラリアにいたときはトーストやヨーグルトなど朝はたくさん食べた。今はフランス人の影響もあり、また起きる時間が遅くなっていて、朝あまり時間がない)。

2. 好きな匂い:花の匂いが好きなので、自宅に花は欠かさない。

3. 日本で必ず行く場所:ショッピングしに表参道。お参りして絵馬を買う明治神宮。

4. ニュージーランドの恋しいもの:とても濃い緑。きれいな空気。毎回帰るとほっと。

5. お守り:パリに来る前にオーストラリアン・バレエ・スクールの校長先生から贈られたスワロフスキーのクリスタルの白鳥。去年ヴァルナのコンクールに出たとき、ニコラ・ポール振付のコンテンポラリー作品を踊った。そのときアシスタントとして同行したダンサーのアドリアン・クーヴェズから、彼から手製のプラスチックの三つ編みのようなのを贈られた。その2つをいつも持っている。

6. 舞台に出る直前にすること:日本の堀本先生がコンクールのとき、舞台に出る前に腰をトンと叩いてくれ、それが力になった。それで、今は自分でトンと叩いてから舞台に出る。

7. 好きな言葉:我慢(祖母から「日本語はすごいでしょ。英語では我慢という言葉がないでしょう」って言われて。東京の岸辺先生からも「難しいことがあったり、できないことがあっても我慢して !」ってよく言われた。そう言われながらやってきたので、それがなんとなく頭の中に入っている)。

8. 得意な料理:ケーキ作りが好き。特にレモンメレンゲパイが得意(最近は時間がないので作っていない)。

9. 時間があるときにパリですること:友だちと食事。読書。

10. 夢のバカンス先:行きたいとこはいろいろある。アフリカでサファリをやってみたい。 

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