チェケッティ・メソッドの6つの原理を紹介するドキュメンタリー・フィルム 『Ballet's Code (バレエの暗号)』

ワールドレポート/その他

香月 圭 text by Kei Kazuki

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チェケッティ、1920年
© Livia Brillarelli on TheCecchettiConnection.com

お気に入りのダンサーや好きなバレエ団について語るとき、どのバレエ・メソッドを採用しているのかを知ることはバレエについての理解をより深めることにつながる。ロシアのワガノワ・メソッドやRAD(ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンス/英国ロイヤル・バレエ)、パリ・オペラ座などフランスで採用されている教育法などと並んで知られるのがイタリアのチェケッティ・メソッドである。
このメソッドについての小レッスン・メニューを含むドキュメンタリー映像をご紹介しよう。

チェケッティが提唱したメソッドのポイントとなる6つの原則について解説したのが今回ご紹介するドキュメンタリー映像である。チェケッティは1週間のうち日曜日を除く6日間それぞれについてのレッスン事項を決めていた(日曜日は心身をリラックスさせるための休息日)。曜日ごとに取り上げる原理は以下のとおり。
(月曜)アッサンブレ:アプロン(垂直)
(火曜)プティ・バットマン:エポールマン
(水曜)ロン・ド・ジャンブ:ターンアウト
(木曜)ジュテ:重心移動
(金曜)バットゥリーとポワント・タイム:飛行機(空中に浮かぶ)
(土曜)グラン・フェッテ・ソテ:バウンス(弾む、跳ねる)
各曜日の項目に沿ったアンシェヌマンもいくつか模範演技付きで例示されている。
この6原則の1週間のサイクルを繰り返し、ヴァリエーションをつけて練習していく。このサイクルによって生徒の覚えも早くなり、教師もレッスン内容や教育目標が明確になり、振付師にとってはヴァリエーションを考案することで振付も楽になると思われる。チェケッティ自身は教える生徒によって内容に柔軟性を持たせていたといわれる。

 

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男性クラスを教えるチェケッティ

このフィルムを制作したのは、チェケッティ・メソッドを20年以上教え続けているバレエ教師ジュリー・クロンショウである。1986年に英国ロイヤル・バレエスクール教師養成資格を取得、ドイツやロシア、アメリカでバレエ・ダンサーとして活躍する傍ら世界各地でヨーロッパのワガノワ・メソッド、タンツテアター、バランシン・スタイルなどを学び、1995年ロンドンにハイゲイト・バレエスクールを開校した。2009年にエンリコ・チェケッティ・ディプロマを取得、2010年にチェケッティ・ディプロマの認定機関英国舞踊教師協会 ISTD(Imperial Society of Teachers of Dancing)の教育研究員を務めた。2012年来日時にはチェケッティ・メソッドのワークショップを開講している。2007年パリに設立されたオーギュスト・ヴェストリス協会の創立メンバーでもある。ヴェストリス協会ではセミナーや映画上映、マスター・クラスを通じて、エンリコ・チェッケッティやオーギュスト・ブルノンヴィルなどの舞踊理論の普及やクラシック・バレエの実践と教育の向上を目指している。

模範演技を担当したのは英国ロイヤル・バレエの元ソリストで現在はカナダのケベック高等舞踊学校の教師となったミュリエル・ヴァルタとドイツのカイザースラウテルン劇場のダンサー、サルヴォ・ニコロジの2人。ニコロジの撮影はフィレンツェにある彼の母校ハムリン・ダンス・スクールの美しいスタジオで行われた。ハムリン・ダンス・スクールはチェケッティ・メソッドでの教育を採用している。両名とも学生時代にチェケッティ・メソッドを学んでおり、今回の撮影にあたってはこのフィルム制作にあたったジュリー・クロンショウの下でチェケッティ・メソッドのアンシェヌマンを1週間集中練習して臨んだ。ミュリエル・ヴァルタは「チェケッティ・メソッドのコンビネーションはとても難しいので最初はうまく踊れなくてショックでした。でもどのメソッドで踊るにしてもこのメソッドで体幹を強化していれば応用が効きます」と語り、サルヴォ・ニコロジは「チェケッティ・メソッドに慣れるまで最初は苦労したけど、ダンサー、振付家、教師とどの舞踊のプロにとっても非常に有効なメソッドです」と感想を述べた。

