[ロンドン] カルロス・アコスタがコベント・ガーデンに別れを告げた『カルメン』世界初演、タケット振付『エリザベス』

ワールドレポート/その他

アンジェラ・加瀬
text by Angela Kase

The Royal Ballet 英国ロイヤル・バレエ
"Carmen'" by Carlos Acosta, "Elizabeth'" by William Tuckett

『カルメン』カルロス・アコスタ:振付、『エリザベス』ウィリアム・タケット:振付

また1人、バレエ界のスーパー・スターが本拠地の舞台に別れを告げようとしている。ロイヤル・バレエのゲスト・プリンシパルのカルロス・アコスタである。

祖国キューバで13人兄弟の末っ子という貧しい環境の中で育ったアコスタは、元はストリート・ダンスに熱中する少年だった。社会主義国家のキューバでは貧しい家の者であろうとも、選考に合格してバレエ学校の生徒になれれば学費・給食費免除で学び、ひもじい思いをしないですむ。息子が飢えることの無く、また悪の道に染まらぬよう願った父は、息子をバレエ学校に入学させるが、当の本人は当初バレエに興味が持てず、何度も学校を抜け出しては放校寸前になった。その後、ローザンヌ国際コンクールでの金賞受賞をきっかけに著名なコンクールを総なめにし、世界にその才能を知られるようになる。イギリスのイングリッシュ・ナショナル・バレエ、キューバ国立バレエ、アメリカのヒューストン・バレエを経て、98年に当時の芸術監督であったアントニー・ダウエルの招きで英国ロイヤル・バレエに入団。ルドルフ・ヌレエフ、イレク・ムハメドフに続き、同バレエ団に彗星のように現れ舞台を席巻した、世界最高の男性舞踊手の系譜に連なった。

『カルメン』カルメン(マリアネラ・ヌニェズ)、ドン・ホセ(カルロス・アコスタ) photo/Angela Kase

『カルメン』
photo/Angela Kase(すべて)

日本では熱狂的な人気を博すことがなかった彼だが、欧米をはじめとする世界各国では、野性的な風貌と肉体美、人間離れした身体能力でデビュー以来センセーションを巻き起こし、アコスタ主演公演といえばチケット入手が困難を極めた。また将来プロのバレエ・ダンサーを目指すバレエ男子の憧れのダンサーの1人であり、世界中の少年たちがアコスタが活躍するイギリスでバレエを学ぶことを夢見て、ロイヤル・バレエ・スクールやイングリッシュ・ナショナル・バレエ・スクール、バーミンガムにあるエルムハーストに留学したことでも知られている。
そんなアコスタも今では42歳。ここ数シーズンは特に跳躍をはじめとする技術にだいぶ衰えがうかがえるようになった。その彼がバレエ団の本拠地であるコベント・ガーデンの大舞台に別れを告げる作品として選んだのは、自らが振付家として腕を奮った『カルメン』。その後小劇場リンバリー・スタジオ・シアターでのさよなら公演に選んだのが、中世イギリスの黄金時代の統治者として生涯独身を貫いた女王エリザベス1世の生涯を描くウィリアム・タケット振付『エリザベス』であった。

『カルメン』

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アコスタ版『カルメン』は、10月下旬から11月中旬までリアム・スカーレット振付『ヴィサラ』とジェローム・ロビンズ版『牧神の午後』、ジョージ・バランシンの『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』などの小品と共に上演され、10月26日に世界初演された。
アコスタがロイヤル・バレエに作品を提供するのは、2013年の『ドン・キホーテ』全幕に続いて2度目。今回は1幕物だが、1時間で煙草工場の女工カルメンと彼女に翻弄される男ホセの物語を辿るたいへん密度の濃い小品で、全幕作品に匹敵する内容。当初タイトル・ロールのカルメンには、マリアネラ・ヌニェズ、ナターリア・オーシポワの2大プリンシパルと、12年入団の未だコール・ド・バレエのイギリス人バレリーナ、ティルニー・ヒープの3人が予定されており、ヌニェズとオーシポワがアコスタと、ヒープがワディム・ムンタギロフと踊る予定であった。これがオーシポワの怪我によりダブル・キャストに変更となった。10月22、23日と2つの配役によるドレス・リハーサルを撮影し、11月12日にヌニェズとアコスタ主演によるファースト・キャスト千秋楽の舞台を鑑賞した。

