8月に初来日するNYCBの新プリンシパル、ローマン・メヒア=インタビュー「バランシン・テクニックのおかげで速く動けるようになった」

ワールドレポート/その他

香月 圭 text by Kei Kazuki

8月に開催される小林ひかるプロデュース公演『The Artists-バレエの輝き-』では、ニューヨーク・シティ・ バレエ(NYCB)とアメリカン・バレエ・シアター(ABT)、そして英国ロイヤル・バレエのダンサーたちがガラ公演を行う。出演者の一人で2月末に新たにNYCBのプリンシパルとなったローマン・メヒアにオンラインで話を聞いた。
彼の父、ポール・メヒアはバランシン存命時の60年代から70年代初頭までNYCBで活躍したダンサーだった。当時バランシンは、40歳年下のバレエ団の看板スター、スザンヌ・ファレルに求婚する。しかしファレルはメヒアと結婚し、1972年にモーリス・ベジャールが主宰するブリュッセルの二十世紀バレエ団へ移籍した。そしてその後、ファレルとメヒアは別々の道をたどることになった。
ローマンの母は、シカゴ・シティ・バレエとフォートワース・バレエでダンサーとして活躍したマリア・テレジア・バロー( Maria Terezia Balogh)である。(フォートワース・バレエ団は1989年に来日しポール・メヒア版『シンデレラ』を上演し、バローがタイトルロールを踊った)
ローマンと彼の両親ポール・メヒアとマリア・テレジア・バロー、そして彼の祖母は皆NYCB付属校スクール・オブ・アメリカン・バレエ(SAB)の出身というバレエ一家である。

―― これまでの経歴についてお聞かせください。ローマンさんが3歳の頃からバレエを始めたのは、どのようなきっかけでしょうか。

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『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』(ジョージ・バランシン振付)Photo: Erin Baiano

メヒア:ご存知の通り、僕の両親はダンサーでした。彼らはバレエ・クラスで教える間、ベビーシッターを雇う代わりに僕をスタジオに連れて行きました。僕はいつも座って音楽の素晴らしさに感動したり、生徒さんたちが踊っているのを見て楽しんでいました。ですから、バレエを始めたのはごく自然なことでした。劇場で育ったので「踊るのが自分のやるべきことだ。よし、踊りを始めてみよう」と思ったのです。3歳の時は子どもでしたから、いつも動き回っていましたね。両親も僕をおとなしくさせることができず、僕自身も体を動かすのが好きでした。

―― あなたは12歳のときにSABに入りたいとご両親に直談判したそうですが、そこに入学を希望した理由はなぜだったのでしょうか。ご両親はこの学校を薦めたりせず、ご自身でこの学校を見つけたのですか。

メヒア:実は、僕自身は両親のライフストーリーを全く知りませんでした。父がバレエ・ダンサーだったことは知っていましたが、彼がNYCBのダンサーとして在籍していたときの話は全く知らなかったのです。父がその話を口にする機会はこれまでなかったからです。ある日、SABの夏期コースに参加した友だちが戻って来るなり、とてもいい講座だったから来年は一緒に参加しようと僕に言ったのです。後日、父にSABのサマー・コースに参加したいと申し出てみました。その時の父の反応が実に傑作でしたが、彼はいささか驚いた様子で「SABのことをどうやって知ったのか? 誰がSABのことをお前に教えたのか?」と僕に問いただしたので「友だちから聞いた」と僕は答えました。その時、 僕はすでに ABT付属のジャクリーン・ケネディ・オナシス・スクール (JKO)に 通っていましたが、父はようやく決心して 僕をSABに連れて行き「これからは私がお前にクラスを教えるから、一緒にやっていこう。カリキュラムに基づいてお前にトレーニングを授けることにする」と言いました。その時から両親はSABのスタジオで僕に教えるようになりました。 僕は彼らのもとで数年間パーソナル・トレーニングを受け、14歳の時に初めてSABの夏季講座に参加しました。 その年の冬学期のスクールには参加しませんでしたが、翌2015年の夏季講座を再び受講しました。その年はそのままSABの生徒として学びました。

―― ご両親の特訓はいかがでしたか。

メヒア:より正確にシンプルにということを要求されました。確かに難しい面はありますが、それまでロシア・スタイルを基盤とする流派で育ってきたので、バランシン・スタイルも実はよく似ています。ただ少し速いのとより正確さが要求されます。バー・レッスンは繰り返しが多いと感じましたが、すぐに慣れました。

