オペラ座ダンサー・インタビュー:キャロリーヌ・オスモン

ワールドレポート/東京

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Caroline Osmont キャロリーヌ・オスモン(コリフェ)

3月に開催されたコールド・バレエ昇級コンクールで、コリフェの2席を競ったのは17名のカドリーユ。その結果、1位で上がったのがキャロリーヌ・オスモンである。 5月19日からオペラ・ガルニエで始まる「ティエレ、シェシュター、ペレーズ、パイト」で踊られるホフェッシュ・シェクターの『The art of not lookig bak』に配役されている彼女は、目下、19時まで稽古を続ける日々だ。ミュリエル・ジュスペルギー、オニール 八菜、イダ・ヴィキンコスキー、マリオン・バルボー、エロイーズ・ブルドン、マリオン・ゴチエ・ドゥ・シャルナッセ、クレマンス・グロ、エロイーズ・ジャクヴィルそしてキャロリーヌ・オスモンの9名の女性ダンサーが踊る作品である。

オペラ座のサイトを見るとキャロリーヌの入団は2009年となっているが、これは誤り。正しくは2011年。街ですれ違ったらファッション・モデルかと思ってしまうような、おしゃれで魅力的な26歳の女性だ。昨年末、アレクサンダー・エクマンの創作『プレイ』では、2幕ともほぼ出ずっぱりで、「まったく、もう!いったい全体・・」などと、ぶつぶつ独り言を続ける女性を演じ、観客を笑わせた。キャロリーヌはなかなか面白い個性の持ち主。気取りがなく、ひょうきんでとてもオープンな性格のようだ。枠にはめてしまっては惜しいキャラクターであることに注目し、彼女のパーソナリティを舞台上に生かしたエクマンに感謝しよう。コール・ド・バレエから抜け出て、『プレイ』で大活躍をした後、3月には6回目のコンクールでコリフェに上がり、さらにシェクターのお眼鏡にも叶って、とキャロリーヌは今追い風に乗ったかのように力強く前進している。

Q:シェクターの『The art of not looking back』について話してください。

A:これは創作ではなく、今回レパートリー入りする作品です。彼が10年前に自分のカンパニーのためにクリエートしたもので、もともとは6名の女性ダンサーによるものなのだけど、オペラ座では9名の女性ダンサーのために彼が創り直したものを踊ります

Q:どういったタイプのダンスでしょうか。コンテンポラリー作品ですね。

A:間違いなく、これはコンテンポラリー!まるで男性ダンサーのための振付のように、肉体的にとってもハードな作品です。重心が低く、動きのスピードも速く・・・青あざがいっぱい!そして、とても強烈なんです。というのも彼の自伝的要素がテーマ。幼いとき、彼の母親が家を出て行ってしまったのです。女性について、自分が捨てられたという感じなどを交え、その瞬間を彼なりに再構築した作品です。彼が10年前に語りたくて作ったもので、とても激しく、強烈なものです。

photo : courtesy of Caroline Osmond

photo : courtesy of Caroline Osmond

Q:9名の女性ダンサーが彼の母親の複数の面をそれぞれリプリゼントするという感じでしょうか。

A:そうでしょうね。彼の母親というのは社会的に主義主張のある、強いキャラクターの女性です。公演の冒頭でこうしたことが説明されて、ダンスが始まります。 彼本人の声で語られるのを観客は聴くことができます。彼はもともとミュージシャンで、この作品では彼が音楽のアレンジもしているんですよ。素晴らしい音感の持ち主。だから、ちょっとした音楽的なディテールにも執拗にこだわるというのも、理解できますね。この作品では踊るときにカウントをたくさんしますけど、ときには、ただクリ〜ン!っていう音だけのこともあって・・。踊るだけでなく、音楽にもしっかり耳をそばだてている必要があるの。仕事としては、すごく興味深いですね。

