堀内元(セントルイス・バレエ芸術監督)に聞く「アメリカのバレエの今」

ワールドレポート/その他

インタビュー=関口紘一

1980年に渡米。ニューヨーク・シティ・バレエのプリンシパルとして常にアメリカを拠点に、ステイトシアター、ブロードウェイ、ウエストエンドほか世界中で踊る。2000年には弱体化しつつあったセントルイス・バレエ団の芸術監督に就任し、経営健全化に成功。今日まで活発なバレエ公演を展開してきた堀内元。その経験豊かな堀内元の舞踊人生の中でも未曾有の危機に直面した今、どのように対処し、今後を見据えているのか。そしてバレエダンサーたちは、今、どのように考えればいいのか。この切実な課題について聞いた。

----世界中からバレエ公演が消えると言うたいへんな事態になっております。
セントルイス・バレエ団およびバレエ・スクールを率いていらっしゃる堀内元さんからみて、現在のアメリカの状況を簡単にご説明していただけますでしょうか。

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© 角田敦史

堀内元 アメリカ国内で最初に新型コロナウイルスの感染が確認されたのは、ほぼ3月に入ってからでした。私はちょうど2月下旬に、この夏に自分自身が主催する公演(その後中止を決定)の準備のために一時帰国していて、その時点で既に日本では感染が確認され、街全体が自制自粛ムードに溢れ、東京では7、8割の人々がマスクを着用し、都内の公演、イベントなども観客はマスク着用、そしてイベントのキャンセルも少しずつ増えていたので、このような状況はすぐにアメリカで起こるだろうと予測していました。
私のバレエ団は4月上旬に、春シーズンの演目である『白鳥の湖』を上演予定でしたので、アメリカに戻るや否やすぐにリハーサルに入りました。しかしリハーサルを続ける日々の中、アメリカ国内でも感染が徐々に広がり始めたため、自分の頭の中には少しずつこの公演のキャンセルもありうるという考えが芽生え始めました。そして3月の第1週にセントルイス市が200人以上の集会の自粛を促したのをきっかけに、公演をキャンセルしようと決断し、いち早く公演の宣伝を取りやめるよう組織のマーケティング、PR部門へ指示を出し、また劇場側の支配人ディレクターとも連絡を取り、キャンセルの手続きを即座に取りました。また装置や衣装も他のバレエ団からのレンタルでしたので、こちらにも連絡してレンタル料を免除していただきました。
幸いにして公演まで約1カ月ありましたので、ダンサーやスタッフの人件費以外、ほぼすべてのプロダクションの経費は削減出来ました。一方、公演のチケットの前売りは、キャンセルを決定した時点で1千万円以上の売り上げがあり、本来ならばすべて払い戻しになるところを、劇場のボックスオフィスとの連携で、チケット購入者すべてに直接メールや電話で連絡し、非営利団体であるバレエ団への寄付金としていただけるよう陳情を行い、その結果40パーセント以上のお客様からその旨のご協力をいただけました。

また4月中旬には、毎年バレエ団へのファンド・レージング目的のガラ・レセプションを市内の一流ホテルで開催する予定でしたが、こちらも急増する感染状況からキャンセルせざるを得ない事態となりました。毎年3千万円以上の寄付を募る、バレエ団経営の1年の中で一番大切なイベントだっただけに、とても苦しい決断でしたが、こちらの方もその時点で既に2千万円近く集まっていたパーティー券を、支援者の皆さんのご厚意により、ほぼすべてがそのままバレエ団への一般寄付金とさせていただけたのでした。

アメリカ社会には文化、芸術に対して、フィランソロピー(慈悲支援活動)の考えが日頃から浸透しており、人々のボランティア精神によってバレエ公演、活動は支えられています。このような緊急事態に直面した際にも、既に国民の中に「芸術を救う、支援する」という意識が土壌にあり、今回の事態に直面した際にもわれわれに対する地元の方々の善意を目の当たりにし、感謝の気持ちで一杯になりました。
常日頃、毎回の公演前や終了後に寄付してくださった支援者を対象にした、ロビーや待合室での懇談パーティーや、公開リハーサルへのご招待といった機会を持ち続けたことも功を奏し、普段からそのような支援者たちとの、パーソナルな繋がりを築くことが、このような緊急時にとても大切なのだと改めて認識いたしました。