マリアネラ・ヌニェズといえば、長らくクラシック・バレエのプリンセス役よりマクミラン・バレエの愛人役や情婦役が似合うことで知られてきた。だが今回カルメンとして舞台に登場すると煙草工場の女工にしてファム・ファタールのカルメン役には上品すぎるのでは? と感じた。それはバレリーナとして長い年月をかけ、古典作品のプリンセス役に自分を当てはめようと努力してきたヌニェズが勝ち得た成果なのかもしれないが。
ヌニェズ、アコスタという主演ダンサー2人の並びと、赤や黒を中心とした衣装、円形のセット背景、ライブ・ミュージシャンの多用やバレエの基本にのっとった舞踊スタイルを遵守せず、群舞を奔放に用いる様は、振付家アコスタの処女作『ドン・キホーテ』を思い出させた。だが振付には前作以上の洗練がうかがわれた。
アコスタ扮するホセとカルメンの愛を争う闘牛士エスカミリオ役にはフェデリコ・ボネッリ。情熱の国スペインの美男闘牛士として女性たちの憧れの的というよりは、女あしらいの上手な伊達男といったエスカミリオを演じ踊ってダンスール・ノーブルらしさを奮った。
ヌニェズ、アコスタ、ボネッリの3人の競演は、愛と情念のバレエの主演キャストとしては、今の英国ロイヤル・バレエで考えられる最高の配役といえるだけにドレス・リハーサルを覗き見ることを許された一部の人々から、本公演に駆けつけたバレエ・ファン、ライブ・シネマを観に世界の映画館に集った舞台ファンまでもが、手に汗握ってこの新作を見入ったことだろう。3人による最終日11月12日の舞台は、アコスタがコベント・ガーデンの大舞台に別れを告げる夜であり、またライブ・シネマのカメラも入ったこともあって、ヌニェズ、アコスタ、ボネッリがまき散らす激情と渾身の演舞がロイヤル・オペラ・ハウス満場の観客を金縛りにする魔力があった。

『カルメン』

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終演後はバレエ団のメンバーや芸術監督のケヴィン・オヘアをはじめとするスタッフが舞台に上がり、アコスタを囲んで、彼とバレエ団との17年間の蜜月を偲び、ねぎらった。舞台にはアコスタの愛妻と愛娘の姿もあり、2人も見守る中、アコスタから若き団員らに言葉が贈られ、また自分に振付家としてのチャンスを与えてくれたケヴィン・オヘアへの心よりの感謝の言葉があった。またアコスタはダーシー・バッセルやマリアネラ・ヌニェズ、吉田都など、自分とともに名舞台を創り上げたバレリーナたちへの祝辞も忘れることはなかった。最後にまだ小さな愛娘を腕に抱いたアコスタが観客に手を振って、この特別な夜はその幕を下ろした。この舞台の様子は日本でも1月23日の映画館上映の際にご覧になれるだろう。

『カルメン』

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小劇場リンバリー・スタジオ・シアターでのウィリアム・タケット振付『エリザベス』公演は1月8日〜17日まで。アコスタをコベント・ガーデンで観る最後の機会ということで、公演チケットは何か月も前から完売となり、英バレエ・ファンのチケット譲渡サイトには、同公演のチケットを求めるファンの書き込みが絶えない。
この作品は2013年にエリザベス1世が産声を上げたグリニッジ宮殿、現グリニッジ王立海軍大学で行われたガラ公演のために振付られ世界初演された小品。今回は文豪ウィリアム・シェイクスピア没後400年を祝して今年世界中で行われる「シェイクスピア400」と題された文化イベントの一環としてリバイバル上演されている。
主役のエリザベス1世をロイヤル・バレエ・プリンシパルで、振付家タケットのミューズであるゼナイダ・ヤノースキー、エリザベス1世がその一生の中で心を寄せた数々の男性をカルロス・アコスタが演じ踊る趣向で、他に女性ダンサー1名と女優2名、バリトン歌手のディヴィッド・ケンプスター、チェリストのラファエル・ウォールフッシュの7名が舞台に登場する舞踊劇だ。

「エリザベス」 photo/Angela Kase(すべて)

「エリザベス」
photo/Angela Kase(すべて)

「エリザベス」

「エリザベス」

小劇場リンバリーはコベント・ガーデンのメイン・ステージのように大舞台の前に大きなオーケストラ・ピットがあるわけではない。小さな舞台の前に雛壇のような客席が迫り、観客が著名ダンサーを取り囲むように位置する。1・2階席のファンたちはカリスマに満ちたロイヤル・バレエの2大スター、ヤノースキーとアコスタの一挙手一動を眼前に目撃する事が出来るのである。
エリザベスの幼馴染のロバート・ダドリー、エセックス伯ロバート・デヴルー、アンジュー伯フランソワ、ウォルター・ローリーら女王の寵臣や求婚者の数々として様々な衣装で舞台に登場し、自作『カルメン』では見せることのなかった踊り手としての優美と超絶技巧を奮うアコスタ、ヤノースキー扮するエリザベスは25歳という若さで女王となるも愛する男たちと結婚することが許されず、また彼らの死や裏切りにより自らの孤独に溺れるように老齢を迎える。
大舞台で自作『カルメン』のホセ役に扮するアコスタを観た後に、エリザベス1世の人生を彩った王族や貴族、魅力的な男性の数々を演じ踊る彼をリンバリーという小劇場で仰ぎ見られるとは、バレエ・ファンとして何と贅沢な恩恵にあずかれることか。
今夜もロイヤル・オペラ・ハウスには『エリザベス』のリターン・チケットを求めるファンの列が絶えない。
(2016年1月8日 ロイヤル・オペラ・ハウス 1月6日夜の最終ドレス・リハーサルを撮影)

「エリザベス」

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「エリザベス」

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「エリザベス」

「エリザベス」

「エリザベス」

「エリザベス」photo/Angela Kase(すべて)

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