オペラ座ダンサー・インタビュー:ファニー・ゴルス
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Fanny Gorse ファニー・ゴルス(スジェ)
前シーズンでは『ジゼル』で大役ミルタを、そして今年3月の『真夏の夜の夢』ではレティシア・プジョルとともに準主役を踊ったファニー。オペラ座の2016〜17年度の締めとなる『ラ・シルフィード』では "3人のシルフィード" の一人として舞台にたち、その後はニューヨーク公演『ジュエルズ』に参加する。
2015年、引退を前にしたオーレリー・デュポンは、若手の気になるダンサーとしてジェルマン・ルーヴェやユーゴ・マルシャンとともにファニーの名前もあげている。当時まだコリフェだった彼女だが、スジェなみにドゥミ・ソリストとしての活躍をし、パリのバレエファンの間ではすでにその名がささやかれるようになっていた。今年の冬に公開される映画『新世紀、パリ・オペラ座』はバレエに関するパートがそれほど多くはないが、その中で最も出演シーンの多いのが彼女である。しなやかな腕の動きと上半身の柔らかさが際立つフェミニンな彼女。大人っぽい顔立ちで落ち着きがあり、29歳という年齢に至った今、容姿、雰囲気、ダンスなど様々な面でとてもよいバランスがとれているようだ。今シーズンの活躍に期待したいダンサーの一人である。
Q:2015年のコンクールの結果、2016年からスジェ。でも、その前のコリフェ時代からドゥミ・ソリストに配役されることがよくありましたね。
A:はい。なぜだったのかはわかりません。おそらく運が良かったのでしょうね。スジェの階級のダンサーたちが大勢怪我をしたり、何らかの理由で不在だったとか、そういった時期に古典大作のバレエ公演があるとコリフェの中から私が駆り出されて・・というようなことだったのだと思います。
Q:『くるみ割り人形』のアラビアの踊り、『水晶宮(パレ・ドゥ・クリスタル)』のドゥミ・ソリスト・・これらブリジット・ルフェーヴル芸術監督の時代ですか。
A:そうですね。この時期、とりわけバレエ・マスターのクロチルド・バイエが私に信頼をおいてくれたのだと思います。彼女とは私は山ほどのリハーサル時間を過ごしています。急に誰かが必要だ!となったときに、クロチルドが私に任せてくれ、これが一度うまくゆくと、次もとなって・・・こうした状況の結果じゃないでしょうか。
くるみ割り人形』アラビアの踊り photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris
Q:コール・ド・バレエの中でも、フェミニンなダンサーだという印象を受けます。
A:それって、私のトレード・マークというか・・・上半身の仕事にはとても気を使っているんです。とういうのも、私は素晴らしい脚の持ち主というわけでもないし、つま先だって・・・。それなら何か自分なりの切り札をということで、視線や演劇的な面を強調しようと努めているのです。カンパニーに入団したときにギヨーム・シャルロ(現スジェ)が、一緒に仕事をしよう、って声をかけてくれました。腕のホールドの仕方、胸部の広がりといった、上半身の仕事の大切さを彼から学びました。これは私にとっては、目から鱗・・。私のキャリアにおいてとても重要な段階です。彼のよって私は変身させられたんですね。おかげで、入団して最初のコンクールでコリフェにあがれました。私にはプティ・ペールがいませんが、彼がその役割を果たしてくれて、ダンサーとしての私の成長の面倒をみてくれたんです。
Q:その後、コリフェ時代が7年続きましたね。
コンクール
photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris
A:お話ししたように、入団後すぐにコリフェに上がったのですが、若すぎて、自分の場所だと感じられませんでした。最初の2〜3年はコール・ド・バレエとして仕事を学ぶ時期。それはよかったのですが、その後、良い配役は得ているのにずっとコンクールで上がれないということが続いて・・・。上がれないとうのは、私が失敗した、他の人が優れていた、空きがなかった・・・など、いろいろな状況ゆえとはいっても、7年は長かったですね。でも、その間にオペラ座をやめようというようなことは思いませんでしたよ。目標をしっかりと定めてしまうと、うまく行かないときの失望も大きいだろうし・・というように考え、来るときは来るのだから、って思うようにしていました。『くるみ割り人形』でアラビアの踊りを初めて踊る日が、ちょうどコンクールと重なって、というときはいささか大変だった記憶があります。でも、私、思ったんですよ。"コンクールで上がれなくても、こうしてドゥミ・ソリストとして踊る機会があるというのは、すごく幸運だわ"って。上がれないというのはフラストレーションにもなるし、傷つくことだけど、こうして舞台にたてるのだから・・・。
