オペラ座ダンサー・インタビュー:イヴォン・ドゥモル

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長) Text by Mariko OMURA

Yvon Demol  イヴォン・ドゥモル(コリフェ)

公演「若きダンサーたち」が4月18、 19、 22日に開催される。前回は2009年3月だったので、5年ぶりということになる。今回のプログラムは、10月にオペラ座を去るブリジット・ルフェーヴル芸術監督の在任中に創作された11作品で構成されている。アンジュラン・プレルジョカージュの『ル・パルク』もその1つ。その第三幕のパ・ド・ドゥ「解放」はエア・フランスのTVコマーシャルにも使われ(奇しくも踊っているのは次期芸術監督バンジャマン・ミルピエ)、今やダンスに詳しくない人々にも知られるほどの名作となった。今回の公演ではイヴォン・ドゥモルとシャーロット・ランソンによって踊られる。

3月、オペラ座ツアー『ドンキホーテ』『椿姫』で訪日したイヴォン・ドゥモル。踊りも顔立ちも端正なこのダンサーに、目をとめた人もいることだろう。静けさの奥深くから強いエネルギーを発しているようなダンスが魅力である。最近、初の創作『1827』を発表した。これからどんなダンス人生を送るのか、今後が楽しみな若者をここに紹介しよう。

Q:「若きダンサーたち」の公演では第一部の最後に、『ル・パルク』のパ・ド・ドゥを踊るのですね。

A:はい。配役が発表された当初は同じ『ル・パルク』でも2つめのパ・ド・ドゥ「抵抗」を踊ることになっていましたが、12月末だったでしょうか、ブリジット(・ルフェーヴル芸術監督)から3つめの "接吻" の方に変更すると告げられました。

Q:その変更は残念に思いましたか 、それとも、うれしく思いましたか 。

A:僕にとっては、どちらでも、とにかく『ル・パルク』のパ・ド・ドゥを踊れることが幸せなことなんです。確かに2つめの「抵抗」では女性よりも男性の方が多く踊りますけど、でも、最後のパ・ド・ドゥは何といっても傑作ですし、それに2つめのより、ずっと大きなエモーションがあると思うんです。だから、踊りを味わうという点からすると、きっとこちらの方が・・・うれしいですね。パートナーのシャルロットと二人で、これを踊れるのをすごく喜んでいます。

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「ル・パルク」のリハーサルより、シャルロット・ランソンと
Photo Benoîte Fanton / Opéra national de Paris

Q:いつ頃からその稽古は始まったのですか。

A:3月に日本に行く前から始まってますよ。ローラン(・イレール)が僕たちのコーチをしてくれています。彼はこの作品の創作ダンサーですから、この作品を踊るためのすべてが僕たちのために揃ってるといえます。彼は最初から最後まで、本当に詳しく説明してくれるんですよ。しっかりと面倒をみてもらえてるというわけです。振付家自身でないのなら、ローランがこの作品の最高の指導者であることは間違いありません。

Q:前回の「若きダンサーたち」では、『白鳥の湖』でしたね。どんな思い出がありますか。

A:この時は パートナーがエロイーズ・ブルドンでした。彼女とは学校時代からの知り合いなんです。だから一緒にパ・ド・ドゥを踊れ、二人でとても良い時間を過ごせたという思い出があります。 エロイーズだけでなく、今回一緒のシャルロットとも僕はとても気が合うので、うれしいですね。それに今回は古典大作ではなく、コンテンポラリー作品を踊れるということも、僕にはありがたいです。18歳の入団以来、僕はクラシックよりコンテンポラリーの公演のほうが多いと思います。

Q:昨年末の『ル・パルク』では、ほとんど毎晩の舞台でしたね。

A:12月のオペラ座の公演は、いつも期間が長くて回数も多いですね。でも、演目が『ル・パルク』だったおかげで、ほぼ毎日でもやる気が失せませんでした。この作品、本当に好きなんです。最初にみたのは、まだバレエ学校時代でした。それ以来、ずっと踊りたいと思っていた作品の1つだったのです。今シーズン、その夢がかなったわけで、最高でした。

Q:何がこのバレエで気に入っていることですか。

A:まずはモーツァルトの音楽ですね。それから、時代背景が17世紀なので、当時のとても美しい衣装を着ます。そして、音楽はクラシックだけど、でも、振付はコンテンポラリーで、この素晴らしい組み合わせは見事に成功しています。

Q:今は5月の公演の『オルフェとユリディス』の稽古も、進んでいるのですか。

A:はい、毎日あります。僕、ピナ・バウシュの作品は大好きなんです。とくに『春の祭典』。5年前でしょうか。これは舞台での最高の思い出があります。初めて『オルフェとユリディス』があったとき、僕は代役だったので舞台では踊っていませんがピナはまだ存命中で、彼女と出会う機会がありました。彼女がダンサーたちとどう仕事をするのかを実際に見ることができたのは、たとえ僕直接でなくても、すごい幸運なことですよね。それから、僕の幸運は『かぐや姫』でキリアンと仕事をすることができたことです。それも、彼と二人きりで稽古をする、というすごい幸運があったんですよ。というのも、ソロを踊る部分があって、そのパートの稽古を彼としたのです。公演ではジェレミー・ベランガールと交替だったのですが・・。信じられないほどの幸運です!

