『最後のレッスン』、バレエ教師 若佐久美子の著書が刊行された

ワールドレポート/その他

安達 哲治

バレエ教師、若佐久美子先生は、16年前に発症した卵巣がんの治療・再発を繰り返しながらも教え続けてきた。しかし昨年、新型コロナ感染拡大の猛威の中で猛烈な痛みに襲われ、ついに再再発となってしまった。医師には「これが最後の治療」、と言い渡された。
もう生徒たちと会うこともできないかもしれない、歩くこともできなくなるかもしれないと覚悟を決めた。だが、指導者を失った生徒たちが路頭に迷ってしまっては困る。最後の力を振り絞り、極限状態の中で今しか伝えられないことを一冊の本にしたためた。われわれバレエ芸術に携わる者、またバレエを学ぶ者の心の奥底に突き刺さる得がたい1冊である。

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若佐久美子先生は地元の松江市で6歳からバレエをはじめた。国立大学に合格したが、自分はバレエの教師になりたいから、と私が教えている京都バレエ専門学校に入学する。持ち前のパワーと理性でクラスのリーダー的存在として活躍し、成績優秀で1988年に卒業する。多くの者がバレエ団のダンサーを目指す中、彼女は地元でバレエスクールを開設。一日も早く子供たちの夢を育み、地域の文化芸術の向上に尽くしたいと即実行に移したのだ。1997年には、生徒たちに本物のバレエに接しさせたいと、日露文化交流委員会の協力のもと、ロシア人ダンサーたちとの交流を深めていく。また、日本バレエ協会の山陰支部会長としても大活躍し、組織を大きく前進させていたのだが、病状悪化に伴い支部会長を退く。
病は容赦なく進行し何度も手術を繰り返したが、「現場で指導できないなら、生きながらえても意味がない」との信念に、鳥取大学医学部付属病院の先生たちが深い理解を示し、最大限のサポート体制を組んだ。そして体調不良の中でも、見事に現場に復帰を果たした。その際に、島根大学の先生から提案された、フェルデンクライスのメソッドに出会ったのである。

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(2019年 バレエ協会山陰地区バレエコンクール組織委員長)

生徒たちは先生の帰りを待ち続けていた。
様々な制約の中でフェルデンクライスのメソッドに出会い、資格を習得することにより、これまで教えきれないで悩んでいたことが糸をほどくように見えてきて、改めて生徒のため生き続けようと決意した。
制約。本来バレエ芸術そのものが制約づくめの上に成り立っている。17世紀フランスのバレエマスター、ピエール・ボーシャンが編み出した脚の5つのポジションとそれに派生した股関節のターンアウト、またダンスのパのすべて。そしてやはり18世紀のジョルジュ・ノヴェールが7つの動きを分類した曲げる、伸ばす、立ち上がる、跳ぶ、滑る、素速く動く、回るにおいても、それはバレエ的制約の中にある。そしてそれが世界共通語としての舞踊言語になっているのだ。そうした、制約の中からダンサーは自由になって、そのうえで個性を発揮しなければならない。
若佐久美子先生は勿論、制約の中から、自由に羽ばたくための努力と獲得した時の喜びを知り尽くしている。そのために病気からくる制約にも常に前向きであり、だからこそこのメソッドに出会うことができたのだ。それまで教師として30年、無我夢中になって使命感に燃えて教えてきたが、このメソッドを通してかつてないほどの開放感と自由に出会った。そしてこれまでに自分流の使命感から教えを進めてきたことの悩みは解消し、子供たちの可能性への道を開くことができたのだ。
ざっくりいえば、フェルデンクライスのコンセプトは、感覚と運動の関係に目を向けて内面を感じる体験である。若佐久美子先生はそこから得た貴重な経験によって、バレエの身体の使い方へのアプローチの教え方にたどりついたと思われる。
この『最後のレッスン』は、私とバレエ、病気のこと、フェルデンクライスとの出会い、本来の動き、バレエレッスンに則して、生徒への手紙などの項目で構成されている。まさに、子供たちの「できた!」を引き出していく必見の教則本である。未来ある子供たちのために!

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