この春のシーズンは何とか持ちこたえられたものの、この秋からのシーズンにはとてつもない難題が待ち構えています。セントルイス・バレエ団は既に2020-2021年のシーズン・ラインナップを発表しており、24名の団員ダンサーとも既に年間契約を交わしています。10月公演は新作『アリスと不思議な国』、12月は『くるみ割り人形』18回公演、翌2月にはバランシン、ジャスティン・ペック、そして自作品のトリプルビル公演があり、4月には『眠れる森の美女』全幕の公演と続きます。
このような新型コロナウイルス感染状況の中、それらの公演そのものの開催が危ぶまれ、契約ダンサーやスタッフ、そして経営陣のスタッフをどのように継続して雇用し続けられるかが一番の難題です。既にバレエ団の役員会を緊急招集して、この夏、秋への対応のための協議を続けており、公演のキャンセル、活動のさらなる休止も視野に入れながら模索し続けている状況です。

アリスと不思議な国 - Brian Enos振付  ©Kelly Pratt.png

「アリスと不思議な国」Brian Enos振付 ©Kelly Pratt

一方で、新型コロナウイルス感染状況はバレエ学校の経営も圧迫しています。現在、私個人がバレエ団とは別に所有、運営するセントルイス・バレエ学校には400名近い生徒が在籍しています。3月中旬より、市内のデイケアサービスから、幼稚園、小中高校、そして大学や各種学校すべてが一時閉鎖となっていることから、現在バレエ学校も法令に従うべく6月の年度末までの閉鎖を余儀なくされている状態です。そのためわれわれはズームアプリを利用したクラスを3月よりいち早く導入して、すべてのクラスを各自自宅でのレッスンとし、何とか生徒との関係を維持しているものの、全体の2割の生徒はレッスンを個人的な経済理由で中断しており、経営財政を圧迫しています。また年度末のバレエ学校発表会も中止せざるを得ない状況で、また毎年市外からもたくさんの生徒が集まる夏期講習の開催も危ぶまれています。

そんな中、唯一の救いはアメリカ政府の支援です。トランプ大統領のアメリカ国内への緊急事態宣言がなされるや否や、中小企業への支援制度が発令されて、セントルイス・バレエ学校もこの法令の適用が認められ、向こう2か月間の教師陣の雇用維持、経営費の一部援助を受けることになりました。ただバレエ学校は年間8000万円の経営費が必要とされ、この夏から秋にかけてしっかりと財政確保が出来るか全く見当がつかないのが実情です。一方のバレエ団の方は政府からの援助の他に、民間からの支援、寄付金をどれだけ受けられるかが存続のカギとなります。現在2億円超のバレエ団の年間運営費を確保するため、今月より「セントルイス・バレエ団救済ファンド」を設立し、予想されるチケットや寄付金の減収の補填を目指しつつ、相当な経費、活動の削減を余儀なくされることが予想されます。

くるみ割り人形 - 堀内元改定振付 ©Kelly Pratt.jpeg

「くるみ割り人形」 堀内元改訂振付 ©Kelly Pratt

----ニューヨーク・シティ・バレエ(NYCB)などの大きなバレエ団の動き、そのほかのお知り合い方が芸術監督を務めるバレエ団の動きについて、何かあれば教えていただけますか。