―― 卓越したスキルをお持ちで、音楽やリズムに乗る様が軽やかですね。ご自分が培ったロシアやアメリカのメソッドが生かされているとお考えでしょうか。

メヒア:幼少期から受けていたロシア流派のトレーニングが、自分の今の踊りに大きく影響していると思います。クラシックのヴァリエーションもすべてロシア・スタイルで学びました。僕が幼い頃にピルエットをニ回転できるようになった頃、父は何回も練習させ、技を磨いていくように導いてくれました。おそらく、SABに入学する前にしっかりした基礎ができていたのだと思います。入学後は技術の精度を高めていくだけでよかったのです。ですから、バランシン・テクニックによって僕のテクニックはよりブラッシュアップされ、より早く動けるようにもなりました。一方、僕はとてもゆっくり動いて着地することもできます。バランシン・テクニックのおかげで速く動く分には困難も感じることなく、より音楽的に反応することができるようになりました。

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『ルビーズ』 (ジョージ・バランシン振付)
Photo: Erin Baiano

―― バランシンの作品は今や世界中で見られますが、SAB出身のダンサーとしてそれらをどのようにご覧になりますか。

メヒア:世界中の様々なカンパニーによって解釈が異なるのを興味深く拝見しています。NYCBでは見られないような新しい発見もあります。それらを拒絶する代わりに受け入れるタイプです。

―― 子どもの頃ピアノを習っていたそうですが、踊りの面で役に立っていますか。

メヒア:子どもの頃はピアノを弾くのをただ楽しんでいましたが、成長するにつれてピアノの経験が自分が踊る音楽を理解するのに役に立っていると感じます。僕自身の音楽性を成長させることにもつながったと思います。普段は踊ってばかりですが、たまに余裕があるときはピアノの前に腰掛けて少し弾いたりすることもあります。暗譜して弾けるのは3曲くらいですが、ピアノを弾くと落ち着きます。時間ができたときに音楽を聴くのも好きです。クラシック、ジャズ、今のヒットチャート、70、80、90年代の音楽など何でも聴きます。

―― 2月末にNYCBのプリンシパルに昇進されたということで、おめでとうございます。どのように昇進を告げられたのでしょうか。

メヒア:シーズン最終日に『眠れる森の美女』で「青い鳥」を踊るために第一幕の間にウォームアップをしていました。NYCBのピーター・マーティンスのヴァージョンは二幕構成なのです。そこにバレエ・ミストレスが僕のもとに現れて、幕が降りてもしばらくその場にいるようにと言いました。月曜日に予定されている2023‐24年シーズンの プロモーション・ビデオを撮影する打ち合わせをするからということでした。そのような予定があるなら、いつもなら事前にメールをくれるはずなので、その時は少し変だなと思いました。それでも言われた通りに幕が降りた舞台で待っていました。僕と同じようなことを言われたダンサーたちもいました。そこに芸術監督のジョナサン・スタッフォードが現れて、そこにいた僕たち全員の昇進を発表しました。その時は自分がプリンシパルになったことがにわかには信じられませんでしたが、今ではこの昇進をとても光栄に思い、僕を信頼してくださる関係者の皆様に感謝しています。

―― ソリスト時代と比べてプリンシパルになってからはいかがですか。

メヒア:バレエ・クラスやリハーサルのときは以前よりリラックスしています。でもいざ公演になると、お客様は僕がプリンシパルだということで、ソリストのときよりももっと期待していると思うので、失敗は許されず完璧を求められます。その分プレッシャーは大きいです。

―― NYCBではこれまでもバランシンとロビンズの作品に出演されてきましたが、今後挑戦してみたいのはどのような作品でしょうか。

メヒア:思いつく作品がたくさんあります。バランシンの『放蕩息子』と『アポロ』、そして『ロミオとジュリエット』のロミオ、『うたかたの恋 -マイヤリング- 』のルドルフ皇太子などはよく知られた男性ダンサーの象徴的な役でバレエ・ファンの皆さんの間でもとても人気ですね。もちろん古典作品にも。NYCBでは『眠れる森の美女』『白鳥の湖』『コッペリア』があります。そしてカンパニーのレパートリーにはない『ジゼル』『海賊』『ラ・バヤデール』といった作品もいつか取り組んでみたいです。

―― プリンシパルとしての今後のご活躍が楽しみです。NYCBではアレクセイ・ラトマンスキー、ジャスティン・ペック、クリストファー・ウィールドン、カイル・エイブラハム、ジャンナ・ライゼンなど様々な振付家の作品を踊って来られましたが、一緒に仕事をして一番印象に残っている振付家はどなたでしょうか。