Q:これまでにオペラ座の舞台で一番楽しめた作品は何ですか。
A:ああ、それは前シーズンの『ジゼル』でミルタを踊ったことですね。この経験は生涯忘れることがないでしょう。この役のために、とにかくリハーサルは数を重ねました。ずっと踊ってみたいと、夢見ていた役だったんですよ。本公演で踊る機会が二回あり、舞台を存分に満喫しました。ミルタのシーンは、作品の見せ場でもあるのですからね。技術的にとても難しい振付で、呼吸も大変・・・この時の経験は頭にしっかり刻み込まれています。『ジゼル』では二人のウィリー役も踊っています。それからフォーサイスの『Artifact Suite』ですね。まだ17歳のときで、この作品がオペラ座のレパートリー入りしたときのことです。信じられないような体験ができました。キャロリーヌ・ロベール、アリス・ルナヴァンたちと一緒で、いいグループでした。最近では彼の『ブレークワーク1』も踊りましたが、彼は私にとってコレグラファーの巨匠なんです。
『ジゼル』photo Svétlana Loboff/ Opéra national de Paris
才能にあふれ優しくて・・・人物的にも驚くべき人だし、それに彼の何事も逃さぬ視線もすごい。フォーサイスとの仕事はいつもとっても興味深いことです。『Artifact Suite』のときは創作ではなかったので、まず彼のアシスタントと私たちは仕事をしたのだけど、彼は素晴らしいチームを持ってますね。こうしたことのすべてが一体となって、素晴らしい経験をすることができたんです。これ以外の作品で舞台を楽しめたのは、クリスタル・パイトの『ザ・シーズンズ・カノン』でしょうか・・これも思い出深い作品の1つです。
『ジゼル』photo Svétlana Loboff/ Opéra national de Paris
Q:この作品はほとんどが群舞。ダンサーとしてフラストレーションは感じませんでしたか。
A:たしかに群れの中の一人として踊る作品だったけど、クリスタル・パイトという素晴らしい振付家と一緒に仕事ができるチャンスだったのですから・・。驚くべき女性です。『ジゼル』のウィリーを踊るときにも感じられるような群舞のエネルギー、グループが醸し出すエネルギーに、これも踊っていて陶然としてしまう作品なんです。たしかに舞台上の中央で踊ったり、一人で踊ったりということも好きですよ。だって、その機会のために毎日稽古を続けてるのですからね。でも、こうしたグループのバレエというのも、作品として興味深いし、自分を豊かにしてくれるものなのです。そして何よりも、この作品に対する観客からの素晴らしい反響 !!!! こうした作品の創作に参加できたことは、ダンサーとしてとっても誇らしく感じています。『ザ・シーズンズ・カノン』の仕事で、彼女は2017年度のブノワ賞を振付家として受賞。なんて素晴らしい出来事でしょうか。来シーズンのプログラムにこれが入っています。また踊れるのかと思うとワクワクしますね。
『ザ・シーズンズ・カノン』photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
Q:バランシンの『真夏の夜の夢』では準主役のエレナ役でしたね。
A:はい、これもとても良い経験となりました。クリスチャン・ラクロワによる衣装で、私のコスチュームは真っ赤なドレス。とってもきれいでした。バレエ作品としては、ちょっと特殊なものでしたね。すごくアメリカっぽくて、4分の3は演技で・・。でも、けっこう楽しめました。私たちのチーム(ファニーとレティシア・ピュジョル、アレッシオ・カルボーネ、オードリック・ブザール)は、みんな和気あいあいでしたし、それに学ぶことも多かった。この作品での演技は誇張が要求されるものなので、愉快と馬鹿らしさのちょうど中間にバランスを取ることがとても大きな鍵を握っていました。
Q:この作品ゆえに、3月の来日ツアーには参加しなかったのですね。
『真夏の夜の夢』
photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris
A:そうですね、入団以来、海外の大きなツアーには毎回参加していて、素晴らしい体験をしているので、これはちょっと残念でした。最初のツアーは契約団員時代だったので、11年くらい前でしょうか。『白鳥の湖』と『パキータ』だったかしら。代役だったので毎晩舞台裏で、誰かが怪我したら、すぐに舞台にでられるようにスタンバイしていました。これはストレスの思い出ですけど・・。今回は初めてのパリ組となって、ちょっと胸がちくっとして・・。とはいっても、それはこの『真夏の夜の夢』のエレナ役のためだったし、それに映画の生中継の晩も踊ることができましたし、それになんといっても、レティシア・プジョルと舞台とともにできるという幸運が、この作品で得られたんですから、すごく満足しています。もうじき彼女も引退してしまうので、その前にこれほどの素晴らしいアーティストと一緒に踊れたことは、私のバレエ人生でも思い出として刻まれる出来事です。
『真夏の夜の夢』photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris
『真夏の夜の夢』photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris
Q:その後、5月には同じバランシンの『ラ・ヴァルス』を踊っていますね。
A:はい。この作品も初めてでした。今シーズンは、初めての作品がけっこうありますね。特にバランシンがたくさんあって。来シーズンも、おそらく。『ラ・ヴァルス』はドレスに白い手袋をはめて、というとてもきれいな衣装で、フェミニンなバレエでしたから、私は多いに楽しめました。リハーサルのためにアメリカから来たコーチとの仕事は興味深く、踊っていて体に快適な作品でした。ひどく難儀だというテクニックが要求される振付けではないのですが、集中とかこれまでとは異なる仕事が要求されて・・私たち3人が踊ったセカンド・ワルツはいささか謎めいたパートで、観客にはわからなかったと思いますが、かなり緊張しました。というのも、ファースト・ワルツはオーケストラの音楽で、セカンド・ワルツのときに幕があき、このときに極めてスローで少々特殊な腕の動きを3人きっちりと揃ってスタートするんですね。作品の雰囲気を作る部分なので、静止のポーズから動き始めるときは3人で指揮者の合図をじっと見守っていて・・・。
Q:指揮者は体全体を大きく使うマキシム・パスカルでした。
A:そう、彼ってまるでダンサーですよね(笑)。彼の指揮で踊ったのは今回が初めてだったけれど、指揮するのを見ていてうっとりしてしまいました。舞台で横たわる振付のときに彼が見えるのだけど、とにかく動く、動く・・・。あらら、これじゃ観客は舞台じゃなく、彼の腕しかみえないんじゃないかしらって(笑)。でも、彼はラヴェルの曲の価値を高める仕事をしたと思います。この公演はトリプル・ビルだったので、『ラ・ヴァルス』を踊り終えた後は客席で『アン・ソル』『ボレロ』を見たのですが、彼のエネルギーが劇場を満たしているのが感じられました。こうしたエネルギーは舞台で踊るダンサーにも伝わってくるんですよ。
『ラ・ヴァルス』(中央)photo Laurent Philippe/Opéra national de Paris
Q:バランシンといえば、『パレ・ド・クリスタル(水晶宮)』でも、コリフェながら良い配役を得ていたと記憶しています。
A: はい、大勢のダンサーが怪我で降板してしまって、3〜4配役のうち残りは2人しかいない、という状況となってしまったので。私はローラ・エケのパートを代役として稽古してたのだけど、公演に配役されることが決まったときに、彼女とペアのダンサー役を踊る、ということになってしまったのです。これはとてもきつかったですね。なにしろそれまで覚えたことと、すべて左右反対に踊らなければならなくなったので・・・大きなチャレンジでした。それに作品そのものも、なかなか大変なんですよ。一瞬、舞台裏にひっこむものの、約10分間跳び続けるような振付なのですから、呼吸もテクニック面でもきつい作品でした。でもローラ・エケと踊るのは楽しかったですね。
Q:同じバランシンでもタイプが異なる三作品ですね。
A:彼の仕事の3つの異なる面ですね。『水晶宮』はピュアなダンス、『ラ・ヴァルス』は物語があるようなないような作品で、それに対してい『真夏の夜の夢』は本格的なストーリーものでした。こうして同じ振付家の異なるタイプの作品に取り組める機会に恵まれ、とても良い経験ができました。かなり前ですが、バランシンは『アゴン』も踊っています。ストラヴィンスキーのこの音楽が、大好き!
