忘れ難いシアラヴォラとモロー、パリエロとパケットの『オネーギン』競演

ワールドレポート/パリ

三光 洋 Text by Hiroshi Sanko

Ballet de l'Opéra national de Paris パリ・オペラ座バレエ団

John Cranko "Onéguine"『オネーギン』ジョン・クランコ:振付

2月のパリ・オペラ座バレエ団はクランコ振付の『オネーギン』を取り上げた。ロシア19世紀を代表する詩人アレクサンドル・プーシキンが書いた韻文の小説『エフゲネイ・オネーギン』(1823年から1831年にかけて書かれた)が原作である。ジョン・クランコが振付けたネオクラシック・バレエの大作は、ダンサーがただパを重ねればよいのではなく、登場人物の感情をいかに表現できるかに公演の成否がかかっている。クランコは同じ人物を登場させながら、チャイコフスキーの同じ題名のオペラ(1879年モスクワ・マールイ歌劇場初演)の音楽は使わなかった。

4年前の2009年4月16日にこの作品でタチアナを踊ってエトワールに任命された(同じ晩にマチアス・エイマンもエトワールになった)イザベル・シアラヴォラが2月28日に同じ役でさよなら公演を行った。なおシアラヴォラは1972年生まれで37歳と遅咲きのエトワールだった。
プルミエのキャストは当初、イザベル・シアラヴォラのタチアナとエルヴェ・モローのオネーギンという配役が予定されていたが、本番数日前にエルヴェ・モローが怪我をしたため、ゲネプロは中止され、初日も別の配役で幕が上がることになった。
ガルニエ宮に入って配役表を見た時は、正直にところがっかりした。しかし、しばらくすると当初の懸念は杞憂だったことに気づかされた。
客席に入ると、「私が名誉を失う時、名誉という美徳そのものが失われる」というオネーギンの座右の銘を記し、中央にイニシャルのEOをかたどったた文様の前幕が下がっている。このオペラの重要な鍵の一つが「名誉」であり、主人公が名誉を常に胸にたたんでいて、ヒロインに対しても「すこぶる立派な態度を取って」その「素直な魂の打明け」である「率直な」求愛を退けたの対して、後になって結婚したタチアナがオネーギンの真剣な求愛を受け、彼を愛していることを告白しながらも、「名誉」を守るために退けるというドラマの骨格を支えるキーワードであることが、装置家のユルゲン・ローズは幕の文様で明示したのである。

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© Opéra national de Paris/Julien Benhamou

庭園の左手にある木立の向こうにダーチャ(貴族の邸宅)を配したユルゲン・ローズの装置は、ヒロインが妹のオルガに母と乳母と暮らしているロシアの田舎のゆったりした雰囲気をよく伝えていて何度見てもあきない。
白と黄色の娘たちの衣装もすっきりしていてすがすがしい。オリガは許婚者のレンスキーがやってきた時にはすました顔で鏡台を覗き込んでいたが、はっと気付いてこぼれるような、あどけない微笑で迎える。オリガ役のシャルリーヌ・ギーゼンドンナーはスジェで年次昇級試験では4位だったが、今回の公演では一皮むけた観があった。可愛らしい無邪気な表情と仕草、底抜けに明るいまなざしは原作者のプーシキンが記している「草深い静かな田舎に育った、汚れを知らぬ美しさに満ち」、「あけぼののように朗らかで、純朴で、恋人のキスのようにかわいい」少女そのものだった。有名なバルカローレの曲に乗ってオルガとレンスキーのパ・ド・ドゥでは幼馴染らしい気の合った二人の喜びがぱっと周囲に広がった。
オリガの姉であるヒロインのタチアナは妹と対照的な女性だ。「人づきあいが悪く、打ち沈んで口数とぼしく、森を行く牝鹿のように臆病で、わが家にいながらよその娘のように見えた」と原作者のプーシキンが記している。リュドミラ・パリエロは母や乳母から一人離れて舞台右手で本を手にしている最初の場面から、物思いにふける内省的なヒロインを実に自然に演じていた。オネーギンをはじめて目にして、即座に彼こそ「あらゆる小説の主人公がただ一人の姿に溶けいった」人だという確信を抱いたことが、はっきりその視線に刻まれていた。オネーギンが他人と対している間、思わずそちらに向けられたつぶらな大きな瞳には抑えられないあふれんばかりのヒロインの想いを、余すことなく伝えていた。明朗そのもののギーゼンドンナーと陰影のあるパリエロによって二人の姉妹の対比が明瞭に出て、ドラマに奥行きが与えられた。 

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© Opéra national de Paris/Julien Benhamou

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© Opéra national de Paris/Julien Benhamou

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© Opéra national de Paris/Julien Benhamou