メヒア:誰か一人選ぶというのは難しいですが、一緒に仕事をして楽しかったのはラトマンスキーです。クリストファー(・ウィールドン)とは何度かご一緒させていただいていますが、彼はNYCBのための新作を創り始めたところです。彼のチームとの仕事も本当に楽しいです。これまで踊った中ではジョージ・バランシンとジェローム・ロビンズの作品が好きです。歴史的人物の彼らと仕事をする機会にはめぐり合えませんでしたが、二人の作品はやはりいいですね。彼らの作品を踊るのはとてもやりがいを感じます。

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『ダンス組曲』(ジェローム・ロビンズ振付)Photo: Christopher Duggan

―― NYCBのダンサーたちには創作が推奨されているようですね。ご自身では将来振付に挑戦してみたいですか。

メヒア:NYCBではダンサーが振付をすることを歓迎していて、昨年は新作が5,6作品ほどありました。NYCBのダンサーたちに振付をしたい人々が常にいて、バレエ団側も受け入れを歓迎しています。NYCBでは現在、約450作品程度のレパートリーがあると思います。僕自身は、当面は振付したいという気持ちはまだ高まっていないです。むしろ今は創作の対象となるのが好きで、すでに僕のために作られた作品もあります。キャリア後半で振付に興味が出てくるかもしれませんが、今は振付家と一緒に創作に取り組むのが好きです。

―― これからはどんなダンサーが観客に望まれていると思われますか。今後の理想のダンサー像について語ってください。

メヒア:ダンサーとして理想的なのは情熱的でテクニックが正確なだけでなく、観客の皆様が目をそらすことができないほど注目してしまう踊りをする人でしょうか。あらゆることに対してオープンで新しいことにも挑戦し、多方面で活躍できる人になりたいです。

―― 今後よりいっそうのご活躍を祈念いたします。さて今回、日本での初舞台となる8月開催のガラ公演「The Artists -バレエの輝き- 」に出演されることとなったきっかけについて教えてください。

メヒア:僕のパートナーであるタイラー(・ペック)に公演プロデューサーの小林ひかるさんから連絡をいただいて、彼女が公演で一緒に踊りたい相手について尋ねたと聞いています。僕たちはすでに一緒に組んで踊る機会が多かったので、タイラーは僕を指名してくれました。

―― この公演に出演しようと思った理由はどういうところでしょうか。

メヒア:それはもちろん、日本という今まで行ったことのない国で開催される公演だからという点がひとつ。もうひとつは世界中から集まる出演者のダンサーの方々には刺激を受け、ずっと尊敬してきた方ばかりだからです。そのような方々にお会いできるのが本当に楽しみです。

―― 日本のバレエについてどのような印象をお持ちでしょうか。

メヒア:日本のバレエ・ダンサーというと、まず第一に熊川哲也さんの名前がぱっと浮かびます。彼のテクニックやカリスマ性は特筆すべきものです。

―― NYCBのタイラー・ペックさんはまさにバランシン・テクニックの象徴に思えますが、彼女の踊りについてどう思いますか。

メヒア:彼女の踊りは他の誰にも感じたことがないほど別次元で、すべてがとても正確なのです。また、音楽性にもとても優れていて、どんなにテンポが遅かろうが速かろうが、彼女は完璧に合わせることができます。そんな彼女の踊りを見るのはとても楽しいです。

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『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』(ジョージ・バランシン振付)タイラー・ペックと。
Photo: Erin Baiano

―― タイラーさんのパートナーの一人であるあなたは、舞台での時間を彼女と共にしています。そのようなずば抜けた人と踊るときはどのような気持ちなのでしょうか。

メヒア:タイラーと踊り始めたのは4、5年前からです。初めて彼女と踊ったときはとても緊張しました。僕のミスで彼女の踊りを台無しにしたら皆から張り飛ばされるでしょう。ですから、絶対に失敗は避けたかったのです。たとえ彼女が失敗したとしても、誰も分からないでしょう。彼女と組んで踊ると、いつも強いつながりを感じます。そしてもちろん彼女の相手として要求されることは多いですし、その分パートナーとしてはやりがいを感じます。彼女は良き相棒だと思います。

―― タイラーさん振付の新作が今回のガラ公演で披露されますが、どんな作品になるでしょうか。

メヒア:作品の全貌は明らかになっていませんが、フィリップ・グラスの音楽を使用する予定と聞いています。クラシック寄りになるかもしれませんし、コンテンポラリーな作風になるかもしれません。

