[中国]上海のバレエを訪ねて
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空港から市内までリニアモーターカーが走る最先端都市の上海にも、様々のバレエの歴史が刻まれている。亡命ロシア人が活躍した外国租界の時代から、今日活発な活動を展開する上海バレエまで、21世紀の大国の最新のバレエ事情の一端をお伝えしよう。
マーゴ・フォンテーンが上海でバレエを学んでいたことは良く知られている。 フォンテーンは、1930年代、10代の前半を父親の勤務地の中国で過ご し、上海ではゴンチャロフなどからバレエを学んだ。後に英国ロイヤル・バレエ団で活躍しデイムの称号を授与された20世紀の偉大なバレリーナが過ごした記 憶が、僅かながら残っていた。
マジェスティック・シアター
マーゴ・フォンテーンの肖像
パラマウント・ホール(百楽門)
ヨーロッパやアメリカの租界が殷賑を極めた頃に、フランス租界の夜を華やかに彩ったライセアム・シアター(蘭心大戯院)のフォワイエに、フォンテーンの巨大な絵が掲げられて、今日の観客たちを見下ろしていた。
ライセアム・シアターといえば、大戦後の東京で初めて『白鳥の湖』全幕を上演した際に中心となった小牧正英が、上海バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の時代に踊った劇場である。
ライセアム・シアター(外観)
上海バレエ・リュスは、ロシア革命やナチスの迫害などにより祖国を離れたアーティストたちが集まって創ったバレエ団である。小牧はこのバレエ団のプリン シパル・ダンサーとして踊ったが、拠点はこのライセアム・シアターであった。(彼はフォンテーンが学んでいたオードリー・キングにバレエを習っていたこと があり、その関係から、彼女とマイケル・ソムズの招聘に成功したという)
ライセアム・シアター(ロビー)
ライセアム・シアターは1930年に創設された。その後、上海芸術劇場と改名されたが、91年に再び元の名称に戻った。680席と小ぶりな劇場だが、 ヨーロッパ風の瀟洒な雰囲気で、客席にも繊細な細工が施されている。バレエやドラマを上演する目的で創られたためか、劇場内に舞台とまったく同じ大きさの 稽古場を備えている、と小牧は述べている。
その他に、マジェスティック・シアターやパラマウント・ホール(百楽門)など、舞姫マヌエラや「上海バンスキング」の世界に登場するジャズマンたちが活 躍した<魔都上海>の往時の雰囲気を残す、劇場やダンスホールもむろん改装を重ねてはいるのだろうが、活動を続けている。
そして上海バレエ団を訪ね、芸術監督の辛麗麗(Xin Lili)やプリンシパル・ダンサーに会うことができた。 上海バレエ団は、中国の創作バレエ『白毛女』を上演するためのグループが中心となって、1979年に設立された。中国では、ダンスはクラシック・バレエ と歌舞団の踊りとに大別されて、運営、教育されているので、上海バレエ団のスタジオや本部は、バレエ学校および歌舞団などと同じ場所に置かれている。
現代的で明るい光が注がれているスタジオを訪れると、辛芸術監督と二人のダンサーがリハーサル中だった。一見しただけで、ダンサーのプロポーションが思わず見とれてしまうほど素晴らしい。 早速、バレエ団の活動についてお話を伺った。
まず、辛麗霊芸術監督が上海バレエ団の現状を話してくれた。
「上海バレエ団の主なレパートリーは、『白鳥の湖』『ジゼル』『ロミオとジュリエット』『コッペリア』『ラ・シルフィード』などのクラシック・バレエと、 『白毛女(White Haired Girl)』『A Sigh Of love』『The Butterfly Lovers』などの創作バレエです。基本的にロシア・バレエの伝統に基づいたレパートリーの構成になっています。
芸術監督の辛麗麗
年間およそ80回くらい公演を行っています。国内公演は、上海大劇院を拠点としていますが、各地にツアーも展開します。アメリカ、日本、オーストラリア などで海外公演も積極的に行っていて、昨年は中国文化フェスティバルの一環として東京でも公演しました。今年は、6月から7月にかけて、ロサンゼルス、サ ンフランシスコなどを15公演して回るアメリカ・ツアーが決まっています。
今年のアメリカ公演では、『白鳥の湖』などのクラシック・バレエとともに、私が振付けた創作バレエ『The Butterfly Lovers』も上演します。このバレエは、中国の有名な伝説に基づいたもので、愛の悲劇を象徴的に描いたものです。1953年には映画化され、「中国の 『ロミオとジュリエット』」と評されました。