Q:再創作といっても、ダンサーの数は6名から9名というのは違いが大きいので、 創作に近いですね。

A:そうですね。彼、15日間で作り上げました。その前に私たちは彼のアシスタントと2週間、基本の動きについて学んであったので、彼がパリに来るや、あっという間に仕事が進んだんです。とにかく、重心がとても低く、床での仕事が多くって、だから太ももがしっかりしてないと・・・。クラシック・ダンスとは反対の動きばかり。去年オーディションがあり、まず13名が選ばれ、そこから9名に絞られました。 第二配役は不要だ、というのが彼の考えなんです。

Q:では、毎晩、同じ9名が踊ることになるのですね。

A:そう。それって間違ってないと思います。誰も代わりがいないとなると、怪我をしないように気をつけるし・・。それに、もう1つ言えるのは、各ダンサーの個性で機能する作品だから、ということです。稽古の初期、誰を誰の隣におくか、誰がリーダーシップ気質か、といったことを知るのに、彼は変更、変更を繰り返し、たっぷりと時間をかけたんです。ダンサーの相互間の影響力が、この作品において彼には大切なことなんですね。

Q:あなたに彼は何を見出したと思いますか。

A:まったくわかりません。私は床で踊る組の一人なので、肉体的に力強い、と、みなされたことはわかりますけど・・・。観客席からの方が、そうしたことが見えるのではないでしょうか。

Q:7月、オペラ座バレエ団のツアーでもこの作品が踊られますね。

A:はい。ノヴォシビルスクで踊ります。シベリアに行くことになるとは、驚きました。でも、この作品を踊れるのはとてもうれしいです。私、奇妙なことに、この作品は暴力的だけど、とってもフェミニンだと感じるんです。 この作品のフェミニティというのは、例えば髪に小花を飾るといった必要はありません。コルセットをつける必要もありません。体をリスペクトし、内容を受け止め、それを守る、ということによって表現できます。コスチュームはとてもシンプル。 ストレッチで軽くって、動きやすいものです。

Q:当然トウ・シューズははきませんね。

A:靴下なんです!滑る ? そう、それが必要なんです。あるところで、私たちはステージ上を滑って移動するんですよ。

Q:毎日、リハーサルを楽しんでいるようですね。

A:はい。それに私たち9名は素晴らしいチーム。難しことだと思うけど、彼にはわかったんですね。だからこそ第二配役を作らずに、1つのグループとだけ仕事をしたいと望んで・・・。だから9名で、「 私たち、幸運よね ! 」って、互いに言いあっています。各人それぞれ異なるけれど、各人が補足しあう関係にあり、とってもうまくいっています。こうした強烈な時間を共に分かち合えるというのは、とても幸せです。

Q:この作品を踊るための身体作りに、何か特別なことをしていますか。

A:準備という点では、奇妙に聞こえるかもしれないけれど、朝のクラス・レッスンのクラシックが私の身体にはとてもいいんです。というのも、シェクターの作品と身体を反対向きにしてくれるから。脚が解放されて・・・。クラシックのクラス・レッスンがいわばマッサージのような役割を果たしてくれるようで、 「あらら、クラシックってすっごく簡単なのね」って(笑)。ポワントにしてもフエテにしても、小さい時からやっていることなので、身体にとっては原点に返る、といった感じがするのでしょうね。 ダンサーによってはまったく逆のことをいうけれど、私においては身体に心地よく感じられます。もちろん、夜は脚をアイシングしたり、コールドシャワーをあてたり、といったことをしています。それに、膝の鍼。1日の終わり、膝がばらばらになってしまってて・・・。