一方、カール・パケットが演じるオネーギンは都会人らしいスマートな青年だ。オネーギンは「影のある美青年」(フランス語でbeau tenebreux)と呼ばれる19世紀ロシア特有の人物で、「人生 に対してはまるで熱意を失い、美女も長くは彼の思いを捕えなかった。」パケットは洗練された作法という仮面を付けながら、ラーリナ家の二人の令嬢のうちでは、より目立たない悲しげなタチアナに惹かれていることをきちんと垣間見せていた。また、都会の歓楽に飽き、憂鬱な気分にとりつかれている主人公の特徴を、虚ろな心を反映した宙を漂う視線や、首をかすかに傾けることで生まれるシニックな様子で暗示していた。
第1幕第2場のタチアナの寝室では、オネーギンへの手紙を書き終えてまどろんでいるヒロインの夢に主人公が現れる。ここでパケットは現実から一転してやさしさにあふれるまなざしと所作とで、タチアナの望みを視覚化してくれた。安定したリフトに支えられ、パリエロがよく伸びた脚と腕で思い切った跳躍を見せて会心の演技となった。黒服のオネーギンと白い服のタチアナという色の組み合わせの妙が、この場面できわめて効果的なことに改めて気づかされた。
クランコの振付で一つ気になったのは二通の手紙を受け取った相手が破るという点だ。まず、第2幕第1場のラーリナ家での舞踏会でタチアナの手紙をオネーギンが破り捨てる。タチアナがグレミン将軍と結婚した後の第3幕第2場のフィナーレでは、オネーギンの恋文をその目の前でヒロインが破る。
一見、物語がわかりやすくなった感じがするものの、この二人の愛情のすれ違いから悲劇が生まれることを考えると、プーシキンが描いているように「思いのたけをタチアナが切々と訴えた手紙を、彼がいまだに大事にしまっている」ほうが、主人公の人となりとその心情に合っているだろう。
レンスキーはマチアス・エイマンが踊った。すでに2009年4月にこの役を踊っているが、今回は安定した技術に加え、より詩人の人物像に踏み込んだ演技を見せた。第1幕でのすがすがしい、軽快な若者、第2幕第1場の舞踏会での嫉妬に胸を焼かれ、親友のオネーギンに手袋をたたきつけるまでの心の葛藤は誰の目にもひしひしと伝わってきた。この場面で、パケット(オネーギン)がギーゼンドンナー(オリガ)の首筋を軽くくすぐって巧みに誘惑し、エイマン(レンスキー)が怒りのあまり目を背け、パリエロ(タチアナ)が絶望の眼差しを向けるところは四人のダンサーによる阿吽の呼吸により忘れがたい一場となった。
何はともあれ、やはりクライマックスはやはりフィナーレの第3幕第2場のタチアナの閨房だった。オネーギンからの手紙を想っているところへ主人公が入ってくるところから、最後までパケットとパリエロの演じた無言劇には会場がしんとなった。何度も相手を突きのけながら、再び自分からオネーギンの胸に飛び込み、何度もその腕に抱かれながら、最後に決然として主人公を拒むヒロインに寄り添ったパリエロと、痛切な恋慕の情に突き動かされながら時が最早逆周りしてはくれないことを悟るまでのオネーギンの心の揺れを、生々しく感じさせてくれたパケットの二人は文字通り入魂の演技だった。

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© Opéra national de Paris/ Julien Benhamou

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© Opéra national de Paris/ Julien Benhamou

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© Opéra national de Paris/ Julien Benhamou

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© Opéra national de Paris/ Julien Benhamou

一週間後の11日にようやくエルヴェ・モローが舞台に復帰した。2月28日のイザベル・シアラヴォラの引退公演での相手だ。
モローとシアラヴォラの組み合わせは、第1幕第1場で隣人のラリーナ夫人邸の庭園に姿を見せるところから、サンクトペテルブルクから来た都会人の美青年と田舎育ちの夢見がちな少女とのすれ違いが、二人のダンサーの視線の対話によって明快に描き出されていた。オネーギンの方を見やっては自分の首にふれたり、胸元に置かれたりするシアラヴォラの手の表情は何と雄弁なのだろう。そっけないエルヴェの表情を見やって、あふれる胸の想いを受け止めてもらえない切なさがはっきり表情に現れていた。第3幕のグレミン将軍邸での夜会でエルヴェが見せた悔恨の念にあふれる眼差しも忘れがたい。ロマンチックな雰囲気が二人の周囲に立ち込めていた。
2月28日のさよなら公演を見られなかったのは痛恨の極みだ。フランスの日刊紙「ラ・クロワ」が「芸の絶頂でシアラヴォラが引退」と題した記事を3月4日に掲載した。ピエール・ラコット、ジョゼ・マルティネスといった振付家、エリザベット・プラテル、シリル・アタナソフ、ミハイル・ドナールといった人々が見守る中、30分を超えるカーテンコールだった。シアラヴォラのマノンやマルグリットといった艶麗なヒロインを演じる姿は、観客の脳裏からいつまでも消えないだろう。
(2014年2月3日、11日 ガルニエ宮)

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© Opéra national de Paris/Julien Benhamou

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© Opéra national de Paris/Julien Benhamou

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© Opéra national de Paris/Julien Benhamou

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© Opéra national de Paris/Julien Benhamou

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© Opéra national de Paris/Julien Benhamou

『オネーギン』
音楽 チャイコフスキー
編曲 クルト・ハインツ・シュトルツェ
振付・演出 ジョン・クランコ(1965年オペラ座2009年レパートリー入り)  
装置・衣装 ユルゲン・ローズ
照明 スティーン・ビヤルケ
ジェームス・トゥッグル指揮 パリ国立オペラ座管弦楽団
配役(3日/11日) 
エフゲネニー・オネーギン カール・パケット/エルヴェ・モロー
タチアナ リュドミラ・パリエロ/イザベル・シアラヴォラ
レンスキー マチアス・エイマン/マルク・モロー
オリガ シャルリーヌ・ギーゼンドンナー/シャルリーヌ・ギーゼンドンナー
ラリーナ夫人 クリスティーヌ・ペルツァー/クリスティーヌ・ペルツァー
乳母 ジスレーヌ・レシャール/ジスレーヌ・レシャール
グレミン将軍 クリストフ・デュケンヌ/アレクシー・ルノー

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