平野亮一が新シーズン初日をオシポワ、ラム、ヌニェズと飾った

ワールドレポート/ロンドン

アンジェラ・加瀬  Text by Angela Kase

英国ロイヤル・バレエ『マイヤリング』

The Royal Ballet " Mayerling" Choreography by Kenneth MacMillan

英国ロイヤル・バレエは10月8日に2018・19のバレエ・新シーズン初日の幕を開けた。演目はケネス・マクミラン振付ドラマティック・バレエの名作『マイヤリング(うたかたの恋)』である。
本拠地ロイヤル・オペラ・ハウス(以下ROHと略)は3年に渡る改装工事を終え、9月中旬に全館再オープンを果たしたばかり。バレエ団は10月2日には世界の著名バレエ団と共にワールド・バレエ・デーを祝し、クラス・レッスンの様子や新シーズン2作目の『ラ・バヤデール」のリハーサル風景他を世界に向けてライブ・ストリーミングした。
だが、新シーズン開幕直前のバレエ団は、実は大変な決断を迫られていた。初日の配役である。当初エドワード・ワトソンのルドルフ皇太子、ナターリア・オーシポワのマリー・ヴェツラ、サラ・ラムのラリッシュ夫人での公演が予定されていた新シーズンのオープニングだが、ワトソンの故障からの回復が遅れたため、代役を立てねばいけなくなったのだ。
開幕5日前の10月3日午後、ROHはシーズン初日を含む5公演の配役変更を発表。お目当てのダンサーの主演当日にチケットを購入していたイギリスのバレエ・ファンをパニックに陥れた。
ワトソンの代役として新シーズン初日10月8日と13日(夜)、19日に、ルドルフ皇太子役を踊る事になったのは平野亮一。平野が同役でデビューする予定であった10月13日(昼)には、新シーズンよりプリンシパルに昇進した新星マシュー・ボールがルドルフ役でデビュー、20日もボールとメリッサ・ハミルトンが主演することになった。このような理由から、英国ロイヤル・バレエの2018・19バレエ新シーズン初日は、急遽、日本人男性プリンシパルの主演でその幕を開けることになったのである。

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Mayerling. Natalia Osipova as Mary Vetsera and Ryoichi Hirano as Rudolf. ©︎ ROH, 2018. Ph. by Helen Maybanks.

『マイヤリング』の主役ルドルフと言えばハプスブルグ帝国の皇太子を体現しえる品格の高さに加え、1978年の世界初演でデイヴィッド・ウォールが踊ったダイナミックなソロの数々を踊る舞踊技術、父皇帝フランツ・ヨーゼフや母である皇妃エリザベートとの複雑な親子関係から、ヘロインに溺れ自死するまでを表現する類稀な演技力、複数の女性ダンサーを相手に難解なパ・ド・ドゥを踊るパートナー技術の強さが必要とされ、数あるバレエ作品の男性主役の中で最も難役として知られる。それをシーズン初日に平野が踊ることになったのである。

今年2月、やはりワトソンの故障によりウィールドン振付『冬物語』のリバイバル初日と、ライブ・シネマ当日に平野が主演したのは記憶に新しいところ。ワトソンが世界初演したシチリア王リオンディーズ役を、自らの解釈と舞踊技術で見事に演じ踊った平野の姿を、日本各地の映画館でご覧になった読者も多いことであろう。運命の神は再び平野を選び、その双肩に試練の重責を科せたのであった。