Q:『プレイ』では毎晩大喝采を浴びていましたね。

A:本当にこれは私にはすごいチャンスでした。

Q:あなたが演じたのは、最初は存在しなかった役だと聞きました。

A:そうなんです。アレクサンダー(・エクマン)はイメージによって機能する振付家で、彼の頭の中にストックされてるたくさんのイメージから人物像を築いてゆきます。例えばシモン・ル・ボルニュが演じた赤いニットの男の子。彼はオンなメンタリティで、遊びに夢中です。繊細な感性の持ち主で夢見がち、世間から少しずれたところにいて・・・おそらくアレクサンダーはこの役とバランスをとる役が必要だ、と思ったのではないかしら。私の役はゲネプロの2週間くらい前に、突然生まれたんですよ。

『プレイ』photo Ann Ray/ Opéra national de Paris

『プレイ』photo Ann Ray/ Opéra national de Paris

Q:それまでは別の役に配役されていたということですか。

A:私はコール・ド・バレエの一人でした。私、その時のことを、すっごくよく覚えています。バスチーユの地下6階のスタジオで、私は皆と同じようなことをリハーサルをしていました。で、アレクサンダーが事務所とかで仕事をする人々はここでどんなことを感じてるのだろうか、と、オフなエスプリを求められたんです。で、私はしかめっ面をし・・・そんな私をみたアレクサンダーが、「あ、それ、いいね」って笑い出しました。私は特にそれについて真剣には受け止めてなかったのだけど、少し腰が痛くて3日休んで稽古に戻ったら、「OK、キャロリーヌ。じゃ、一緒にやってみようか。君のキャラクターはオフ・レディだ ! 」と。それから徐々にいろいろなことが加えられて行って、私は作品の主人公のようになったんです。役の解釈は彼から自由に任されました。ゲネプロの日、私はほぼ即興でやって、アクト1の最後でゴミ袋にボールを集めるところで、ぶつぶつ口の中でしゃべりだしたら、彼が「あ、それだ!しゃべれ、しゃべれ、しゃべり続けるんだ!」って。その結果、毎晩、即興でやることになったのよ。

Q:決められたセリフがあったわけではないのですね。

A:そうなんです。いさささかムッとして、口の中で不満をぶつぶつ呟いている女性を想像しました。こんな感じに私が提案し、それが進展して・・彼は「そう、この人物はこうなんだ、でも同時にこうしたことも好きで・・」、というように人物像を豊かにしてくれました。彼がくれた枠を、私が感じることで埋めてゆくといった作業をした感じですね。

Q:どんな女性にインスパイアーされましたか。

A:映画の中の女性や、それに街でみかけた女性とかでしょうか。私、人を観察する癖があって、そうした女性たちにインスパイアーされたのだと思う。 《メトロ、ブーロ、ドド 》というフランス語の表現にあるように、毎日、地下鉄に乗ってオフィスに行き、仕事をし、疲れて帰って、眠るだけという 繰り返しのオフィスレディね。人に指示されたことをし、人に言われたことはしない、ということが許されてない、といった女性です。

『プレイ』photo Ann Ray/ Opéra national de Parisキャプション

『プレイ』photo Ann Ray/ Opéra national de Parisキャプション

Q:側からは、時にコミックに見える女性ですね。

A:そう。彼、こう強調したんですよ。「絶対にコミックにしてはいけない。笑わせようと思ってはだめだ」って。最初、私がしてみせることに、彼が「それだ、いいね」って感じで、見てる人たちが笑い出して・・。人が笑うとは思いもしなかったので、あ、そうか笑わせるのね、って思ったんです。そうしたら、彼から「いや、そうじゃなくて、自分の人物の中に納まってるように。それが滑稽なんだ。見てる人が、その女性の頭の中にはいってくるんだから、笑わせていけない」って。これは、とても面白い作業で、まるで演劇の世界のようで、とっても気に入ったわ。

Q:『プレイ』でも配役は1組だけでしたね。

A:そうです・・全部で23回くらい公演があったかしら。『プレイ』に関わっていた期間はとっても長かった。 私は創作の2つめのグループだったけど、5〜6名の1つめのグループは9月から創作を始めていて、後発グループだったとはいえ、長い創作時間で、提案したり、時に何もしないて見てるだけだったり・・・・なかなか骨の折れる仕事だった。何か決まっても、翌日には変更があるので、フレックスでいなくてはならず・・少々当惑しましたね。