Q:オペラ座のレパートリーの中で、ぜひ踊りたいという作品は何でしょうか。
A:ロビンスの作品が好きなんです。ステップ、音楽性も素晴らしいし、そして特にストーリーがないにしても、見ているだけで別世界に連れて行かれるような振付。美しく、フェミニン、催眠効果があって・・・。とりわけ『アザー・ダンシィズ』が大好きなんですけど、これを踊るというのは、手の届かない夢ですね。彼の作品は、前シーズンに『Opus 19 』でコール・ド・バレエとして稽古をしたのだけど、あいにくと怪我をしてしまって舞台で踊れませんでした。ロビンス作品の中でも、これはちょっと特殊な感じの作品ですね。『ダンシーズ・アット・ア・ギャザリング』も好きで、どのパートでもいいのでいつか踊ってみたいです。コンクールでは過去にその中のグリーンの女性のパートを踊りました。揺れるようなドレスを着て、あの音楽でステップを踏むというのは、とにかく快適でした。
Q:『ラ・ヴァルス』と同じプログラムに入っていた、ロビンスの『アン・ソル』を踊れなかったことを残念に思いましたか。
A:もちろんこの作品、大好きですよ。音楽もパ・ド・ドゥもとっても美しいです。今回の公演では、小柄な女性ダンサーばかりで揃えられていましたね。ビジュアル的に統一感があってとてもきれいでした。私は172cmあるので、あの中に入るのにはいささか体格がよすぎます。
『眠れる森の美女』photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Paris
Q:ジャン=ステファン・ブロン監督のドキュメンタリー映画『L'Opéra(邦題「新世紀、パリ・オペラ座」)』中、バレエの部分は少ないですが、その中であなたの登場シーンが一番多いですね。
A:撮影が始まる前にキャスティングがあって、監督に会いました。8〜9か月前だったでしょうか。他のダンサーに彼が会ったのかどうかはわかりませんが、その時に、彼と映画についていろいろ話をしました。このバレエのシーンで彼が欲しかったのは、スターではなくてコール・ド・バレエのダンサーだったのですね。キャスティングをしたといっても、私がオペラ座で日常的にしていることを撮影したドキュメンタリーなので、映画のために何か特別なシーンを撮影する、ということはありませんでした。監督は人柄も素晴らしく、とても実り多い出会ができて・・こうして、ダンス以外の話をする機会があるというのは、興味深い経験となります。
Q:この映画について、どんな反応を周囲から聞きましたか。
A:個性的、感動的、愉快・・・って、こうしたドキュメンタリーにしてはポジティブな反応ばかり。私、一度見たきりだけど、あっという間に終わってしまったという感じ。でも、バレエを期待して見た人は、ダンスの場面が少ないと思うみたいですね。映画の中でちょうどいいタイミングにバレエが登場するので、私はあれでいいと思っています。私のアパルトマンの隣人からも、"見たわよ"って言われました。
Q:ミルピエが辞任を決めた瞬間まで撮影されていますね。
A:このドキュメンタリーではリスナー総裁、オペラ歌手など、たくさんの人をカメラは追っていて、オペラ・バスチーユでとても長い時間をかけて、監督は撮影しています。私も自分が関わらないときでも、彼のしょっちゅう姿をみかけましたから。だから、こうした瞬間を捉えられるチャンスがあったのでしょうね。
Q:『ラ・バヤデール』の舞台稽古の撮影では、カメラを意識しましたか。
A:撮影シーンの3幕目のパ・ド・トロワは、すごく疲れる振付なんですね。呼吸を整えるのが、とにかく大変。彼の小さなカメラがそれを追っていて・・。私はとにかくシャイなので、撮影当初はちょっと恥ずかしい気がしたのだけど、疲労困憊させられる振付に集中しなければならないので、カメラを気にする余裕はありませんでした。それに彼も舞台の邪魔にならないように撮影していたし・・。
Q:オペラ座外の仕事として、ファッション・ショーなどの参加もときどきあるようですね。