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1910年バレエ・リュス『火の鳥』カスチェイ役のチェケッティ

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1925年頃ベニスにて、左よりリファール、チェケッティ、ディアギレフ、チェケッティの妻ジュゼッピーナ・マリア

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アンナ・パヴロワに指導するチェケッティ

© Livia Brillarelli on TheCecchettiConnection.com

現在のバレエ・クラスではより高く足を上げ、一番高く飛び、ピルエットやフェッテを多く回れることを競い合う傾向にあり、1980年代のある研究によると、プロ・バレエダンサーの8割が30歳までにキャリアの脅威となるほどの怪我に見舞われるという。時代の趨勢として観客はダンスによりアクロバティックなものを求めるようになってきているとする見方もある。しかしこの映像の制作者ジュリー・クロンショーはそういった風潮を真っ向から否定し、バレエはスポーツではなく芸術であると説く。アンナ・パヴロワが世界中の観客を魅了したのは必要以上に脚を高く上げることができたからではなく、その芸術性によってであった。チェケッティ・メソッドは舞台舞踊の修行のために設計された教育法で舞台上では表情豊かな動きとなって見える。解剖学的にも安全であり、人並み外れた柔軟性などの特別な肉体的条件は必要とされないため、誰でも学ぶことができる。
このドキュメンタリーにはルドルフ・ヌレエフ、マーゴ・フォンテーン、タマーラ・カルサヴィナ、エカテリーナ・マクシーモワ、モニカ・メイスン、カルロッタ・ザンベリ、フレミング・フリント、チェケッティの最後の直弟子ヴィンチェンツォ・チェッリなどの歴史的映像も挿入されている。

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ジュリー・クロンショー© Sam Pearce

◆Ballet's Secret Code Website
https://www.balletsecretcode.com/
クロンショーの指導によるチェケッティ・メソッドのエクササイズ動画パッケージ(模範のパやアンシェヌマン演技72種類とその解説、関係者へのインタビューなど)が有料(65ドル≒7000円位)にて視聴することができる。

◆ジュリー・クロンショー Julie Cronshaw YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCgeYKMAUbVqMhS2ntBj0bOw
今回ご紹介した『Ballet's Secret Code』ドキュメンタリー動画のほか、ピルエット、アチチュード、ルルベ、ポール・ド・ブラ、目線など様々なテーマへの解説動画などが見られる。
(記事の参考画像はジュリー・クロンショー氏によるチェケッティに関するWebサイト:TheCecchettiConnection.comに掲載されたものです。パブリック・ドメインのものと以下の文献からのもので、ご本人の許可を得て転載しています。
Livia Brillarelli, Cecchetti, A Ballet Dynasty, published by Dance Collection/Danse Presses, Toronto, 1995.)

チェケッティ・メソッドはイタリアのダンサー、バレエ教師であったエンリコ・チェケッティ(1850〜1928)が提唱したバレエ教育法である。バレエ・ダンサーだった両親の間にローマのトルディノーナ劇場の楽屋で生まれたチェケッティは、フィレンツェでジョヴァンニ・レプリ(1847〜1881)の指導を受ける。レプリは1820年出版されたバレエ理論書『舞踊芸術の基礎・理論・実践』を著したカルロ・ブラジスの直弟子であり、ブラジスの師は『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』を振付けたジャン・ドーヴァルベルだった。
1870〜80年代のヨーロッパで一流ダンサーとして名を馳せていたエンリコ・チェケッティは、1887年サンクトペテルブルクの帝室バレエに客演した際に、当時の劇場支配人フセヴォロジスキーからプリンシパルとしての契約を打診され受諾する。1890年マリウス・プティパ振付の『眠れる森の美女』初演では、チェケッティはすでに40歳を迎えていたが、マイムの巧みさが必要とされるカラボス役と、超絶技巧が次々繰り出される青い鳥の二役を演じ、女性ダンサー以上の注目を集めたと言われる。
チェケッティは帝室バレエやバレエ学校で教鞭を執るようになり、ディアギレフが立ち上げたバレエ・リュスの巡業に教師として随行し、団員たちのバレエ・クラスを担当する傍ら名脇役として舞台にも出演もした。チェケッティの元にはアンナ・パヴロワ、ヴァーツラフ・ニジンスキー、タマーラ・カルサヴィナ、リディア・ロポコワ、アントン・ドーリン、アリシア・マルコワ、オリガ・プレオブラジェンスカヤ、オリガ・スペシフツェワ、スタニスラフ・イジコフスキー、レオニード・マシーン、セルジュ・リファール、ニネット・ド・ヴァロワ、マリー・ランベールといった、後にバレエ史を彩ることになるダンサーたちがレッスンに通った。その後、彼らは世界のバレエの発展に貢献した。