10月8日、初日の舞台を鑑賞した。
当日の配役はバレエ団スター・ダンサーが綺羅星のように舞台を彩る華やかなもので、平野のルドルフ、オーシポワのマリー、ラムのラリッシュ夫人の他、ルドルフのお気に入りの愛人の1人で高級娼婦のミッツィ・カスパーをマリアネラ・ヌニェズ、ルドルフと結婚するベルギー王女ステファニーをフランチェスカ・ヘイワード、ルドルフの御者でエンターティナーのブラトフィッシュ役をアレクサンダー・キャンベル、皇帝フランツ・ヨーゼフをクリストファー・ソーンダース、皇后エリザベートをクリスティン・マックナリー、エリザベートの愛人ベイ・ミドルトンをギャリー・エイヴィス、ルドルフを翻弄する4人のハンガリー将校をウィリアム・ブレイスウェル、リース・クラーク、アクリ瑠嘉と今シーズンよりイングリッシュ・ナショナル・バレエより移籍したセザール・コラーレス、帝国宰相のターフェ伯爵をアリステア・マリオット、ルドルフの親友ホヨス伯爵をカルヴィン・リチャードソン、ステファニーの姉ルイーズをロマニー・パジャックが踊った。
1幕、平野ルドルフは冒頭で新婦ステファニー(ヘイワード)の腕を取って歩いて登場する場面から、立ち居振る舞いに皇族の雰囲気をにじませ、ハプスブルグ帝国の皇太子を体現。初めのソロには、いくばくかの緊張が感じられもしたが、直後に永遠に回り続けるかのような見事な旋回技を披露して、自ら緊張を払拭した。演技も闊達で母の皇后エリザベートの部屋を訪ねる場面のアラベスクは、アラインメントが美しいだけではなく、愛無き政略結婚の犠牲者であるという心情の吐露が充分にうかがえる好演を見せた。ステファニーとの初夜の場面では、髑髏を持って踊るソロでハムレットさながらの繊細さと苦悩を表現。相手役のヘイワードとの難易度の高いパ・ド・ドゥにおいても、彼女を右肩に乗せるリフトの数々を美しくまとめ、当夜、ROHに集まった英5大新聞とタブロイド紙の批評家たちやファンに、持ち前のパートナーリングの巧みさを印象づけ、床入りの場面ではまさに狂気を感じさせた。この時点で既に一部の観客は熱狂し、彼らの歓声が響く中で第1幕の幕が下りた。20分の休憩時間の間、新装ROHのそこここで、このドラマティックな作品とダンサーたちに興奮を抑えきれないファンたちが「ファンタステック!」に代表される形容詞を連発する姿を目にした。

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Mayerling. Ryoichi Hirano as Rudolf. ©︎ ROH, 2018. Photographed by Helen Maybanks.

幕間に改装終了後のオペラハウス内を散策してみた。改装前のメイン・フォワイエといえば、幕間にバーで飲み物を購入した後に人混みをかきわけて歩くのが困難なほど混雑したものだが、今では半地下の新しいカフェとバーのスペースに自由に行き来でき、観客一人一人がゆったりとした空間の中で思い思いの時を過ごすことが可能になっている。2階席グランド・ティア外の階段上に、2日前の10月6日にオルガ・スミルノワを相手役に『オネーギン』のタイトル・ロールを踊って、ボリショイの大舞台にカムバックを遂げたばかりのデイヴィッド・ホールバーグの姿があった。マクミランの名作とマリー・ヴェツラを踊る友人オーシポワを観に来たのである。