A:はい。過去にトムセンやラビー・ケイルーズといったブランドのショーに出ました。モード撮影などもそうですが、このようにダンス以外のことを発見できる機会があるのは、自分を豊かにできるのでいいですね。それに、ダンスを他の芸術にもたらすこともできて・・。特に今ダンス、ダンサーがあらゆる分野で求められている時代です。監督との出会いもそうですが、別のアートに関わる異なる視線の持ち主たちとの出会いは、刺激になります。
Q:バレエを習い始めたのは、どのようなきっかけでしょうか。
A:姉二人が習っていたので、私も ! という感じで、始めました。パリの郊外に住んでいて、週に一度クラシック・バレエの教室に通っていたのですが、8歳くらいのときに、そこの先生がモニカ・アラビアンが主宰するアカデミー・シャプタルに私を連れて行きました。そこで8か月くらいレッスンを受けたところで、オペラ座の学校のテストを受けることになったんです。先生が、自分の娘も受けるのだから一緒にどう ?ということで。正直なところ、私はオペラ座が何なのかもよく知らなくって・・・。その結果、オペラ座のバレエ学校で6か月の研修があり、入団しました。偶然から、という感じですね。最初の3年は寮生活。男女生徒ともにたくさんの友達がいて、とっても楽しかった。良い思い出がたくさんあります。でも、後半は、姉たちがいる自宅に戻りたくなって、年齢も一人で高速地下鉄に乗ってナンテールまで通える年齢になっていたので自宅から通学していました。
Q:習い始めたときに、ダンスが気に入ったということですね。
A:はい、とりわけ音楽ですね。家に『くるみ割り人形』のCDがあって、姉と一緒になってめちゃくちゃだけど踊っていました。ダンスが好きになったのは、音楽やコスチュームなどの要素が大きかったと思います。ああ、これ楽しい ! って感じに。
Q:学校では第一ディヴィジョンまで順調でしたか。
A:はい。でも、第一ディヴィジョンは二回やっています。というのも、最初に第一ディヴィジョンを終えたとき、私はまだ16歳だったのです。私が入学したのは、8歳半のとき。当時、今より低年齢で生徒を入れていたんすね。クロード・ベッシーの時代です。二度目の第一ディヴィジョンのときから、プラテル校長になりました。第一ディヴィジョンの2回目を終えて17歳になり、そして2005年にバレエ団で踊り始めました。
Q:学校時代の思い出は何でしょうか。
A:私、海外の大きなツアーというのは経験してなくって・・でも、先生に恵まれたのは幸運でした。とりわけ思い出に残る二人の先生がいます。まずジャニーヌ・ギトン。彼女からは仕事、動きに対する意欲をもらいました。上のクラスになってからは、フランチェスカ・ズンボからとても多くを学びました。すごいエネルギーの持ち主で、個性もなかなかの先生でしたけど・・。私は学級の中で特に優れた生徒ではなかったので、なかなか難しかったんですよね(笑)。他の生徒に遅れをとっている、というのではないけれど、レヴェルに達してなければならない、って・・・・。何しろ私のクラスには上手い生徒がたくさんいたんです。アマンディーヌ(・アルビッソン)やエレオノール(・ゲリノー)、オーバーヌ(・フィルベール)、ルーシー(・フェンウィック)・・・こうした生徒たちに混じって、私は一人苦労していました(笑)。
Q:ダンスを職業にしようと思ったのは、いつですか。
A:第二ディヴィジョンのときですから、かなり遅いですね。もちろんカンパニーに入団したいという気持ちはあっても、学校時代は上のクラスに上がるために必死、というレヴェルだったので、職業にして毎日ダンスをする生活というのは・・。ところが、第二ディヴィジョンのときに、" 私、きっと出来るわ" って。私は成長したんだから、一生懸命に稽古をし、しっかりとしがみついていれば・・・、って思えるようになったんです。先生から自信を与えられたのでしょうね。
Q:いつかエトワールになろうと夢見たのですね。
A:いえ、とにかく入団して、まずはダンサーになること !でした(笑)。