Q:でも、そうした長い創作期間があり、あなたの演じた人物の必要性が生じたのですね。

A:そう、物事が最後の最後にこうして自発的に生じるのって面白いですね。で、私には考える時間的余裕がなくって・・それは逆によかったことで、もし3週間とか1か月、これを稽古していたら自然さが失われたかもしれないから。

Q:即興でセリフが浮かばなかった晩もありましたか。

A:はい、時には。最初は簡単にできたのだけど、上手くいったから同じことを次にも言わなくては、って思ったら、ことばが出なくなってしまって。これは良くないアイディアだった。やってゆくうちに徐々にそういったことがわかってきたの。その日の自分に応じ、毎回、異なるエスプリでやればいいんだ、って。

Q:毎晩舞台にたっているのに、踊らないということに欲求不満はありましたか。

A:私、この役を演じている途中で、素早く着替えて鹿の頭をつけたグループの中に入って踊っていたんですよ。で、またすぐにグレーのスーツに着替えて・・なかなか慌ただしくって、大変でした。でも12月の公演でクリスマスの時期で、楽しく良い思い出です。

Q:『プレイ』でコミカルな役を経験したことがきっかけで、コンクールの自由曲にベジャールの『アレポ』を選んだのでしょうか。

A:いいえ、これはずっと前から踊りたいと思っていました。 入団した年のコンクールでこれを踊ったダンサーがいて、「あ、このヴァリアシオンは好きだわ。いつか自分でも・・」って。でも、すぐにはこれを全うできる自信がなくって・・。『プレイ』は、初めて演技者の面を見せられる作品でした。それで「ほら、画一的になって、役の後ろに隠れているのはやめて、自分自身を見せられるのは今だわ ! 」って。でも、ぎりぎりまでこれを踊るか迷っていて、いろいろなヴァリアッシオンを試したんですよ。課題曲がわかった時に心が決まりました。課題の『祭りの夜』は超クラシックでロマンティックでしょう。それとは正反対の作品で自分のパーソナリティを見せられるのだから、『アレポ』でゆこう !と決心できました。 テクニック的な難しさがない作品で、《ここは決めなくっちゃ 》 とか《ここは上手にやらなくっちゃ》といったことなしに、まるでガラで踊っているような感じに初めてコンクールで自由曲を踊れました。見ている人がコンクールではなく公演でダンスをみて満足する、というように踊れることが理想だったのですが、今回はそれができました。

キャロリーヌ・オスモン  コンクール photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris

キャロリーヌ・オスモン コンクール
photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris

Q:コリフェに昇級して、何か変化はありましたか。

A:カドリーユ時代から配役に恵まれていたので、今のところ、何も変わっていません。

Q:頭の中での変化はありましたか。

A:心がとても穏やかになりました。私がどんなダンサーか、私が何に価するかを、人々が知ることができたんです。こうした認知をされることが必要な時期にあったんですね。コリフェになり、朝のクラス・レッスンで自分がいるべき場所にいるんだと感じられています。クラシックでも自分のレヴェルが認められたということで、オペラ座の中での自分の正当性をより感じることができるようになりました。

Q:課題曲の『祭りの夜』はとても難しいヴァリアシオンだったのではないでしょうか。

A:はい。ものすごく難しいものなのですよ。私、学校のプルミエール・ディヴィジョンのときに、これを踊って入団できたんです。それで、これが今回の課題曲だとわかったとき、「あ、これは何かのサインだわ !」と思いました。このほかにも、コンクールの準備中、信じられないくらい、たくさんの兆候があって・・・。