ソリスト達
海外のバレエ団とは、日本の松山バレエ団や韓国のバレエ団と交流しています。特に日本のバレエ団は、教育の土台がしっかりしていて、ダンサーのテクニックが優れていると思っています。
これからはフランスやアメリカなどの振付家と一緒に仕事をしたり、創作バレエを振付けていきたい。そして中国のバレエを、世界の舞台で踊って知らしめたい、と思っています。
今年の6月にはWang YananとWu Hushengをニューヨークの国際バレエ・コンクールに参加させます。大いに期待しています。
プリンシパル・ダンサーのJi Pingping
「私は、1986年に上海バレエ学校に入学して、92年に上海バレエ団に入団しました。
子どもの頃はあまりバレエのことは知らなかったのですが、先生に薦められてバレエの道を進みました。バレエの稽古は、最初の三年間はとても厳しくいろい ろと訓練を受けて辛かったのですが、四年目くらいからはいくらか楽になりました。しかし、身体をコントロールしなければならないので、たいへんです。
両親や親戚と一緒に食卓を囲んでも、「あなたは美味しいものは食べてはいけません」と言われるので、やはり辛いですね。でも、がんばらなきゃ仕方ないですから。
クラシック・バレエが私の身体に合っていると思います。踊るのが好きな作品は『ロミオとジュリエット』『ジゼル』です。
上海バレエ団は、クラシック・バレエが中心ですが、これから私は、新しい創作作品を踊ってみたいのです。自分自身で作品の主人公を創って踊っていきたい、と思っています」
プリンシパル・ダンサーのWu Husheng
「ぼくは1986年生れの21歳です。97年に上海バレエ学校に入学して、2003年に上海バレエ団に入団しました。
バレエが大好きだった母親に薦められて、9歳の頃からバレエ教室に通い始めました。だんだんおもしろくなって自分も好きになりました。でも稽古が辛くてもう止めようと思うようなこともありましたが、今は頑張って続けてきて良かったと思っています。
『コッペリア』で初舞台を踏み、2005年に『白鳥の湖』のジークフリート王子役で主役デビューしました。この舞台はたいへん緊張しましたし、全幕通しで踊るのは、体力的にもたいへんでした。このジークフリート役は、今でも1番好きな役ですね。 6月にニューヨークのコンクールに参加します。ジュニアの国内のコンクールには参加した経験がありますが、海外のコンクールは始めてなので一生懸命に頑張りたいと思っています」
プリンシパル・ダンサー
Wu Husheng
ソリストのWang Yanan
「私は2000年に上海バレエ学校を卒業してすぐにバレエ団に入団しました。
バレエは、母親が好きだったので小さな頃からバレエ教室に通っていて、上海バレエ学校の生徒募集を知って応募しました。
バレエの訓練は厳しくてとても疲れますけれど、他の人たちに比べるとはっきりとした目標があったので、頑張ることができたと思います。身体を維持するため に甘いものが食べられないとか、子どものころは辛かったですけど、だんだん自分でコントロールできるようになりました。
2002年にアメリカ公演の『白毛女』で始めて主役を踊りました。外国公演の舞台だったのでとっても緊張しましたけど。 今まで私が踊った最も印象に残っている舞台は、延安公演の『白毛女』です。中国革命の縁りの地で革命をテーマにしたバレエの主役で踊ったわけです。私はどちらかと言えば、クラシック・バレエよりも創作バレエを踊るほうが好きです 。
でも、今、いちばん踊りたいのは『ロミオとジュリエット』です。
6月にはWu Hushengのパートナーとして、ニューヨークのコンクールに参加するので、今からとても楽しみです」
ソリスト Wang Yanan
上海バレエのダンサーは、じつに若々しく爽やかでエネルギーに満ちている。外国人の舞踊家に直接指導を受けているわけではなく、指導者も自前で育てようと試みている。文化政策の方針にもやはりどことなく、大国の自負を感じさせるものがある。
ちなみに、創作バレエの『A Sigh Of love』を創るために、フランスからベルトラン・ダットを呼んでいた。彼は、モーリス・ベジャールの20世紀バレエ団で、『春の祭典』『ペトルーシュ カ』『火の鳥』ほかを踊った。後にベジャール・バレエ・ローザンヌとなってからはバレエ・マスターとなり、さらにライン・バレエのディレクターなどを務め た。『ディオニソス』までは踊っていたそうだから、ベジャールのカンパニーの来日公演で舞台姿を観た方もいるかも知れない。
ワールドレポート/その他
- [ライター]
- 関口 紘一