―― このガラ公演では、アメリカ・チームとイギリス・チームに分かれて新作を作るそうですね。新作への期待をお聞かせください。

メヒア:アメリカン・バレエ・シアター(ABT)のアラン・ベル、キャサリン・ハーリンは、僕とほぼ同世代です。パンデミックから再開したヴェイル・ダンス・フェスティバル(Vail Dance Festival)で二人と知り合いました。ABTの山田ことみさんと英国ロイヤル・バレエの五十嵐大地くんは初対面なので、とても楽しみにしています。彼らは皆テクニックが強く、優秀なダンサーばかりです。きっといい新作が作れると思います。

―― アランさんとキャサリンさん、ローマンさんはニューヨークを代表するバレエ団、ABTとNYCBを背負って立つ新世代のスター・ダンサーですね。皆さんが今回、同じ舞台で共演されるのは楽しみです。カンパニーのリハーサルに加えてこのガラのリハーサルもあって、お忙しいですね。

メヒア:そうですね。今日もこのインタビューの前には5時間のリハーサルがあり、新作を覚えていました。ですから、頭の中は振付で溢れています。

―― 3月にロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場で「Turn It Out with Tiler Peck & Friends」と題したガラ公演に出演されましたね。

メヒア:ロンドンではアロンゾ・キング振付のパ・ド・ドゥ作品『Swift Arrow』をタイラー・ペックと踊りました。この作品はパンデミックの間に創りました。サンフランシスコに1週間滞在して、彼が僕たちのために振付けてくれたのです。また、タップ・ダンサーのミシェル・ドーランスと振付家ジリアン・マイヤーズの協力を経た新作『Time Spell』に出演しました。ウィリアム・フォーサイス振付の『The Bar Project』も踊りました。この作品もパンデミック中に出来た作品です。彼との仕事も楽しかったです。

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『Swift Arrow』(アロンゾ・キング振付)Photo: Andrej Uspenski

―― 英国ロイヤル・バレエなどでクラスを受けられた感想を教えてください。

メヒア:自分の所属外のバレエ・カンパニーに行き、そこの団員たちに混じってクラスを受けるのはとても得がたく楽しい経験でした。特に英国ロイヤル・バレエについては、昔からこのバレエ団の作品やダンサーたちを見て育ってきたので、このバレエ団のクラスをもっと受けてさらに学びたいと思いました。イギリスのバレエ団のクラスはNYCBとよく似ていると感じました。僕たちの滞在中、英国ロイヤル・バレエでは『眠れる森の美女』を上演しており、われわれNYCBとレパートリーが似ていました。バレエ・クラスではウォームアップだけ済ませて退室する人もいればリラックスしている人もいました。出番がなかったり少なかったりする人はクラスをすべて受けていました。個人でクラスの受け方が違うのもNYCBと同じでした。日本でのガラ公演の際もABTや英国ロイヤル・バレエのダンサーたちを間近で見て学ぶことが多いと思いますので、とても楽しみです。

―― イギリスとアメリカのお客様の反応の違いは感じましたか。

メヒア:タイラー・ペックの作品をアメリカの舞台で披露したときは反応がもっと大きくにぎやかでした。一方、ロンドンでは作品が終わるまでは観客の方々は拍手を控える傾向にありました。ロンドンの初日では僕たちが上演した作品に対してお客様からどのような反応がいただけるか本当にわからなかったのですが、最後には作品を気に入ってもらえたということがわかってほっとしました。

―― ロンドンの公演もよい経験になりましたね。それでは、最後に8月のガラ公演を見にいらっしゃる観客の皆様へ一言メッセージをお願い致します。

メヒア:来日して日本で踊ることができて嬉しいです。皆様の前で踊ることを楽しみにしています。

―― ローマンさんの日本での初舞台が今から待ち遠しいです。本日はありがとうございました。

「The Artists - バレエの輝き - 」

会期:2023年8月11〜13日
会場:文京シビックホール 大ホール
公式サイト:https://www.theartists.jp/
出演:マリアネラ・ヌニェス、ワディム・ムンタギロフ、マヤラ・マグリ、マシュー・ボール、金子扶生、ウィリアム・ブレイスウェル、五十嵐大地(英国ロイヤルバレエ)/タイラー・ペック、ローマン・メヒア(ニューヨーク・シティ・バレエ)/キャサリン・ハーリン、アラン・ベル、山田ことみ(アメリカン・バレエ・シアター)

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