Q:ではコンクールで上がれるという予感がしたのですね。

A:確かにちょっと・・・でもカドリーユのクラスは、レヴェルが高く、みな上手いでしょう。しかもコンクール参加者が大勢で・・・。でも、「皆それぞれ異なるのだから、自分ができることを見せよう」と思ったのです。私にはテクニックはあるのだから、課題曲は何も考えずにやればいい、『アレポ』はもっと自由にやればいい、自分自身でいようって・・。その結果昇進できて、肩の荷がおりました。それに家族のために、とっても満足しています。ノルマンディーに暮らしてる父に、今回は来なくていい、って最初は言っていたのだけど、前日に やっぱり来て ! って。コンクール の後、両親と3人で自宅にいるときに昇級のニュースを知り、三人で大喜びしました。

Q:2011年に入団し、カドリーユ時代が6〜7年。その間、やめようと思ったことはありますか。

A:もちろんあります。ダンスはやめませんよ。オペラ座でサバティカル・イヤーをとって、他のカンパニーに行ってみようか、と考え始めていたところなんです。実は入団したときから、「オペラ座は好き、ここでキャリアを築きたい。でも、他のカンパニーもどんなものか知ってみたい、他の国でも踊ってみたい・・・」というのが頭にあって・・。

Q:2017〜18年はあなたにとって素晴らしいシーズンといえるのではないでしょうか。

A:はい。幸運に多数恵まれますね。9月に『ジュエルズ』から始まり、次に『プレイ』、そしてコンクールがあって。 カドリーユ時代に配役された『ダフニスとクロエ』は代役で、公演もなく、おかげでコンクールの準備に集中できたのもラッキーでした。そして、今はシェクター。7月のノヴォシビルスクへのツアーの前に、 オハッド・ナハリンの『デカダンス』のリハーサルが始まるんですよ。3週間。彼のは動きかたが特殊なので、リハーサルの期間をたっぷりとるのをオハッドが希望したようです。

Q:この作品のためにも、オーディションがあったのですね。

A:はい。その結果採用されて、とってもうれしいです。

Q:クラシックのダンサーというイメージが強かったのですけど、最近はコンテンポラリー作品を踊ることが多いようですね。

『ブレイク・ワークス』 photo Ann Ray/ Opéra national de Paris

『ブレイク・ワークス』
photo Ann Ray/ Opéra national de Paris

A:そうですね。でも、そもそもクラシック・バレエを始めたのも偶然からなんです。体を動かすのが好きで、8歳からモダン・ジャズ・ダンスを習い始めました。そうしたら先生が妊娠してしまって、 じゃあ、クラシックやったら、という感じに・・。それが9歳の時で、オペラ座のバレエ学校には11歳のときに入学しました。

Q:オペラ座外で踊ることはありますか。

A:そうですね。1月に中国のガラで踊りました。 これはカトリーヌ・サラミットのグループで、今年で参加は3回目です。これ以外は特にどこかのグループのガラで踊る、というのではなく、いろいろな場所で、毎回異なるパートナーと踊る、という変化を楽しんでいます。最近参加したのは、ガラではなくバトル!これはヒップホップ系のダンサーたちの一種のコンクールで、すごく楽しめました。私は同世代のジェルマン・ルーヴェと仲良しで、出られなくなった知人の代わりに出てみないか ? という感じに彼から声がかかって・・・。クラシック・バレエとはまったく無縁の世界。150名が参加して、私はセミ・ファイナルまで行きました。自分自身を踊る、という感じが得られるので、こうしたダンスが好きなんです。

Q:2015年10月、パブリック・スペースで開催されたボリス・シャルマッツの公演「20世紀のための20人のダンター」では、バルコニーでマリオン・オゴチエ・ドゥ・シャルナッセと二人でヴォーギングの担当でしたね。

A:これは最高の体験でした。すべてがこの時から始まった、といえるでしょうね。このときに、ああ、オペラ座でクラシック以外のこともできるんだ、やっと呼吸できる、と解放された感じがありました。そして、この後にフォーサイスとのビッグな出会いがあったのです。『ブレーク・ワークス』『ヘルマン・シュメルマン』に彼から選ばれ、これで私は初めてセミ・ソリストとして舞台に立てました。

