"The Legat Legacy" ペンで綴られたレガートのバレエ

ワールドレポート/その他

矢沢 ケイト

もし、新型コロナウイルス感染拡大によるステイホーム期間に映像技術が発展していなかったら、私たちはどのようにしてバレエに触れ続けただろうか。現代のテクノロジーは、オンラインでのレッスン受講や過去の公演映像の鑑賞を当たり前に実現してくれたが、もし紙とペンに頼るしかないとしたら、どうしただろうか。ここでご紹介する一冊には、イラストや文章そして楽譜を使って伝えられたバレエが詰まっている。

1.表紙_Legat_Legacy_RGB.jpg

印象的なポーズで表紙にたたずむのは、ニコライ・レガート(1869-1937)。"The Legat Legacy"は、彼が演じ、目にし、伝えてきた1917年の革命以前のロシアンバレエの真髄を一気に味わうことができる一冊。本書は、ニューヨークを拠点に公演・映画・原作書など多角的にダンスを研究しているミンディ・アロフによって編成された英文書籍である。2冊のロシア語書籍の英訳収録に基づき、レガートのダンス人生に着目した"Ballet Russe: Memoirs of Nicolas Legat" (ニコライ・レガート著/ ポール・デューク英訳)が収められた第1章 と、彼の指導方法に着目した"Heritage of a Ballet Master: Nicolas Legat"(ジョーン・グレゴリー、アンドレ・エグレフスキーによる共同編集)が収められた第2章により構成され、レガートと直接交流があったダンサーからの寄稿や、当時の公演内容を収めた写真や資料など、レガートの全てが詰まっている。また、冒頭には、ターシャ・ベルとラム、ミンディ・アロフ、ロバート・グレスコヴィッチの3名による寄稿が収録されている。

レガート兄弟の存在は、皆さんもよくご存知かと思う。ニコライ・レガートは、弟であるセルゲイと共に、帝政ロシア時代よりマリインスキー劇場で踊り、振付も手掛けた。弟の他界後、後年はイギリスに移り、多くの著名ダンサーの指導にあたったという。しかし、彼がバレエ界に残したものは一味違う。名ダンサーや名場面を描いた「カリカチュア」と呼ばれるイラスト、そして、レッスン中に提供したのはアンシェヌマンだけでなく、自ら即興で演奏した音楽であったという。その全てが、彼がバレエ界に残した財産(レガシー)である。

本書の日本語版の発売は予定されていないため、歴史的記述の数々は英語による読書を強いてしまうことは否めない。一方で、本書のエッセンスは、バレエを習ったことのある方ならば言語の壁を超えて楽しんでいただけると信じ、英文と格闘せずに楽しめるポイントをご紹介したい。

1.カリカチュア(似顔絵) - 第1章より

ニコライ・レガートは、弟のセルゲイと共にダンサーを描いた。表紙にある自画像に見られるテイストで描かれる少々コミカルな風刺風イラストの数々に、ページをめくる手が止まらなくなるだろう。バイオリンを持ったエンリコ・チェケッティ、旗を持って走るマリウス・プティパ、ベールをまとって少々おどけたアンナ・パヴロヴァなど、偉大な人物として語られる彼らの素顔に出会ったような気分だ。カリカチュアという単語は、その人物の特徴を強調して描かれた似顔絵の意。レガートが感じ取った彼らの個性をイラストによって伝えようとしたのだろうか。主に第1章に散りばめられたカリカチュアの数々が、写真が魅せるバレリーナたちの美しい世界観に、ちょっとした親しみやすさを与えてくれている。

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Excerpt from The Legat Legacy, edited by Mindy Aloff. Gainesville: University Press of Florida, 2020. Reprinted with permission.

2. レッスン教材 - 第2章より

本書後半に収録されているのは、レガートが生徒に教えたというクラスレッスンのコンビネーションの記録。英語とフランス語が入り混じった記述だが、左に書かれたカウントに合わせて発音を推測していくと、ご自身でレッスンが再現できると思う。本書に収められた7セットのクラスは、レガートがプロになったダンサーを指導していた特別クラス(Class of Perfection)の受講者の1人であったアンドレ・エグレフスキーが、公演などの事情でクラスを受けられない時でもレガートのクラスを自身で再現できるようにしたいと望んだ際に渡された教材だという。各コンビネーションの中で1つのパを重点的に訓練する点や、巧妙なアダジオからは、ロシアらしさが伺える。主に作品を記録するために用いられるノーテーションには、記録するにも読み解くにも知識が求められる一方で、本書の記述は実に簡単に想像できる。本書を手に取り、当時のレッスンを体験してみてはいかがでしょうか。また、本書の中には、レガートが描いたポジションの説明イラストや、教わったエグレフスキーが15回転も回れたと語るレガート流ピルエットのコツなど、ほかにも興味深いコンテンツが溢れている。

3.楽譜_Legat-text3_page-0001.jpeg

Excerpt from The Legat Legacy, edited by Mindy Aloff. Gainesville: University Press of Florida, 2020. Reprinted with permission.

3. 楽譜 - 第2章より

終盤には楽譜が登場する。これらは、レガートがレッスン中に即興で弾いていたというメロディを、ウラジーミル・ラウニッツが楽譜に起こしたもの。ピアノのみならずバイオリンで演奏することもあったというレガートの才能の多彩さにも驚かされる。実際のレガートの演奏が録音されることがなかったため、ラウニッツによる多少のアレンジは加えられているというが、もし楽器を弾ける方がいらっしゃれば、レッスン内容と合わせて再現してみてはいかがでしょうか。本書によると、レガートはピアノを離れることなく、ピアノの端で指先を動かしてコンビネーションを伝え、立ち上がる時と言えば、生徒たちの覚えが悪い時だったとか。そのように怒らせぬよう、生徒たちはピアノに集まって一生懸命にコンビネーションを記憶していたという(p91より)。ピアノの弾き方でアンシェヌマンの中で強調したいアクセントやニュアンスを伝えたり、生徒が間違え時はトリルをつけたりと、音楽性を通じて指導をしたという点は非常に興味深い。

ラウニッツと同時期の受講生には、アレクサンドラ・ダニロヴァやレオニード・マシーン、そのほかにもニジンスキーやフォーキンという錚々たるメンバーがピアノを囲んでいたという。彼に師事した名ダンサーや交流のあった著名人たちがレガートとのエピソードを語る2章中盤(Legat's Genius: Tributes from Leading Dancers and Pupils)も、英語をお読みになる方にはぜひご一読いただきたい。フレデリック・アシュトン、アリシア・マルコヴァ、マイケル・サムズ、他にも多くから興味深いエピソードが寄せられている。

バレエを記録するとしたら、みなさんはどんな表現手段を選ばれますか? 本書は、バレエを表現する手段は、踊るだけではなく「描く」や「記す」といった様々な手法があると教えてくれる一冊だ。想像をふくらませる自由を残してくれるアナログ記録の味わいは、一種の新鮮な楽しみ方ではないだろうか。スタジオや劇場に思うようにアクセスできず、バレエのあり方を考えさせられた今年だからこそ、ぜひ手にとっていただきたい。

<本書の紹介>
The Legat Legacy (編集:Mindy Aloff/ 出版:University Press of Florida)
(アマゾンジャパン)
https://www.amazon.co.jp/Legat-Legacy-Mindy-Aloff/dp/0813068126

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