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ヴァーツラフ・ニジンスキー

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レオニード・マシーン『火の鳥』

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『ナルシス』のエコーを演じるタマーラ・カルサヴィナ

ニネット・ド・ヴァロワは1931年ロンドンに舞踊学校(現在の英国ロイヤル・バレエスクール)とヴィク=ウェルズ・バレエ(現在の英国ロイヤル・バレエ)を設立し、マルコワとドーリンは1935年マルコワ・ドーリン・バレエ団(現在のイングリッシュ・ナショナル・バレエ)を立ち上げた。カルサヴィナはイギリスに亡命後、1920年、英国のバレエ教育機関RADの設立メンバーとなり、RAD副総裁を30年に渡って務め、英国ロイヤル・バレエなどでマリインスキー・バレエやバレエ・リュスの作品指導に携わった。イジコフスキーはチェケッティが1918年ロンドンで開いたバレエ学校でもチェケッティをサポートし、バレエ評論家シリル・ボーモントと共著でチェケッティ・メソッドの解説書を出版した。またレオニード・マシーンやマリー・ランベールに学んだ生徒の中には、英国を代表するフレデリック・アシュトンの名前も挙げられ、『リーズの結婚(ラ・フィーユ・マル・ガルデ)』『シルヴィア』など彼の作品にみられる舞踊言語のベースにもチェケッティの影響が見られる。
アンナ・パヴロワは自宅でエンリコ・チェケッティの個人レッスンを受けるなど、彼のレッスンに非常に熱心だったことで知られる。
パヴロワは当時の様子を以下のように回想している「...当時の私の日課? それは毎朝9時に始まるチェケッティ先生とのレッスンでスタートします。...(中略)...私が熱々のミルクティーを1杯飲み終えるか終えないうちに、チェケッティ先生は、かの有名な杖で、私の寝室に隣接しているスタジオのドアをバンバンたたかれ、遅いじゃないかと怒鳴られるのです。チェケッティ先生とは、いつも2時間におよぶレッスンで、イタリア方式に基づいて、毎回違った種類のことを練習します」(マーゴ・フォンテーン著『アンナ・パヴロワ』)。パヴロワは現代であれば帝室バレエ学校の入学試験に合格しなかったのではないか、といわれるほど脚が弱かったという。しかしチェケッティとのレッスンによって見事に強靭な脚力を身に着けるまでになった。チェケッティのクラスでは1週間のレッスン・プログラムが用意されていることがロシアの帝室バレエのダンサーたちの間で話題となり、アグリッピナ・ワガノワもその構成内容に大いに注目していた。当時の帝室バレエの教師のなかで確固たるレッスンプランを用意して授業に臨んだ者はほとんどいなかった。ワガノワは帝室舞踊学校で教わってきた優雅なフランス派の踊りと高度で華麗なテクニックが持ち味のダイナミックなイタリア派の踊りを比較検討したうえで、ロシア・バレエを発展させるための教育方法について長年に渡って仮説・実行・検証・修正を重ね、その集大成をワガノワ・メソッドとして結実させることになる。

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『眠れる森の美女』青い鳥を踊るフェリア・ドヴロフスカとセルジュ・リファール

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フレデリック・アシュトン

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アンナ・パヴロワのロンドンの自宅アイビー・ハウスにてチェケッティと

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