Q:フォーサイスとの出会いについて、もう少し詳しく話してください。

A:2年半くらい前だったか、大勢が参加するオーディションがありました。そのときに、突然彼から質問されて・・。いったい私の何が彼の気を引いたのかはわからないけれど、彼の作品に配役されたので、2〜3か月とても近い距離で彼と過ごすという信じられないようなすごい経験ができました。それ以来コンタクトがあって、機会があれば会って話して・・・。ガラのために『イン・ザ・ミドル・・・』や『ブレーク・ワークス』を踊る許可を彼からもらっています。

「20世紀のための20人のダンター」キャロリーヌ・オスモン photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

「20世紀のための20人のダンター」キャロリーヌ・オスモン
photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

Q:オペラ座で6年を過ごした今、いつか踊ってみたいと思う作品は何でしょか。

A:難しい!以前はシェクターを知らなかったけれど、今なら彼の作品をやりすごすわけには行かない、って思うし、フォーサイスのクリエーションがあるなら参加したいし・・・。知っている作品の中では、何かしら。あ、『シンデレラ』のアグリー・シスターズを踊ってみたいですね。ピンクでもブルーでもどちらでもいいわ。もちろんヌレエフの『ロメオとジュリエット』のジュリエットだって、踊ってみたいです。今はとにかくオハッド・ナハリンの『デカダンス』を踊るのが、待ち遠しい。これはなにかとても強烈な体験ができると思うの。オーディションにはメゾンのコール・ド・バレエのダンサー全員が参加するという、大規模なものでした。9名の男性、9名の女性ダンサーが踊る作品です。だから2キャストに、合計男女各18名が選ばれたことになりますね。

Q:2019年はオペラ座の350周年ですね。

A:ああ、そうですね。だからオーレリー・デュポンは現代創作家の作品をレパートリーに加えるという、リスクの大きなプログラムを組んだのですね。 彼女は私たちダンサーに本当に栄養となるものをたくさん与えてくれていると思います。ここのところ、過去に踊られた作品の再演ってあまりないでしょう。それはつまり、私たちは新しいことをたくさん学ぶということになりますね。とても興味深いことだと思う。 多くを学びたいし、嫌いなこともなく、いろいろあれこれ触れてみたいと思っています。だからオーレリーには感謝してもしきれません。素晴らしい振付家とばかり仕事ができて、これって彼女からの素敵な贈り物といえます。

Q:2018〜19のプログラムの中では、誰と仕事をしたいと思いましたか。

A:オハッド・ナハリン。これは踊れることになって、とても満足しています。プログラムにはマルコ・グークとか私の知らない振付家もいて・・・レオン/ライトフットは特殊な作品なのではないかと思います。私がそれに適するかどうか、わかりませんね。あとは・・・

Q:マッツ・エックのカンバックがありますね。

A:そ、それ!それ!これはぜひとも配役されたい です。一度、リハーサル・スタジオで彼の姿をみたことがあって、それだけで、おーー!って感じがしました。70歳で引退したいという彼をオーレリーが復帰させたんですよね。来シーズンはシーズン開幕にオハッドを踊り、そして最後にもしマッツ・エックが踊れたら、それだけで満足です。

Q:学校時代はクラシック・バレエのダンサーを目指していたのですよね。

A:もちろん。でもクラシックばかりではなく、という気持ちが、頭のどこかに常にちょっとばかり、ありました。私、『ラ・シルフィード』のパーソナリティとか大好きですよ。子供ぽくって。私の星座は双子座。だから賢さと狂気の2面を持っているのよ、っていつも言っているんです。私には相反する2つの要素が必要だって、感じてるんです。だから、クラシックばかり、あるいはコンテンポラリーばかりだと、何か足りないって感じてしまうことになります。