Q:創作者である振付家と共に仕事ができるのは、コンテンポラリー作品を踊る利点といえますね。

A:そう、クラシック作品だとオペラ座のリハーサルコーチと仕事をするのだけど、例えば『ル・パルク』ならプレルジョカージュが長いことオペラ座に来て、僕たちとリハーサルをして・・・創作者自身から伝授されるって、これは理想的環境ですよね。振付けがよく理解できます。

Q:初創作『1827』について話してください。まず、なぜこのタイトルなのですか。

A:とても簡単な理由からです。作品につかったシューベルトの音楽(注 :「ピアノ三重奏曲第二番編ホ長調 第二楽章」映画『バリー・リンドン』の挿入曲)が1827年に作曲されたからです。後で思ったことなのですけど、観客に1827年にいるように感じさせたい、という意図が僕のどこかにあったのだと思います。この創作には特にストーリーがありませんから、きっとこの年号だけが1つの指標を果たすのだと思います。

Q: 創作をするきっかけは何でしたか。

A:ブリューノ・ブーシェが率いるグループ「アンシダンス・コレオグラフィック」というのがあって、年間を通じてこのグループのガラに参加をしています。彼はオペラ座のダンサーの作品をプログラムに盛り込んでいます。それで、僕、ちょうど創作をしてみたいという欲求が生まれてきたので、彼にすぐにそれを告げたんです。「もし、いつか創作が必要だったら、グループのために創ってみる気がある」って。それからすぐに、彼から具体的な話が来たんです。シャルトル(パリ南西にある都市)で、3月22日に市が開催する文化的催しがあるので、と・・・。

Q:でもその日程は、オペラ座の日本ツアーの最中ですね。

A:そうなんです、タイミングが悪いことに・・・。でも、たとえ僕がいなくても、ダンサーたちにすごく大きなプレッシャーのかかるようなガラ公演でもないし、まずは初の創作を発表するにはちょうどよい機会のではないだろうか、と思って。22日の公演の結果、良い反応を得ることができました。もっとも、その時のビデオをまだ僕は見てないんです。

Q:時間はどれくらい創作にかかりましたか。

A:これは10分の作品なんです。まず最初は一人で仕事を始めました。それが昨年の12月。ダンサーと一緒に仕事をしたのは、約1か月くらいですね。といっても、毎回、朝のクラスレッスンの前に少しずつというリズムでしたけど。彼らも忙しい時期。だから、何も準備せずにダンサーが待つスタジオにいっても、それは彼らにも僕にも時間の無駄でしかありません。だから、僕は一人でスタジオにこもって音楽をかけて、椅子の上にiPadを置いて自分をフィルムにとって・・・。そうやって創作を進めてゆきました。

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コンクールより
Photo Sébastien Mathé / Opéra national de Paris

Q:誰が『1827』を踊ったのですか。

A:女性がジュリエット・イレールとレティシア・ガロニ。男性がジェルマン・ルーヴェとフロラン・メラック。この4名です。3月22日に公演ということは、日本ツアーに参加しないダンサーから選ぶ必要があったわけですけど、カンパニーの4分の3ぐらいがツアー組なので、ダンサーのチョイスは大変限られていた訳です。でも、このことについては、運命が僕に多いに味方してくれた、っていえますね。なぜって、たとえ他に大勢のダンサーのチョイスがあったにしても、この4名を選んでいたでしょうから。彼らは僕をフォローしてくれて、すごく良い雰囲気でクリエーションは進みました。

Q:創作した作品に、自分の好きなコレオグラファーの仕事の影響を見いだしますか。


A:はい。好きな振付家の仕事とはまったく異なる物を創ろうと思っても、それは不可能だと思います。なぜって、好きなコレオグラファーから多いに影響を受けているのですから。僕にとってのナンバー1はイリ・キリアン。もちろんキリアンとはレヴェルが違いますが、僕の創作を見た人は、彼の影響をはっきりとみてとったと思います。

Q :コスチュームはどうしたのですか。

A:僕がデザインして、オペラ座のクチュール部門で創ってもらいました。女性はチュニック、男性はボディのような、と、とてもシンプルなものです。僕のデッサン通りのものを仕上げてくれました。