第2幕ルドルフがお忍びで訪れた酒場の場面。ルドルフの寵愛を受けるミッツィー・カスパー役のヌニェズが艶やかな美しさを振るい、酒場に集まった男たちと踊った。ハプスブルグの皇太子や帝国宰相ターフェを虜にするのも大いに頷ける魅力を鮮やかに見せた。この場面の平野ルドルフは、酒に酔い美しい女性たちと戯れ、その場を大いに楽しんでいる様子で、大人の男の色気を感じさせた。警察の手入れを逃れたルドルフは、美少女マリー・ヴェツラを伴うラリッシュ夫人と出会う。この日ラリッシュ夫人に扮したラムは、繊細な美しさとフェミニンな魅力、コケティッシュな演技で宮廷の恋愛遊戯に長けた貴婦人を演じ踊って大変魅力的で、ヌニェズと共に様々な女性の描き分け、振付家マクミランのグランド・バレエを華麗に彩って見せた。また御者でエンターティナーでもあるブラトフィッシュを演じ踊ったアレクサンダー・キャンベルもスター性と包容力にあふれ、闊達なソロの数々と共に、作品の最後でルドルフの嘆願により17歳の若さで死を選びながらも、歴史から抹殺されようとするマリーへの憐れみを存分に表現した演技で忘れがたい。
第2幕第3場ヴェツラ邸。
少女のマリーがルドルフの肖像を手に皇太子への憧れを募らせている。ラリッシュ夫人が偽りのカード占いで、マリーにルドルフ宛の恋文を書かせる場面。今では踊る女優に成長したオーシポワだが、激情的なロシア人バレリーナらしく、時折演技過剰に傾いてしまう情熱的すぎる演舞で、「マリー=清らかな10代の令嬢」とは感じ
がたい部分が多々見られた。だが髑髏を抱いて踊るソロは求心的で優れた物であったし、ピストルを手にルドルフに迫る姿は迫力に充分、令嬢というより「迷える皇太子を一気に自死に導く小悪魔」といった風情。
平野は昨年3月に『眠れる森の美女』でオーシポワと全幕初共演し、立派にパートナーを務めているが、今回はプティパ振付の古典全幕とは違い、パートナーリングに超絶技巧を奮わねばならない『マイヤリング』である。だがファンの心配をよそに2人のパ・ド・ドゥは、あうんの呼吸で素晴らしいものとなり、見事に第2幕の最後を締めくくってみせたのであった。

第3幕。狩猟の際の猟銃暴発事件は父皇帝フランツ・ヨーゼフ暗殺未遂の噂をよび、ルドルフの宮廷での立場はより困難な物と化した。平野は事件により心身の均衡をますます崩し、その苦しみを紛らわせようとヘロインに溺れるルドルフを巧みに演じ、観客の心を鷲掴みにして離さなかった。マイヤリングの狩猟の館でマリーと踊る最後のパ・ド・ドゥもオーシポワと共にドラマティックな世界を体現し、今やロイヤル・バレエのトップ男性プリンシパルであることを、当日ROHに集まった英批評家やバレエ・ファンに強く印象づけた。02年10月、イレク・ムハメドフとヴィヴィアナ・デュランテが『マイヤリング』を主演中に心臓発作を起こし、ROHで息絶えたマクミラン。振付家本人が見ていたら平野を大いに気に入ったのではないだろうか。そう思わせる舞台であった。

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Mayerling. Ryoichi Hirano as Rudolf. ©︎ROH, 2018. Photographed by Helen Maybanks.

終演後、降りた幕が上がると舞台上で1人高らかに腕を上げ観客の歓声に応える平野の姿があった。その両目は赤かったが、今年2月の『冬物語』初日のカーテンコール時のように号泣する訳ではなく、数あるバレエ作品の中で最も難役であるルドルフ皇太子役デビューを無事終え、シーズン初日にバレエ団を代表する三大プリマであるオーシポワ、ラム、ヌニェズのパートナーを務めた事実を静かに反芻しているように見えた。

何回も続いたカーテンコールの最後、オーシポワとラムの手を取り観客の前に現れた平野に、それぞれのバレリーナが左右から膝を折りこうべを垂れて恭しく感謝の礼をする姿が見られた。「平野の見事なパートナーリングがあればこそ、数ある難解なパ・ド・ドゥを踊りきることが出来た」「平野の演舞に触発されたからこそマクミランによるドラマティック・バレエのヒロインとしての人生を舞台で謳歌することが出来た」と。直後に平野本人も胸に手を置いてオーシポワとラムそれぞれに対して真摯に返礼。シーズン初日の舞台は、このようにその幕を下ろしたのであった。
(2018年10月8日 ロイヤル・オペラ・ハウス)

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