堀内元 私の出身バレエ団であるNYCBも毎年行われる4月から6月までのシーズンが中止となっており、私も顧問委員を務めるNYCBの付属バレエ学校のSAB(スクール・オブ・アメリカン・バレエ)も年度末までの閉校が決まっています。また以前NYCB在籍当時からの友人で、元プリンシパルダンサーのピーター・ボールが芸術監督として率いるシアトルのパシフィック・ノースウエスト・バレエもバレエ団、バレエ学校の活動が秋まで休止に追い込まれ、すべての団員や教師陣の一時解雇も余儀なくされている状態です。このような動きはほぼアメリカ全土のバレエ団、バレエ学校に広がっています。

----アメリカのダンサーたちの中で何か積極的な動きは感じられますか。

堀内元 現在アメリカ全土で自宅待機令が発動中で、自宅以外での活動は禁止されていますので、プロフェッショナル・ダンサーでさえ、現在は全く動きが取れない状態が続いています。正直な話ですが、皆、自宅から一歩外にでれば感染の恐れがあるために、とにかく毎日身を守ることだけで精一杯ですので、それどころではないというのが現状です。ただ、それぞれズームアプリなどを使った自宅でのレッスンはほぼ毎日精力的に続けている様子です。

Passage - 堀内元振付 ©Kelly Pratt.jpeg

「Passage」堀内元振付 ©Kelly Pratt

Rubies - Balanchine振付 ©Kelly Pratt.jpeg

「Rubies」Balanchine振付 ©Kelly Pratt

----バレエダンサー以外の、普段ブロードウェイなどで活動しているアーティストはどうしているのでしょうか。

堀内元 この件については現在、私自身ブロードウェイ・ミュージカルにほとんど関与する時間がないのが実情でして、詳しくは分かりませんが、ブロードウェイすべての上演作品が中止となっている状況ですので、役者、ダンサーたちもバレエ団員と同様一時解雇の身で、政府が保障する失業保険からの手当てで暮らしを立てていると察します。

----振付家、あるいは音楽家、舞台美術家、照明などのスタッフの方たちには何か動きはありますか。

堀内元 ほとんど何もありません。とにかく現在は「身を守る」ことが第一で何かをして動くということはほとんどないのが現状です。

----バレエダンサーやフリーランスのアーティストに対する国の支援はいかがですか。

堀内元 ダンサー個人レベルに対する支援はないですが、日本と同じように国民一人ひとりへの一回限りの援助金という形で支給を受けています。

----こうした状況の中で、バレエダンサーが考えること、行動することに関して何かアドヴァイスをいただけますでしょうか。

堀内元 どのような状況であれ、ダンサーたちは日頃のレッスンを怠ってはいけません。いつの日か必ずまた舞台に戻れる時があるはずですので、その日のために自宅でしっかりとトレーニングを積むことが大切です。そもそもバレエ生活の9割はトレーニングに費やされるので、現在のような状況はかえって、そのような自己コントロールを養える良いチャンスだと捉えることも出来るのではないでしょうか。

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セントルイス・バレエ外観

----バレエ活動が再開された時に、ダンサーとして気をつけなければならないことはありますか。また、セントルイス・バレエ団では再開された時のためにどのような準備をされていますか。

堀内元 前にも述べましたが、現在「公演活動」は休止されていますが、ダンサーたちは日々トレーニングを続けていますし、私のような経営を任されている人たちは、毎日どのようにしてこの困難を克服しつつ、組織として存続出来るのか、試行錯誤のなか懸命に対応しており、日頃の運営自体は以前よりも一層の精力と時間が必要とされています。アメリカ社会には日本のような国民健康保険制度や国民年金制度などがないため、一般国民は自分たちでそのような保障を受けられるよう働き続けなくてはなりません。セントルイス・バレエ団、バレエ学校も公演がある、ないに関わらず、雇い主として普段よりそのような健康保険や年金の積立制度、そして傷害保険、失業保険にも加入しており、実際の給料の他に1年を通して雇用側にそれらすべてを提供しています。存続する限りは中小企業の一員として、その財務責任を雇用側に果たし続けなくてはなりませんので「再開する」という意識は全くなく、「生き残る」という意識のもとで日々対応しています。

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