Q:なぜ、このシューベルトの音楽を選んだのでしょうか。

A:最初にこの音楽を聴いた時から、いつか僕が振付をするときはこの音楽で! と決めていました。この曲を聞いた時に、すぐにたくさんのイメージが頭に湧いたんです。この音楽が出発点となりました。これは初の創作で、今後は音楽以外のインスピレーションからくるかもしれませんが・・・。でも、もし次に何か創るにしても、まずはインスパイアーされる音楽が必要ですね。

Q:すでに何か次のアイディアがあるのですか。

A :うーん、特にこれというのは。でも、次の創作にとりかかりたいという意欲はあります。だから、音楽をみつけなければ! と、実は探し始めているんです。僕をインスパイアーする良い音楽がみつかったら、すぐにとりかかりますよ。

Q:つまり今後も創作をつづけてゆきたい、ということですね。

A:はい。3月22日の舞台が上手くいった、ということを聞いたときに、すごく勇気づけられました。まずは、この『1827』をさらに改良し、よりよい作品に仕上げたいですね。ただ、振付家の仕事はあまりにも複雑なので・・・将来、振付家になりたいかというと・・・。今は楽しみとしてやってます。それが将来上手くゆくなら、うれしいことですね。

Q:踊ったダンサーたちの反応はどうでしたか。

A:踊るのに、とても快適な作品だといってくれました。それって、大切ですよね。コスチュームを実際に身につけて、舞台で照明を浴びて・・・ということで、彼らは公演の前に少々ストレスがあったそうです。それに僕も不在だったし、けっこうプレッシャーがあったようです。ちょっとしたヘマはあったようですけど、全体としてはとても上手くいって・・・。

Q:どのようにダンスを始めたのですか。家族の誰かがバレエをしていたのでしょうか。

A:全然! うちては誰もバレエはやっていません。他の多くのダンサーたち同様だと思うのですが、身体をつかって何かするといいだろうという両親の希望で、水曜の午後に教室に通うことになったんです。4歳だったでしょうか。兄はジムでいろいろするマルチスポーツというのをやっていて、僕もそれを試してみました。でも、時間中ずっと泣いていて・・というのも、母が僕を教室に置いていなくなってしまって、寂しくなってしまったので。先生の言うこと聞いて最後までやったら、後で何か買ってあげるわって、母が約束してくれたんですけど、僕はじっと固まってしまっていて身体を動かしもしなかったんです。で、その次にダンスを始めました。僕が頼んだのか、母が提案したのか・・なぜダンスを選んだのかは覚えていないけど、これはもうマルチスポーツとはえらい違いで、すぐに気に入ってしまいました。

Q:なぜダンスが気に入ったのですか。音楽にのって身体を動かすことでしょうか。

A:そうですね。年末には舞台で発表会もあって・・・5歳のときの良い思いです。フィギュアスケートも1年試してみたんですよ。でも1年でこれは十分だ、ってダンスに戻りました。スケートが嫌いというより、ダンスがしたかったんでしょうね。

Q:習ったのはクラシック・バレエですか。

A:はい。よく覚えてないのですけど、クラシックだけでなく、フォークロリックも。その後の年は、クラシックとモダンの両方をしました。当時はクラシックの方が僕のお気に入りでした。

Q:どのようにオペラ座のバレエ学校に入ったのですか。

A:ヴィトリー・シュル・セーヌというパリから6キロくらいのところの郊外都市のコンセルヴァトワールで習っていました。僕はダンスに適してるので、真剣にやってみるといい、というように先生から両親に提案があったのです。それでオペラ座のバレエ学校という良い学校があるから、そこを試してみる気があるか ? と。僕はもちろん両親もオペラ座なんて知らなくて・・それが何なのかよくわからないまま、僕はそこの試験をうけることになったのです。それで入学がすぐに決まりました。9歳のときです。最初半年の研修があって、第6ディジヴォンに入りました。

Q:第1ディヴィジョンから入団はスムーズでしたか。

A:入団試験で僕は第二位でした。その年、一席しか空きがなくって・・・。それで、年齢的にもう1度第1ディヴィジョンをできるチャンスがあったので、学校でもう1年過ごしました。その後、18歳で入団しました。 

Q:学校公演はどんな思い出がありますか。

A:第1ディヴィジョンの公演がソリストとして踊れるので、良い思い出ですね。最高の思い出はノイマイヤーの『ヨンダリング』。これは研修生のときに見たことがあって、とても印象に残った作品なんです。ああいつかこれが踊れたらなあって思っていたら、・・幸い、これが僕の学校公演の演目に入っていたというわけです。もう1つ踊ったのは、セルジュ・リファールの『Entre deux rondes 』。これは美術館の夜に、夜警の巡回と巡回の間に起きる物語なんです。僕はギリシャ彫刻で、夜警の姿が消えると、ドガの絵画の中のダンサーと僕が踊りだす、というものでした。