Q:プロのダンサーになろうと決めたのはいつ頃ですか。

A:学校でクラスをあがるたびに、徐々に・・・だと思います。私の目的はダンサーになることでした。もちろんプチ・ラの夢であるオペラ座のダンサーに越したことはないけれど、私の目標はダンサーになって踊る、ということだったのです。

Q:ガラ公演以外にも外部で踊ることがありますか。

A:はい。例えば、2015年のプランタン・デパートのクリスマス・ウィンドーの開幕イヴェントとか。これはボリス・シャルマッツの公演「20世紀のための20人のダンサー」を見た フィリップ・ドクフレから、声がかかったの。とっても楽しい体験ができました。日本でのイヴェントをオーガナイズする知り合いがいて、時計のブレゲのイヴェントのためにコンクールの4日前に、パリ・東京を往復したこともあります。これはマリー・アントワネットがテーマでした。

Q:参加するイヴェントはタイプが様々のようですね。

A:はい。私はクチュリエのフランク・ソルビエのエジェリーで、彼のクチュール・ショーにモデルとして出演しています。もう4年くらい続いているかしら・・・。彼、最近ではプロのファッション・モデルをまったく使わずに、ダンサーだけをショーのモデルに使うようになりました。彼とは とても良い関係 が築けていて、シーズン開幕のガラのソワレなどドレスが必要なときは、彼から貸してもらっています。

フランク・ソルビエ・クチュール・ショー photo Piero Biasion / Franck Sorbier Haute Couture

フランク・ソルビエ・クチュール・ショー
photo Piero Biasion / Franck Sorbier Haute Couture

フランク・ソルビエ・クチュール・ショー photo Piero Biasion / Franck Sorbier Haute Couture

フランク・ソルビエ・クチュール・ショー
photo Piero Biasion / Franck Sorbier Haute Couture

Q:自由な時間があったら、何をしますか。

A:あら、何をしてるかしら ??? 私はノルマンディーに生まれたので、自然が必要。例えば今度の週末にレンヌ市でのガラに参加するので、その後はノルマンディーに行きます。緑、静けさ・・パリにはこれが欠けていますね。一人で過ごす時間が好きなので、時々、パリで公園や庭園などを散歩しています。心が穏やかになりますね。 美術館にも一人で行きますよ。子供の頃から音楽がとても好きなので、コンサートにもよく行きます。ポップや現代の音楽・・・クラシック音楽も好きだけど、それはオペラ座だけで。仕事が終わったら、オペラ座とは区切りをつけたいの。それからお料理も好きで、よく自分で作ります。パパがシェフなので、これは血筋かも。

Q:今年の夏のバカンス先はどこでしょうか。

A:ここのところ3年続けてバハマ諸島でのバカンスだったので、ベルーやメキシコといった国に行ってみたいと思っていて・・。チチカカ湖やマチュピチュなど世界の驚異を見てみたいので、おそらくペルーに。そしてその後はサン・フランシスコで友達に合流することになるのではないかしら。日本に行くのも、私大好きですよ。

Q:昨年3月のオペラ座来日ツアーにも参加しましたか。

A:はい、『テーマとヴァリアション』を踊りました。私のオペラ座のベスト・フレンドはオニール 八菜なのよ。楽屋も一緒。彼女はプルミエール・ダンスーズなので別の楽屋に移るはずなのだけど、今も6人のコール・ド・バレエの楽屋にいて・・全員とても仲良しで、とっても快適な環境なんですよ。

フランク・ソルビエ・クチュール・ショー photo Piero Biasion / Franck Sorbier Haute Couture

フランク・ソルビエ・クチュール・ショー
photo Piero Biasion / Franck Sorbier Haute Couture

フランク・ソルビエ・クチュール・ショー photo Piero Biasion / Franck Sorbier Haute Couture

フランク・ソルビエ・クチュール・ショー
photo Piero Biasion / Franck Sorbier Haute Couture

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