パリの観客に愛されたマッツ・エックのさよなら公演がシャンゼリゼ歌劇場で開催された
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掲載
ワールドレポート/パリ
- 三光 洋
- text by Hiroshi Sanko
Série TranscenDanses トランサンダンス・シリーズ
"From Black to Blue " Mats Ek 『フロム・ブラック・トウ・ブルー』マッツ・エック:振付
お正月明け早々に、シャンゼリゼ歌劇場のトランサンダンス・シリーズでマッツ・エック振付作品3本をまとめた「さよなら公演」が上演された。
パリの観客はマッツ・エックを早くから暖かく迎えてきた。パリ・オペラ座のレパートリーに入ったガルシア・ロルカの戯曲による『ベルナルダの家』、テレビやソファー、冷蔵庫を使って日常生活を活写した『アパルトマン』、リヨン国立オペラバレエ団のレパートリーにあるヒロインが精神病院に入る『ジゼル』といった作品はどれも良く知られている。最近でも2013年に初演され、2015年1月にガルニエ宮で上演された『ジュリエットとロメオ』(木田真理子がジュリエット役)は、シェークスピアのドラマをヒロインの視点からとらえ、見る人に衝撃を与えた。周囲から認められない「禁じられた恋」によって、少女から大人へと変貌する一人の女性の肖像画は鮮烈で忘れがたい。それだけに、それからわずか一年で引退するとは誰にとっても意外だったろう。
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『From Black to Blue』と題された夕べは、制作時期の異なる3本の作品から構成されていた。前半はドレスデンのゼンパー歌劇場バレエ団のメンバーによるパリ初演となった『She was Black』(1994年)だった。タイトルはスウェーデンの俳優・作家・演出家であるベッペ・ヴォルガーズの言葉から取られている。「神に会った夢を見たら、それは黒人の女性だった」というものである。もっともダンスそのものでは神が問題にされてはいない。グレッキの「弦楽四重奏曲第2番」とモンゴルの伝統音楽が流れ、約10人ほどのダンサーたちが他者との間に何かの意味を見つけようとしていくのだが、相手から予想外の反応があったり、相手が変貌してしまったりする。偶然の中からは自分自身のグロテスクな側面が顔をのぞかせたりもする。エックの振付はどの作品を見てもダンサーの動きが独自ですぐ彼のものだとわかる。緻密で情念が凝縮されたダンサーの動きから目を離すことができなかった。
(C) Costin Radu/ Semperoper Ballett Dresden
(C) Costin Radu/ Semperoper Ballett Dresden
(C) Costin Radu/ Semperoper Ballett Dresden
(C) Costin Radu/ Semperoper Ballett Dresden
後半はパ・ド・ドゥ二つが並んだ。まずリヨン国立オペラバレエ団のドロテ・ドゥラビとスウェーデン王立バレエ団のオスカー・サロモンセンの二人が『Solo for Two』を踊った。1996年にシルヴィ・ギエムとエックの兄ニコラスによって初演された作品である。装置は何の飾りもない壁面、扉、途中で途切れた階段という簡素なものだ。アルヴォ・ペールトの音楽をバックに、男は女を夢み、女は男を夢みるが、現実には言葉のない「対話」が交わされ、いったんは暖かい情感が二人の間に流れたようだが、結局、それぞれの孤独に戻っていくしかない。
最後は2015年に振付けられた最新作の『斧』だった。イヴァン・オーゼリとエックの妻アナ・ラグーナという60歳代のダンサー二人が老年のカップルを演じた。男は斧を振り下ろして黙々と薪を割っていく。その「暴力」は老女には耐え難い。長年生活を共にしてきた夫婦の間に横たわる超えがたい溝が、客席から手に取るように感じられた。
(C) Leslie Spinks
俳優だった父アンデルス・エックと振付家の母ビルギット・クルべリーを両親に持つマッツ・エックは、演劇の演出と振付という二つの世界で作品を残した。言葉も筋もない抽象的な動きのみで構成されながら、彼が振付けた作品からは常に人間の情念の鼓動が生々しく伝わってくる。「この50年間、いつもプロジェクトがあった。これからは何もしない、という経験をしてみたい」とエックは語っているが、いつかもう一度舞台に戻ってきてもらいたいものだ。
(2016年1月6日 シャンゼリゼ歌劇場)