Q:学校時代、海外にも行きましたか。

A:第1ディヴィジョンのときにワシントンに行きました。これは素晴らしい思い出の1つです。参加生徒はそれほど多くなくって..。アメリカ、英国、ロシア、日本など世界各地のバレエ学校の生徒が集まるフェスティヴァル。良い経験でしたけど、他の学校がどこも自分たちより素晴らしい、って思えてしまって・・・。今でもツアーで海外に出るのは大好きです。先月は東京に行けました。毎回、少なくとも1日はフリーの日があって未知の土地を探検できて・・。旅も滞在も良い条件だし、海外公演はこの仕事の大きな喜びの1つですね。

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コンクールより
Photo Sébastien Mathé / Opéra national de Paris

Q:これまでの舞台の最高の思い出は何でしょうか。

A:それは先に話したように、ピナの『春の祭典』ですね。そうでなければ、僕の最初のオペラ座の仕事となったサッシャ・ヴァルツの『ロメオとジュリエット』。これは一生忘れられないでしょうね。学校時代に僕たち、"入団したってすぐには舞台に立てるものじゃないんだ" "古典大作の公演で、直前に代役で舞台にたつことになる" というように聞かされていたんで、僕もその心づもりで入団したわけです。ところが、入団した9月にすぐにサシャ・ヴァルツのオーディションを受けて、残ることができて・・・。この作品は代役なしで、選ばれたダンサーは全員が舞台で踊る!!というものでした。入団して、すぐに初舞台があったんです。2年前にこの公演があったときは、そのときと同じパートだけでなく、他のダンサーのパートの一部も僕が踊らせてもらえました。

Q:ガラに多く参加してるようですが、それはなぜですか。

A:メインとしてはブリューノ・ブーシェのグル−プのガラです。舞台経験を増すことができるのが、参加の一番の理由です。そして、クラシックの難しいパ・ド・ドゥがプログラムにあることがよくあります。これを通じて、ストレスや疲労の管理を学ぶことができます。それに毎回異なる観客を前に踊るというのも、いいことですよね。

Q :オペラ座のレパートリーの中で、踊れたらって思っている作品は何ですか。

A :たくさんあります・・・まずは、キリアンですね。『ベラ・フィギュラ』とか、その他の彼の作品。クラシック系だと実現するとは思わないけど『マノン』『椿姫』とか。それからコンテンポラリーは、フォーサイスとかすでに踊ってる作品でも、もう一度踊りたいですね。

Q:これまでにオペラ座を辞めたいと思ったことがありますか


A:今までのところ、辞めたいと思わせるような出来事は何もありません。でも、ときどき思うのは、よそのカンパニーはどうなのだろう、とか、ダンスに限らず、他の人はどんな暮らしをしてるのだろうって・・・。ここに居続けることで、自分は何かを逃してるのではないだろうか、というように考えることはあります。でもすぐに考え直すんです。オペラ座にいることは、なんて幸運なことなのだろう! って。僕は舞台数も多く、気に入ってる作品も多く踊れていて・・・。今のところはこう考えています。

Q:11月に バンジャマン・ミルピエが新芸術監督として就任します。彼による、どんな変化をオペラ座に期待していますか。

A:難しい質問ですね。僕たちのリハーサル・スタジオで多くの時間を過ごす、と彼は言っています。芸術監督が常に身近にいて、僕たちをコーチしてくれることを多くのダンサーが望んでいるので、それが実現することを望んでいます。ダンサーの中には彼の創作に関わってすでに彼と仕事をしている人もいますけど、僕はまだ・・。だから僕にとって大きな変化なので、少々不安はあります。でも、新しいことが起きるのはいつだって興味深いですよね。

<10のショートショート>
1. プティ・ペール :いません。
2. プティト・メール :イザベル・シアラヴォラ
3. 舞台に出る直前にすること :徹底的なウォーミングアップ
4. 朝食:紅茶、フルーツジュース、タルティーヌ(バターと祖母の手作りジャム!を塗ったバゲット)
5. 好きな香り :特になし。今使っている香水はByredoのセヴン・ヴェイルス
6 .ダンス以外に考えられる職業 :わかりません。でもダンスをしてなければ、パリではなくロンドンに住んでいるはず。
7. 引退後に考えられる仕事 :おそらく書き物に関する仕事。
8. 日本で行ってみたいところ:猿が温泉につかる光景を見たい。
9. 夢のバカンス先:太陽、海岸、遠方・・。
10 . 趣味: 読書、映画鑑賞など。 

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