Q:2016年からスジェになって、何が変わりましたか。
A:何が変わったかしら・・・わからない。でも、とても幸せな気持ちになれました。最初のオペラ座の契約団員時代、"ああ、いつか私もスジェになって踊れることになったら、ひどく幸せだろうな" って想像してたんですよ。そのときが来たのですから。だから、誇らしくも思います。
Q:楽屋も変わったのですか。
A:スジェだと二人部屋になるのだけど、私はずっと前のままです。8名の楽屋で、大きな窓があって・・これ珍しいんですよ。楽屋によっては一人部屋でも、窓がないということもあるので。私は太陽が気持ちよく差し込み、気の合う仲良しのダンサーたちといっしょの今の楽屋のままでうれしいです。
Q:来シーズンのプログラムでは何が踊りたいですか。
A:『ジュエルズ』 ! これ、大好きなんです。過去に「ダイヤモンド」をコール・ド・バレエで踊り、スケルツォの4人のダンサーの一人としても踊っています。「ダイヤモンド」は、ぜひ踊りたいですね。ソリストのパ・ド・ドゥもうっとりするほど素敵ですし・・・。それから私が大好きなバランシンの『アゴン』が再演されるので、これもぜひに ! このパ・ド・ドゥは信じられないほど、美しい。『ドン・キホーテ』では、前回は街の踊り子の代役で終わってしまったので、今度こそこれを舞台で踊れたらいいですね。
Q:クラシック、ネオ・クラシック作品に配役されることが多いのですね。
A:ポワントで踊る作品ですね。私の身体は極端なモダーンなダンスには向いていません・・・といっても、これまで配役されたことがなく試したことがないので実際にはわかりませんけど。例えばサッシャ・ワルツの『ロメオとジュリエット』など、もし配役されたら、それは彼女との出会いとなって新しい経験ができるので、私自身の成長には良いことです。
Q:体のために、何かしていますか。
A:ヨガをしています。ピラテスとちょっと混じり合った感じの・・。オペラ座にコーチが来てくれるんですよ。こうしたことはウエルネスだけでなく、呼吸、自分の周囲の空間への意識などのためになりますね。頭も切り替えられるし・・・。でも、体にはなかなかキツイですよ。筋肉の引き締め、ダンスとは違った筋肉の仕事などによって、ダンスの補足となります。体にもよく、頭にも良い。もうじき『ジュエルズ』の公演のニューヨークに行くので、時間があれば、ヨガの先生が教えてくれたニューヨークの教室に行ってみようと思っています。
photo Deyan Parouchev
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1. プティット・メール: マリー・アニエス・ジロ。シャイなので、なかなか頼めず、11歳の頃にやっとお願いできた。
2. 朝食:カフェ・オレ、ヨーグルト、タルチーヌ。
3.. 好きな香り:ホワイト・ムスク。アンバー系の香り。
4. 舞台にあがる直前にすること:迷信を担ぐというタイプではないけれど、習慣が必要。例えばバッグは舞台の上手ではなく、下手側の袖におく。直前に必ず、トゥシューズの紐がはみ出してないかをチェック。一度確認できても、何度もチェックする。
5. ダンサー以外についていたかもしれない職業:母が行っているような社会福祉。何か共同組織での活動。もしかしたら引退後につくかもしれない。
6 .夏のバカンス:ミストラルが吹き、太陽が照らす南フランスの祖母の別荘。愛着のある場所で、毎夏最低10日は過ごす。
7. 自由時間の過ごし方:読書、映画、テラスでくつろぐ、劇場・・最近はロイヤル・バレエの『マイヤリグ』を見た。
8.コレクションしているもの:特にないが、自宅には、アロエベラのような植物の鉢が多数。
9. 日本の思い出:清潔な地下鉄、礼儀正しい人々、暖かい歓迎。そして高層ビルのある地区があり、木造の小さな家が並ぶ地区があるというコントラスト。いつか山の寺巡りをしたい。
ワールドレポート/パリ
- [ライター]
- 大村真理子(在パリ・フリーエディター)